二〇一二年十二月二十一日。今日は、世界が滅亡する日らしい。なのに、中学校ではごく普通に終業式があった。式とはいっても大したことはしない。全校生徒を体育館に並べて、壇上の校長先生が三分間ほどどうでもいい話をする。それだけ。教室に戻ったら、いろいろなプリントが配られて、それらをカバンにしまう。明日からは冬休みが始まる。

 「参宮は、冬休みどうするの?」

 ホームルームの終わりに担任が「よいおとしを」と言って、あとは帰るだけになった。給食もないから、今日って大人たちの話を聞きに来たようなもんじゃん。

 「特には」

 岩鬼(いわき)先輩の顔がちらついた。先輩は三年生だし、受験勉強で忙しいだろ。最後に話したのっていつだったっけ。同じ校内にはいるからたまに見かけるけれども。向こうから話しかけてくれることもない。はっきりと別れを告げられたわけではないから、きっとまだ付き合っている状態ではあるのだと思う。

 俺から見ての父方の祖父母はもういないし、母方なんて、そもそも母親の顔を知らないしさ。だから、年末年始で田舎に帰省する、みたいなイベントは発生しない。家族旅行なんてしたこともない。今年もきっと俺一人で年越しになるよ。三十一日から元旦にかけての夜勤に誰も入らない、って父親が嘆いていたから、確定じゃん?

 「いいなあ。おれは毎日塾だよ。塾と部活と」

 俺の一個前の席に座る小佐井(こさい)は、気のいいやつなんだけども、気が利かない。こうやって、うらやましそうに『いいなあ』と言われてしまうと「お前に何がわかるんだよ」とキレそうになる。小佐井の家は、両親ともに法律関係のお仕事に就いているらしく、息子もまた弁護士先生を目指しているらしい。俺は別に父親の仕事を継ぎたいとは思わないけれど『親の背中を見て育つ』という言葉があるように、世間一般的には、親の仕事に憧れてその道に進むものなのだろう。

 小佐井が話しかけてきたきっかけは、まあ前の席っていうのもあるけれども、男子バスケットボール部に所属しているからだ。入学した四月から五月の終わりにかけて、しつこく勧誘された。俺がすでに170センチメートルあって、中学一年生にしては高いからだ。

 バスケットボールという団体スポーツは、身長は高いほうが有利らしい。と言うわりには小佐井は大きくない。けれども、小学校の頃から続けていたので中学校でも続けたくて、都大会常連のこの中学校を決めたのだとか聞かされた。俺はまったく興味がないから調べてすらいなかったけれども、男子バスケットボール部は最高ベスト8の成績を残しているらしい。そのベスト8というのが、全体のチーム数がいくつあって、どれほど素晴らしい成績なのかもよくわからない。ほんとうに興味がない。体育館まで連れて行かれそうになったこともあるし、先輩たちに囲まれたこともあるし、顧問をしている数学の教師からも声をかけられたけれども、俺は勉強をしに学校に来ているのであって運動をしに来ているのではないので断った。

 父親だって、そう望んでいるはずだ。

 「ほんとうに、今日で世界が滅亡するのかなあ。するんだったら、塾の宿題はやらなくていいよなあ」

 恵まれた環境に育った人間には、そうでない人間の気持ちがわからない。運良く動物園や水族館で生まれた生き物たちが、人間によって整備された最高の住空間であると気付かずに一生を終えるようなもの。俺は現実を隠すように「そうだな」と嘘をついた。宿題はやれ。

 「滅亡しなかったら、新学期にまた会おうな」

 ノストラダムスの大予言、というものがあった。曰く『99年の7の月に恐怖の大王が』うんぬん。しかし、西暦の『99年の7の月』には何も起こらなかった。というか、俺は一九九九年の七月生まれだし。何かが起こっていたのだとしても覚えているわけがないじゃん。生まれたばかりだよ。

 そこで、西暦ではなくマヤ暦とする説が浮上した。マヤ暦で考えると『99年の7の月』が今日になるらしい。インターネットに書いてあった。最近はテレビもネタ切れで、インターネットで流行ったものが少し遅れてテレビで紹介されている。

 「……ああ」

 どうせ滅びるのなら、今日こそ実行するべきだと思う。小佐井には悪いけれど、新学期のこの教室に俺の姿はないよ。

 俺は体育倉庫から縄を拝借した。俺が返す予定はないから、拝借というより盗み出したのほうが正しいか。どちらでもいいや。今日は体育館を使用する部活動は休みだから、誰にも見つからずに持ち出せた。悪運は強いほうだ。ここで誰かに見られていたら、諦めようと思っていたから。

 「拓三、おかえり」

 昨日までに持ち帰るべき荷物は持ち帰っていたのでほとんど何も入っていなかったスクールバッグに縄を入れて帰宅する。夜勤明けの父親が家にいるが、夕方から『飲み会』の予定が入っていると朝に聞いたから、間に合うように出かけるはずだ。よく起きていられるな。

 「ただいま」

 酒の飲めない父親が『飲み会』に参加しなくてはならないのは、やはり、参加しないと仲間はずれになってしまうからだろうか。その場でのやりとりは、その場にいないと聞けないし。その間、シフトに入っている人たちはどういう気持ちなのか。飲み会だって知っていて入っているのかな。

