受験勉強がひと区切り。
 試験を受けて、後は合格発表を待つのみになった途端に、私の担当の編集さんが連絡をくれた。

「この話、映画化しませんかって話が出てるんですが」
「……はい? 待ってください。まだこれ、本も出てませんよねえ?」
「はい。書籍化前に下読みしてくれるサイトがありまして、そこに原稿を置いてましたらお声がけをくださいまして」
「ちょっと待ってください。どんな人たちがしたいって言ってくださってるのか、確認ください」
「そりゃもう」

 いきなり話が大きくなり過ぎて、私は吐き気を催した。なんでも日頃から青春ものを撮り続けている監督さんが、SF青春ものを撮りたくって、原作を探していたところで、たまたま私の話を読んだらしい。
 本当にたまにしか映画館に行かないような私でも知っているような映画監督で、原作付きの作品だと「とにかく原作に足りないものを全部映像化してくださる人」とか、「原作にはない色が全部詰まってる」とか、原作付き映画だと満点としか言いようのない評価をずっと叩き出している人だった。
 もしもこの人がうちの地元を撮ってくれたら。それはうちの地元にちょっとは人が来てくれるんじゃないかな。本当に少しだけの期待が混じる。
 私はしばらく考えた末に、編集さんに伝えた。

「どうぞよろしくお願いします」

 編集さんはそれを先方に伝えてくれたのだった。

****

 私と菜々子ちゃんはやっぱり同じクラスになって、なんとはなしに友達になった。
 菜々子ちゃんは意外なことに、私が図書館前で助けたことを覚えてくれていた。

「ああ、あのときの! あのときは本当にありがとう!」

 菜々子ちゃんは嬉しそうに私の手を上下にぶんぶんと振った。

「い、いやあ……でも、困ってそうだったから。その、それは普通では……」
「私の場合、誰も助けてくれないから。勝手にモテて、勝手に声かけられても、こっちは本気で困ってるのに、モテ自慢に聞こえるみたいで」

 菜々子ちゃんはただ、本気で屈託なく人に接しているだけ。本当は男女問わずに人気者になれる素養があるはずなのに、何故か勝手に変な人に好かれて、その厄介な体質のせいで人が遠ざかってしまう。
 だって自分が一番可愛いから。厄介ごとに巻き込まれたくないから。
 だからこそ最終的に、私や大樹くんみたいな大人しめの人間や、海斗くんみたいに本気で人を好きになれない人間しかいない私たちのグループにしか入ることができなかったんだ。
 彼女が私たちを巻き込んでまで、ずっと繰り返し続けた気持ちが、何度もやり直したあとだとわかってしまう。
 理解者にこれ以上離れてほしくなかったんだろうね、きっと。

「挨拶をしただけ、雑談をしただけ。特に好きでもなんでもないのに、『君は僕のことが好きなんだ』ってお約束、何人にもされてほんっとうに嫌だったの。亜美と、亜美の彼氏くらいしか、助けてくれる人いなかったよ」
「う……うん?」
「あれ、ごめん。違った? すごく仲良さそうに見えたから、てっきり……」

 私はだんだんと顔が火照ってくるのがわかる。それに菜々子ちゃんは目をパチパチとさせた。

「そんなに好きなのに……?」
「……わからないよ。彼のことは、なんにも。ずっとわからないんだから」

 菜々子ちゃんは私をしばし見つめてから、にこりと笑った。

「ならわからないけど好きって言ってみれば? 多分大丈夫だよ」
「……今度、本が出るんだ」
「なに? なんか書いてたの?」
「ええっと……うん」

 唐突過ぎる話題の切り替えしでも、さすが菜々子ちゃんは乗ってくれた。それで私はごにょごにょと伝える。

「本が出たら、それ持って告白してみるよ」
「うん。頑張れ。私も応援してるから」
「あはは……」

 残り時間について考えた。
 間に合うんだろうか。間に合わないんだろうか。流れ着いた糸巻様のおまじないは処分したけれど、間に合わなかった場合。
 もう誰も助けることはできないのに。

