──などと大層な雰囲気を作っておきながら、戦いは一瞬で終わった。
手を振るおかみに未空はぺこりと頭を下げ、青果店を後にする。
その手には、戦利品の冷凍パインが握られていた。カットしたパイナップルに割り箸を刺し、アイスキャンディーのように凍らせたものだ。
「……温森くんと雷華ちゃんが負けるの、キャラクターとして『解釈通り』って感じ」
そう呟く翠の手には、やはり割り箸に刺した冷凍チョコバナナが握られている。
そのセリフの通り、じゃんけんに勝ったのは未空と翠の二人だけだった。
羨ましさと恨めしさを込めた目で翠を睨み、雷華は「どーいうイミよ!」と抗議する。
「仕方がない、勝負の世界に負けは付き物だ。俺は明日も買い出しに来るが、一緒にもう一戦挑まないか? 鮫島」
「もうやらないわよ!」
負けた者同士、傷を舐め合おうとする海斗のセリフをばっさり否定する雷華。
よほど食べたかったのか、悔し涙を浮かべる彼女に、未空が「一口いる?」と言いかけた……その時。
「おい、坊主。こっちこっち」
どこからか、そんな声が聞こえた。
明らかに自分に向けた声であることを察し、海斗は周囲を見回す……と、狭い路地の隙間に、見知った顔が挟まっているのを見つけた。
鉢巻のように額に巻いたタオル。
黒い前掛け。熊のようにずんぐりした身体。
今しがた取材した『くまだ青果店』のおかみの夫……つまり、店主である。
「大将。店にいないと思ったら、こんなところで何してるんですか?」
海斗が近付くと、店主は「しーっ」と人さし指を立て、
「かーちゃんに見つからないように、静かにこっちへ来てくれ」
何やら切羽詰まった様子で、ひそひそと言う。
海斗は女子三人と顔を見合わせてから、暗い路地に足を踏み入れた。
「お前ら、この商店街の取材に来たんだってな」
「なんだ、聞こえていたんですか」
「商店街をあちこち回るなら、一つ頼みがある。猫がいないか、見てきて欲しいんだ」
海斗が「猫?」と聞き返すと、店主は深く頷く。
「ずんぐり太った三毛猫だ。先週、うちの店の裏にある空のダンボールを寝床にしているのを見つけてな。具合が悪いのか怪我でもしているのか、俺が近付いても逃げる素振りもなかった。数日経っても退かねぇから、流石に動物病院に相談しようかと考えていたら、何も知らねぇかーちゃんが三日前にダンボールをまとめて処分しちまってよ。以来すっかり姿を見せなくなっちまったから、ちょっと心配してんだ」
「なるほど。怪我や病気かもしれないなら、確かに心配ですね」
「だろ? もちろん商店街にとっちゃ猫も鳩もカラスも害獣だから、居座られるのは困るんだが、調子が悪いんなら話は別だ。どっか別の、迷惑にならねぇ場所で寝られていればいいが、店の仕事ほっぽり出して探しに行くわけにもいかねーし、どうしようかと思っていたところだ」
そこまで言うと、店主はパンッと手を合わせて、
「頼むっ。取材ついでにここいらを軽ーく見て回るだけでいい。『親方』がいないか気にかけておいてくれ。もちろんタダとは言わねぇ。冷凍パインだろうがチョコバナナだろうが、食いたいものなんでもやるから」
「……親方、とは?」
「あぁ、俺が猫につけたあだ名だ。身体がデカくて、顔もVシネ俳優みたいにイカついんだ。ひと目見ればすぐに『親方』だってわかるはずだぜ」
などと、得意げに猫の特徴を語る店主。
あだ名まで付けるとは、よほど愛着が湧いているようだ。面倒見の良い大将らしいなと、海斗は思う。
こんな話を聞かされては、海斗も猫が心配になった。
加えて、雷華に冷凍パインを振る舞える大義名分を得られるならば、もはや断る理由もなかった。
「わかりました。それらしい猫がいないか、気にかけておきます。また後で報告しますね」
海斗は店主の熱い感謝を受けながら、路地裏から元の大通りへと戻った。
「何の話だったの?」
未空に尋ねられ、海斗は三人に一通り説明する。
「……というわけなんだ。商店街を回るついでに、猫がいないか気にかけてもらいたい。もちろん……」
報酬もあるぞ。
そう言いかけたところで、翠が静かに手を上げる。
「待って。八百屋のおじさんは、『太った三毛猫』だって言っていたんだよね?」
神妙な面持ちで尋ねる翠に、海斗は「あぁ」と頷く。
翠はそのまま考え込むように俯くと、
「……その猫、お腹に赤ちゃんがいるのかもしれない」
と、思いがけないセリフを呟いた。
雷華は「え?!」と声を上げ、翠に詰め寄る。
「赤ちゃんって、その猫オスなんじゃないの? 『親方』って呼ばれているんだし……」
「それは怖い顔のせいでしょ? 三毛猫がオスである確率は三万分の一と言われている。つまり、三毛猫のほとんどがメス。そして、妊娠したメスは出産が近付くと静かな場所に寝床を作る習性がある。単純に太っている可能性もあるけど、ずんぐりしているというのも……」
「妊娠していて、お腹が大きくなっていた、ってこと?」
途中から言葉を継ぐ未空に、翠は頷く。
「すごいな、八千草。猫について詳しいのか?」
海斗が尋ねると、翠は首を振り、
「ううん。うちも猫を飼っているから、たまたま知っているだけ。猫は基本的に安産な動物だと言われているけど、出産間近で寝床を追われてしまったなら心配。どこかで無事に産んでいるといいけど……」
その時、雷華が居ても立っても居られない様子で駆け出した。
「早く探しに行こ! 『親方』が困っているかもしれない!」
「待って」
駆ける雷華の背中を、翠が止める。
「闇雲に探し回ってもだめ。猫が好きそうな場所を選ぶべき。あと、猫を見なかったか、あちこちで聞いた方がいい」
冷静かつ効率的な捜索方法だと、海斗も思う。
雷華は足を止め、翠を見つめると、
「……わかった。先頭は、翠に任せるわ」
そう言って、自身を落ち着かせるように息を吐いた。