翌朝、私は一生懸命制汗剤を付け、薄い化粧を施した。菜々子ちゃんみたいに完璧なナチュラルメイクはできなくても、先生たちから「化粧をしている」と呼び出しを食らわない程度に慎重に色を乗せた。粉も叩いてないから、肌が普通につるんとしている。
「よし」
今日やることは、大樹くんを慰めること。菜々子ちゃんを励ますこと。海斗くんみたいにどっしりと構えることはできないけれど、大樹くんと菜々子ちゃんのメンタルを不安定にさせたのは私なんだから、なんとかしないと駄目だろう。
「行ってきます」
お母さんとお父さんにそう挨拶をして、私は急いで学校へと向かっていった。この途中で大樹くんに会うはずなんだけれど。
もうそろそろ梅雨が迫っているせいか、光がやけに綺麗だ。若葉が生い茂って、光り輝いている。木漏れ日のそよそよという音もリズミカルで、私はその音を耳にしながら、キョロキョロと大樹くんを探す。
やがて。大樹くんの背中を見つけた。気のせいか、いつも大人びた彼の背筋が丸い。
「おはよう」
「……亜美、おはよう」
大樹くんは心底ほっとしたような声を上げていた。
昨日のことで、傷付いているんだ。どう声をかけたものかと思いながら、私はなんとか言葉を振り絞ってみる。
「昨日楽しかったね、遊園地。あそこ穴場過ぎたけど、人がいないのが不思議なくらい」
「……うん、あれだけ人がいなかったら、もっとやる気なさそうになってもおかしくないのに。どこの店員さんもスタッフさんも元気だった」
私の持ってきた話題がよかったのか、思っている以上に元気な声が帰ってきて、私はほっとして言葉を続けた。
「チケットくれた海斗くんに感謝しないといけないよね。また、遊びに行きたいね」
「……行ってくれるの?」
「えっ?」
「……俺、好きな子を傷付けたのに。女子ってあれでしょう? 女子を傷付けた男は、皆すべからく敵になるんでしょう? 俺、そんなつもりなかったのに……菜々子を傷付けた」
どう答えよう。思っている以上に重たい言葉に、私は自分の唇を舐める。リップバームはレモンハニーの味と書いてあったものの、特にレモンハニーの味はしない。
「あくまでこれは菜々子ちゃんの意見じゃなくって私の意見になるけれど。友達を傷付けた相手が、友達のことを好きだった場合って、やり方は間違っていたとは思うけど、傷付けた張本人をすぐには嫌いにならないよ?」
それは単純に私が大樹くんのことが好きで、大樹くんが菜々子ちゃんにフラれたらいいとどこかで思ってしまった自分の醜さから吐露された言葉だ。言葉通りの意味で取るような綺麗な言葉じゃない。
私の言葉に、当然ながら大樹くんは難しい顔をした。だろうね。これだと大樹くんの気は治まらないだろうし。私はなんとか言葉を搾り出す。
「……そもそも確認取ってからじゃないと、踏み込んじゃ駄目ってことはあると思うよ。大樹くんは多分、焦り過ぎたんだよ。菜々子ちゃんが許してくれるかは、私もわからないけど、踏み込むとか進むとかってすごいことだけれど、同時に相手を傷付けることなんだと思う」
「亜美は?」
「はい?」
「亜美は傷付けたい相手はいるの? 傷付けてでも手に入れたい相手っているの?」
それって……。大樹くんの言葉に私はますます考え込んでしまった。
大樹くんは大人びているように見えて、激情家なんだ。相手のことを好きとか欲しいとか思ったら、手段を選んでる暇がなかったっていう。
……でもなあ。私は考え込んだ。
一周目のとき、大樹くんは菜々子ちゃんにそんなアタックはしてない。私がちょっかいをかけたのは間違いないとしても、二周目はなにがあってここまで激情家になってしまったんだろう?
