唐突に大樹くんの好きな人がわかってしまい、頭を横殴りされたような気分になる。
 ……でも。逆に考えよう。
 私が告白しようとしたのはなんでか? 彼をひとりにしないためだ。もしかしたら地元に残ってくれるかもしれないし、もしかしたらブラック企業に捕まらないかもしれない。たとえ捕まったとしても、周りに誰かいたら会社をやめられると思うから、自殺しようとするまで思い詰めないかもしれない。
 ……私の恋自体、本気で誰にも言う気はなかったんだ。だから、ここで私を選ばなくたって全然いい。そもそも、菜々子ちゃんは声優になるために専門学校に行くため、東京に出るはずだ。今も菜々子ちゃんは声優目指して筋トレとボイストレーニングを欠かしてないんだから、声優になる道はあるだろう。
 私は息を吐いた。
 ……菜々子ちゃんに交渉してみよう。

「亜美、どうかした?」

 大樹くんは不思議そうにこちらを見た。その表情を見て、胸がズキンと痛む。
 私に屈託なく話しかけてくれるのは、友達だからだもんね。

「……なんでもないよ。行こう」
「張り切ってるね」
「そんなことはないかな」

 私はできる限り無邪気な言葉遣いになるよう気を付けながら、登下校路を駆け上がっていった。

****

 その日、菜々子ちゃんは掃除当番だった。それに海斗くんと大樹くんは「待とうか?」と言ったものの、菜々子ちゃんは首を振った。

「今日は女同士で話があるんですー」

 それに私はグッと握りこぶしをつくった。これで菜々子ちゃんと話ができる。
 ついでに私も掃除を手伝うと、掃除当番の子たちは不思議そうな顔をしながらも「ありがとう」と言いながら掃除を済ませていった。
 ゴミ捨てにふたりで行く中、菜々子ちゃんは声を弾ませていた。

「ねえ、亜美。私今日はすっごく機嫌がいいんだ。なんでかわかる?」
「ええー? わかんない。なんかあったっけ?」
「あのねえ、今晩のラジオ! 私の投稿が読まれることになったんだあ、メールでお知らせがあってね、ちょっとだけ生放送に出ることになったの。嬉しいなあ、ここからどこかの事務所が拾ってくれたりしないかなあ」

 菜々子ちゃんは、たしか高校時代、有名声優のラジオに毎週メール投稿をしていた。声優さんに詳しくない私だけれど、出演作を聞いたら私でも知っている話だったから、多分有名声優なんだと思う。
 声優になりたくて仕方がない菜々子ちゃんの発言に、思わず苦笑したけれど。実際にラジオのインタビューやインディーズのネットラジオの吹き替えを録音して片っ端から事務所に投げ込んでデビューを決めた声優さんの例を菜々子ちゃんから聞いているから、もしかしたらそんな人もいるのかもしれない。菜々子ちゃんはラジオによく投稿しているのも、なにかの拍子でデビューできないかという下心も混ざっているのを知っているから、余計にだ。
 私は「なにかに引っかかるといいねえ」とだけ答えておいた。
 彼女は努力して声優になったけれど、気付けば囁き音声専門の声優になっているなんてこと、私が教えることでもない。教えて彼女が幻滅してしまうほうが、私は嫌だった。

「えっと……そういえばね」
「うん、なあに、亜美?」

 私はなんと切り出せばいいかなと考えた。
 年を食って世間ずれした頃になってもなお、私は恋愛経験に乏しく、「大樹くんが菜々子ちゃんに気があるんだって」とストレートに言っても、菜々子ちゃんは「ふーん」で相手にしなさそうだから、余計に言葉を探さないといけなかった。
 なによりも。菜々子ちゃんは私が大樹くんのことを好きなのを知っているんだ。彼女は気遣いであり、アニメと声優の話は、それを聞いて面白がれる私くらいにしか言わない程度には、わきまえている。女子同士で話をすると笑い話で済むことも、男子が混ざった途端に「えぐいからやめて」と止められてしまうことも、彼女は男子ふたりを巻き込んで話したりはしない。
 その中で、大樹くんが菜々子ちゃんに気があるってこと、どうやったら伝えられるんだろう。
 私は迷った末に「もしもさ」と枕詞を置いてから、口を開いた。

