──そして、二週間後の土曜日。
 雷華の呪いを解くべく、座橋市へ赴くその日がやってきた。


(……泊まりがけで出かけるのなんて、何年ぶりだろう)

 待ち合わせ場所であるターミナル駅に降り立ち、海斗は考える。
 記憶が確かなら、両親が存命だった小学一年の夏休みが最後だったはずだ。

 さらに言えば、友人同士で……それも、同級生の女子と旅行に行くのはこれが初めてである。
 年頃の男子ならば気持ちが浮つくのが普通なのだろうが、海斗の胸は戦地に赴く軍人の如く、緊張感と使命感に溢れていた。

(……よし。約束の三十分前に着いた。予定通りだ)

 改札を抜け、待ち合わせ場所へと向かいながら、海斗はスマホで時刻を確認する。

 他の三人とは、駅の中央広場で待ち合わせをしていた。
 連休でもない普通の土曜日だが、新幹線が発着するターミナル駅なだけあって、構内は大勢の人でごった返している。

 だからこそ海斗は、誰よりも早く待ち合わせ場所に着き、待機すると決めていた。
 三人とも立っているだけで声をかけられるような美少女だが、特に雷華はナンパ男の言葉を全否定し、トラブルを起こす可能性がある。極力一人にはしたくなかった。

 そもそも、ここへ来るまでにナンパされていなければいいが……

 ……と、海斗が考えていると、


「──はぁ? あんたたちになんかついて行くわけないでしょ?」


 今まさに想像した否定の声が聞こえ、海斗はうんうんと頷く。

「そうそう。そうやってナンパ男たちをキツく否定して……って、え?」

 声がした方に目を向けると……雷華が、男たちと対峙していた。
 自分より先に雷華が来ていたことに驚きつつ、海斗は状況を確認する。

 大学生だろうか。派手な見た目の三人組が、壁際に立つ雷華を囲むように立ち、ヘラヘラした笑みで見下ろしていた。

「えぇー? 俺たちと遊ぶの、そんなにイヤ?」
「イヤじゃない!」
「じゃあいいじゃん。一緒に行こ?」
「行かない!」
「何このコ。さっきから言ってることめちゃくちゃなんだけど。ウケる」
「顔は良いけど中身は不思議ちゃん的な? 面白いね」

 やはりナンパのようだ。
 聞こえてきた男たち言葉に、海斗は……自分の身体が、静かに熱を持ち始めるのを感じる。
 そして、

「──俺の連れに、何か用か?」

 自分でも聞いたことのないような低い声で、男たちに呼びかけた。
 三人組は、顔を顰めながら振り返る。

「なにお前。このコの知り合い?」
「冴えないツラして、まさかこんなのが彼氏じゃないよな?」

 ケラケラと笑う三人。
 それまで強気な表情でいた雷華だが、海斗を見て安堵したのか、泣きそうな顔をする。口では否定しているが、本当は怖くて堪らなかったのだろう。

 その表情に気付いた瞬間……
 海斗の中の何かが、切れた。

 そのまま、男の肩を掴んで引き離し、雷華を護るようにして立ち塞がる。

「彼氏ではない。友人……いや、隊員だ」
「はぁ? よくわかんねーけど、このコぶっちゃけ中身が残念系じゃない? 俺たち大人がしっかり矯正してやるから、ちょっと貸しなよ」

 ツンと鼻を刺す、酒の香り。朝から酔っているらしい。
 海斗は鋭い視線で男を見据えると、やはり低い声で答える。

「……失せろ」
「は?」
「彼女は、今のままで充分魅力的だ。お前らみたいな連中に矯正される必要はない。お引き取り願う」

 きっぱりと言い切る海斗の後ろで、雷華は頬を染め、息を止めた。
 まったく動じる様子のない海斗に、男たちは苛立ちを露わにする。

「あぁ? ガキがイキッてんじゃねーよ。いいから早くその女よこしな」
「……冷静な話し合いは無理か。仕方ない。こうなったら……」

 ──すっ。
 と、海斗は人さし指を立て、

「……おまじないに頼るしかないな」

 そう言い放った。
 男たちが「ハァ?」と顔を顰めるが、海斗は答えずに目の前にいる男のパーカーの紐を左右とも引っ張る。
 そして、それを自分のパーカーの紐と結び合わせると……


「──らぶりんめろりん・らんらんぷぅ☆」


 裏声で、可愛らしく呪文を唱えた。
 瞬間、男たちだけでなく、雷華までもが凍り付く。

 海斗は、穏やかな笑みを浮かべると、

「……これで、俺たちは結ばれたはずだ」
「へ?」
「感じないか? 俺との間に、赤い糸が繋がっていることを……」
「な、何言ってんだお前?」

 引き気味の男に、海斗はにこっと微笑み、

「今かけたのは、両想いになれるおまじないだ。実は、ひと目見た時から、あなたのことを『いいな』と思っていた。彼女ではなく、俺を遊びに連れて行ってくれないか……?」

 うっとりした表情で言うので……
 男は慌ててパーカーの紐を振り解き、額に青筋を立てる。

「こいつ、マジでヤベーやつじゃん!」
「気持ち悪っ。早く行こうぜ!」

 口々に言いながら、男たちは逃げるようにその場を去って行った。

 すっかり見えなくなったことを確認し、海斗は息を吐く。

「……ふぅ」
「ふぅ、じゃないわよ。この変態おまじない男」

 振り返ると、雷華が腰に手を当て、ジトッとした目で海斗を見上げていた。
 怯えた表情が消えたことを確認しつつ、海斗は肩をすくめる。

「おまじないのお陰で平和的に解決できたというのに、酷い言い草だな」
「ぜんぜん平和的じゃないわよ。ただキモがられただけじゃない」
「俺はあいつらが鮫島にしたのと同じことをしたまでだ。見も知らぬ相手に無遠慮に距離を詰め、連れて行こうとするなんて……己がどれだけ気持ち悪いことをしているのか、これで思い知ったことだろう」

