昨今は家族葬みたいに小さな葬式も多いし、中には焼き場で遺体を焼いておしまいみたいな殺風景過ぎるものもあるけれど、できる限り家族で一緒に最期を見送りたいと、未だに近所の公民館を借りての葬儀は行われている。
就職が決まったときにうちのおばあちゃんが買ってくれた喪服は、本来はおばあちゃんが「自分が亡くなったときのために」と言っていたのに、まさか初めて着ていくのが大樹くんのものだなんて思いもしなかった。
私は黒いストッキングを履き、おばあちゃんが生前の形見分けでくれた真珠のネックレスを付けると、のろのろした足取りで公民館へと歩いて行った。
そこで「亜美!」と声をかけられた。
東京に出たきり帰ってきていなかった菜々子ちゃんだった。
ワンピース調の喪服を着ているけれど、元々スタイルのよかった子が声優になるために一生懸命鍛えたんだろう。スタイルのよさが際立っていた。髪だって私のようにただひとつにまとめているだけだっていうのに、彼女のうなじの綺麗さは際立っている。
私が手を振ると、菜々子ちゃんはそのまま駆け寄ってきた。
「亜美、大丈夫?」
「うん……実感が湧かなくって……大樹くん。私たちと同い年だよ? まだ二〇代だよ? なのにって……」
「……うん」
私たちのグループで一番大人びていたのが大樹くんだった。
物腰柔らかで、落ち着いている。私は地元の大学を出て病院に就職したけれど、その中で関わってきた男子は、口はやけに達者だけれど、どうしても軽過ぎるなと思ってしまう人が大勢いた。その点、大樹くんは言葉数はお世辞にも多いとは言えなかったけれど、彼は人の話を聞いて、自分の中で考えがまとまってからじゃないと絶対に口にしなかった。
すごく考えてからしゃべる子だったから、一緒にいても嫌な思いをしたことがなかったし、私の中で彼より好きになれる人は、結局はひとりも現れることはなかった。
公民館は結構人が来ていた。
大樹くんのご両親は、私の働く病院でもよく顔を合わせていたけど、最後にうちに来たときよりも明らかにやつれていた。息子が亡くなったことで、意気消沈してしまっているのかもしれない。
流れる空気は、同窓会のような和やかなものというより、まるで梅雨のときのようなじめっとした雰囲気がついて回る感じだった。
葬式で席に着く前に、彼の棺桶に挨拶に出かけようとして、私はそれを見て固まってしまった。
中に入っていたのは、明らかに半分以上作り物になったなにかだったのだ。
……どう考えても、遺体が死に化粧だけだと間に合わない状態になったからとしか思えなかった。
私だけでなく、菜々子ちゃんも遺体を見て、足が氷になったかのように動けなくなってしまった。その中で、密やかに誰かがしゃべっているのが耳に入った。
「気の毒にねえ……ブラック企業に就職して……」
「線路に落ちたんですって……せっかく東京に行ったのに、これじゃあね……」
なにそれ。なにそれ。
なんでそんな重い話、他人事のように言えるの。
今まで、全く実感が湧かなかった感情が、一気に私に襲いかかってきた。
高校時代。なにもかもがきらめいていたことはなかった。大人の都合で勝手に学校がなくなり、勝手にバラバラにされた。残りの高校生活は、無難なだけで、特に思い入れはなかった。
消えてしまったものだけを後生大事に抱えてもしょうがないって、この話をしたらわかったような口を聞く人だっているだろう。
私の気持ちをわかったように語るのはやめてよ。
好きでバラバラになった訳じゃないよ。なんで私たちの代だったんだよ。せめて私たちが卒業するまで待つのじゃ駄目だったの。
……離れなかったら、もしかしたら、大樹くんが死なずに済んだ未来だってあったかもしれないのに。
とうとう私の目尻から涙が溢れ出てきた。どれだけ一生懸命誤魔化そうとしても、嗚咽が漏れ出て引っ込んでくれない。
「うっ……うっ……」
「亜美。一旦座ろう、ねえ?」
見かねた菜々子ちゃんが、私の手を取り、並べられたパイプ椅子に座らせてくれた。私がずっと泣いている中、「大丈夫か、亜美」と声をかけてこられた。
真っ黒なスーツに真っ黒なネクタイを付けた海斗くんだった。普段のスーパーのお兄さんの雰囲気が葬式の礼装のおかげですっかりとなりを潜めていた。
「だから言ったのに」
「……私、全然大樹くんと連絡取ってなかったのに」
「そりゃね。大樹、有名私立高校に転校してから、そのまま東京の大学に進学したんでしょう? 普通に考えたら順風満帆過ぎて、こんな地元に戻ってこないよ」
「うん……うん……」
鄙びた町と、明るい東京。
どちらも一長一短だろうけれど、どちらに永住したいかと聞かれたら答えは明白だった。
