「──以上の調査から、私たちは『つるや商店街』周辺の魅力を再認識すると共に、野良猫に関する諸問題を知ることができました。この経験を生かし、今後は一面的ではなく多角的な物の見方を意識し、地域が抱える様々な課題に目を向けていきたいです」
『深水山』での儀式から、一週間後。
未空の見事な締めの言葉と共に、海斗たちは『地域わくわく調査隊』の課題発表を終えた。
翠が描き起こした『つるや商店街』の特大マップを黒板に貼り出し、そこに実際の写真や翠のイラストをマグネットで貼り付けながら、商店街の紹介をした。
クラスメイトの反応は上々で、終了後の質疑応答でも多くの手が上がった。
「取材中に遭遇した猫の親子は、その後どうなりましたか?」
真面目そうな女子生徒からの質問。
それに、翠は伊達眼鏡をくいっと上げて、
「信頼できる里親の方に無事保護されました。先日画像をいただきましたが、子猫たちは元気に成長しているようです」
「よかった。ちなみに……猫のイラスト含め、発表に使われた絵は誰が描いたんですか?」
「え、絵? えと……わたしです」
「すごっ! 八千草さん絵上手いんだ! 私と一緒に美術部に入りませんか?!」
「いや、私と共に漫画研究部に……!」
「いやいや、映像研究部で作画担当を……!」
……と、皆こぞって翠を勧誘し始めるので。
「み、みなさん。そういうのは、休み時間にしましょうね」
気弱な担任教師・平岡女史がやんわり嗜めた。続いて、
「はいはーい。私、『つるや旅館』に泊まってみたいんだけど、さすがにちょっと近場すぎる気がして……どっかに系列の宿みたいなのはあるんですかぁ?」
明るい女子生徒からの質問に、未空は微笑んで、
「残念ながら今はありませんが……近い将来、できるかもしれません」
そう、悪戯っぽく答えた。
さらに、
「八百屋の冷凍パインを賭けたじゃんけんで勝つコツはありますか?」
今度は、男子生徒からの質問。
それには海斗が答える。
「俺の個人的な統計では、大将は初手でチョキを出すことが多い。が、おかみさんはグーチョキパーをバランス良く繰り出すので全く読めない。勝負を挑む時は、攻略しやすい大将がいる時をおすすめする」
そして、最後に別の男子生徒が手を上げて、
「今回紹介した以外に、おすすめのお店はありますか?」
そう尋ねるので……
雷華は、ここぞとばかりに胸を張って、
「はい。『ハンマーヘッド』というパン屋さんです。サメの形をしたパンが名物なので、ぜひ一度足を運んでみてね」
否定することなく、にっこり笑って答えた。
あの『儀式』の後──
雷華は、異性の言葉を問答無用で否定することがなくなった。
男子からの質問にも笑顔で返し、発表は大成功に終わった。
「──ふう。無事に終わったね。お疲れさま」
各グループが発表を終え、ようやく迎えた昼休み。未空が三人を労うように言った。
「緊張したけど、楽しかった。思ったよりちゃんと話せた気がする」
翠も、達成感に満ちた表情で感想をこぼす。
それに海斗は頷き、
「実際よく話せていたよ。声も大きくて聞き取りやすかった。な、鮫島?」
そう、雷華に振るが……
その途端、雷華はくわっと眉を吊り上げて、
「知らないわよ。あたしに聞かないで!」
犬歯を剥き出しにし、全否定した。
あの『儀式』以来、雷華が異性の言葉を問答無用で否定することはなくなった。
が……海斗だけは、何故か頑なに否定され続けていた。
まるで、『呪い』にでもかかったように。
「あっ……別に翠を否定したわけじゃないからね! 上手に喋れていたと思うわよ!」
慌ててフォローする雷華と、その横で否定されたショックを静かに噛み締める海斗。
それを、翠と未空が半眼で見つめる。
「……雷華ちゃん、なんで温森くんのことだけ否定しちゃうんだろうね」
「えっ?! そ、それは……」
「やっぱりあの『儀式』の時、何かあったんじゃない? いい加減教えてくれてもいいのに」
翠と未空に交互に聞かれ、雷華は大いに狼狽える。
「だ、だから、トンビが飛んできて、びっくりした拍子にまた石像の頭を落としちゃったんだってば!」
「本当にそれだけ? だったらどうして他の男子は否定しなくなったの?」
「温森くんだけを否定しちゃう理由がわからなければ、呪いを解きようがない」
二人に問い詰められ、口をぱくぱくさせる雷華。
見かねた海斗がフォローに入る。
「俺が話そう。実はあの時、俺が鮫島に……」
「ダメ! あんたは黙ってて!」
顔を真っ赤にし、即座に遮る雷華。
その脳裏には、あの日──海斗に告白された日の記憶が蘇っていた。
──『深水山』を登り始める前。
雷華はお供え物に饅頭を置いてもいいか、麓の販売所で尋ねた。
すると、巫女の格好をした若い女性が、人懐っこい笑みを浮かべこう答えた。
「お供え物を置くこと自体は大丈夫ですが、トンビやカラスに食べられる可能性があるので、襲われないよう気をつけてください。それから……」
「それから……?」
「毎年、隣の県の小学生が修学旅行にやってくるんですけど、『あの石像を怒らせると呪われる』なんて噂していて……大丈夫だとは思いますが、くれぐれも神さまに失礼がないようにしてくださいね」
(……それって、もしかしなくてもあたしの母校なんじゃ……?)
