「……どうしよう」

 掃除が終わったあと、何度か菜々子ちゃんに「それで用事ってなに?」と尋ねられて、結局は「一緒にテスト勉強してほしい。英語が本当にヤバイんだ」と言って、勉強会を開催することで終わってしまった。
 大樹くんの問題、なにひとつ解決してない。
 菜々子ちゃんは恋愛嫌いだし、そんな菜々子ちゃんを大樹くんは好き。そして私は大樹くんが好きだし、十年後に彼が自殺してしまう未来を知っている。
 本当だったら、学校が廃校にさえならなかったら、大樹くんは私立校に転校しないし、東京にも行かないはずなんだ。でも。このままだったらひとりで東京に行って、ひとりで死んでしまう。

「亜美? どうかしたか?」

 そう声をかけられて、驚いて振り返った。
 スーパーのエプロンを巻いた海斗くんだった。

「お疲れ様。家の手伝い?」
「おう、今はちょっと大学卒業で一気に人が辞めたから募集かけてるところ。それまでは俺も家に真っ直ぐ帰って手伝ってるかもなあ」

 海斗くんは地元のスーパーマーケットの社長の息子だし、近い将来そこで一店舗の店長を任されることを知っている私は、この頃から家の手伝い普通にやってたんだなあと、郷愁みたいなもので締め付けられていた。
 海斗くんは私のほうを首を捻って眺めていた。

「どうかしたか?」
「え……? なにが……?」
「亜美、考え込むときはいっつも背中丸まってるだろ。弧を描いてたから、声をかけたんだけど。どうかしたか? 菜々子と喧嘩でもしたか?」
「まさか。菜々子ちゃんと私は仲良しだよ」
「そっかそっか。それならいいんだけどな」

 相変わらず優しい海斗くんにしんみりとする。でもな。私が未来のことを知っていることも、未来の結末を変えようとしていることも、そのまんま言っても信じてもらえるとは思えない。だからどうしても口に出せなかった。
 ただ私は「海斗くん、お店のほうは?」となんとかスーパーに戻そうとした。それに海斗くんは「大丈夫大丈夫」と掌をひらひらさせる。

「ちょっとお客さんが財布落としてな。届けに行ってたんだよ。その帰り」
「そっか……お疲れ様」
「おう。でも本当に、なにか困ってるなら相談に乗るからな。俺、こう見えて口が無茶苦茶重いから、他言無用だし」

 うん、知ってる。海斗くんは本当にいい人で、だからこそ、浮いた話ひとつなかった私は、「三十になっても互いに相手がいなかったら結婚しようか」と言えたんだと思う。
 そのまま好きになれたらよかったのになあ。
 地元でも優良企業の社長の息子で、本人も店長やってる。その上性格もいいし、弱気でいいところなしな私のことをずっと励ましてくれる。
 こんな優良物件、もしも二十代の私であったのなら、大樹くんが亡くなったあと、そのまま付き合う道もあったのかもしれない。でもさ。
 大樹くん、まだ死んでないんだよ? 今だったら助ける芽があるんだよ? それをなかったことにするの? 私のわがままで?
 それはなんだか違うような気がする。私の心の据わりが悪い。

「亜美?」

 困ったようにひょいと顔を覗き込まれかけて、私は反射的に飛び退いた。

「話をするのは、もうちょっと考えをまとめてからさせて!」
「うん? おう、わかった……?」
「本当の本当に、私にかまって仕事疎かにしたら駄目だからね!」
「しないって。お使い帰りに友達が落ち込んでたら、普通に声かけるだろ」
「ありがとう!」

 こうして私は、慌てて家に帰ることにした。
 ……でも、あれだよなあ。私はふと気付いた。
 大樹くんがこのままだと死ぬことは言えないにしても、人間関係がこじれていることだけは、相談できるよなあ。
 私の気持ちに蓋をするにしても、彼が死なない未来を目指したい。そのためには、菜々子ちゃんの恋愛嫌いをどうにかしないと駄目だし、大樹くんをひとりにならないようにしたい。
 どう考えても、キャパシティーが足りなくって、私ひとりだったら無理なんだ。それこそ、人間関係に慣れている海斗くんの力を借りないと。
 家に帰ると、私はひとまず現状を紙に書き上げることからはじめることにした。