でもせっかくの里帰りを、こんな形でしなくてもよかったのにと、ただただ悲しくなって泣く。
一番泣きたいのは親御さんたちだろうに。あんなに小さくなって憔悴してしまったふたりを差し置いて泣いている私なんて、身勝手もいいところだろうに。
私は涙が溢れて止まらなくなっていた。
やがてお坊さんがやってきて、念仏を唱えはじめた。
線香とお焼香の匂いが際立ち、係員の人に「それでは皆さん、お焼香にお並びください」と言われ、私たちは並びはじめた。
この並びに立ったら最後、香典返しをもらって帰らないといけない。
私は本当にのろのろとお焼香をして手を合わせると、公民館を出た。のんびりと遊んでいた親子が葬式の看板を不思議そうに眺めているのを通り過ぎた。
「……なんで大樹くん、死んじゃったの。働きはじめたの、大企業だったって聞いてたけど」
「サービス残業が嵩んだからだってさ。休みたいって思って飛び降りたのか、足を滑らせたのかは、結局わからずじまいだったって」
「そうなんだ……」
「大丈夫、亜美? 飲みに行く?」
もし私が飲んで泣いて寝たらすぐに元気になれるような現金な性格だったらよかったのに。私はあんまりお酒に強くない。
本当だったら久々に帰ってきてくれた菜々子ちゃんとしゃべりに行きたいところだけれど。うちの近所の店はことごとく潰れてしまい、駅前の大型スーパーのフードコートくらいしか一緒にしゃべれる場所がない。あそこでしゃべってたら、近所の人に内容が筒抜け過ぎて嫌だった。人の口には戸が立てられないのだから。
「……ごめんね。菜々子ちゃん久々の地元でしょう? いつまでこっちにいられるの?」
「今は収録がないし、自宅で録った奴を流せばいいだけだから。もうちょっとこっちにいられるけど」
「なら、スケジュール教えてね。今度ご飯食べに行こう……今日は帰るね」
「……うん、わかった」
私は菜々子ちゃんと海斗くんに手を振ると、まっすぐに家に帰った。
本当だったら化粧を落として真珠のネックレスだって傷まないように早く外さないといけないのに。それをする元気がない。
家族がまだ帰ってきてないのをいいことに、私は喪服のままベッドに突っ伏した。
どうしたらよかったんだろう。大樹くんとこんな形で再会なんてしたくなかった。ただのいい思い出にするつもりだったのに。
私の高校時代の後悔が、どんどん胸を締め付けていった。
私たちはきっと、バラバラになっては駄目だったはずなのに。
就職が決まったときにうちのおばあちゃんが買ってくれた喪服は、本来はおばあちゃんが「自分が亡くなったときのために」と言っていたのに、まさか初めて着ていくのが大樹くんのものだなんて思いもしなかった。
私は黒いストッキングを履き、おばあちゃんが生前の形見分けでくれた真珠のネックレスを付けると、のろのろした足取りで公民館へと歩いて行った。
そこで「亜美!」と声をかけられた。
東京に出たきり帰ってきていなかった菜々子ちゃんだった。
ワンピース調の喪服を着ているけれど、元々スタイルのよかった子が声優になるために一生懸命鍛えたんだろう。スタイルのよさが際立っていた。髪だって私のようにただひとつにまとめているだけだっていうのに、彼女のうなじの綺麗さは際立っている。
私が手を振ると、菜々子ちゃんはそのまま駆け寄ってきた。
「亜美、大丈夫?」
「うん……実感が湧かなくって……大樹くん。私たちと同い年だよ? まだ二〇代だよ? なのにって……」
「……うん」
私たちのグループで一番大人びていたのが大樹くんだった。
物腰柔らかで、落ち着いている。私は地元の大学を出て病院に就職したけれど、その中で関わってきた男子は、口はやけに達者だけれど、どうしても軽過ぎるなと思ってしまう人が大勢いた。その点、大樹くんは言葉数はお世辞にも多いとは言えなかったけれど、彼は人の話を聞いて、自分の中で考えがまとまってからじゃないと絶対に口にしなかった。
すごく考えてからしゃべる子だったから、一緒にいても嫌な思いをしたことがなかったし、私の中で彼より好きになれる人は、結局はひとりも現れることはなかった。
公民館は結構人が来ていた。
大樹くんのご両親は、私の働く病院でもよく顔を合わせていたけど、最後にうちに来たときよりも明らかにやつれていた。息子が亡くなったことで、意気消沈してしまっているのかもしれない。
流れる空気は、同窓会のような和やかなものというより、まるで梅雨のときのようなじめっとした雰囲気がついて回る感じだった。
葬式で席に着く前に、彼の棺桶に挨拶に出かけようとして、私はそれを見て固まってしまった。
中に入っていたのは、明らかに半分以上作り物になったなにかだったのだ。