と、雷華は密かに冷や汗を流す。
「ちなみに……その噂になっている『呪い』って、どんな内容なんですか?」
雷華の問いに、巫女服の女性は、口の横に手を添えると、
「『好きな人の言葉を全て否定してしまう』という、恐ろしい呪いだそうです」
こそっと、耳打ちするように囁いた。
やはり『否定の呪い』だ。
異性をもれなく否定してしまう自分のものとは少し違うが、時が経ち、呪いの性質が変わったのだろうか?
いずれにせよ、後輩たちの間でも噂になるくらいだから、もしかすると自分以外にも呪われた生徒がいたのかもしれない。
呪いは本物。
またかかることがないよう、細心の注意を払わなくては……
なんて、自身が後輩たちの語り草になっているだけとも知らず、雷華はより緊張を高める。
そうして女性に礼を述べ、雷華は表情を一層硬くし、海斗たちのところへ戻った──
……などというやり取りがあったとは、言えるはずもなく。
(言えない……だってこいつを否定しちゃうってことは、つまりあたしは、こいつを……!)
ぼっ、と顔から湯気を噴き出す雷華。
彼女もまた、こうした事態に陥って初めて自分の気持ちに気付いたのだった。
百面相する雷華に、海斗は「大丈夫か?」と声をかけるが……
「……大丈夫じゃないっ!」
と、やはり否定した。
その様子を、未空と翠はジトッと見つめ……やはり、あの日のことを思い出していた。
──実はあの登山の日、未空と翠は事前に打ち合わせをし、海斗と雷華の二人だけで『儀式』に向かわせることに決めていた。
翠が転倒したのは演技。
それに付き添うことを未空が名乗り出たのも演技だ。
何故なら二人は、海斗が雷華を想う気持ちに気付いていたから。
このまま呪いを解いて、雷華と疎遠になるのは惜しいと思った。
だから、海斗に自分の気持ちを自覚させ、二人きりの時間を作り、どう動くか見守ろうと考えたのだ。
二人は、海斗と雷華の後をこっそり尾け、『儀式』の一部始終を盗み見ていた。
もちろん、海斗が告白したことも知っている。
その後の顛末も、全て実際に目にした。
「『……って、言ったらどうする?』は、ないよね」
「うん、ない。温森くん、ヘタレすぎ」
茂みの陰から垣間見た海斗の残念な告白に、首を振る未空と翠。
そんな中途半端な告白と、再び石像の頭を落としてしまうアクシデントが重なり……
結果、雷華は海斗にだけ素直になれなくなってしまったのだろうと、二人は予想していた。
好きだからこそ、素直になるのが恥ずかしくて、否定してしまう。
これもまた、恋愛における厄介な『呪い』なのである──
……要するに、雷華の否定は『肯定』の裏返しなのだということに、海斗だけが気付いていないのだ。
だから海斗は、これは新たな呪いではなく、単純に嫌われたから否定されているのではないかと、じわじわ傷付いているわけである。
「かわいそうな温森くん……でも、自業自得」
「仕方ないから、これからも私たちがフォローしてあげようね」
翠と未空はこそっと囁き合い、ぱっと二人から離れると、
「あー、緊張が解けた途端に、あの時捻った足首の古傷が痛み出したー」
「まぁ大変。私、翠ちゃんを保健室へ連れて行くから、二人で先にお昼食べててね」
棒読みすぎるセリフを残し、ササッと廊下の向こうへ去って行った。
「ちょ、待ってよ!」
雷華が引き止めるも、既に二人の姿はない。
残された海斗と雷華は、気まずい沈黙の中、廊下の隅に立ち尽くす。
すると、
「鮫島さん! 発表、すごくよかったよ!」
「商店街のこと、もっと詳しく教えてよ。今日、一緒に昼メシ食べない?」
クラスの男子たちが、雷華を取り囲むように一斉に群がって来た。
先ほどの発表で取っ付きにくさが一気に薄れたのだろう。競うように誘いかけてくる。
「えぇっと、そんないっぺんに話しかけられると困るというか……」
男子たちの猛アプローチに驚きつつも、以前のように頭ごなしには否定しない雷華。
その姿を見つめ……
海斗は何も言わずに、その場から離れた。
(……今日からまた、一人でパンの耳弁当を食べるとしよう)
こうなるのではないかと予想し、今日は弁当を用意していた。
それを持ち、海斗はいつもの中庭へと向かう。
雷華の呪いを解き、発表会で否定しない姿を見せ、クラスでの印象を変える。
海斗の立てた計画は、これ以上ないくらいに大成功を納めた。
そう。元よりそういう計画だった。
だから……
彼女の隣にいるのが自分じゃなくても、何も問題はない。
「…………」
告白したことを、後悔してはいなかった。
誰かに好意を抱き、それを伝えるということは、海斗にとって自分が変われたことの何よりの証明だから。
しかし……
『──そんな言い方じゃ…………ダメ』
あの時の、雷華の返答……
(……やっぱ別の言い方をしていたら、結果が違っていたかもしれないのか……?!)
