その日の放課後。
海斗たち四人は、いつものように教室に残り、発表の準備を進めた。
普段はうるさいくらいによく喋る雷華だが、今日は借りてきた猫のように大人しい。
皆で話し合いをしている間も、何かを考え込むように虚空を見つめていた。
その様を見て、海斗と未空は、翠からのアプローチが上手くいったことを悟る。
「(でかしたぞ、八千草)」
「(ぴーす)」
海斗は視線とジェスチャーだけで、翠と意思疎通を図る。
そして、
「(第二波、頼んだぞ。弓弦)」
という視線を、今度は未空に送った。
彼女はそれを正しく受け止め、
「(任せて。予定通り、今日の帰りに仕掛けるよ)」
という意思を視線に込め、落ち着いた表情で頷いた。
「──発表の準備も、いよいよ大詰めってかんじだね」
学校を出て、海斗や翠と別れた後。
未空は隣を歩く雷華に、そう切り出した。
「発表の後はすぐ期末テストで、それが終わればもう夏休みかぁ。翠ちゃんや温森くんと同じグループでいられるのもあと少し……そう思うと、ちょっと寂しいね」
未空は、雷華の顔を覗き込む。
すると雷華は、
「で、でも同じクラスだし、これからもパン持ってくるからお昼一緒に食べるし、放課後だって遊ぶんだから……別に寂しくないわよ」
と、必死に否定する。
よっぽど海斗や翠と離れたくないらしい。
雷華にそのような友人ができたことを、未空は純粋に嬉しく思う。
こんなにも人との繋がりを求めているというのに、自分が呪いをかけてしまったせいで、雷華は恋をすることも、友だちを作ることもできなくなってしまった。
雷華を自由にしてあげたい。
心のままに恋愛をして、友だちをたくさん作って、笑っていてほしい。
だから……彼女にかけた呪いは、絶対に解いてみせる。
未空は意を決し、用意したシナリオへと進んでいく。
「そうだよね、これからも一緒にいるんだから、寂しくはないか」
「そうよ。もちろん、未空とも一緒だからね!」
「あはは、ありがとう。心配しなくても、もう雷華から離れようなんて思っていないよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。その証拠に……脱『二番目』のための具体的な行動を起こしたんだから」
「なになに? なにをしたの?」
目を輝かせ、興味津々で尋ねる雷華。
未空は微笑み、少しあらたまった声音で答える。
「……将来、女将として良いお宿をつくるために、今からいろんな旅館を見て、勉強することにしたの。よかったら、雷華も一緒に来てくれないかな?」
言って、未空は……海斗たちとの作戦会議を、脳内で振り返った。
* * * *
「──八千草が『信憑性』を伝えたとして、それだけでは儀式に踏み切らない可能性が高い。そこで効いてくるのが、弓弦から仕掛ける『必然性』だ」
海斗が言わんとしていることを理解し、未空が補足する。
「つまり……『深水神社』に向かうための理由を他にも作る、ってことだね」
「その通り。トラウマや遠出の手間などを理由に、鮫島は神社へ赴くことを躊躇するかもしれない。だから、自分の呪いを解くこと以外の、別の理由を与えるんだ。鮫島は、『自分のため』よりも『誰かのため』である方が、積極的に動くだろうからな」
「さすが温森くん。雷華のこと、よくわかっているね」
「……身に覚えがあるだけだ」
海斗のその言葉に、未空は家の前に掲げられた『温森』の表札を思い浮かべる。
雷華がお節介で作った、彼の名字の表札……『誰かのため』を思った時の雷華の異常とも言える行動力を、海斗は身をもって知っているのだ。
「……で。私をダシにして、あのコのお節介な性格を利用しようと考えているんだね」
「そうだ。この案は、俺が勝手に考えたことだから……弓弦が不快に思うなら、拒否してくれて構わない」
「……どんな案なの?」
未空は声に緊張を孕ませ、尋ねる。
海斗は、その視線を真っ直ぐに受け止めると、
「……『女将になるという夢のために、今からいろんな旅館を見て勉強しておきたいから同行してほしい』と、鮫島を誘って欲しいんだ」
そう、答えた。
目を見開く未空に、海斗は続ける。
「それが、鮫島にとって座橋市へ赴くための最も必然的な理由になるはずだ。弓弦の夢のためなら、鮫島はきっと、なんでもするからな」
