菜々子ちゃんは屈辱という表情を浮かべ、とうとう目尻に涙を浮かべながら吐き出した。

「本当に嫌い! 男子なんて人の気持ちも知らないで、好きと言えばいいと思ってる! 私は好きでもなんでもないんだったら!」
「……菜々子ちゃん」
「嫌、嫌い嫌い気持ち悪い気持ち悪い! 私、友達をそういう目で見るの、一番嫌だったのに……!」

 重症だ。海斗くんが渋い顔をしていたのを、私はやっとわかった気がした。
 菜々子ちゃんが恋愛嫌いなのはわかっていたけれど、まさかここまでだとは私も思っていなかった。なによりもひどいのは。
 ……それを羨ましがっている私は、これだけ苦しんでいる菜々子ちゃんの力になり得ないことだ。でも。
 これだけ泣いて怒っている子を放っておくこともできない。私はただ、背中を撫でていた。

「菜々子ちゃん……私、なんと言っていいのかわからない」
「……ごめん、亜美に言っても仕方ないことだけれど。でも私、もう二度と大樹と顔を合わせたくないよ」

 どうしよう。私は俯いた。
 私が知っている限り、大樹くんと菜々子ちゃんは表立って大喧嘩したことはない。元々大樹くんは年の割にませていたのもあるし、菜々子ちゃんも男嫌いではあるものの、友達をそういう目で見てないから、波風立てる性格ではないからだ。
 もしふたりが喧嘩したのが私のせいならば……私は海斗くんの忠告を素直に聞いて、私がちゃんと大樹くんを振り向かせる努力をすべきだったはずなのに。
 大樹くんの好きな人を知った途端に腰が引けて、ふたりをくっつけるのに専念した結果、ふたりが絶縁しようとしている。どう考えても原因は私だし、私の自業自得だ。

「菜々子ちゃん……ごめん」
「……なんで亜美が謝るの?」
「私が突っ走ったから……ふたりを傷付けたような気がする。ごめん」

 大樹くんに死んでほしくない一心で、菜々子ちゃんの気持ちも考えずに彼女を傷付けた。
 私は友達失格だ。私が黙り込んでしまったのに、菜々子ちゃんが腕を掴んで、ぶんぶんと振り回してきた。

「なにを言いたいのかはよくわからないけど」

 そうひと言添えてから、菜々子ちゃんはきっぱりと言い切る。

「私が亜美を嫌いになることはありえないよ」

 その言葉は、彼女がわからないなりに慰めてくれているんだろうけれど、今の私にはつらかった。
 どうしよう。ぐるんぐるんと胸の中に焦りと嫉妬とよくわからないもやもやが渦巻く。このままだと、大樹くんは学校廃校が決まった瞬間、私立に転校してしまう。
 ……彼が自殺したとき、その葬式に菜々子ちゃんが来ないっていう悲しい結末にはしたくなかった。ううん。まだ。まだ大樹くんが自殺すると決まった訳じゃない。
 私はなんとか自分を落ち着けようと試みるものの、ちっとも落ち着いてはくれなかった。

****

 カーテンの向こうは、気付けば夕日も消えて真っ暗。外灯だけがポツポツと灯っている。
 どうやって電車に乗って、どうやって歩いて帰ったのかはわからない。
 気付けば家に帰っていて、ご飯を食べていた。ぼーっとしている間にお風呂の時間になり、頭を洗ってすっきりしたら、ぼんやりとしていた頭がすっきりとしてきた。
 気合を入れるために、お風呂の中にミント系の清涼感ある入浴剤を入れて気を引き締めてから、自室に戻るとスマホを手に取った。
 海斗くんにSNSメッセージで連絡する気になった。タプタプと文字を打つ。

【今日は私の仲人が失敗したせいで、皆で遊びに行ったのに最悪な結末にしてごめん】

 元々はチケットを用意してくれたのは海斗くんなんだから、一番の被害者は彼のはずだ。
 私が申し訳なさ過ぎて、一番無難なメッセージを送ったら、すぐに返事が返ってきた。