……どう考えても、遺体が死に化粧だけだと間に合わない状態になったからとしか思えなかった。
私だけでなく、菜々子ちゃんも遺体を見て、足が氷になったかのように動けなくなってしまった。その中で、密やかに誰かがしゃべっているのが耳に入った。
「気の毒にねえ……ブラック企業に就職して……」
「線路に落ちたんですって……せっかく東京に行ったのに、これじゃあね……」
なにそれ。なにそれ。
なんでそんな重い話、他人事のように言えるの。
今まで、全く実感が湧かなかった感情が、一気に私に襲いかかってきた。
高校時代。なにもかもがきらめいていたことはなかった。大人の都合で勝手に学校がなくなり、勝手にバラバラにされた。残りの高校生活は、無難なだけで、特に思い入れはなかった。
消えてしまったものだけを後生大事に抱えてもしょうがないって、この話をしたらわかったような口を聞く人だっているだろう。
私の気持ちをわかったように語るのはやめてよ。
好きでバラバラになった訳じゃないよ。なんで私たちの代だったんだよ。せめて私たちが卒業するまで待つのじゃ駄目だったの。
……離れなかったら、もしかしたら、大樹くんが死なずに済んだ未来だってあったかもしれないのに。
とうとう私の目尻から涙が溢れ出てきた。どれだけ一生懸命誤魔化そうとしても、嗚咽が漏れ出て引っ込んでくれない。
「うっ……うっ……」
「亜美。一旦座ろう、ねえ?」
見かねた菜々子ちゃんが、私の手を取り、並べられたパイプ椅子に座らせてくれた。私がずっと泣いている中、「大丈夫か、亜美」と声をかけてこられた。
真っ黒なスーツに真っ黒なネクタイを付けた海斗くんだった。普段のスーパーのお兄さんの雰囲気が葬式の礼装のおかげですっかりとなりを潜めていた。
「だから言ったのに」
「……私、全然大樹くんと連絡取ってなかったのに」
「そりゃね。大樹、有名私立高校に転校してから、そのまま東京の大学に進学したんでしょう? 普通に考えたら順風満帆過ぎて、こんな地元に戻ってこないよ」
「うん……うん……」
鄙びた町と、明るい東京。
どちらも一長一短だろうけれど、どちらに永住したいかと聞かれたら答えは明白だった。
でもせっかくの里帰りを、こんな形でしなくてもよかったのにと、ただただ悲しくなって泣く。
一番泣きたいのは親御さんたちだろうに。あんなに小さくなって憔悴してしまったふたりを差し置いて泣いている私なんて、身勝手もいいところだろうに。
私は涙が溢れて止まらなくなっていた。
やがてお坊さんがやってきて、念仏を唱えはじめた。
線香とお焼香の匂いが際立ち、係員の人に「それでは皆さん、お焼香にお並びください」と言われ、私たちは並びはじめた。
この並びに立ったら最後、香典返しをもらって帰らないといけない。
私は本当にのろのろとお焼香をして手を合わせると、公民館を出た。のんびりと遊んでいた親子が葬式の看板を不思議そうに眺めているのを通り過ぎた。
「……なんで大樹くん、死んじゃったの。働きはじめたの、大企業だったって聞いてたけど」
「サービス残業が嵩んだからだってさ。休みたいって思って飛び降りたのか、足を滑らせたのかは、結局わからずじまいだったって」
「そうなんだ……」
「大丈夫、亜美? 飲みに行く?」
もし私が飲んで泣いて寝たらすぐに元気になれるような現金な性格だったらよかったのに。私はあんまりお酒に強くない。
本当だったら久々に帰ってきてくれた菜々子ちゃんとしゃべりに行きたいところだけれど。うちの近所の店はことごとく潰れてしまい、駅前の大型スーパーのフードコートくらいしか一緒にしゃべれる場所がない。あそこでしゃべってたら、近所の人に内容が筒抜け過ぎて嫌だった。人の口には戸が立てられないのだから。
「……ごめんね。菜々子ちゃん久々の地元でしょう? いつまでこっちにいられるの?」
「今は収録がないし、自宅で録った奴を流せばいいだけだから。もうちょっとこっちにいられるけど」
「なら、スケジュール教えてね。今度ご飯食べに行こう……今日は帰るね」
「……うん、わかった」
私は菜々子ちゃんと海斗くんに手を振ると、まっすぐに家に帰った。
本当だったら化粧を落として真珠のネックレスだって傷まないように早く外さないといけないのに。それをする元気がない。
家族がまだ帰ってきてないのをいいことに、私は喪服のままベッドに突っ伏した。
どうしたらよかったんだろう。大樹くんとこんな形で再会なんてしたくなかった。ただのいい思い出にするつもりだったのに。
私の高校時代の後悔が、どんどん胸を締め付けていった。
私たちはきっと、バラバラになっては駄目だったはずなのに。