「それは……確かに、雷華ならついて来てくれるだろうね。何せ、私に夢を再認識させたのは、他でもないあのコなんだから」
「弓弦の夢を利用するような提案をしてすまない。気が進まなければ、他の案を考える」
「ううん。これ以上の案はないよ。実は私も、いろんな旅館を見てみたいと思っていたんだ。こないだ親に『女将になりたい』って打ち明けたら、『良いサービスをたくさん見て学べ』って言われたしね。って、実は私のことまで考えてくれていたんでしょ? 温森くん」
未空が悪戯っぽく尋ねると……海斗は小さく微笑むのみで、否定はしなかった。
未空にとっても、ありがたい提案であった。
遅かれ早かれ、いろんな宿を巡ってみたいと考えていたから。
それが雷華を座橋市に連れ出す口実になるなら、一石二鳥だ。
「座橋市には、昔うちの旅館で働いていた人が立ち上げたお宿があるんだ。親に頼んで連絡すれば泊まらせてもらえると思う。使わない手はないよ」
「それはありがたい。最短でいつなら宿泊が可能なのか、確認を頼んでもいいか?」
「もちろん。今日帰ったら、早速聞いてみる」
「ありがとう。このシナリオが上手くいけば、鮫島を『深水神社』へ連れて行くことができる」
「そしたら……雷華ちゃんの呪いを解く儀式ができる」
海斗の言葉を継ぐように、翠が言う。
未空は、二人と確認し合うように、しっかりと頷いた。
* * * *
「──いろんな旅館を見に……? 行く行く! もちろん一緒に行くよ!」
思った通り、未空の誘いに、雷華は二つ返事で答えた。
が、問題はここから。
『何処へ行くのか』という部分が重要だ。
「ありがとう。雷華がいてくれると心強いよ。今考えているのは、昔『つるや旅館』で働いていた人がオーナーになって立ち上げたお宿でね。座橋市にあるんだけど……」
「……え」
雷華の表情が、一瞬曇る。
しかし、ここで引いてはいけないと、未空は心を鬼にする。
「ごめん。雷華にとって、嫌な思い出がある土地だとわかっているんだけど……だからこそ、楽しい思い出で塗り替えられたらな、なんて思っていて……」
それは、決して嘘ではなかった。
楽しいはずの修学旅行を辛い思い出にしてしまったことを、未空はずっと悔やんでいた。
だから、海斗や翠と一緒に、修学旅行のやり直しができれば……楽しい思い出で上書きすることができればと考えていたのだ。
「私、もう一度雷華と修学旅行がしたい。私の勉強も兼ねて、一緒に行ってくれないかな」
我ながら狡い言い方だと思いながら、未空は雷華の目を見つめ、言う。
雷華は、少し俯いたのち……未空と視線を合わせて、
「……実はあたしも、もう一度あの場所へ行こうと思っていたの。翠が、呪いを解く方法を知ってて……そのためには、あの神社へ行かなきゃならないって言われたから」
まだ迷いのある瞳で、そう答えた。
もちろん未空は知っているが、初めて聞いたように驚いてみせる。
「呪いを解く方法? 翠ちゃんが?」
「そう。そのお陰で、翠は視力が戻ったんだって。試す価値はあると思う」
「そっか……確かに、私の旅館見学と合わせて呪いを解きに行けるなら一石二鳥だけど……雷華は、それでいいの?」
未空は、そう質す。
「行こう」と強引に誘うこともできた。
雷華の呪いを解くための作戦なのだから、むしろそうすべき場面なのかもしれない。
しかし、やはり最後は雷華自身の意志を尊重したいと、未空は考えた。
「雷華が呪いを解きたいと願うのなら、私も協力する。でも、迷いがあるのなら、今は行くべきじゃない。本当に、行っても大丈夫?」
最後の決断を、雷華に委ねる。
雷華は、一度目を伏せ……再び開けると、
「……うん。行きたい。ちょっと怖いけど、未空が一緒なら大丈夫。あたしの呪いを解くのに、協力してほしい」
そう、真っ直ぐに言った。
それを聞いて、未空もようやく覚悟が決まったような気持ちになった。
本当は未空も、あの場所に行くのが怖かったのかもしれない。
だが、雷華自身がそれを望むのなら……もう、迷いはなかった。
「……わかった。それじゃあ、なるべく早く泊まれるよう掛け合ってみるよ。善は急げ、って言うしね」
未空は雷華の瞳を見据え、力強く頷いた。