保健室は始業式とは思えないほどに混雑していた。
 すすり泣いているのは厳しい受験戦争を潜り抜けて入学して一学期しか経ってない一年生だろう。
 保険医はパタパタしながら、校長の爆弾発言で体調を壊した子たちにベッドを明け渡していた。
 でも私が大樹くんに連れられてきたときには、もうベッドは満員御礼になってしまって空いてないみたいだった。

「すみません、ここに女子ひとり体調不良になったんですけど」

 大樹くんはそう声をかけてくれたものの、保険医は当然ながら困った顔をしていた。

「ごめんなさいね、校長が唐突に言い出したことで、たくさん人が具合悪くなってねえ……物事に鈍感な人は困るわね、思春期は少しのことで体を壊すことを本気でわかってないんだから……さすがにベッドは貸せないけど、ちょっと一服してから教室に帰りなさい」

 そう言いながら保険医は冷蔵庫から飲み物を出してくれた。
 保健室に来るのはなにも体調不良な子だけではない。教室に入れない子やメンタルにダメージの入って立ってられない子だっている。そんな子たちのために、保険医はジュースを買って冷蔵庫に入れていた。

「なに飲む? ああ、君はどうしますか?」

 保健室は数少なく冷房がきちんと行き届いている場所のひとつで、ここで少し休憩していったら教室にも戻れそうだけれど。
 大樹くんは少し考えてから、首を横に振った。

「いえ、彼女に甘いものあげてください。自分は帰ります。亜美、ここで休んでから教室に来なね」

 そう言って大樹くんは帰っていった。
 私はいろいろ考えた末、貧血気味だからと甘いココアをもらった。空調の効いている部屋で飲むココアは、缶に入っているものでもひどくおいしい。
 先生に名前を書くよう言われて、私は名前を帳簿に書いてから、しばらく保険医と一緒に長椅子に座っていた。
 私は少しずつココアを飲み下しながら尋ねる。

「うちの学校の廃校って、いつから話が出てたんですか?」
「校長先生も言ってたけどねえ。どこかを廃校にしようって話は出ていて、うちの学校も廃校候補でずっと上がってはいたんですって。もうちょっと早く言ったら反対運動もできたでしょうに、なにもかも決まってから通達するから……冗談じゃないわね」
「そう、ですね……」

 体の中に糖分が回り、足りなくなっていた鉄分も足りてきたような気がする。
 私は「ごちそうさまです」と挨拶してから保健室を出ていこうとしたとき、保険医が声をかけた。

「大人は悪い人が多いし、すぐに数字で物事決めて、数字の向こうには人がいるってことを忘れるけどね。あなたたちの人生は、そこでまだ終わってはいないから。まだあなたたちの人生は続いていくから」

 保険医は保険医なりに、体調不良で連れ込まれた生徒たちを心配しているんだなと、ぼんやりと思った。

「……ありがとうございます」

 知ってる。本当だったら高校は人生の通過点であって、人生のすべてではないんだ。
 でも私はそのあとを知っている。
 通過点にするにはあまりにも重過ぎる不幸が重なり過ぎて、簡単に人は命を落としてしまうことを。
 人生は続いていくものだからこそ、ここで終わりになんてならないでほしい。

****

 教室に入ると、担任は渋い顔でプリントを配っていた。

「とりあえず、これらは親御さんに絶対に見てもらうように」

 渡されたプリントは廃校のお知らせと、私たちの転校を受け入れてくれる学校の一覧だった。
 公立だったら一番近いところで二時間かかるものの、私立だとそうでもないけれど、私立はもろもろが高い。一部の成績優秀者だけはもろもろの学費を免除されるらしかったけれど、それは大樹くんレベルの成績じゃなかったら駄目だろう。
 プリントを回しながら、皆は悲鳴のような声を上げる。

「無理、この学校だったら二時間もかけてちゃ化粧できないじゃん」

 クラスでも比較的派手目なグループは阿鼻叫喚になっていた。私なんかは日焼け止めくらいしか塗ってないものの、化粧が好きな子は早朝から顔を造り込んでいるんだから、その造り込む時間がなくなるのが嫌なんだろう。

「大会とかどうすんだろ、これ」
「二時間もかかってたら部活入れないよなあ……」

 体育会系の子たちからしても、由々しき問題となっていた。
 行きだけで二時間、帰りも二時間となったら、学校を下校ラッシュ時に出なかったら家に辿り着けない。大会のために下校期限ギリギリになんか学校を出たら、なんにもできないだろう。
 人間は寝て起きているだけじゃ、心が死んでしまう。
 どの子も深刻そうな顔をしている中、海斗くんも当然ながら困った顔をしていた。

「これなあ……いくらなんでも横暴過ぎないか?」
「そうだよ。全然通う生徒の気持ちなんて考えてないじゃん。言い出しっぺは馬鹿なの?」

 菜々子ちゃんはプリプリ怒っている。
 一方大樹くんは冷静なままだった。私は体に引きずられて力が入らなくなっていたものの、大樹くんは大樹くんのままだった。

「僕はこのまま私立に行くことになると思う。成績優秀者だったら学費免除って出てるし、タダで私立に行ける機会なんてもうないだろうし」
「いやあ……そりゃ大樹だったらできるだろうけどさあ」

 海斗くんは困惑していたものの、ここまでは私と大樹くんで話し合っていたから、わかりきっていた話だった。
 菜々子ちゃんは大樹くんに一瞬イラッとしたものの、「私は……」とプリントを見ていた。

「もういっそのこと、学校潰れたのを機に東京に出て本格的に声優勉強しようかなあと思う」
「ええ……声優って椅子取りゲームなんだろう? せめて高校出なくっていいのかよ」
「むしろこれだったら通信制で高卒資格取ればいいじゃない。登下校だけでこんなに疲れる学校には行く意味あるの?」

 菜々子ちゃんからしてみれば、可愛くならないと売れないってことを東京で骨身に染みてしまったんだろう。二時間も登下校に費やすとなったら、当然ながら彼女の化粧はできないし、ナチュラルメイクにしないともろにバレる化粧しかできなくなる。彼女からしてみれば我慢ならなくなるだろう。

「そっか。菜々子ちゃんが元気なら」

 それしか言えることがなかった。