****

 届けられた本は、綺麗でピカピカしていた。刷りたての本のインクの匂いは、本屋のものとも図書館のものともなんだか違う。
 私が書籍化と映画化を同時に決めたことに、当然ながら親は慌てたものの、結局は意見を尊重してくれた。

「これ数冊はおばあちゃんが配りたいって言ってたから配ろうと思うけど、あと数冊どうする?」
「友達に配ろうと思うんだ。あとうちの地元の図書館に寄贈ってどうすればいいと思う?」
「とりあえず図書館に電話して相談かしらねえ……」

 私はひとまずは大樹くんにスマホでSNSのメッセージを送ることにした。

【報告があります。会えますか?】

 今は用事中かなと思ったけれど、意外なことにすぐに返事が届いた。

【別にいいけど。何?】
【ついたら話す。図書館でいいですか?】
【いいよ】

 私は鞄に本を詰めて、自転車漕いで図書館まで走っていった。
 空調の効いた図書館の閲覧席で、大樹くんは先について静かに本を読んでいた。フロイトってたまに目にするけどなにをした人だったっけかとぼんやりと本の作者の名前を見て首を傾げていたら、「用事って?」と尋ねられた。
 私は向かいに座ってから、鞄から本を一冊取り出した。

「これは?」
「私が書いた本。糸巻様の話を聞いてから私……なんとかできないかなと思って書いてたら、本が完成して、映画化も決まったの」
「……そんな大きな話、聞いてないけど」
「だってその……受験勉強中だったし。受験勉強の合間に作業して、本が出ることになったから……」

 私の書いた本を、パラリパラリと大樹くんはめくりはじめた。
 正直言って、初めて書いた小説だ。文章は雑だし、話の構成だって勢いしかないし、「必死で書いた」以外で褒められるところがない。中学生が書いて高校生でデビューが決まったって部分しか、尖った部分がない。
 ただ私が廃校を撤回する方法は、少しでもうちに関心を集めることで外からの圧力以外、方法は思いつかなかったんだ。
 映画だって、廃校決定に間に合うかすらわからないのに。
 私の拙過ぎる本を、大樹くんは最初から最後まで読んで、最終的に「ほう」と言って閉じた。

「僕もあんまりSFについては造詣が深くないからわからない設定もたくさんあったけど、面白かった」
「あ……ははははは……」

 私は思わず肩を竦めて声を上げてしまった。図書館司書さんが注意のためにこちらに視線を送らないのは、今がちょうど貸出のピークでカウンターで順番待ちをしているからだろう。
 その中、私は付け加えるように言った。

「……この本ができたら、伝えようと思っていたの」
「なに?」
「……好きです」

 まるで私の書いた小説のように、拙過ぎて勢い以外褒められたものじゃない告白が飛び出た。情緒なんてあったもんじゃない。
 大樹くんは少しだけ目を丸くした。

「……そういうのって、もうちょっと雰囲気やムードを大切にしない?」
「ごめんなさい。勢いしかなくって」
「でも、そうだね。勢いでしか、どうにもできないのかもしれないね……告白は、僕からがよかったなあ」

 そのしみじみとした言葉に、私たちはどちらからともなく熱が移ったかのように、ポッポと頬を火照らせた。

****

 まだ、なにも終わってはいない。
 廃校が覆るのかがわからない。糸巻様のおまじないだって止められたのかはわからない。
 ただ、何度も何度もやり直しても、繰り返しても、私たちは同じグループで固まって、必死に互いを立たせるため、歩かせるために手を伸ばし続けていた。
 誰かに生きててほしい。誰かと一緒にいたい。

 私は皆と一緒に十年後、笑ってお酒を飲んで過ごしたい。それだけのために頑張ったんだ。

 たったひと言の「好き」でなにが変わるのかはわからないけれど、何回も繰り返してやり直して、やっと言えた言葉だ。
 そのひと言を紡ぎ出せたように、残りの大切なことだって、押していけば変われると、そう信じている。

<了>