地元にある病院は、小児科と内科が合体したところだ。
 基本的に年寄りと子供で待合室はひしめき合い、その中で私はパタパタと働いている。

「次、近藤さーん」
「はーい」

 小児科も内科も医者以外はそこまで苦労しないだろうと高を括られがちだけれど、当然ながらそんなことはない。最近は前よりも入念に消毒をしないといけないし、やることは年々細々と増えては働く人間を疲弊させている。
 くるくると働いていて、夕方になってやっと帰れることとなった。
 医療ゴミを集めて、先生に引き渡すと、そのまま「お疲れ様です」と帰って行く。
 帰るごとに、町並みが見えてきた。
 地元に学校が減ったせいだろう。うちは小児科と称しているのに、子供がほとんど来なくって、今の患者の八割は年寄りだ。
 白線は車の往復で薄くなって、ときどき事故が起こらないか心配になる。アスファルトは割れて、そこからピョンと雑草が伸びている。
 十年前、私たちが高校生だった頃と同じような……ううん、同じまま放置されて干涸らびた姿が、今の町だった。
 帰りに親から頼まれていた買い物をスーパーで買いに行き、ポイントを押してもらおうと仕事中は切っていたスマホの電源を入れて、やっとスマホにメッセージが入っていることに気付いた。
 あとでメッセージの整理をしないとな。そうぼんやりと思いながら、スーパーのポイントアプリを取り出し、買い物カゴにポイポイと入れていく。
 その中で店員さんとすれ違うとき、ブチンという音を耳にした。マイクの電源を落とす音だ。

「あれ、お疲れ。亜美」
「海斗くん……」

 スーパーの別支店の店長を任されたとかで、最近は別の市に出かけていたと思うけれど、夕方の特売セールでマイクを持っていたのは海斗くんだった。
 地元でもそこそこの金持ちにもかかわらず、海斗くんはシャツにスラックスの上にスーパーのエプロンを巻いている姿は、どこからどう見てもスーパーの店員にしか見えず、誰もスーパーマーケットグループの次期社長だなんて思わない出で立ちをしていた。
 対する私は、病院内で着ている制服をエコバッグに詰め、シャツとデニムにスニーカーというくたびれた出で立ちだから、並ぶとなんとも言えずに気恥ずかしい気分になる。

「そういや、お前アプリ見たか?」
「えっ? 今日はアスパラガス安いってアプリで見たけれど」
「あー……うちのスーパーのアプリご利用ありがとうございます。そうじゃなくってさ。メッセージアプリ」

 そういえば、メッセージアプリに新規メッセージが何件か入っていたと思うけれど、内容までは見ていない。

「今日は仕事忙しくって。休憩中も電源入れるの忘れてたけど……今見たほうがいいの?」
「元気だったら見たほうがいい。元気ないんだったら……ええっと、まだ亜美は実家住みだったっけ?」
「うん」

 まだ夕方の特売セール直前で、お客さんたちはゾロゾロと特売セールが貼られるのを待っているところだ。ギリギリ混雑までには至っていない。スーパー内の謎の緊張感を無視しながら、普段から朗らかな海斗くんの表情が珍しく曇った。
 高校を卒業しても、海斗くんはあの頃から本当にちっとも変わらない人だと思っていたのに。彼は続けた。

