「……どういう、意味だよ……?」


 海斗は、掠れた声で聞き返す。

 異性の言葉を悉く否定してしまう、『否定の呪い』。
 それを雷華にかけたのが、未空だとは……俄かに信じ難い話だった。

「……詳しく、話して。ゆっくりでいいから」

 未空を落ち着かせるように、翠が言う。
 未空は、一度深呼吸をしてから……順を追うように語り始めた。

「……雷華が呪いにかかったのは、小学六年の修学旅行の時。レクリエーションの一環で、私たちは山の頂上にある深水(みすみ)神社を訪れた。そこには縁結びの女神様が祀られていて、石像の前で告白すると恋が実るって云われていたの。だから、噂を信じた生徒が好きな人に告白するのが、毎年の恒例行事になっていた」
「ここまでは、前に聞いた通りだな」
「うん。実は、私と雷華ともう一人、なおちゃんっていう仲のいい女の子がいて、レクリエーションはこの三人で班を組んでいたんだ。神社を目指して山を登っている時、なおちゃんが言ったの。同じクラスのふみくんが好きだから、神社に着いたら告白しようと思う、って」

 そこで、未空は小さく息を吐き……静かに目を伏せる。

「ふみくんは、クラスでは目立つ方ではなかったけど、優しくて落ち着いた雰囲気の子で……雷華が、密かに想いを寄せていた男の子だった」

 海斗は思わず目を見開く。
 未空は、小さく微笑み、

「雷華の口から聞いたわけではないけどね。でも、あの子ってわかりやすいじゃない? ふみくんに気があるってことは、普段の態度から一目瞭然だった」
「それで……雷華ちゃんは、なおちゃんになんて返したの?」

 翠が、恐る恐る尋ねる。
 それに、未空は視線を落とし、

「……『頑張ってね、応援してる!』って、迷いなく答えてた。雷華は、自分の恋心よりも友情を取ったの。それで、私と雷華の二人で、なおちゃんの告白を見守ることになった」
「そんな……」
「私も、『いいの?』とは聞けなかった。雷華の気持ちを直接聞いたわけではなかったし、あの頃から友だちを大切にする世話好きだったから、雷華らしいなって思うことしかできなかった。けど……今思えば、あの時私が動いていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない」

 ぎゅ……っと、拳を握りしめる未空。
 その表情には、強い後悔が滲んでいる。

「……そうして、私たちは神社へ辿り着いた。例の石像は、本殿の裏手にぽつんと建っていて、みんな『誰か告白するのかな』ってそわそわしてた。なおちゃんは、その雰囲気に緊張してしまって、『ちょっと気持ちを落ち着かせてくる』って私たちから離れた。その時、ふみくんがこちらに近付いてきて……雷華のことを、呼び出したの」
「まさか……」

 その理由に予想がつき、海斗が呟く。
 未空は小さく頷き、

「ふみくんは、雷華を石像の前に連れて行って……雷華に、告白をした。『ずっと好きだった』って。雷華とふみくんは、両想いだったんだよ」
「やっぱり……しかし、素直に喜べる状況じゃなかったわけだ」
「そう。雷華は、すごく戸惑った。告白は嬉しいけど、ふみくんはなおちゃんの好きな人で、この後なおちゃんは告白するつもりでいる。だから、どう答えればいいかわからなくなって、ふみくんから逃げるように後退りをした。その時……石像にぶつかって、その頭がゴロッと落ちてしまったの」

 それが、石像を壊した経緯。
 しかし、呪いはその祟りによるものではなく、未空がかけたものだと言う。

 彼女の話がいよいよ真相に近付いていることを悟り、海斗は息を飲む。

「石像を壊したことに驚いて、雷華は尻もちをついた。それを見たふみくんが、『大丈夫?』って手を差し伸べたんだけど……雷華も極度のパニック状態にあったんだと思う。ふみくんの手を振り払って、『大丈夫じゃないわよ! あんたなんか大っ嫌い!』って、叫んでしまったの」

 海斗と翠は、言葉を失う。
 本音とは裏腹に異性の言葉を否定するその口調は、現在の雷華そのものだった。

「……ふみくんはショックを受けて走り去った。さらに事態が悪化したのはその後。戻って来たなおちゃんがふみくんに告白したんだけど、ふみくんはそれを断った。『雷華に大嫌いって振られたばかりで何も考えられない』って。なおちゃんは、『雷華のせいで振られた』と、雷華のことを泣きながら責め立てた。雷華は、好きな人の告白を酷い言葉で拒絶してしまったことと、大切な友だちを悲しませてしまった罪悪感に、何も言えなくなって、震えてた。だから……」

 きゅっ……と、未空は下唇を強く噛み締め、

「……私は、言ってしまったの。『雷華がふみくんに大嫌いって言ったのは、呪いのせいだ』って……『あの石像の首を落とすと、異性を否定しちゃう呪いにかかるんだ』って……ありもしない呪いをでっち上げて、雷華を庇おうとしたの」

 振り絞るように、事の真相を語った。


 つまり『否定の呪い』は……
 未空が、雷華を守るためについた『嘘』。


「……当然、なおちゃんはそんな話では納得してくれなかった。けど、雷華は……私がついた嘘を、すっかり信じてしまった。本当に呪いにかかったと思い込み、男の子からの言葉をすべて否定するようになった。あの子の『否定の呪い』は……ただの、『強すぎる思い込み』なの」

