頑張って思い返してみたものの。
 私が大樹くんを好きになったのは、気付けばとしか言いようがなかった。
 劇的なことはなにひとつない。ただ、地元にずっと住んでいて、近所を歩いていたら見かける程度にはご近所だった。
 そうは言っても、向こうは高校時代に突然の私立へと編入ができる程度にはお金持ち。うちは普通の一般家庭。近所に住んでいなかったら顔も覚えてもらえなかった。
 だから彼と同じクラスになれたのはチャンスとしか言いようがなかったし、私はそれをものにできるかどうかの瀬戸際だった。
 私が自室を漁って見つけ出したのは、小さなアルバムだった。たしかこの時代はまだスマホがライフラインになるちょっと前だったから、アルバムにある写真も、写真屋で現像されたものばかりだった。
 その写真は中学時代、同じクラスになった大樹くん、菜々子ちゃん、海斗くんで並んでピースしているものだった。この頃はまだ、長い付き合いになるとは思ってなかったような、元気な表情を浮かべている。
 修学旅行で広島に行き、安芸の宮島でもみじ饅頭を食べながらお参りに行ったんだった。
 鹿が暴れてお弁当を食べられるし、ついでに着ていた制服も何故か破かれかけたりして、さんざんな思いをしたけれど楽しかったのが、頭の中にぱっと浮かんだ。
 私は自分の視線を見ると、正面は向いているものの、大樹くんの顔が近いのを意識しているような引きつった頬をしていた。そのせいでひとりだけ顔が不細工だ。
 自意識過剰だなと笑いつつ捲っていて、「あれ?」と気付いた。修学旅行で学年全員の集合写真を撮ったり、男子の部屋に上がらせてもらって一緒にトランプをしたり、女子同士で窓の外を眺めて青春したり。そんな写真が次々とつくられている中、大樹くんがあからさまに誰かを見ている写真があるのに気が付いた。
 大樹くんの位置が少し遠い。だからカメラマンになった子も、特に大樹くんを撮る気はなかったんだろう。だけれど、彼の視線は誰かに向いている。
 修学旅行なんだから、誰かと一緒に写真を撮ることもあるし、誰かに呼ばれたら返事をすることもあるだろう。でも。
 誰かに呼ばれたりしたんだったら、手を振ったり声で返したりしているはずなのに、その気配がない。
 おそらく私は、この写真が誰を見て撮ったのかとか気にせず、大樹くんが写っている写真だからと嬉しくなって買ったのだろう。

「……大樹くん、誰を見てたんだろう」

 私はそう思いながら、ひとまずアルバムを片付けた。
 十年経っていたら、十年前にはくっきりと覚えていたことだって、いつしかあやふやになってしまう。今の私は、思い出せないことにただ首を傾げながら、せっかくやり直せたんだから、次こそは大樹くんの自殺を止めないとなと、気合いを入れた。

****

 廃校が決まるまで、あと一年。それまでに大樹くんが私立ではなく、地元の二時間かかる公立に通うことが決まらない限り、彼の自殺に私たちが関与することができなくなる。
 本当言えば、廃校がなくなってくれたほうが嬉しいんだけれど、少子高齢化とか、市長選挙の結果とかいろんな影響があるから、廃校が決まった学校を元に戻すのは難しいらしい。残念。
 それまでに大樹くんに好きになってもらうために、私はできる限り一生懸命化粧をしてから、学校に出かけることにした。
 菜々子ちゃんみたいにナチュラルメイクとして作り込んでいる化粧はほとんどできてない。でも私が病院で働きはじめて、顔色の悪さを誤魔化しつつ、派手に見えない化粧は学んでいた。
 私がナチュラルメイクをしたのを、当然ながらお母さんは怪訝なものを見る目で見ていた。

「なあに? 今日はいきなり化粧して」
「ああ……ごめん」

 病院勤めのときだったらいざ知らず、高校生がメイク道具一式持っておらず、お母さんの化粧道具を借りてやったのだ。
 化粧道具買ってこないとなあ。そう思っていたら、お母さんは少し浮き足立った声を上げた。