私は少し考えた。朝のすずめは賑やかで、カラスは賢いはずなのに、ゴミ捨て場のネットをなんとか突破しようとして、ネットに仕込んだノリに引っかかってじたばたもがいている。私はそれを遠巻きに見ながら、言葉を探した。
「……好きな人はいるけれど、傷付かないで欲しいって、大樹くんとは逆のことを思ってるよ」
「ふうん。でも、傷付けないと相手の心に残らないんじゃないの?」
「意外と大樹くんは過激なことを言うねえ……私は逆だよ。夢見がち過ぎるのかもしれないけれど」
他に好きな人ができたら。それこそ博愛主義が過ぎて優良物件なのに婚期を逃した海斗くんでも好きになれたらよかったのに。結局は好きになれる人が現れなかった。
夢見がちな恋に恋する女子高生から、私はちっとも成長できてない。
私は自嘲気味に笑いながら、言葉を続けた。
「好きな人には、痛い想いも怖い想いも悲しい想いもして欲しくない。そんな目に遭って欲しくない。それでもそんな目に遭うんだったら、せめて自分の隣で泣いて欲しい。男の子は泣いてる姿を見せたくないかもしれないけど、私は隣にいるだけで見ないから。だから思う存分泣いててほしい」
大樹くんは黙って私の話を聞いていた。
「……そっか。亜美に好かれた相手は、きっと幸せだ。そんなタオルケットみたいな恋ができるんだからさあ」
「そうなの、かな」
あなたに好きになってもらえないと、タオルケットみたいな恋だってはじまらないし、私もちゃんとフラれないと終わらせることだってできないけど。
告白って、こんな登校中に唐突にするもんじゃない気がする。
****
窓を全開にしていても、風が通らない。ただ窓際の席だとジリジリと肌が焼ける日差しが不愉快だ。
その窓際で、目を細めて忌々しそうに日差しを睨みつけているのが菜々子ちゃんだった。
菜々子ちゃんは昨日はあれだけ楽しそうだったのに、それが一転してとげとげしい雰囲気を隠そうともしない。そのせいで周りも恐々と言った様子になって遠巻きにしてしまっている。
海斗くんはそんな菜々子ちゃんを眺めていた。
「おはよう……菜々子ちゃんは?」
「おはよ。すっごい怒ってる。女子とはかろうじて会話ができるみたいだけど、男子とはもう目も合わせないんだよな」
海斗くんはそう言いながら、ちらりと大樹くんを見た。大樹くんはキュッと唇を引き結んだあと、いつもの様子で菜々子ちゃんのほうに向かってしまった。
「あ……」
私は止めたほうがいいのかと考えたものの、海斗くんは「やめとけ」と短く止めた。
「でも……」
「大樹はさ、菜々子を傷つけた自覚、ちゃんと持ったほうがいい。欲しいからってさ、思い通りにならないからってさ、癇癪起こしてもしゃあないんだよ。相手を傷つけたのなら、先に謝るべきだ。そして許す許さないを決めるのは菜々子のほうだ。大樹じゃない」
「……そうかもしれないけど」
そううなだれている間に、大樹くんは菜々子ちゃんの机の前に来た。菜々子ちゃんは一瞬だけ大樹くんを見たあと、そのまま視線を窓の外に逸らして、ちっとも彼の顔を見ない。
大樹くんの声は震えていた。
「……おはよう」
返事はなかった。
「ごめん」
それにも返事がない。
「……俺は、やり方を間違えたと思う。でも、諦めたくないんだ」
「……本当に男子のそういうとこ、すっごいウザい」
ようやく返事をした菜々子ちゃんの声は低く、怒りが滲み出ていた。
「私はあんたたちの介護する義務なんかないんですけど? 私の気持ちは私のものだし、なんでしつこく付きまとわれないと駄目なの?」
菜々子ちゃんが今までさんざんされたことは、女子からは同情されるだろうけれど、男子には到底理解ができるとは思わなかった。
好きでもない人に告白されても、彼女は当然好きじゃないからお試しもなにもせず、断るしかない。
でも相手は押せばなんとかなるとどこかで思っている。押されれば押されるほど、気持ちが凝り固まって、「誰が思い通りになるもんか」と反発心を抱くものだとわからない。
