「──残念だけど、彼女が本気で嫌がっているのなら、これ以上は無理に誘えないよね。予定通り明日はこの三人で、午前十時に『つるや商店街』の入口に集合しよ」

 何とも言えない空気のまま、未空の締めの言葉と共に、残された三人も教室を出た。
 すると、雷華は廊下に出るなりくるりと背を向け、

「あたし、先帰る。また明日」

 返事も待たず走り去ってしまった。
 栗色の長髪が靡くのを、海斗が呆然と眺めていると、

「はぁ……またお節介が暴走しないといいんだけど」

 海斗の隣で、未空がこめかみを押さえながら息を吐いた。
 そのため息の理由を、海斗は……翌日、思い知ることになる。




 * * * *



 ──明くる日の朝。午前七時。
 海斗は、来客を告げるチャイムによって叩き起こされた。

 ピンポンピンポンと無遠慮に鳴り続ける呼び鈴。
 昨夜は、雷華が呪いをかけられたという『深水(みすみ)神社』について調べていたため、寝るのが遅くなってしまった。
 取材の待ち合わせに間に合うギリギリまで寝ていようと思っていたのに、一体誰がチャイムを連打しているのか。

 新聞の勧誘なら即断って二度寝しよう。

 そう決意しながら、海斗は玄関を開けた。
 すると、

「おはよ。表札、付けたのね。いい感じじゃない」

 そこには、寝ぼけ眼には眩し過ぎる美少女──鮫島雷華が、朝日を背に受け立っていた。

 白いシフォンブラウスに、ハイウエストなレモンイエローのショートパンツ。
 制服姿ではわからない腰の細さや脚の長さが際立つ、ガーリーなファッションだ。
 さらに、いつもハーフツインにしている髪はポニーテールに結われ、彼女の溌溂とした魅力を最大限に引き出していた。

 初めて見る、雷華の私服姿。
 その麗しさに、海斗の意識が一気に覚醒する。

 どうしてこんな時間にうちへ来たのか、そう尋ねることも忘れ固まっていると、

「ぼーっとしてないで、とりあえずこれを読みなさい」

 斜めがけのポシェットから一枚の紙切れを取り出し、突き付けてくる。
 起きて一分足らずで怒涛の展開が続いているが、海斗は黙って受け取り、紙に目を落とすことにする。

 サメのキャラクターが描かれた、可愛らしい便箋。
 そこに、丸みを帯びた字で、こんなことが書かれていた。


『今日の取材に八千草翠を同行させたいから、彼女の家まで一緒に来て。
 自宅の場所は昨日尾行したから特定済み。
 未空にバレると怒られそうだから、仕方なくあんたを誘うことにした。
 八千草翠とはちゃんとお友だちになりたいし、あんたも説得に協力して』


「…………」

 なるほど、これが未空の言っていた『度を過ぎたお節介』と『なかなかに重い行動』か。

 と、第三者の目線に立ったことで、初めて雷華の異常さを実感する。

 翠の言葉には心配な点もあったし、『足手まといになる』などと言わず取材に同行してもらえたらと海斗も思っていた。
 が、説得するために尾行し、自宅を特定しようという発想には、どう転んでも至らない。
 しかも未空にバレないようにしているということは、雷華もそれが異常な行動である自覚があるのだろう。
 その上で、自分一人じゃ説得できそうにないと判断し、海斗に協力を仰ぐことにした。
 口で会話すれば否定の呪いが発動してしまうため、ご丁寧に文まで(したた)めて。

 たった一人友だちを増やすのに、この執念と行動力。
 呆れるべきか感心すべきか、それとも同情すべきなのか……

「読んだ? なら、これが協力の報酬よ。受け取りなさい」

 と、今度は後ろ手に隠していたトートバッグをずいっと押しつけてくる。
 その途端、香ばしいバターの香りがふわりと漂った。

「朝食のパン。お母さんから焼き立てをもらってきたから、冷めない内に早く食べ……は、はっくしゅ!」

 言葉半ばに飛び出すくしゃみ。
 やはり風邪気味なのではと、海斗は雷華を覗き込む。

「おいおい、大丈夫か? 最近ずっとくしゃみしているし、あまり無理しない方が……」
「無理なんかしてない!」
「もうすぐ五月とはいえ朝はまだ冷えるんだから、もう少し暖かい服装で来てもよかったんじゃないか?」
「別に寒くないわよ。これが一番可愛い服だと思ったから着てきたの!」
「確かに可愛いし、よく似合っているが、体調を崩したら元も子も……」

 そう言いかけたところで、海斗は言葉を止める。
 まだ寝ぼけているのか、つい本音を溢してしまった。

 しかし、雷華の耳にはしっかり届いた後だった。
 彼女はみるみる内に顔を赤らめると、犬歯を剥き出しにし、

「かっ、可愛くないし、似合ってない!」

 全力で、否定した。

 今までの海斗なら事を穏便に済ませるため「そうだな」と適当に合わせていたかもしれない。
 だが、彼は変わった。
 ここはきちんと本心を貫かなければと、雷華の目をじっと見つめ、


「いや、可愛いし似合っている。これは、否定しようのない事実だ」


 駄目だ、やはり寝ぼけている。
 でなければこんなセリフ、恥ずかしくて言えるはずがない。

 なんて、どこか他人事のように思いながら、さらに爆発するであろう否定に備え身構える。

 しかし、これ以上ないくらいに顔を火照らせた雷華から返ってきた否定は……


「そっ、そんなこと…………ないってば……っ」


 この距離でも聞き逃してしまいそうな程、小さく弱々しいものだった。

 ポニーテールの毛先をもじもじといじる雷華。
 どうやら本気で照れているらしい。

 その茹で蛸のように赤く染まった顔があまりにも可愛くて、海斗は思わずじっと見つめる。
 本当に、雷華の表情や反応は見ていて飽きない。彼女を知れば知る程、海斗はもっといろんな顔を見たいと思うようになっていた。

(もし、否定の呪いが解けたら……俺にも、笑顔を向けてくれるのだろうか?)

 そんなことを考えていると、雷華が顔を背け、

「な、なによ……そんなにジロジロ見られると、恥ずかしいんだけど……」

 そう言うので、海斗は見つめすぎていることに気付き、慌てて目を逸らし、

「いや、このパン、随分とたくさん入っているようだが……俺一人で食べていいのか?」

 心臓の高鳴りを誤魔化すように尋ねた。
 すると、雷華はパッと顔を上げ、

「ダメっ、あたしの分も入ってるんだから! 冷める前に食べるわよ。早く家に入れて!」

 ポニーテールを揺らしながら、否定の声を響かせた。