「なに? 誰か好きな人でもできたの?」
「ど、どうして……?」
「亜美はそういうのに無頓着だから。ナチュラルメイクするってことは、そこまでして好きな人ができたのかなと」
「あはははは……」

 笑って誤魔化した。まさか言える訳がなかった。
 頑張って死ぬ運命を変えたい人がいるよ。その人は十年後死ぬかもしれないから、死なないように運命を変えたいよ。
 私は笑って誤魔化し「行ってきます」と言って出て行った。
 そしてきょろきょろと見回す。
 大樹くんはうちの近所にある、比較的大きめな家に住んでいる。バブル時代の遺産らしく、ベランダにはゴルフの練習場があるし、犬と猫も飼っていた。前に一度家の中に遊びに行かせてもらったとき、家の中にはエレベーターまであったのには驚いた。
 そんな大きな家を、私はまじまじと見上げていた。やがて、「行ってきます」と短い挨拶で家から出てきた影が見えた。
 私を見つけた途端、少し驚いたように目をパチンとさせた。

「あれ、亜美? おはよう」
「おはよう」
「うん?」

 大樹くんは少し驚いたあと、ヒクヒクと鼻を動かしはじめたのに、私はドキリとする。汗は制汗剤を使っているし、なんだったら柑橘系の匂い付きだから、臭くはないはず。それでも匂いを嗅がれているのはなんでだ。
 私がドキドキしていたら、大樹くんは短い髪を揺らした。

「……デパートの一階の匂いがする」
「っ! 失礼!」

 この時代はデパートの一階はもっぱら化粧品コーナーがあった。高級ブランド品が軒を連ねていた上に、中高生だと高くて手が出せず、ここをたむろしていたのはデパート通いのおばさんと決まっていた。
 よって、デパートの一階の匂いイコールおばさん臭いだ。失礼にも程がある。
 私が思わずプリプリ怒ったら、大樹くんがしゅんとした。

「ごめん……嗅ぎ覚えのある匂いだったから、つい。でもどうしたの、化粧して……匂い以外だとわかんないね。どこをどうやったの?」

 それはナチュラルメイクが成功したからなのか、それとも私の思っている以上に大樹くんが私に興味がないか、どっちなの。
 思わずがっくりしながら、私は頬を撫でた。自分の中では皮一枚乗っている気分なんだけれど、化粧に理解がない男子にはわからないらしい。

「……少し下地を塗って、その上からわからないようにファンデーション塗ってるの」

 本当は立体感出るように色を足しているとか、目力入るようにアイメイクを施しているとか、いろいろ言いたいことはあったものの、大樹くんはそういう返事を求めていた訳ではないらしく、変な顔をしていた。ただ気のない返事で「そうなんだ」と答えた。

「でも女子は突然化粧し出したりするんだね。先生とかは、よく『若い子が化粧するなんて』って言ってるけど」
「それは人によると思うよ。でも大樹くん、化粧している人他に知ってたんだ?」
「うん」

 大樹くんはふいに遠くを見る顔になってから、こちらに視線を戻した。

「菜々子も化粧しているでしょう?」
「……えっ」

 思わず私は声を裏返らせた。
 待って。菜々子ちゃんは私よりもずっと化粧が上手い。化粧が上手過ぎて、化粧と気付かれずに風紀の先生も見逃してしまうくらいだ。マニキュアだって透明だし、「爪を一生懸命磨きました」と言い張れば誤魔化しが利いてしまうレベル。
 それがわかるって、まさか。

「大樹くん、それは見過ぎだよ。私も菜々子ちゃんに直接聞かなかったらわからなかったけど」
「そう? あれはわかりやすかったと思うけど」

 私は、修学旅行で誰を見ていたのか、唐突に理解してしまった。
 大樹くんはずっと、菜々子ちゃんを目で追っていたんだ。