 未空は、息を吐きながら肩を落とし……全ての経緯を話し終えた。

 雷華が、異性からの言葉を否定してしまうのは、本人の『思い込み』のせい。

 普通に考えれば、あり得ない話だ。
 そんなことで異性との関係を拗らせているなんて、自分の首を絞めているだけである。

 しかし、『思い込み』というものが、時に人を呪いのように縛り付けるということを、海斗は痛い程に知っていた。

 海斗だけではない。翠も、未空も同じだ。
『自分はこういう人間なのだ』と思い込むことで、それ以上傷付かないようにしていた。

 雷華も、好きな人と友だちを傷付けたのは呪いのせいだと……そう思わないと、罪悪感で心が壊れてしまいそうだったから、自ら呪いにかかったのだろう。

「……それをきっかけに、雷華はクラスで孤立してしまった。なおちゃんが、クラスの女の子たちに『雷華のせいで告白が失敗した』と泣き付いたから……男子を否定してしまうことも相まって、雷華は『高慢で性格の悪い女』というレッテルを貼られてしまった」

 そう語る未空の顔が、涙にくしゃりと歪む。

「……私のせいなの。雷華が中学に入っても、ずっと独りぼっちだったのは……友だちも、好きな人を作ることも怖くなって、私としか話さなくなったのも……ぜんぶ、私が呪いをかけてしまったせい。雷華に『一番の理解者』だなんて言ってもらう資格、私には、ないんだよ……っ」

 声を震わせ、しゃくり上げるその背中を、翠が優しく摩る。

「み、未空ちゃんのせいじゃないよ。未空ちゃんは、雷華ちゃんを庇おうとしただけじゃん」
「あぁ。弓弦は悪くない。というか、誰も悪くない話だ。悪意を持っていた人間は、誰一人としていなかったのだから」

 懸命に宥める翠に、海斗も同意する。
 強いて言えば、悪かったのはタイミングだろう。告白の順番が違っていたなら、こうはならなかったかもしれない。

 しかし未空は、首を振り、それを否定する。

「でも、私がそんなことを言わなければ、雷華はここまで苦しむことはなかった……中学の頃、雷華に正直に言ったことがあるの。あれは私が考えた『嘘の呪い』なんだって……だけど、雷華は信じてくれなかった。未空のせいじゃないって、自分には本当に呪いがかかっているからって、聞き入れてくれなくて……私、どうすればいいかわからなくて……っ」
「それで、この話を俺たちに打ち明けてくれたんだな」

 海斗の問いかけに、涙を溢しながら頷く未空。

 ずっと一人で悩んでいたのだろう。
 それを、今日ようやく人に打ち明けた。
 未空の性格を考えれば、とても勇気のいることだったに違いない。

 だから海斗は、安心させるように、穏やかな声で言う。

「大丈夫だ。弓弦が真実を話してくれたお陰で、鮫島の呪いを解く方法に光明が見えた」
「……光明?」
「あぁ。オカルト的な呪いじゃないのなら、やり方はいくらでもある。鮫島の思い込みを変えればいいんだ。『否定の呪い』を上回るような、新たな呪いを……『呪いが治る呪い』を、鮫島にかけるんだよ」

 それは、呪いの効果を打ち消すような『おまじない』をかけるという、翠が提唱した案の応用だった。
 雷華は、素直すぎるが故に思い込みが激しい。であれば、彼女が信じてしまうような新たな呪いで上書きすればいいのだ。

「でも……やっぱり、『あれは呪いじゃなくて私の嘘だった』って、もう一度伝えた方がいいんじゃないかな」

 未空が、涙に濡れた瞳で問う。
 しかし、海斗は異を唱える。

「それで信じてくれれば一番いいんだろうが……ただの思い込みで異性を否定していたと知れば、羞恥心でさらに意固地になる可能性がある」

 その上、未空を悪者にしないよう嘘を本当にしなければと、思い込みをより強くするかもしれない……という言葉は、口にせず胸の内で付け加える。

「鮫島の性格を考えても、この方法がベストだと思う。より信憑性のある『呪いを解く方法』を考えて、鮫島に提示しよう」
「でも、本に載っているようなおまじないじゃ信じてくれないし……どうやって信じさせればいいのかな」

 と、連休中に散々おまじないを試した翠が、困ったように言う。
 いくら信じやすい性格とはいえ、子ども騙しなやり方では通用しないことは実証済みだ。
 ならば、

「……もう一度、『深水(みすみ)神社』へ行く。そこで、鮫島の呪いを解く儀式をおこなう」
「儀式?」
「そう。こういうのは形が大事だ。石像にお供え物をするとか、呪文を唱えるとか、舞を踊るとか……鮫島が『ここまですれば本当に効果があるかも』と思えるような、大掛かりなシナリオを考えるんだよ」

 海斗の言葉に、未空と翠は顔を見合わせる。
 そして、

「……うん。あの子を変えるには、それくらいやらないと駄目かも」
「目には目を、歯には歯を。呪いには呪いを……わたしも、シナリオを一緒に考える」

 その瞳に決意を宿らせながら、頷いた。
 海斗も、二人に頷き返す。

「自然かつ必然で、信用するに足りるシナリオを考えるには、弓弦と八千草の協力が不可欠だ。少し時間をくれ。草案を用意するから、それに対する意見をもらいたい。目標は、発表会がある六月末までに完遂することだ」

 地域調査の発表会では、生徒からの質疑応答もある。
 それまでに異性を否定する呪いを解けば、男子生徒と普通に会話する雷華の姿を同級生に見せ付けることができる。

 つまり、『儀式』の決行までに残された時間はあと一ヶ月ほど。
 未空と翠も、海斗の意図を理解する。

「わかった。完成したら教えて。雷華に内緒で、この三人でまた集まろう」
「おぉ、なんか燃えてきた……雷華ちゃんの呪い、絶対に解いてあげたい」
「あぁ。俺たちで解こう。絶対に」

 三人は頷き合い、後日集まる約束をして……その日は解散した。