そんなことを考えては、頭を掻きむしりたくなるので、やはりそれなりに後悔しているかもしれなかった。
「……はぁ」
こうなったら、失恋から立ち直るおまじないでも探してみようか?
なんて、自嘲気味に考えた……その時。
「──海斗!!」
背後から、声がする。
出会った時からずっと、自分を否定し続ける、可憐な声。
その声が……初めて、自分の名前を呼んだ。
驚きながら振り返ると、声の主──雷華が真っ直ぐに駆けて来て、
「もう、置いて行かないでよ! 抜け出して来るの大変だったんだから!」
そう言って、持っていたパン入りのトートバッグをドンと押し付けた。
それを受け取りながら、海斗はぽかんと口を開ける。
「……え」
「え?」
「もう、一緒に食べないんじゃないのか?」
「はぁ? そんなこと誰も言っていないでしょ? これからもパン持って来るから、残さずぜんぶ食べなさい!」
なんて、さも当然かのように答えるので……
海斗は、拍子抜けしたような、心底安堵したような奇妙な感覚に襲われ、笑い出す。
「なっ、なに笑ってんのよ」
「いや……嬉しいなと思って。鮫島とは、もう一緒にいられないと思ったから」
嘘偽りのない、素直な気持ちを口にする。
と、雷華は顔を赤く染めて、
「……離れるわけないでしょ。まだ『呪い』は解け切っていないんだし、あんたにはこれからもいろいろと協力してもらうんだから。それに……」
きゅっ……と、スカートの裾を強く握りしめ、
「……あたしがどんなに否定しても、その……好きでいてくれるんでしょ? だったら、『否定の呪い』が解けるまで……ずっと側にいなさいよ」
そう、恥ずかしさに耐えるように、言った。
その潤んだ上目遣いに、海斗は……愛おしさが堪らなく込み上げてきて。
「……わかった。鮫島の『呪い』が解けるまで側にいる。何なら、ずっと解けなくてもいいぞ」
なんて本音混じりに答えると、雷華が「それはダメっ!」とすかさず否定した。
海斗は、「冗談だ」と笑い返す。
そして、
「いつか、鮫島の『呪い』が解けたら……もう一度、俺の気持ちを伝えるから。それまでは、『鮫島の呪いを解き隊』の隊員その一でいさせてくれないか?」
雷華の目を見つめ、真っ直ぐに伝えた。
彼女は、大きな瞳をさらに大きく見開くと……
ぷいっと、そっぽを向いて、
「勝手に部隊名決めないでよ、もう……好きにすれば?」
唇を尖らせ、呟くように答えた。
海斗はほっと息を吐き、トートバッグの中を見る。
今日も今日とて、美味しそうなパンが食べ切れないほど入っていた。
「お、もしかしてこれは、新作のさめパン・クリームメロン味じゃないか? 食べてみたかったんだ。もらってもいいか?」
「だめっ」
「そうか。なら、こっちのチーズグラタンパンは?」
「それもだめっ!」
「じゃあ、どれなら食べていいんだ?」
「知らないわよ! 好きなの選べばいいじゃない!」
「むう……」
という、いつもの不毛なやり取りをして。
二人は、否定と肯定を繰り返しながら、今日も共にパンを頬張るのだった。
-完-