「もしもさ、声優さん以外で。菜々子ちゃんのこと気があるって人がいたとしたら、どうする?」
「うん? 誰かそんな人いるの?」
「もしも、もしもの話だよ」
「ふうん……てっきり私、亜美が大樹に告白するのかと思ってたけど」

 菜々子ちゃんの言葉がツキツキと私を突き刺す。でもきっと、今言ったって駄目だよねと、私は必死に言い繕う。

「あんまり菜々子ちゃんと恋バナしたことなかったなと思って。どうなのかなと」
「ふうん……そういえばそっか。私の話ばっかり亜美に聞いてもらってるし、それはフェアじゃないよね」

 菜々子ちゃんはブツブツ言ってから、口を開いた。

「正直ねえ、三次元の人に好かれても、迷惑なだけなんだわ」
「……へえ?」

 思ってもないことを言われてしまい、私は声が裏返る。

「ど、どうして……?」
「うーん、三次元の人って、自分の都合ばっかり押しつけるじゃない? ちょっと優しくしたり、ちょっと声をかけたりするだけで好かれるんだったら、私が迂闊だったんだなと反省するけどさ。たまたま目が合っただけでそう取る人もいるんだよ? そして私が『知らない』と言うと怒るし。ほとんどの気の弱い人だったら、『知らない』と言ってしまえばそこで終わりだけど、たまにいるんだよね。『目が合ったんだから好きに決まってるのに天邪鬼なこと言って、なんて性格の悪い女だ』って人。そんなこと言われても、それって私が悪いの?」

 菜々子ちゃんの言葉に、私は愕然とする。
 ……菜々子ちゃんが声優になりたがっていた理由は、私はてっきりミーハーだからとか、声の仕事に興味があるからだと思っていたけれど。それだけじゃないんだ。
 菜々子ちゃんは本当に可愛くしている上にサバサバしているから、男女問わず人気がある。男女問わずに人気があるのは海斗くんもだけれど、海斗くんは本当に悪いところがないから、彼に対して悪く言う人はいないけど、何故か菜々子ちゃんは影のある人に好かれることが多い。
 ……まさか大樹くんに好かれているなんて言ったら、菜々子ちゃんの性格や今まで告白してきた男子にされたことを考えたら、大変なことになるのが目に見えてる。

「それで結局、亜美はなにが言いたかったの?」
「う……うん。なんでもない。ただごめん。ただ恋バナしたかっただけなのに、大変なこと言わせちゃって」
「別にいいんだけどねえ。そういう愚痴を言うと、自慢扱いされるんだよね。自慢じゃなくってただの被害報告だっていうのにさ。でも亜美、私のほうこそごめん。こんな話、わざわざするもんでもないのにねえ」
「そ、そんなことはないよ! 菜々子ちゃんは苦労してたんだなと……私、ちっとも気付かなくって……」

 我ながらのほほんとしていたんだと思う。
 まさか親友の悩みに、十年間全く気付かなかったなんて、思ってもいなかったから。それでも菜々子ちゃんは全く態度を変えなかった。

「いやいや。わざわざ怖い話をして相手まで怖がらせたりドン引かせたりしてどうするの。私はさあ、普通にしてくれるほうがずっと嬉しいよ」

 そうきっぱりと言われてしまったけれど。
 これじゃあ、大樹くんのことどうすればいいんだろう。私はがっくりと肩を落としたのを「やっぱり亜美、なにか隠し事あるでしょ?」と尋ねられたのを、必死で首を振るしかなかった。