「まぁ……鮫島の言う通りなんだよな」

 翌日の昼休み。
 海斗は中庭のベンチで、一人昼食を摂っていた。

 ぽかぽかと暖かい春霞の空を見上げながら、昨日雷華に言われた言葉を思い出す。

『そうやってなんでも肯定して、相手に合わせてばっかりで、「自分」ってものがないの? そんなんじゃ一生、否定されっぱなしの人生になるわよ?』

 実際、その通りだった。
 自己主張せず、他人に同調する癖がついていることは自覚している。
 だからこそ、言われた瞬間に息が詰まったのだ。

 そんな自分の性格をわかっているから、入学から二週間が経つ今も、海斗は友人を積極的に作ろうとしていない。昼休みも、いつも一人で過ごしていた。

「……やっぱり、これじゃ腹いっぱいにはならないな」

 と、自分で用意した弁当を見下ろし、ため息をつくと、

「──あ、こんなところにいた」

 そんな声が、横から聞こえた。
 見れば、中庭の植え込みの向こうから未空が顔を覗かせていた。
 その後ろには雷華もいて、未空の背中に隠れるようにくっついている。

 柔らかな日の光を浴び、風に髪を揺らしながら近づいて来る美少女二人。
 中庭の花々も嫉妬するような華やかさに、海斗は思わず目を細める。

「弓弦と鮫島。どうした?」
「どうって、君を探していたんだよ。このコが昨日のこと気にしてうじうじしているから」
「う、うじうじなんかしてない!」
「しているじゃない。『ひどいこと言っちゃった……』とか、『傷付けたよね……』とか、休み時間の度に呟いて。もう一度ちゃんと謝るために温森くんを探しに来たんでしょ?」

 未空の言葉に、雷華は「うぅ……」と背後に隠れる。
 海斗が今まさに思い出していたあの言葉を雷華自身も気にしていたらしい。口調のキツさとは裏腹に、繊細な心の持ち主のようだ。

 未空の背中から目だけを覗かせ、海斗の様子を窺う雷華。まるで母親の後ろに隠れる幼児か、巣穴から顔を出す小動物だ。
 海斗は警戒を解いてもらおうと、首を横に振る。

「俺は全然気にしていない。むしろ、気を遣わせてしまって悪かった」
「悪くないっ! つーかあたしが謝ろうとしているのに、なんであんたが謝ってんのよ?!」
「あぁ、確かに。それは悪いことをした」
「だから悪くないってば!」

 ……などと、いつもの堂々巡りが始まりそうだったので、未空は「雷華」と呼びかける。
 雷華はビクッとしてから、緊張した面持ちで未空の背中を離れ、海斗の前に立つと、

「…………ご、ごめん。昨日は、その……言い過ぎたわ」

 スカートの裾をきゅっと握りながら、蚊の鳴くような声で謝った。

 もじもじと擦り合わせた白い膝。
 小さく縮こまった肩。申し訳なさそうに下がった眉。

 否定する時の勝ち気な雰囲気とは正反対の弱々しい態度に、海斗は驚く。
 もしかすると、これが彼女の本来の姿なのかもしれない。雷華を「高慢でキツイ女」だと囁くクラスの一部の男子も、この姿を見ればきっとまた恋に落ちるだろう。

 不安げな顔で返事を待つ雷華に、海斗は思わず小さく微笑む。

「本当に気にしていないから大丈夫だ。わざわざありがとうな」
「……はぁ? お礼言われるようなことしてないし」
「実際、鮫島に言われた通りなんだ。人の意見に同調してばかりで、自分の主張がない。俺の悪いところだ。だから反省して、ちゃんと自分の案を考えてきた」

 海斗の言葉を聞いた雷華と未空が顔を見合わせる。
 そして、雷華の代わりに未空が、「どんな案?」と尋ねる。
 海斗は一度咳払いをし、調査テーマの案について語り始めた。