菜々子ちゃんはひとりふたりじゃない数の男子から、言い寄られたその口で罵声を浴びせ続けられた結果、すっかりと意固地になってしまい、男嫌いになってしまったんだけれど、彼女のことを好きになった人たちは、それがわからない。
もう菜々子ちゃんのことは放っておいてあげてと思っても、彼女は綺麗で魅力的な子だから、誰も放っておかない。
それが余計に彼女を苦しめているんだ。
「よし」
今日やることは、大樹くんを慰めること。菜々子ちゃんを励ますこと。海斗くんみたいにどっしりと構えることはできないけれど、大樹くんと菜々子ちゃんのメンタルを不安定にさせたのは私なんだから、なんとかしないと駄目だろう。
「行ってきます」
お母さんとお父さんにそう挨拶をして、私は急いで学校へと向かっていった。この途中で大樹くんに会うはずなんだけれど。
もうそろそろ梅雨が迫っているせいか、光がやけに綺麗だ。若葉が生い茂って、光り輝いている。木漏れ日のそよそよという音もリズミカルで、私はその音を耳にしながら、キョロキョロと大樹くんを探す。
やがて。大樹くんの背中を見つけた。気のせいか、いつも大人びた彼の背筋が丸い。
「おはよう」
「……亜美、おはよう」
大樹くんは心底ほっとしたような声を上げていた。
昨日のことで、傷付いているんだ。どう声をかけたものかと思いながら、私はなんとか言葉を振り絞ってみる。
「昨日楽しかったね、遊園地。あそこ穴場過ぎたけど、人がいないのが不思議なくらい」
「……うん、あれだけ人がいなかったら、もっとやる気なさそうになってもおかしくないのに。どこの店員さんもスタッフさんも元気だった」
私の持ってきた話題がよかったのか、思っている以上に元気な声が帰ってきて、私はほっとして言葉を続けた。
「チケットくれた海斗くんに感謝しないといけないよね。また、遊びに行きたいね」
「……行ってくれるの?」
「えっ?」
「……俺、好きな子を傷付けたのに。女子ってあれでしょう? 女子を傷付けた男は、皆すべからく敵になるんでしょう? 俺、そんなつもりなかったのに……菜々子を傷付けた」
どう答えよう。思っている以上に重たい言葉に、私は自分の唇を舐める。リップバームはレモンハニーの味と書いてあったものの、特にレモンハニーの味はしない。
「あくまでこれは菜々子ちゃんの意見じゃなくって私の意見になるけれど。友達を傷付けた相手が、友達のことを好きだった場合って、やり方は間違っていたとは思うけど、傷付けた張本人をすぐには嫌いにならないよ?」
それは単純に私が大樹くんのことが好きで、大樹くんが菜々子ちゃんにフラれたらいいとどこかで思ってしまった自分の醜さから吐露された言葉だ。言葉通りの意味で取るような綺麗な言葉じゃない。
私の言葉に、当然ながら大樹くんは難しい顔をした。だろうね。これだと大樹くんの気は治まらないだろうし。私はなんとか言葉を搾り出す。
「……そもそも確認取ってからじゃないと、踏み込んじゃ駄目ってことはあると思うよ。大樹くんは多分、焦り過ぎたんだよ。菜々子ちゃんが許してくれるかは、私もわからないけど、踏み込むとか進むとかってすごいことだけれど、同時に相手を傷付けることなんだと思う」
「亜美は?」
「はい?」
「亜美は傷付けたい相手はいるの? 傷付けてでも手に入れたい相手っているの?」
それって……。大樹くんの言葉に私はますます考え込んでしまった。
大樹くんは大人びているように見えて、激情家なんだ。相手のことを好きとか欲しいとか思ったら、手段を選んでる暇がなかったっていう。
……でもなあ。私は考え込んだ。
一周目のとき、大樹くんは菜々子ちゃんにそんなアタックはしてない。私がちょっかいをかけたのは間違いないとしても、二周目はなにがあってここまで激情家になってしまったんだろう?