 「……何かあった?」

 いつも通り返事をしたのに、何やら心配されてしまった。タバコの先端を灰皿に押しつけて、火を消す。気にしなくていいのにな。

 「特には」

 安心させるために否定する。何もないよ。今日で終わる。

 「そっか」

 お前が俺にできることは何もなくて、ないほうがいい。俺はもう疲れた。疲れてしまったから、すべてを終わりにしよう。そのほうが、きっと、みんな幸せなはずだから。

 「年明けに学校で必要なものとか、ほしいものとかあるなら、用意するから早めに言ってくれよ?」

 用意しなくてもいい。俺はカバンの中から、保護者向けのプリントたちを取り出して、テーブルの上に置いた。置いておけば勝手に見るだろ。用意しなくてもいいとはいえ一応出しておかないと。父親の仕事先には、子どもが俺と同じ中学校に通っている母親が二人いるから、そちらを経由して何か言われかねない。

 「あのさ、拓三」
 「何?」
 「いや……ごめん、なんでもない」

 俺は自分の部屋に入った。疲れた。カバンは学習机に放り投げて、ベッドに仰向けに倒れる。どうして俺は、ここにいるのだろう。

 何のために。

 「……」

 俺は俺のことが嫌いだ。まず顔。岩鬼先輩は「好き」と言ってくれるけれども、その気持ちが理解できない。オレンジ色のこの瞳が特にいいらしい。物珍しいだけではないのかな。最初の頃はカラーコンタクトを疑われた。だいたいみんなそう言ってくる。俺も俺以外にナチュラルにオレンジ色の瞳の人を見たことがない。俺の母親がそうらしいけれども、写真でも見たことがないし。

 恵まれた体格は、目立ってしまうから嫌いだ。目立ちたくない。物陰でじっとしていたい。小さくて、かわいい生き物になりたかった。次があるのなら、次はそうありたい。いろいろな人から、たまには「かわいい」と言ってもらえるような、そういう生き物になりたい。

 だから死のうと思う。この人生には、何の価値もない。いい子であろうと精一杯頑張ってきたけれども、そんな無駄な努力はしなくてもよかった。

 父親が歩めなかった道を、俺に歩ませようとしないでほしい。俺は期待を背負って、期待に応えようとして、俺自身が何をしたいのかわからなくなってしまった。俺は何がしたかったんだっけ。

 中学校に入って、さっそく高校のことを聞かれた。

 文系だとか理系だとか、進路希望を提出しなければならない。三年間はあっという間らしい。父親は『大学に行って、いいところに就職してほしい』としか言わなかった。担任は理系のほうがつぶしがきくからって理系にしようとしているから、俺も理系ということにしたけれども、それは俺が選んだ道というよりは選ばされてはいないか。俺がやりたかったことって、何。やりたくないことはわかる。父親のように、毎日休みなく働かされるのは嫌だ。ならばまったく働かないのかといえば、それは世間が許してくれないと思う。この世界で生きていくならば、働かなければならない。働くためには勉強しなくてはならない。勉強しないと、選択肢が狭まる。いいところに就職するためには、学歴が必要だ。俺は、父親のようにはならない。なりたくない。なりたくないし、父親もそれを望んでいない。

 もう終わりにしたい。今日が最後の日だというのなら、最後にしたい。俺にとっての死は、救済だ。この人生から解放されたい。救ってほしい。未来に希望はなく、ずっと現実がつきまとう。所属が変わるだけで、あいつが父親で、俺が息子というのは変わらない。俺が俺でいる限り、一生、変わらない。

 「……」

 何かに見られている気がする。ずっと、俺を見ている。生まれてから、現在まで。見ているのならば、助けてほしい。見ているだけじゃあなくて、手を伸ばしてほしい。何も来ないのは、見られているというのは気のせいだからだ。

 しばらくして、家を出て行く音がする。扉が開いて、閉まる。カギをかける。その音で目が覚めた。身体が重たい。実行するならば今日が最適なのに、いざ縄を取り出したら涙が出てきたのは何故だろう。未練があって、その、俺を見ている何者かが、助けてくれるんじゃあないかって期待しているのかもしれない。

 俺は鏡を置いた。俺がちゃんと死ねるかどうか、見られるように。その瞬間を見届けなければならない。

 成功を祈っている。と同時に、失敗したい。後遺症でも残ってくれたらと思う。そうすれば、俺は期待されなくなる。いい子でなくてもいい。いい子であるフリができなくなるから。

 方法は調べた。実行する。これですべておしまい。

 死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にた

 「生まれてこなければよかったのに」

 家を出て行ったはずの男が部屋に入ってきて、俺を助けるなりそう言った。聞き間違いではないと思う。見間違いでもない。

 そうだよな。俺がいなければ、きっと、お前は幸せになれるはずなんだ。だから死なせてくれたらいいのに、どうして助けるんだろう。

 「――我は、」

 何か喋っているけれども、聞こえない。ここで終わりのはずなのに、明日が来る。きっと、来てしまう。何が滅亡の日だよな。何も滅んじゃいないじゃんか。