【いや、こっちこそ大樹の暴走を止められなくってごめん。あいつは草食系だと思っていたのに、ロールキャベツだとは思わなかった】
【ロールキャベツ??】
【草食系に見せかけた肉食系】

 そういえば、この頃はこの言葉割と使ったな。
 肉食系も草食系も残ったけれど、派生語は結局十年経たずに消えてしまったし。そんな謎の郷愁を感じている中、海斗くんからまたメッセージが届いた。

【大樹も焦ったみたい。菜々子が東京に出て専門学校に行くんだったら、もう二度と会えないって。それまでに彼女にしたいってさ】

 ああ……。
 そういえば、私は普通に菜々子ちゃんから聞いて知ってたけど、わざわざ周りに大っぴらには公言してないもんなあ、菜々子ちゃんが声優目指している話は。
 一応地方の大きな街にも声優学校はあるけれど、東京みたいにコネはないし、オーディションに行くのにも手間がかかるんだったら、そのまま東京に出たほうが早いっていうのが菜々子ちゃんなりの戦略だったはずだ。
 私は菜々子ちゃんがどんな声優になるかを知っているけれど、彼女がなにを目指しているのかわからない人からしてみれば、よくわからない存在だろう。
 どう答えるべきか。
 私は悩みながらタプタプと打った。

【菜々子ちゃん男嫌いも恋愛嫌いもこじらせてるよ。だから無理矢理やったら悪手だったのに】
【知ってる。菜々子のそういう性分は。大樹がそこを理解してないところまでは読めなかった。ごめん、俺の監督不行き届けで】
【いや、さすがにこれは海斗くん全然悪くないから、私は怒ってないよ。でもどうしよう。ふたりが絶交したら】

 それにはさすがに海斗くんもメッセージを打つ手が止まってしまったみたいだ。
 私の最終目標は、大樹くんと付き合いたいじゃない。大樹くんに死んでほしくない。ブラック企業に進んでヤケを起こす未来を変えたいっていう、ささやかなものだった。
 でもこれじゃあ、大樹くんは地元に幻滅して、地元を出て行く選択肢が消えない。それどころか、廃校が決まった途端に、菜々子ちゃんがヤケを起こして地元を捨てる可能性も見えてきた。私の知っている限り、菜々子ちゃんはこちらがびっくりするほど思い切りがいいんだ。
 やがて、海斗くんのメッセージが来た。

【俺はさ大樹は次に進んだほうがいいと思う】

 ……それって。
 私が言葉を失っていたら、次のメッセージが送られてくる。

【菜々子は思い切りがいいから、切り替えられるだろうけれど大樹は難しい】
【私情けないし根性ないし意気地もないよ? 本当に大丈夫だと思う?】
【根性ない奴が辛抱強く親友の話を聞き出すことはないだろ。大丈夫だって】

 その激励の言葉に、私はどう返事すればいいのかがわからなかった。
 最初の一周目。私は恋する自分が好き過ぎるあまり、傷つくのが怖くって、結局は告白することもなく、大樹くんは転校していって、私が知らないところで大樹くんが死んでしまった。
 二周目の今回。私が余計なことをしたせいで、菜々子ちゃんを傷つけてまたしても大樹くんを傷つけた。
 傷つきたくない一心で、私はちっとも安全圏から出てこない。
 ……こんな自己保身ばっかり続けてたら、また大樹くんが私の知らないところで傷ついてしまう。
 いい加減私も、安全圏から抜け出さないといけない。
 博愛主義者で本当にいい意味でも悪い意味でも平等が過ぎる海斗くんが「大丈夫」って言ってくれているなら、まだなんとかなるかもしれない。
 私はしばらくスマホの画面を眺めながら、ゴロンゴロンとベッドで転がっていた。やがて、スマホでタプタプ返事をする。

【私もう一度頑張ってみる。大樹くんのこと】
【頑張れ】

 海斗くんのそのひと言で、なけなしの勇気を振り絞れそうな気がした。
 気がしただけかもしれないけれど。