「ここから三駅離れたところに、『つるや商店街』っていう大きなアーケード街があるのは知っているか? 俺、そこの人たちにものすごく世話になっているんだ。サービス精神旺盛な八百屋の大将。いつもできたてを用意してくれる惣菜屋のおばちゃん。大量のパンの耳を格安で売ってくれるパン屋のおかみさん……挙げ出したらキリがない。とにかくあったかくて、人情のある素晴らしい商店街なんだ。そこの取材をして、魅力を発信するのはどうかと考えたんだよ」

 それを聞いた瞬間……雷華がピクリと反応したのを、未空だけは見逃さなかった。

「……ちなみに、そんなにパンの耳をもらってどうするの?」

 未空が尋ねる。
 海斗は「あぁ」と答え、膝に乗せた弁当箱の中身を見せながら、

「主食にしているんだ。俺、一人暮らしをしていて、あまり金が使えないから。これは八百屋でもらったトマトをソースにし、チーズを乗せて焼いた『パンの耳のトマトグラタン』だ。他にもお揚げ代わりに味噌汁に入れたり、トーストして砂糖をまぶせばラスクにもなるし、パンの耳ってすごいんだぞ? 汎用性が高い」
「ぱ、パンの耳というより、温森くんのアレンジ力がすごいよ」
「料理は好きな方だからな。けど、あまり自慢できる弁当ではないから……飯は、なるべく一人で食うようにしている」

 軽い口調で言う海斗。未空が「温森くん……」と呟くその隣で、雷華も海斗を心配そうに見つめた。

「その商店街の外れには、市内で最も歴史の古い高級宿『つるや旅館』もあるんだ。そこの取材も兼ねれば、発表内容として不足はないはずだ。どうだろう、悪くない案だと思うが」

 聞きながら、今度は未空の方がピクリと反応するのを、雷華だけは見逃さなかった。
 そして、

「……ダメね、却下よ」

 雷華は、真っ向からその案を否定した。
 いつもなら「そうか、そうだよな」とすぐに同調する海斗だが、今回は違った。
 雷華を見つめ、身を乗り出し熱弁する。

「しかし鮫島、商店街を調査すれば、自ずと鮫島が望んでいた『土産菓子ランキング』を盛り込むこともできるんだぞ? 何せ『つるや商店街』には土産物屋がたくさんあるからな。試食や食べ歩きのための店頭販売も充実している」
「……っ」

 珍しく言葉を詰まらせる雷華。よほど土産菓子が好きなのだろう、動揺し瞳が泳いでいる。
 しかし、すぐに否定の言葉が返ってくるはずなので、海斗は間髪入れずに続ける。

「俺がこの藍山市で最も思い入れがあるのは『つるや商店街』なんだ。今回ばかりは本気の提案だ。何なら今日の放課後、二人を案内する。一度来てもらえればその魅力がわかるはずだ」
「い、イヤよ。却下却下!」
「そうか。じゃあ……『行かない』」
「ダメッ! 行くわよ! 行くに決まってるでしょ?!」

 叫んでから、雷華はハッとなる。
 今のは、海斗の誘導だ。雷華に「行く」と言わせるため……彼女の否定を引き出すために、あえて「行かない」と言ったのだ。

 言質を取った海斗は、ニヤリと笑う。

「よかった。それじゃあ放課後、俺に付き合ってくれ」
「ヤダってば! 絶対に行かないから!」
「ふむ。じゃあ、『行くのをやめよう』」
「やめないっ! 行けばいいんでしょ、もう!」

 雷華の『否定の呪い』を逆手に取ったやり口に、未空は感心半分、呆れ半分なため息をつく。

「はぁ……ま、イエスマンな温森くんがそこまで推すなら、行くしかないね。それに、私も『つるや商店街』は大好きなの」
「本当か? それはよかった」

 行く方向で話を進める未空に、雷華は「ちょっと未空!」と縋るように呼びかけるが、

「いいじゃない。温森くんを焚き付けたのは雷華なんだから。彼のお気に入りのパン屋さんをぜひ紹介してもらいましょ」

 そう、笑みを浮かべながら言った。