滝の水をなんとか確保し、四人は日暮れと共に宿泊する宿に着いた。
レトロな雰囲気が漂う、古民家のような宿だった。
古い民宿をリノベーションしたらしく、どこか懐かしい味わいを残しつつ、水回りなどは最新の設備に改修されている。
未空の知人である女性オーナーに案内され、四人は二階の部屋へ通された。畳の香りがする、広い和室だ。
「……って、これ、四人一部屋ってこと……?」
雷華が口の端をひくつかせるが、女性オーナーがすかさず説明する。
「元々、二部屋に分かれていたのをリノベーションして一部屋にしたのよ。真ん中が襖で仕切れるようになっているから、必要に応じて使い分けてみて」
「なるほど。くつろぐ時は一つの大部屋として、着替えや寝る時は部屋を分けることができるんですね。確かに、男女の団体のお客さまにはいいかも」
襖を開け閉めしながら、未空が感心したように言う。
海斗としても、部屋が仕切れるのは有り難い限りだった。いくら彼が超理性的な男子であっても、年頃の男女が完全に同じ部屋で寝泊まりするのは何かと問題である。
しかし、そんな凝った造りの部屋を堪能する前に、
「と、とりあえず、お風呂に入りたい……」
滝に濡れ、まだ服が乾き切っていない雷華が、震えながら言う。それには、同じく濡れたままの海斗も全面的に同意であった。
「あはは。それじゃあ夕飯前に、まずはお風呂を済ませようか」
未空の提案により、四人は大浴場へ向かい、それぞれ身体を温めることにした。
「──美味しかったぁ! ご馳走さまでした!」
宿の浴衣に着替えた雷華が、幸せそうに腹を押さえる。
温泉で温まり、夕食を食べ終えた四人は、食堂を出て二階の部屋へ戻ろうとする、と、
「未空ちゃんたち、よかったら手持ち花火やらない? 昨日まで宿泊していた団体のお客さんが残していったものなんだけど……」
と、宿のオーナーが声をかけてきた。
未空が答えるより早く、雷華が「やるやるっ!」と二つ返事をしたので、そのまま宿の庭へ向かうことになった。
縁側から庭に出ると、外気は少しひんやりしていた。夜の暗がりの中、小さな池の周りに紫陽花が咲いているのがぼんやりと見える。
天上を見上げると、無数の星が空いっぱいに瞬いていた。ここは座橋市の中でも山の方なので、人工の明かりが少ない分、星が良く見えた。
「こういう花火、すごく久しぶり」
「あたしも!」
言いながら、翠と雷華は手持ち花火の先に火を灯す。
白い煙を上げ、眩く発光する花火。雷華は両手に一本ずつ持ち、大はしゃぎでぐるぐると回る。
その横で、翠は空中に花火で猫の形を描いていた。
「あはは、二人とも楽しそう。ウチみたいな厳かな雰囲気の旅館もいいけど、こういう自由で気取らないお宿もいいよねぇ」
海斗の隣にしゃがみながら、未空が言う。
そして、手にした線香花火を差し出すので、海斗はそれを受け取った。
「そうだな。小ぢんまりとしている分、客との距離も近い気がする。……弓弦は、将来自分が営む宿を、どういう雰囲気にしたいんだ?」
「うーん、まだ迷ってる。だから、これからもいろんなお宿を見て回りたいんだ。日本だけじゃなく海外にも行って、たくさん勉強するつもり」
「そうか……見つかるといいな。弓弦が理想とする宿のイメージ」
そう話しながら、二人は線香花火に火を灯す。オレンジ色の光が、小さな太陽のようにパチパチと弾けた。
「……ありがとうね」
未空は、花火にはしゃぐ雷華を眺めながら、海斗に言う。
「今日の雷華、ずっと楽しそうだった。翠ちゃんもこういう旅行って初めてなんじゃないかな。もちろん私もすごく楽しかった。ぜんぶ温森くんが企画してくれたお陰。本当にありがとう」
「いや、礼を述べるのは俺の方だ。弓弦や八千草の協力がなければ、この旅は実現不可能だった。それに、まだ終わっていない。本番は……明日だからな」
「そうだね……明日、雷華の呪いが解けるんだよね。やっと……やっとあのコを、自由にしてあげられる」
二人が持つ線香花火が、丸い玉を作り、淡い光を放ち始める。
その様を見つめながら、海斗が、静かな声で尋ねる。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「ん?」
「鮫島は、今もまだ……『ふみくん』のことが、好きなんだろうか?」
未空は、驚いたように海斗の方を見る。
海斗は、「いや」と続けて、
「呪いが解けて、異性と素直に話せるようになったら……『ふみくん』からの告白の返事をやり直せるんじゃないか、と思ったんだ」
平坦な声で言う海斗の顔を、未空はじっと見つめる。
そして、
「仮に、告白のやり直しができるとして……温森くんは、それでいいの?」
花火の音に紛れるように、そう尋ねた。
まただ。
翠に続き、未空にまで『それでいいのか』と尋ねられてしまった。
いいに決まっている。
雷華は、『イエスマンの呪い』を解いてくれた恩人だ。
明るくて無邪気で、友だち想いな彼女に自分らしく生きてほしいから、『否定の呪い』を解くと決めた。
その結果、彼女が好きな人と結ばれるのなら……これ以上に嬉しいことはない。
そう、強く思っているはずなのに。
「…………」
雷華が誰かと結ばれることを想像すると……何故か、胸の奥で黒い靄のようなものが生まれた。
それが何なのか、追求してはいけない気がした。
気付いてしまえば、呪いを解くという決意が揺らぎそうで……
自己中心的な人間になってしまいそうで、怖かった。
だから、
「……鮫島がそれを望むなら、そうすべきだと思う。俺がとやかく言えることではない」
そう、自分に言い聞かせるように答えた。
弾ける線香花火を静かに見つめる海斗。
その横顔に、未空はぽつりと投げかける。
「……温森くんは、もっと我儘になってもいいと思う」
「……え?」
「まさかとは思うけど、雷華の呪いが解けて、課題の発表が終わったら、雷華との関わりも終わりだなんて思っていないよね? 他の男子と仲良くなってもらうために、自分は距離を置くべきとか、そんな風に考えていないよね?」
「それは……」
「勝手に遠慮して、勝手に離れていくなんて……それじゃあ、こないだまでの私と同じじゃない。温森くんは、どうしたいの?」
「……俺が、どうしたいのか?」
「そうだよ。言っておくけど、雷華の中にはもうふみくんへの想いはないよ。だから、何も遠慮する必要はない。温森くんは……雷華と、どうなりたいの?」
真っ直ぐに突き付けられたその問いに、海斗は……すぐに答えることができず。
「──見て見て! この花火すごいよ、途中で色が変わるの! ほら!」
答えが出ないまま、海斗の思考は楽しげに駆け寄る雷華の声に遮られた。
無邪気に笑う、浴衣姿の雷華。
その手に握られた花火が、赤から青に色を変える。
その美しさに、海斗は思わず見惚れ……
ずっと見ていたいと、思わずにはいられなくて。
「……本当だ。すごく、綺麗だな」
そう口にした時、彼の線香花火の玉が、静かに地面へ落ちた。