 言いながら、海斗は自分の身体から熱が引いていくのを感じる。
 雷華を侮辱され、相当頭に血が上っていたらしい。これほどまでの怒りを覚えるのは、人生で初めてだった。

 もう一度息を吐き、気持ちを落ち着かせながら、海斗は言う。

「まぁ……とにかく、鮫島が無事でよかった」
「よくないわよ、ぜんぜん」
「確かに、俺がもっと早く来ていれば、鮫島に嫌な思いをさせることもなかった。悪かった」
「別に……あんたは悪くないでしょ」
「鮫島は楽しみな用事があると、異様に早く行動するもんな。これまでだって、朝イチで俺の家に来ることがしばしばあったし……その習性を考えれば、三十分前では遅すぎた」
「はぁ?! そんなことないし! ってか習性って言うな!」
「今後こういう機会があったら迎えに行かせてくれ。家を出るところから一緒に行動しよう。でないと、いつどのタイミングでナンパされるかわかったものではない」
「却下! なんであんたと一緒に行動しなきゃいけないのよ!」
「心配だからに決まっているだろう」
「心配とかいらないから! 余計なお世話!」
「……すまん、図々しい申し出だった。これでは、さっきの男たちと変わらないな」
「ちがっ……そういう意味じゃ……!」
「やはり弓弦に協力してもらおう。女子だけなのは不安だが、一人でいるよりは……」
「だから、違うってば!」

 雷華の必死の否定が、海斗の言葉を遮る。
 海斗が驚いて見つめると、雷華は頬を赤く染め、


「あんたは、他の男とは……ぜんぜん、違うわよ。だから別に……一緒にいるのが、イヤってわけじゃ……」


 目を泳がせながら、か細い声でそう言った。
 そのセリフと表情に、海斗の鼓動が加速する。

 ……わかっている。
 これは、呪いに則って、否定を返しているだけ。

 そう自分に言い聞かせるが……
 これがもし、彼女の本心だったなら……なんて、考えそうになって。

 何と返すべきかわからなくなり、そのまま雷華と見つめ合っていると……


 ──ピロン。


 ……という電子音が、横から聞こえた。

 見れば、いつの間にかすぐ側に翠が立っており、スマホのカメラを向け、二人をビデオ撮影していた。
 その隣には、ニヤニヤと笑う未空もいる。

「ちょっ……来てるなら声かけなさいよ!」
「いやぁ、ちょうど今着いたんだけど、なんか声かけちゃいけない雰囲気かなーと思って」
「……いい資料が撮れた」
「なんの?!」

 ニヤつく未空と、カメラを向けたままの翠に、雷華が犬歯を露わにしてツッコむ。

「あぁもうっ、とりあえず全員集合ね。じゃあ、さっさと駅弁買いに行くわよ!」

 赤い顔を誤魔化すように歩き始める雷華を、未空が「待ってよー」と追う。
 海斗は、妙な場面を二人に見られた気恥ずかしさと、未だ胸を打つ鼓動に、小さくため息をつく。
 そして、残された翠と共に、雷華たちの後へ続いた。

「……呪いが解ければ、ナンパが拗れることもなくなると思う」

 ふと、隣を歩く翠が口にしたそのセリフに、海斗はハッとなる。
 確かに、呪いが無事に解ければ、異性とのやり取りがあそこまで拗れることはなくなる。
 海斗がわざわざ家から同行し、雷華を護る必要などなくなるのだ。

「そうだな……むしろそのために呪いを解きに行くっていうのに……重ね重ね恥ずかしい。というか、どこから聞いていたんだ?」
「それどころか、呪いが解けた途端に恋人ができるかも。そしたら温森くんは、お役御免だね」

 海斗の質問を無視して言う翠。
 その指摘に……海斗の胸が、少し騒つく。

「……温森くんは、それでよかったの?」
「え?」
「呪いが解けたら、雷華ちゃんは温森くん以外の男の子とも仲良くなる。それでもいいのかな、って……ここまで来てする話じゃないかもしれないけど」

 それを聞き、海斗は雷華の背中を見つめ……彼女に、恋人ができることを想像する。

 想像の中の雷華は……
 とても嬉しそうに、笑っていた。

「……いいに決まっているだろ。俺は鮫島に、何も気負うことなく、友だちや好きな人を作ってほしい。そのために、呪いを解きに行くんだ」
「でも、温森くんのお陰でこのツアーが企画されたことすら雷華ちゃんは知らないんだよ? それって、なんかこう……寂しくない?」
「別に感謝されたくてやっているわけじゃない。これは恩返しなんだ。見返りなんて、最初から求めてはいない」
「……温森くん、いい男だね。でも、損するタイプ」

 じっと見上げ、翠が言う。
 しかし海斗は、自嘲するように笑って、

「いい男なんかじゃない。俺は……ただの『変態おまじない男』だからな」

 そう、茶化すように返した。