気付けば梅雨の季節になっていた。
 期末テストも目前に迫っているのだから頑張らないといけないのはわかっているのに、いろんなことが積み重なって、いまいち頑張りきれなくなっていた。
 大樹くんと菜々子ちゃんの仲違いが、一向に決着がつかないのだ。
 私と海斗くんはなんとかふたりから話を聞き出して、仲直りさせようとしたけれど。菜々子ちゃんの大樹くんへの拒否反応は凄まじく、これではもう絶対に無理だと、一周目の私だったら諦めてしまっていたかもしれなかった。
 でも私は、どうしても諦めきることができず、なんとか仲直りさせようと、一対一だと不安だからと私もいて、二対一で話をしようと試みていたものの、一行に話が進むことはなかった。

「……亜美には悪いけれど、私は大樹を許せない」

 菜々子ちゃんは完全に頑なになってしまっていた。それに私はどう答えていいのかがわからない。自分の体から自由を奪われる恐怖っていうのは、怖いから。
 キスというのは、本来ならロマンティックにしつつも、相手を思いやってするもの。それを無理矢理されたら、途端にグロテスクになって恐怖や嫌悪のほうが勝って、菜々子ちゃんみたいに拒否反応が出ても仕方がないものだ。
 でも。私は未来を知っているせいで、どうしても菜々子ちゃんをどうにかしたかった。
 窓は開けられず、ただムシッとした空気に包まれている。雨だれの音を耳にしながら、私は「そうだね」と言う。

「私、皆とバラバラになるの、嫌だよ」

 そう言うと、菜々子ちゃんは「そう?」と言った。

「私は逆。もう、皆バラバラになっちゃえって。そう思ってるんだ」

 菜々子ちゃんのやけくそな言葉に、私は本当にどうしたらいいのかわからず、ただ背中を丸めるしかできなかった。

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 結局私は、菜々子ちゃんにどう言えばいいのかわからず、ひとりで行動することが増えた。そしてどうにかして大樹くんと話をしたかった。
 大樹くんは、菜々子ちゃんに拒否反応を示されてからというものの、周りから腫れ物を触るような扱いを受けている。快活な人気者の菜々子ちゃんが、声を張り上げてまで嫌悪感をあらわにしたせいだろう。周りは事情を知らないものの、菜々子ちゃんにフラれたという事実までは察しているらしい。
 ひとりで食堂で食事を取ろうとしていたら「亜美」と声をかけられた。大樹くんもまた、周りからの腫れ物扱いにくたびれたのか、ひとりで食べに来ていた。

「席空いてる?」
「そこのテーブルだったら空いてるけど」

 ちょうど端っこのふたり席だった。私はそこの向かいに今日のA定食を置いて腰を下ろした。A定食は鮭の南蛮焼き定食で、B定食はとんかつ定食だった。大樹くんはB定食を食べていた。
 私たちは小さく手を合わせて「いただきます」と言ってから、食事を食べはじめた。

「菜々子、まだ怒ってる?」

 大樹くんの言葉に、私はどう答えるべきかと考えた。
 まさか「菜々子ちゃんはあなたを許す気は今後一切ないから私で妥協しろ」なんてことは、思っていても口にしていい話じゃない。
 だからと言って、嘘も言えない。私は困り果てた末に、南蛮焼きをひと切れ食べてから、短く頷いた。

「そっか……」
「……私は、その場にいなかったから。どっちが悪かったとかわからないし、今もわからないけど。私は、大樹くんの味方にも、菜々子ちゃんの味方にもなりたい。でもどっちかの肩を持つとこんがらがりそうで……ごめん」
「……うん。亜美、ありがとう」

 そう言われて、私は「え?」と言った。

「どうして好きってだけじゃあ駄目なんだろう。大学に入ったら就活があるし、就職が決まったら結婚も考えないといけないし。きっと今しか好きと嫌いだけで恋なんてできないと思うのに」

 その言葉で、私はなんとも言えなくなった。
 わかるよ。大人になったら、好きや嫌いだけで恋愛なんかできなくなるよ。だから友達とも結婚しようかって話が出てくる訳で。
 でも。それは高校生の大樹くんから聞きたかったかというと、聞きたくはなかった。私はふがふがと口を動かした。

「なんというか、大樹くんはもうちょっと、こう。今を見て欲しい。未来のことって結局わからないけど、今できることって、今だけだから。未来もそりゃ、必要だと思う。大切なことだと思う。でも、未来だけ見てたらきっと足をすくわれる。だから、ちゃんと今も見て欲しい」

 それは私にとって、祈りだった。
 大樹くんが有名大学行っても、ブラック企業に捕まったらおしまいなんだよ。どれだけ大きい企業であったとしても、そこがブラックだったらもう駄目なんだよ。
 誰も止める人がいないまま、線路から落ちて死んでほしくない。そのためにも、命綱をつくる作業を諦めないで欲しい。
 私の言葉を、大樹くんは聞きながら、私のことをマジマジと見ていた。

「なんというか、あれだね。亜美」
「うん?」
「亜美のことを好きになれたらよかったのにね」

 その言葉に、私は覚えがありすぎて、途端に心臓がギチギチと痛みはじめた。

「多分自分の好きな人と、好きになってくれる人が一致してたら、一番いいんだろうにね。亜美は俺のこと、こんなに好きなのにね」
「……それ、どういう意味……」
「亜美は海斗みたいに誰に対しても優しい訳じゃないから。友達だから優しいし、好きになってくれるから。俺はそんな亜美を好きになれたらよかったのに。でも、俺が好きなの、菜々子なんだ」

 そうきっぱりと言われて、私はますます自分の心臓が痛むのを感じてた。
 その気持ち、ものすごくわかるよ。私だって、誰に対しても優しい海斗くんを好きになれたら、こんなに苦しまずに済んだって思ってるよ。だって海斗くんは優しいもの。でも。
 海斗くんは誰に対しても優しいし、なんでもかんでも俯瞰して見えてしまうし、私はそんな俯瞰する目を持ってないもの。
 そして私は博愛でも好きになってくれそうな海斗くんじゃなくって、絶対に好きになってくれない大樹くんが好きなんだよ。好きとも私にしとけとも言ってないのに、何故かフラれかけているんだよ。
 とうとう私はボロッと涙が流れてきた。悲しいというより、つらいというより、痛い。

「……亜美?」
「……ごめん。すぐに泣き止むから、今はこのままでいさせて」

 私は泣きながら、多少しょっぱくなった南蛮焼きを食べ終えた。
 不毛だなあ、不毛だなあ。好きになってない恋を続けるのって不毛だなあ。でも。やっぱりそんな大樹くんに死んでほしくないなあ。好きになってくれなくってもいい。友達のままでいい。
 私じゃ、彼の命綱になれないのかな。そう独りよがりなことばかり考えて、自己憐憫かけて、自己愛撫ばかりして、本当にもう。ばっかみたい。
 自分があまりに馬鹿過ぎて、もう泣くしかできなかった。
 馬鹿だ。私は馬鹿だ。告白する前にフラれているし。もうちょっとさっさと。告白しておけばよかった。

 でも。友達ですらいられなくなったら、命綱にすらならなくない?

 私の思考は、どこかでずっと同じところをぐるぐる回り続けて、前にも後ろにも進めなくなっていた。