「……親御さんの近くで見たほうがいい。悪いこと言わないから、元気ないときはメッセージ見ずに風呂入って寝るか、親御さんと一緒に見ろ」
「うん? わかった」

 変な忠告だなと思いながら、私はスーパーの会計へと向かっていった。

****

 家に帰り、今日の夕飯をつくる。
 今日は中華風炒めにしようと、切り干し大根とアスパラと牛肉を炒め、オイスターソースで味付けしていく。
 キュウリとハムをポン酢とごま油と煎りゴマを混ぜて中華風サラダ。あとは親が帰ってきてからチャーハンを炒めようと、やっとスマホのメッセージを確認する気になった。
 なんで海斗くんはあんなこと言ったんだろうと、私はしきりに首を傾げる。私たちのグループはバラバラになってしまったけれど、海斗くんのお節介なところにずっと助けられていた。ときどき仕事帰りに出会って、冗談めかして「三〇歳までに結婚相手が見つからなかったら結婚しようか」とずっと言っている。友達同士でなに言ってんだかという話だけれど、どちらもお見合いでもしない限り出会いがない職場にいるから仕方がない。
 そんなとりとめのないことを考えながら、アプリのメッセージを確認した。
 スパムメッセージっぽいものはブロックしておき、広告メッセージは確認してもう一度見そうなものともう見ないものを仕分けていく。
 そんなこんなで、残ったメッセージのひとつを確認する。
 ひとつは上京した菜々子ちゃんのものだった。
 彼女は上京してから、新しい仕事が入るたびに私個人に宣伝メッセージを送ってくれる。毎度毎度丁寧に送ってくれるものだから【これ宣伝していい?】と尋ねるけれど、彼女は困ったような顔のスタンプをポンポンと送ってから【宣伝しなくってもいいよ】と返してくる。

【地元にアニメに詳しい人いないし。私の今の仕事を嫌がる人たちが偏見の目で見るだけだから】

 なるほどなと思う。
 菜々子ちゃんはアニメの中でも、特に少年マンガが好きで、少年マンガの主人公男子のオーディションにしょっちゅう行っては【落ちた】と報告をくれていた。
 オーディションを受けて代表作ができたらいいけれど、それがないと知名度が厳しいらしくお賃金もないというのが厳しい声優業界らしく、アルバイトと兼業していたり、中には税理士などほぼそっちが本職の人も珍しくないとか。
 その中で菜々子ちゃんはアルバイトも副業も持たずに、同人音声というもので食べていた。
 何度説明を受けてもいまいちわからなかったけれど、【こんな妄想に浸りたいってシチュエーションを提供する仕事】と一度だけサンプルをくれたことがある。
 耳かきや膝枕をしているシチュエーションで、たしかに耳元で聞いていると色っぽく聞こえるし、たしかに地元の人には言いづらいと納得した。今の菜々子ちゃんは、この手の声ですごい勢いで食べているらしかった。

【声一本で食べられるようになってよかったね】

 ある日教えてくれた音声の仕事の広告を見て伝えたけれど、菜々子ちゃんの反応は微妙なものだった。

【一度くらいは家族に報告できる仕事がしたい。でも全国放送されるレベルじゃないと親はわからないでしょ】

 元々地元が保守的で閉鎖的だったのを嫌って出て行った菜々子ちゃんからしたら、数少なく仕事の内容を聞いてくれる私とのやり取りは貴重だったみたいだ。
 そんな彼女は、またしても仕事の宣伝を送ってくれた。それに返事をしようかなと思っていたら、変なメッセージが入っていることに気付いた。

【亜美大丈夫?】

 普段自分の仕事の話ばかりの菜々子ちゃんが、珍しくこんなメッセージを送ってきたのに面食らった。
 なにが大丈夫なんだろう。普通に大丈夫と答えればいいのかな。
 ひとまず一旦保留にして、次のメッセージを見ようとして。私の時が止まったような気がした。

【いつも仲良くしてくれてありがとうございます。神垣大樹の母です。
 大樹は先日帰らぬ人となりました。葬儀に付きましては、地元で行われることになり……】

 そのメッセージを見た途端、私はスマホを落としてしまった。ガクンと音が響き、液晶画面の端っこにヒビが入る。
 なんで?
 冗談でしょう?
 有名学校に転校することになった大樹くんのことを思い出した。
 彼はこれから、この閉鎖的な場所から出て行って、無事羽ばたくんだとそう思っていた。思っていたのに。
 ねえ、なんで?
 誰に対して問い詰めればいいのか、今の私にはさっぱりわからなかった。