私は少し考えた。朝のすずめは賑やかで、カラスは賢いはずなのに、ゴミ捨て場のネットをなんとか突破しようとして、ネットに仕込んだノリに引っかかってじたばたもがいている。私はそれを遠巻きに見ながら、言葉を探した。
「……好きな人はいるけれど、傷付かないで欲しいって、大樹くんとは逆のことを思ってるよ」
「ふうん。でも、傷付けないと相手の心に残らないんじゃないの?」
「意外と大樹くんは過激なことを言うねえ……私は逆だよ。夢見がち過ぎるのかもしれないけれど」
他に好きな人ができたら。それこそ博愛主義が過ぎて優良物件なのに婚期を逃した海斗くんでも好きになれたらよかったのに。結局は好きになれる人が現れなかった。
夢見がちな恋に恋する女子高生から、私はちっとも成長できてない。
私は自嘲気味に笑いながら、言葉を続けた。
「好きな人には、痛い想いも怖い想いも悲しい想いもして欲しくない。そんな目に遭って欲しくない。それでもそんな目に遭うんだったら、せめて自分の隣で泣いて欲しい。男の子は泣いてる姿を見せたくないかもしれないけど、私は隣にいるだけで見ないから。だから思う存分泣いててほしい」
大樹くんは黙って私の話を聞いていた。
「……そっか。亜美に好かれた相手は、きっと幸せだ。そんなタオルケットみたいな恋ができるんだからさあ」
「そうなの、かな」
あなたに好きになってもらえないと、タオルケットみたいな恋だってはじまらないし、私もちゃんとフラれないと終わらせることだってできないけど。
告白って、こんな登校中に唐突にするもんじゃない気がする。
****
窓を全開にしていても、風が通らない。ただ窓際の席だとジリジリと肌が焼ける日差しが不愉快だ。
その窓際で、目を細めて忌々しそうに日差しを睨みつけているのが菜々子ちゃんだった。
菜々子ちゃんは昨日はあれだけ楽しそうだったのに、それが一転してとげとげしい雰囲気を隠そうともしない。そのせいで周りも恐々と言った様子になって遠巻きにしてしまっている。
海斗くんはそんな菜々子ちゃんを眺めていた。
「おはよう……菜々子ちゃんは?」
「おはよ。すっごい怒ってる。女子とはかろうじて会話ができるみたいだけど、男子とはもう目も合わせないんだよな」
海斗くんはそう言いながら、ちらりと大樹くんを見た。大樹くんはキュッと唇を引き結んだあと、いつもの様子で菜々子ちゃんのほうに向かってしまった。
「あ……」
私は止めたほうがいいのかと考えたものの、海斗くんは「やめとけ」と短く止めた。
「でも……」
「大樹はさ、菜々子を傷つけた自覚、ちゃんと持ったほうがいい。欲しいからってさ、思い通りにならないからってさ、癇癪起こしてもしゃあないんだよ。相手を傷つけたのなら、先に謝るべきだ。そして許す許さないを決めるのは菜々子のほうだ。大樹じゃない」
「……そうかもしれないけど」
そううなだれている間に、大樹くんは菜々子ちゃんの机の前に来た。菜々子ちゃんは一瞬だけ大樹くんを見たあと、そのまま視線を窓の外に逸らして、ちっとも彼の顔を見ない。
大樹くんの声は震えていた。
「……おはよう」
返事はなかった。
「ごめん」
それにも返事がない。
「……俺は、やり方を間違えたと思う。でも、諦めたくないんだ」
「……本当に男子のそういうとこ、すっごいウザい」
ようやく返事をした菜々子ちゃんの声は低く、怒りが滲み出ていた。
「私はあんたたちの介護する義務なんかないんですけど? 私の気持ちは私のものだし、なんでしつこく付きまとわれないと駄目なの?」
菜々子ちゃんが今までさんざんされたことは、女子からは同情されるだろうけれど、男子には到底理解ができるとは思わなかった。
好きでもない人に告白されても、彼女は当然好きじゃないからお試しもなにもせず、断るしかない。
でも相手は押せばなんとかなるとどこかで思っている。押されれば押されるほど、気持ちが凝り固まって、「誰が思い通りになるもんか」と反発心を抱くものだとわからない。
菜々子ちゃんはひとりふたりじゃない数の男子から、言い寄られたその口で罵声を浴びせ続けられた結果、すっかりと意固地になってしまい、男嫌いになってしまったんだけれど、彼女のことを好きになった人たちは、それがわからない。
もう菜々子ちゃんのことは放っておいてあげてと思っても、彼女は綺麗で魅力的な子だから、誰も放っておかない。
それが余計に彼女を苦しめているんだ。