久しぶりに目にした子猫たちは、すっかり目も開き、ひと回り大きくなっていた。

 しかし、その成長に目を細めるのも束の間だった。

 海斗たちが到着した十分ほど後、里親になる人物が店を訪れた。
 若くて優しそうな女性だった。
 翠の伝手で、猫の保護活動をしている団体から紹介されて来たという。

 風子と二、三確認した後、『親方』と三匹の子猫はキャリーバッグの中へ丁寧に入れられた。
 それを、翠はじっと見下ろし、

「……ありがとう。あなたのおかげで、みんなと仲良くなれた。長生きしてね。元気で」

 そう、誰にも聞こえないように、『親方』に別れの挨拶を告げた。




「──『親方』と赤ちゃん……優しそうな人に引き取られてよかったね……ぐずっ」

 マスクとサングラスを外しながら、雷華が涙混じりに言う。

『親方』と子猫の引き渡しは、滞りなく完了した。
 途中、『くまだ青果店』の店主も合流し、皆に盛大に見送られながら、『親方』は商店街を去って行った。

 ……で。
 そのまま解散するのも何なので、海斗たち三人は打ち上げと称し、商店街にあるカフェに入ったところであった。

 涙を流し鼻を啜る雷華を見つめ、翠が言う。

「その対アレルギー用フル装備をもってしても、そんなに反応が出るとは……雷華ちゃん、よっぽど敏感な体質なんだね」
「違うわよ! これはアレルギーじゃなくて別れの涙!」

 そう言ったそばから「っくしゅん!」とくしゃみをするので、海斗はやれやれと苦笑しながらポケットティッシュを差し出す。

「『親方』のあのふてぶてしい顔が見れなくなると思うと寂しいよな。ほら、これで垂れた鼻水を拭け」
「垂れてないし!」

 否定しながらもティッシュをひったくり、雷華は鼻水をちーんとかんだ。

「はぁ……よし、甘いものを食べて元気を出そう!」

 切り替えるように言って、雷華はテーブルの上のメニュー表に目を落とす。
 この店の名物は、種類豊富なかき氷だ。
 かき氷と言っても、祭りの出店にあるようなチープなものではない。フルーツやクリームがたっぷり乗った、パフェのようなスイーツなのだ。

 雷華はよくこの店に来るらしく、海斗と翠は彼女の案内でここに来たのだが……

「うぅ……迷うぅ……」

 結局、何度も来ているはずの雷華が、最後までメニューを決められずにいた。

「……雷華ちゃん、意外と優柔不断なんだね」

 とっくに決め終えた翠が半眼になって言うと、雷華は頭を掻きむしる。

「だって、いつも二択で迷ったら未空が片方頼んでシェアしてくれるんだもん! 一つしか選べないなんて辛い!」
「……未空ちゃんてほんと、よくできた彼氏だよね」
「お母さんの間違いだろ」

 普段どれだけ未空に甘えているのかと、翠につられ海斗もジト目になる。

「弓弦が来られなかったのは本当に残念だったな。猫好きみたいだし、一緒に別れを惜しみたかっただろう。弓弦が手伝わないといけないほど忙しいとは、さすが『つるや旅館』だ」

 海斗の言葉に、翠は頷くが……
 雷華は、メニュー表からゆっくり顔を上げ、

「……いいえ。家の手伝いがあろうがなかろうが、未空は今日、来なかったと思う」

 低い声で、海斗のセリフを否定した。
 呪いによる反射的な否定ではなく、本心でそう思っているような口振りだ。
 海斗に聞き返される前に、雷華は続けて、

「最近の未空は……なんか、変に気を遣っているから」

 そう補足した。
 が、やはり海斗はピンと来ず、首を傾げる。
 すると、

「やっぱり。わたしもそんな気がしていた」

 翠が納得したように言うので、海斗はいよいよわからなくなる。

「すまん、話についていけていないんだが……弓弦は、一体何に気を遣っているんだ?」

 翠は、雷華と目配せしたのち、小さく息を吐き、

「……わたしと雷華ちゃんの仲に水を差さないよう、距離を置こうとしている、ってこと」

 そう、困ったように答えた。

 それを聞いて、海斗は初めて合点がいく。
 小学六年で呪いにかかって以来、雷華は異性はおろか同性にも倦厭され、親しい者は未空しかいなかった。
 そんな雷華にとって、翠は久しぶりにできた友だちだ。二人が仲を深めるのを邪魔しないよう、未空はあえて関わらないようにしている、ということらしい。

「そうか……だから発表の準備も、鮫島と八千草でペアになるようにしたのか」
「たぶんそう。普段話している時も、わたしと雷華ちゃんの会話に口を挟まないようにしているな、って思ってた。雷華ちゃんの暴走トークを一人で受け止めるの大変だから、未空ちゃんに助けてほしかったのに……」
「暴走トークってなによ! 一緒に楽しくおしゃべりしていたじゃない!」

 そう涙目でツッコんでから、雷華は一度咳払いをし、

「……未空って、昔からそういうところがあるのよ。勝手に遠慮して、自分の優先順位を下げちゃうというか……小学校の運動会の時も、本当はクラスで一番足が速かったのに、負けず嫌いな友だちに遠慮して、徒競走でわざと二位になってた。『本気で勝負しなきゃ意味ないよ』って何度も言ったけど、『私は二番がちょうどいいから』って、必ずはぐらかすの」
「二番……」

 覚えのあるフレーズだと、海斗は思う。


『いいの。私は……「予備の二番目」だから』


 先日、サッカー部の男子に失礼な告白を受けた後、未空はそう言っていた。
 恐らく彼女の中で、自身を『二番目』だと位置付ける理由があるのだろうが……
 あの告白について雷華に話さないよう未空に言われているため、海斗は話題に挙げることができなかった。

「もう……あたしにいくら友だちが増えようが、未空が大事な親友であることに変わりはないのに。なにを遠慮しているのよ」

 拳をぎゅっと握りしめ、歯痒そうに呟く雷華。
 それに、翠はぷるぷると身体を震わせ、

「や、やっぱりわたしが雷華ちゃんの友だちの称号を返還するよ……そうすれば未空ちゃんも遠慮なく雷華ちゃんといられるでしょ? 大丈夫、ぼっちには慣れているし……」
「それはだめっ! もう返品不可っ! 翠は一生、あたしの友だちだもんっ!!」

 がばっと抱きしめられ、「むぎゅ……」と苦しげな声を上げる翠。
 やはり、この問題を解決するには未空の意識を変えるしかないようだ。

「来週、『つるや旅館』の取材を終えたら、弓弦に今の話をしてみないか? 鮫島と八千草の気持ちをきちんと伝えれば、きっと理解してくれるはずだ。異論は?」

 海斗の提案に、雷華は首を振り、

「ない。ガツンと言って、無用な遠慮をやめさせてやるわ」

 強い決意を漲らせながら、否定形で答えた。
 それを見つめ、海斗は……今一度尋ねる。

「……で? かき氷は、何を頼むか決まったのか?」
「決まってないわよ! うわーん迷うぅ!」

 などと喚き散らすので、結局海斗が片方を頼み、半分シェアすることになったのだった。