雷はしばらくゴロゴロと鳴り響いた。そのたびに私は怖がってビクンビクンと肩を跳ねさせる。そのたびに大樹くんは笑い飛ばしてきた。

「亜美、怖がり過ぎ。大丈夫だよ。この辺りで一番高いところに雷は落ちるから、この辺りじゃこの家はそこまで高くないし」
「わ、からないよ……この間信号機に落ちて、しばらく使えなくなったことあったし」
「あれ、そんなことあったっけ」

 しまったなと私は思った。
 それは私が大学に行ってからだったかもしれない。私がビクビク震えている中、ふいに大樹くんは私の頭を撫でてきた。
 背中をさするのも肩を撫でるのもセクハラだとしたら、頭以外に思いつかなかったのかもしれない。

「大丈夫だって、そこまで心配しなくっても。信号機にも家にも落ちないよ」
「……うん」

 彼の手つきは存外に優しい。それに気持ちいいと思いつつも、切ない気分になってくる。
 これは彼に全く下心がないからできることだ。もしここにいるのが菜々子ちゃんだった場合、大樹くんは同じことができたんだろうか。もしかすると、ここで押し倒していたかもしれない……そう考えてやりきれなくなり、できる限り想像したことをなかったことにしようと端っこへと追いやる。
 しばらく脅えている中、またしても雷が落ち、折角ブレーカーをあげてきたのに、証明がチカチカッと点滅しはじめた。
 大樹くんは私を撫でつつ、天井を見上げていた。

「これ、雷が落ちたのかなり近いな」
「やめてよ、怖いこと言うの」
「大丈夫だって、どうせ僕、この中だとさすがに帰れないから」

 慰めているのかいないのか、そんなことばかり言う。それが癪に障り、私は大樹くんの腕にしがみつく力を強め、腕に抱き着いた。それにはさすがに大樹くんは驚いたようにこちらを見下ろした。

「……亜美、暑い」
「うん」
「そんなにくっついたら、熱中症になるよ」
「水、あるよ」
「水を出すより離してくれたほうが涼しいよ。蒸し焼きになる」
「でも」

 私は必死でしがみついても、大樹くんには届かなかった。
 グルングルンと頭の中で、自分の背中を押す言葉を探していた。
 海斗くんは私の恋を応援してくれていた。菜々子ちゃんは大樹くんに好かれることに腹を立てていた。私が大樹くんと付き合えば、全て解決するんじゃないかな。
 意気地なしの私は、精一杯自分の中で理論武装をして、大樹くんの顔を見た。大樹くんは心底迷惑そうな顔をしていたのに、私はたじろぐ。
 ……友達だから、こんな表情で済んでいるんだ。ここで縋り付いても、きっと大樹くんは嫌な顔をするだけで、なににもならない。
 とことん私は菜々子ちゃんみたいにはなれないんだなと悲しくなって、結局はしがみついていた腕を離してしまった。

「……ごめん」

 私がそう言うと、大樹くんは鼻息を立てた。

「うん」

 雷が鳴っていても、雨脚が速くても、誰も私の味方にはなってくれなかったんだ。

****

 雨が止んだら、「じゃあ帰る」と大樹くんは言った。

「怖がるからって、あんまり抱き着いたり縋り付いたりするなよ。勘違いする奴が出るかもしれないし」

 勘違いじゃないよ。好きな人じゃなかったらしないよ。海斗くんにだってそんなことしないよ。そう言えたらよかったのに、心底迷惑そうな顔をしていた大樹くんを見ていたら、言えなかった。
 ただ私は背中を丸めて「ごめんなさい」とだけ言った。
 そのまま帰ってしまった大樹くんに、私はポロッと涙を流した。
 私には意気地がない。根性もないし、情けない。もうちょっと他に追いすがる方法はあったんじゃないか。もうちょっと他になにかできたんじゃないか。
 結局はご飯を出してあげて、それを食べてもらえた。それだけで満足しておけばよかったはずなのに、私はどうすればよかったんだよと、グルグルと頭の中で考えがとっちらかってまとまらない。
 結局私は、海斗くんにSNSのメッセージを送ることしかできなかった。

