ペンデンテ商会にやってきたランザ男爵の用向きは、更なる借金の申し込みだった。だがそんな案件、ドゥランとしては即応するわけにいかない。
貴族が金を借りるのは別に珍しいことではなかった。
領内で事業をおこすにも工事をするにもまとまった金がいる。それを賄うために、今後の税収を担保にして商人から借り入れるのが普通だ。商人は金融業者を兼ねているのだ。
だがこれまでの分に重ねてとなると、貸し倒れを警戒せざるを得ない。ドゥランも慎重になった。
「おや、こちらはペンデンテ家のお嬢さんなのかな」
フィルベルトを見送って戻ったニルダは応接室から出てきた男爵と行き合った。
借金の返事を保留されたランザ男爵は、小娘といっていいニルダ相手に大げさに笑いかける。尊大だが、媚びるようでもある笑顔。器用なものね、と皮肉りたいのを隠し、ニルダは愛らしく小首をかしげて会釈した。
「こんなに美しいお嬢さんとは知らなんだ」
「そんなことは……」
ニルダは恥じらった風にうつむくと、軽く膝を折りその場を辞した。
背を向けたとたん、オエッと吐くふりをする。うん、きっとランザ男爵とは気が合わないな。
しかし男爵も田舎領主とはいえ一応は貴族。年齢だってドゥランより幾つも上だ。なのに商人の娘におべっかを使わなければならないなんて、金が無いとはなんとつらいことだろう。
あらためて金もうけの重要性を確信するニルダだった。
***
「そんなわけで、今日はうちの息子を紹介しようと思うのだ」
どんなわけだ。
後日再訪してきたランザ男爵が言ったセリフに、ペンデンテ夫妻とニルダはそろってツッコミを入れた。もちろん口には出せないが。
「ニルダ嬢は愛らしく、聡明。このアレッシオは次男だが、アデルモの騎士団員として街を守っており、十七歳。いやあ、お似合いだなあ!」
ニコニコと言って、隣に座らせた息子、アレッシオを指し示す。男爵はうわべは笑顔だが、目はギラギラしていた。これはもしや、けっこう追い詰められているのだろうか、とドゥランは推測する。
そのアレッシオはというと、硬い表情でムッツリするばかりだった。きっと無理やり連れて来られたのね、とルチェッタは若者を眺めて微笑んだ。
そしてニルダは冷たい怒りに燃えていた。
どうやら次男のアレッシオをニルダと結婚させて、ペンデンテ商会の資金を引き出すつもりらしい。私は金づるか。
アレッシオは騎士団員ということで、鍛練された身体なのが見てとれた。飾り気のない細身のシャツをさらりと着て、好感は持てる。
動きがキビキビして姿勢もいい。顔立ちも悪くなかった。父親のような崩れた感じがしないのは、造作が綺麗なだけでなく清廉潔白な青年だからだろう。
男の顔って生きざまを映すのよね、とニルダは歳に似合わないことを思った。この辺はルチェッタの受け売りだったが。
でも。
ニルダの怒りはおさまらない。アレッシオが好ましい男であったとしても、気に食わない。
だって――私、人を金づるにするのは好きだけど、金づるにされるのは大嫌いなのよね!
そんなニルダの思念を感じたのだろうか、ドゥランは申し訳なさそうに口を開いた。
「ニルダはまだ十二歳です。しかも男爵家に嫁ぐなんてとんでもないですよ。恥ずかしながら、しつけもなっておりませんし」
「いやいや、今すぐの話ではないんだ。それにアレッシオは家を継ぐわけではない。こんなにしっかりしたお嬢さんなら、難しく考えずとも大丈夫だとも! それにアデルモの騎士団員と結婚すれば、ニルダ嬢を遠くにやらずに済むんだぞ?」
男爵は息子の売り所を並べ立てた。どちらが商人かわかったものではない。
アレッシオ本人はマトモそうだ。そして貴族の縁戚になれて、次男だから気兼ねがなく、結婚後も親の近くに置いておける。
まあ悪くない条件だった。その実家の財政に不安があることをのぞけば。
「父上」
静かにアレッシオが口を挟んだ。
「確かにニルダ嬢はとても可愛らしい女性だと思います。ですがこの若さで嫁ぎ先を決めろというのはどうかと。商会の方々には馴染まないやり方でしょうし、家に縛られるのは嫌なのでは」
「なるほど、お前は優しいな! この思いやり、この気づかい。自慢の息子だなあ!」
そうじゃない。
またペンデンテ家の三人はツッコんだ。
男爵の必死の売り込みに、その場の空気は白けきっていた。
前向きに検討を、と言い置いてランザ男爵は帰っていった。アレッシオの顔色が冴えないのが痛々しい。本人は乗り気ではないのだろう。
「お父様、アレは何の冗談なの」
ドゥランに八つ当たりしても仕方ないのはわかっているが、ニルダは明らかにご機嫌斜めだった。ドゥランも苦々しい顔で椅子に沈み込む。
「本当に冗談みたいだよ。ニルダの本性も知らないで何を言うんだか」
「お父様?」
ジロリとにらまれてドゥランは黙った。
男爵の言うように、ニルダは可愛いし頭も悪くない。だが、それにも増して守銭奴だった。
ニルダのその一面を知らない男に嫁にやっても幸せにはなれまい。ドゥランだってそれはわかっていた。
「あらあ、いいんじゃない? アレッシオ君、真面目で可愛いわ」
ふふふ、とルチェッタがのたまった。ニルダもドゥランも、ものすごく嫌そうにする。
「ルチェッタの好みはどうでもいいんだ」
「私の好みじゃないわよ。ニルダには意外と合うかも、てこと」
「お母様!」
ニルダは母を本気でにらんだ。突っかかる娘にケラケラと笑ってみせたルチェッタは、ふと凄みのある笑顔になる。
「ああいう男はね、惚れさせたら言いなりになってくれるわよ? どうやら男爵とご長男は領地経営がお下手なようだし、アレッシオ君に跡を継いでもらってニルダが補佐するなんてどう?」
ルチェッタが示唆するのは、補佐という名の乗っ取りだ。だいたいその前段階として、長男を排除するために何をするつもりだろうか。
とんでもないことをそそのかす妻に呆れてドゥランは天井を仰いだが、ふと見るとニルダは真剣な面持ちだった。
「おいおいおい、真面目に考えるなニルダ」
そう言われても、領地経営。ものすごく面白そうな案件ではある。
ニルダはこの話に乗った場合の利と損を頭の中で計算した。そしてその結果を弾き出し、ため息をつく。
「アレッシオ様を惚れさせるっていう前提がまず、成立しないかもしれないの。それを別にしても……」
やってみたくはある。領地丸ごとで利益を出していくなんて楽しそうだ。
だが、それを上回るデメリット。
「私、あの舅は嫌」
「わかるわぁ!」
間髪入れずに同意して大笑いするルチェッタと、ゲンナリ顔のニルダ。ドゥランだって、あの男に親族面されるのは不愉快だ。
だが、それをあからさまに言ってしまっては教育上よくないのではと理性が告げる。母親が正直な分、父親ぐらいは建前を大事にしようとドゥランは思った。