海斗行きつけのパン屋『ハンマーヘッド』は、雷華の母親が営む店。

 そんな、耳を疑うセリフに、海斗は瞬きをしながら聞き返す。

「…………え、嘘だろ」
「嘘じゃないわよ! だからバレないように変装していたんじゃない!」
「……風子(ふうこ)さんにこんな大きな子どもがいるはずないだろう。本当に若くて綺麗なお姉さんなんだぞ?」
「はぁ?! ヒトの母親のことをそんな目で見ないでくれる?!」
「……じゃあ聞くが、あの店の四月の限定商品が何か知っているか?」
「知らないわよ!」
「はは、だよな。やはり娘というのは嘘……」
「ああもう、嘘じゃないってば! 今月の限定商品は『桜サメあんぱん』ですっ!」
「なっ……正解だ。『サメあんぱん』はあの店の看板商品で、昨日から桜あんを入れた限定版が売られている。まだ発売されて間もない新商品を知っているということは、本当に……」

 海斗を睨みつける雷華の横で、未空が苦笑いしながら補足する。

「うん、本当だよ。黙っててごめんね。雷華も複雑だったんだ。自分のお母さんの店を褒められるのは嬉しいけど、顔を出すのは恥ずかしいって……」
「余計なこと言わないでよ!」

 犬歯を剥き出しにし、未空の補足を遮る雷華。
 幼馴染である未空までもが言うのであれば、雷華は本当に『ハンマーヘッド』の店主の娘なのだろう。

 顔を赤くし、狼狽える雷華をじっと見つめ、海斗は……深々と頭を下げ、こう言った。

「いつも大変お世話になっています」
「あたしに言うな!」
「まさか鮫島が風子さんの娘だとは……すごい縁だな。であればなおのこと、調査テーマは『つるや商店街』にすべきじゃないか? 鮫島の親御さんなら取材もしやすいし、何より発表して同級生に広めればますます客が増えるはずだ。『ハンマーヘッド』のパンは本当に美味いからな、たくさんの人に知ってもらいたい」
「はぁ?! 自分の親がやってる店を発表するなんて恥ずかしすぎて無理!」
「しかし……」
「しかしもカカシもないっ! 無理なものは無理なのっ!」

 ぷいっ、と顔を背ける雷華。
 どうやら本気で嫌がっているらしい。

 ……まぁ確かに、学年一の美少女である鮫島雷華の母親がやっているパン屋があると知れ渡れば、店で働く雷華が見られるのではと男子生徒が殺到するに違いない。
 売り上げは上がるかもしれないが、同時に店に迷惑がかかる可能性もある。
 発表の中で『ハンマーヘッド』を紹介するにしても、『鮫島雷華に縁のある店』ということは伏せるべきだろう。

 そう結論付け、海斗は頷きながら雷華に言う。

「わかった。では、『商店街にある人気のパン屋』と紹介するに留め、鮫島の親御さんがやっている事実については触れないでおく。これでどうだ?」
「却下!」
「そうか……ちなみに聞くが、鮫島が店の手伝いをする機会は、あったりするのか?」

 ……と、脳裏に浮かんだパン屋スタイルの雷華が実在するのか気になり、海斗は聞いてみる。
 店の外観と同じ爽やかな水色のブラウスに白いエプロン、三角巾を頭に被りパンを売る雷華の姿は、想像するだけで様になっていた。

 しかし、雷華はきょとんとした顔をして、

「はぁ? あるわけないでしょ? 『店の手伝いより学業に専念しろ』ってお母さんに言われてるんだから」

 そう否定した。
 パン屋な雷華の妄想を消しつつ、海斗は「そうか」とだけ返しておいた。

「そんなに嫌なら『ハンマーヘッド』への取材は無理に進めない。代わりに、『つるや旅館』の調査をメインにするのはどうだ? 先述の通り、あそこはばあちゃんたちの思い出の旅館なんだ。俺個人としてもぜひ取材したいという思いがある」

 そう、代替案を提示する。
 しかしこれも、

「ダメよ」

 雷華に否定で返される。
 それはそうだ、そういう呪いだからなと、海斗は彼女の真意を探るべく説得を続けようとするが……その前に、こう返された。

「あそこは──未空ん家だから」

 あそこは、未空ん家。
 その言葉の意味がわからず、海斗は「はて」と首を傾げる。
 すると未空が「あはは」と気まずそうに笑って、

「ごめん。実は私……『つるや旅館』の娘なの。弓弦家が代々経営していて、今はお父さんが代表、お母さんが女将をやっているんだ。だからあそこは、私の家ってわけ」

 その告白に……海斗は、いよいよ言葉を失う。
 雷華がパン屋の娘というだけで驚きなのに、未空は『つるや旅館』の娘?
 そんな奇跡的な縁があるとは……

「……え? つまり俺は、俺なんかよりよっぽど詳しいゴリゴリの関係者相手にドヤ顔でプレゼンをしていたってことか……?」

 偉そうに語りながら二人をガイドしていた自分を思い出し、海斗は居た堪れなくなる。
 しかし、未空は首を横に振り、

「ううん。私の知らない『つるや旅館』のお話が聞けて、すごく嬉しかったよ。だからさっき、おじいさまにもお線香をあげてお礼を伝えたの。いつかおばあさまにも直接お会いできたら、『つるや旅館』を代表してご挨拶したいな」

 と、残りわずかに煙を燻らせる線香を一瞥する。
 それから、はにかんだ笑みを浮かべ、

「私も自分ちの旅館を取材するなんて恥ずかしくて、雷華と一緒に変装しちゃったけど……温森くんのお話を聞いて、やってみてもいいかなって思えたよ」
「本当か?」
「うん。私も『つるや旅館』が好きだからね。あ、でもそれをメインにしちゃうと、私が自分ちの旅館を宣伝しているだけになっちゃうから、あくまでテーマは『つるや商店街』一帯の紹介がいいかな。旅館はおまけみたいなかんじで……ほら、同じ中学だったコたちの間では、私が旅館の娘だってことは結構有名だから」

 なるほど、と海斗は思う。
 未空の立場を考えれば、言っていることはもっともだった。

「わかった。それじゃあテーマは、『つるや商店街』周辺の調査に決定だ。『ハンマーヘッド』には触れず、『つるや旅館』は少し紹介させてもらう。それで……」

 いいか? 鮫島。

 そう尋ねようとして、海斗は言葉を止める。
「いいか」と聞けば「ダメ」と返すしかないのが彼女の呪いだ。

 だから海斗は、

「……異論はあるか? 鮫島」

 そう尋ねることにする。
 すると雷華は、ぷいっと顔を背けながら、

「……ないわよ、別に」

 頬を膨らませながら、否定形で肯定した。
 それは、本心と見て良さそうな声音だった。

 雷華の承諾を得、調査テーマが正式に決定した。
 彼女の膨らんだ頬を見つめ、海斗は久しぶりに、晴れやかな気持ちに浸る。

 その心を映すかのように、トタン屋根を叩く雨はいつの間にか止み、雲間からは眩しい夕陽が差し始めていた──