──『呪い』。
至極真面目な声音で放たれた、非現実的なワード。
クールで、ジョークとは無縁そうな未空が言うからこそ、そのセリフはより奇妙に聞こえた。
下手な冗談か、からかおうとしているのか。
誰が聞いてもそう感じるくらいに、それは突飛で、フィクションじみた話だった。
ありえない。『異性からの言葉を全て否定する』だなんて。漫画か何かの話か?
そう思うのが普通だろう。
しかし……この温森海斗という男は、
「へぇ、それは難儀な体質だな。昔からそうなのか?」
……と、まるで花粉症の話でもするかのような軽さで、そう返答した。
思わず目をぱちくりさせる未空。
その横で、雷華もぽかんと口を開ける。
「えっ……信じてくれるの?」
「あぁ。疑う理由がないからな」
「……びっくりした。こんなに素直に受け入れてくれる人、初めてだったから」
「悪い。恐らくこういうところが詐欺に遭う要因なのだろう」
「別に謝らなくていいよ。むしろ今回の場合は話がスムーズで助かる」
未空は一度雷華に目配せすると……海斗に、雷華の過去を語り始めた。
「雷華がこの呪いにかかったのは、小学六年の修学旅行の時。隣県の山林に宿泊した私たちは、レクリエーションの一環で、小高い山の頂上にある神社を目指すことになったの。その神社には縁結びの女神様が祀られていて、お社の裏にある石像の前で告白すると、恋が実るっていう噂があった。だけど……」
未空は、一度息を吐いて、
「……雷華は、その石像にぶつかって、頭を落としてしまったの。それ以来、このコは男子の言葉を否定することしかできなくなった」
「つまり……縁結びの神様を怒らせたがために、異性を拒絶するようになってしまった、ということか?」
「たぶんね」
ため息混じりに答える未空。
当人である雷華は、顔を背けていた。
「同性相手なら会話に問題はないし、異性相手でも雷華から話しかける分には否定形にならないんだけど……このコって見た目だけは可愛いから、男子から話しかけられちゃうんだよね。それらを悉く否定してしまうから、中学では『高慢女』のレッテルを張られていたの」
『見た目だけは』の部分で雷華の眉がぴくりと跳ねたが、その口から抗議の声は上がらなかった。未空の語る内容が、概ね事実であるということなのだろう。
「しかし……俺は今の鮫島との会話で、それほど否定されている感覚を覚えなかったけどな。『呪い』は常に発動しているわけではないのか?」
海斗が不思議そうに尋ねるが、未空は怪訝な表情で彼を見返す。
「……温森くん。それ、本気で言ってる?」
「え? 俺、何かおかしなこと言ってるか?」
「……やっぱり、無自覚だったんだね」
はぁ、と呆れたような、感心したようなため息をつく未空。
「雷華の『呪い』は、異性相手であればいつでも、誰にでも発動するものだよ。だからこそ、温森くんとのやり取りを見て驚いたの。雷華は確かに温森くんの言葉を否定した。けど、温森くんはそれをすべて肯定で返した。それを雷華がさらに否定することで、結果的に温森くんを肯定している会話内容になったんだよ」
「……すまない、少し整理させてくれ……要するに、鮫島の否定的な言葉を俺が肯定して、それを鮫島がさらに否定したから、最初の否定が打ち消された、ということか?」
「そう。こんなこと初めてだよ。だいたいの人は雷華と二、三回やり取りしたら、否定されすぎて怒り出すからね」
その言葉を聞き、海斗があらためて雷華を見つめると、ぷいっと顔を逸らされた。
未空が語るような経験をいくつもしてきたのだろう。その横顔には、どこか寂しさが感じられた。
「……大変だったんだな、今まで」
そう呟いてから、海斗は雷華の横顔に向けて言う。
「なりゆきで同じグループになったとはいえ、これも何かの縁だ。俺はいくら否定されようが何とも思わないから、これからも気にせず話しかけてくれ、鮫島」
穏やかな声で投げかけるが、雷華はやはり否定で返す。
「はぁ? 別にあんたと話すことなんてないし!」
「確かに、グループ活動以外では接点がないからな。出すぎたことを言って悪かった」
「悪くない! せっかく会話できる人に出会えたんだもん、ありがたく話させてもらうわよ!」
言ってから、雷華はハッと口を押さえる。
そして顔を赤らめながら、小さく縮こまった。
その横で、未空がくすりと笑う。
「……こんな感じで、口調だけは否定的だけど、ちゃんと本心を言っている時もあるんだよ。迷惑をかけるかもしれないけど、雷華と仲良くしてもらえると私も嬉しい」
まるで姉が妹にするように、雷華の頭を優しく撫でる未空。
そんな二人を海斗は見つめ、
「……あぁ、もちろんだ。こちらこそよろしく」
と、あらためて頷いた。
その時、下校時刻を告げる放送が流れ始めた。
未空は残念そうに肩を竦める。
「あぁ、結局調査テーマについては決まらなかったね。仕方ない、また明日話し合おう。……と、実はもう一人いるはずなんだよね、うちのグループ」
言いながら、未空は一つの席に目を向ける。
一学期初日から今日まで一度も登校していない、八千草翠の席だ。
「……彼女、大丈夫かな」
「せっかく同じグループになったんだし、発表までに顔を出してくれるといいな」
未空と海斗が、空の席を見つめていると、
「人の心配している場合じゃないでしょ? 早くテーマを決めないと発表に間に合わなくなるわ。あたしも案を考えてくるから、今週中には決められるようにしましょ。八千草翠がいつ合流してもいいようにね」
席を立ちながら、雷華が言う。
否定しておきながら、結局は八千草翠を気にかけている彼女の言葉に、海斗は「そうだな」と返し、つんと逸らしたその横顔を見つめた。
なし崩し的に決まった、活動行事のグループ。
一人は不登校。
一人はクールな優等生。
そしてもう一人は、異性の言葉を全否定してしまう呪われた美少女。
図らずも女子だらけのグループに属してしまったわけだが、まぁなんとかなるだろう。
これまでだって……何でも受け入れて生きて来たのだから。
……などとぼんやり考えていると、海斗の視線に気付いた雷華が頬を染め、
「なっ……ジロジロ見るな! 早く帰れ!」
愛らしい犬歯を剥き出しにし、否定的に怒鳴りつけた。