【大樹くんと停電の中ふたりっきりになれたのになにもなかった】

 そう送ったら、家で暇をしていたのかすぐに返事が来た。

【いや、停電の中男とふたりっきりはまずいだろ。なにもなかったか?】

 なんでなにもなかったことのほうがいいんだろう。釈然としない気持ちのまま、私は返事を打つ。

【なにもなかったから悲しいんだよ】
【あのなあ、自分をもっと大事にしろ。そこは大樹がえらかったんだから褒めてやれ】
【心底迷惑そうな顔されたのに、どうしてえらいの?】
【これは少女マンガと少年マンガの違いかねえ】

 どういう意味なんだろう。私は困った顔で海斗くんのメッセージを待っていたら、一生懸命書いたような長文が送られてきた。

【男はすぐに勘違いするの。本当にちょっとしたことですぐ勘違いするから】
【真っ暗な中、女子とふたりっきり、相手に追いすがられている】
【これ普通に勘違いする奴。それが仲のいい女子だったら余計になにかしたら駄目な奴】
【さすがにやらかした大樹だって、菜々子と真っ暗な中一対一には絶対にならない】

 思春期ってどうだったんだろう。
 私はなんとか一周目の頃に話したような内容を思い返そうとしたものの、記憶がぼやけていて、その頃にしていたはずの猥談が上手いこと思い出せなかった。
 菜々子ちゃんとはその手の話だってしたと思うけど、男子とはそこまでしなかったかもしれない。私は返事に困りながら、どうにか返事を打つ。

【理屈はわかったようなわからなかったようなだけど、ならなんで嫌な顔したの?】
【好きだろうがそうじゃないだろうが、自分からわざわざ嫌われたい奴はいないよ。男は単純だから、ちょっとしたことですぐコロリと落ちる。それが勘違いだと理性をかき集めて必死で自制するからなにも起こらないんだよ】
【大樹は亜美のことが嫌いだから嫌な顔をしたんじゃない】
【自分が下手なことをしたら亜美を傷付けるとわかってるから止まったんだよ】

 これはどっちなんだろう。
 私は必死に追いすがったとき、自分でも止まってしまうほど冷たい目で見られたことを思い返した。
 好かれたいより先に嫌われたくないが来てしまって、本当になんにもできなかった。
 男の子が精一杯我慢してくれたのは、私とまだ友達でいたいからでいいのかな。でも。私は友達を辞めたかったのに。

【友達として大切にしてくれるのは嬉しいけどつらい】
【友達としてしか見てくれないんだって悲しい】

 我ながらいくらなんでも女々し過ぎると思っていたら、【そう言ってやるなって】と海斗くんから返事が来た。

【あいつも菜々子にこっぴどくフラれて現在進行形で口も聞いてもらってない状態だから】
【なおのこと亜美に甘えてるんだよ】
【そのまま依存させろ。お前から離れられなくさせればいい】

 思いもかけずに重いことを言われて、私は返事に困った。

【それっていわゆるヤンデレの発想では?】
【そんな訳あるか。男は単純過ぎるって話だろ】

 自分のボケにも上手いこと返してくれた海斗くんに【ありがとう】と返事をしてから、私は一旦スマホを投げ捨てて、ソファに突っ伏した。さっきまで大樹くんとふたりで雨宿りしていた空気が、ほんの少しだけ残っている。
 依存させるってどうすればいいのかな。
 重い女になればいいのかな。
 一周目だってなにもできなかったようなヘタレな私が、どこをどうしたらそんな重い女になれるか皆目見当が付かなかった。
 でも。タイムリミットは近いんだ。
 二学期になったら廃校宣言がやってくる。それまでになんとかしなかったら……大樹くんの自殺が決まってしまう。元々が彼を自殺させないためなんだから、うじうじしている暇なんてないのに、心が体に引き摺られ、なかなか上手くいかない。
 私はただ、大樹くんを死なせたくないだけなのに。