****

 SNSのメッセージをポチポチと打つ。

【お仕事お疲れ様。今大丈夫?】

 海斗くんにメッセージを送ると、すぐに返信が来た。

【ありがと。今終わったところ。晩飯も食い終わった】
【よかった。昼間に悩んでいた話、しても大丈夫かな?】
【俺でよかったら】

 文章はあっさりしているけれど、普段の海斗くんのことを思うと、記号を使って賑やかにする性分じゃないもんなあと考える。そんなことを思いながら、私は家に帰ってからまとめたメモを見ながら、少しずつ打ち込みはじめた。

【大樹くんが好きな人いるみたいなんだ。大樹くんにはずっとお世話になっているし、その子との仲を取り持ちたいんだけれど】
【うん? それって菜々子のこと? それとも別の子?】

 その言葉を聞いた途端に、スマホを投げようとして止めた私を褒めてやりたい。私は頭が痛い気分で、返事を打った。

【そうそう。でも菜々子ちゃん、私たちグループ以外の男の子嫌いみたい】
【そっかあ。菜々子も変なのにばっかりモテるからなあ。一時期俺と菜々子が付き合ってるみたいな噂をあいつが流してなんとか変なのを寄せ付けない環境つくろうとしてたしな】

 私はそれにますます頭が痛くなった。
 今日私が知ったことを、既に海斗くんが全部知っていた事実がただただ憎たらしい。【ずるい、ひどい】と打ち込んでは消し、結局は普通の文面を書いた。

【そうなんだ。私全然気付かなかったから】
【それはあれだろ。菜々子も寂しがりだから、友達を怖がらせたらもう友達でいてくれなくなるかもしれないと思って、亜美に気を遣った結果教えなかったんだろ。なんでもかんでも教え合うのが友達って訳でもないしさ】

 本当に海斗くんは人生何回目だよ。私なんて人生二回目でも、まともだった記憶がないんだけどな。
 そうぶちぶち文句を言いながらも、私はなんとか言葉を探す。

【そうだったのならいいなあ。でもどうしよう。どうしたらふたりをくっつけられると思う?】
【難しいな。無理に菜々子の気持ちを変えることもできないだろうけど。大樹だって現状に満足してるみたいだしさ】
【そういうの、よくないと思うんだ】

 本当によくない。いい思い出にしてしまったがために、彼は私立校に転校して、最終的に自殺してしまう。いい思い出になんかしないでほしい。
 私の言葉を待っているのか、海斗くんの返事がない。私は一生懸命に文章を打った。

【私たちだってさ、あと一年で進路問題に入るじゃない。そうなったら忙しくなって、恋とか言ってる暇なくなるよ。なら今のうちにやりたいこと全部やってたほうが、きっと悔いが残らずに済むから】
【まあたしかになあ。ならグループ交際っていうのだったらどうだろう?】

 それに私は内心「うん?」となった。
 私は自分が大樹くんと付き合うことよりも、大樹くんに生きてて欲しくて、菜々子ちゃんには大樹くんの生きる理由になってほしかった。自分が誰と付き合うとかは、全く考えてなかった。

【それ、私と海斗くんも付き合うの?】
【別に付き合わないよ】

 よかった。少しだけ胸を撫で下ろす。

【ただ皆で一緒にいて、適度にふたりっきりにさせるんだったらいけるだろ。菜々子の警戒心も薄れるだろうし】
【そうだね、それだったら】
【ただなあ】

 今度の海斗くんは早めに返事をくれた。

【菜々子もだけれど、案外大樹もその辺取り扱い注意物だから、慎重に扱わないといつ破裂するかもわからないからな】

 そう警告された。
 私は額を撫でた。前のとき、大樹くんは浮いた話が特になかったし、菜々子ちゃんのことを好きだってこと、私は全く知らないままだった。
 だから大樹くんが取り扱い注意物だと指摘されても、ピンと来てなかったんだ。
 そんな私は大馬鹿者だ。