今年も春がやってきた。
来週から、私は高校3年生になる。いよいよ今年は受験生だ。
春休みだから学校はないけれど、私は近くの塾の受験対策コースに通っている。
医学部を目指すには、やはり生半可な努力ではいけない。それでなくとも、私は高校入学から1年を棒に振っているのだ。
学校の授業もしっかり受けながら、数カ月後に控えた大学入試に向けて全力で勉強に取り組んでいる。
今日も朝からみっちりテストを受けてきたせいで、頭がパンクしそうだった。耳からぽろぽろと英単語が零れていきそうな気がするくらいいっぱいいっぱいだけど、とても充実した毎日を送っている。
塾を出て家路につく。夕方も4時半を過ぎているけれど、辺りはまだ明るい。
ピロン、とバッグの中でスマホが鳴った。見てみると、彩葉と心春と私の3人のグループトークに通知が来ている。
【美波ちゃん、Happy Birhday! プレゼント買ったよー! 明日楽しみにしててね】
【美波、誕生日おめでとう! あと彩葉、バースデーのスペル違うから】
【えっ! うそ!】
【rのあとにtがないよ】
【読めるから大丈夫! こーゆーのは気持ちが大事♡】
メッセージでさえ賑やかなふたりの会話に、自然と笑みが零れた。
ふたりとは、今では親友と呼べるような付き合いができていると思う。
空が亡くなった翌々週には学校へ行き始め、彩葉と心春には、自分の心が落ち着いた段階で全部を打ち明けた。
まず始めに、学食で会った日以降1週間も学校を休んでいた理由を話すと、ふたりはひどく驚いていた。
初対面とはいえ、普通に会って話した人がその日の夜に亡くなったと知ったのだから、当然の反応だ。空を私の彼氏だと思っていたのなら、なおさら。
その事実を伝えたあとはどこから話したらいいのかわからなくて、きっと支離滅裂だったと思う。
小学校からの空との思い出、高校受験に失敗したこと、そのせいで高校生活を楽しめていなかったこと、空とのケンカと再会。そしてあの日に起こったこと。
休日を丸々1日使って、彩葉と心春に聞いてもらった。
ふたりはずっと聞き役に徹し、涙を零しながら話す私と一緒に泣いてくれた。
『美波ちゃん……っ、辛かったねぇ……』
『ごめん。なんて言ってあげたらいいのか、私にもわかんない……頑張ったね、美波』
彩葉も心春も目元のメイクがボロボロになるくらい泣いて、すべてを話し終えたあとはお互いの顔を見て笑いあった。
『ふたりとも、聞いてくれてありがとう』
空との別れを乗り越えるには、まだ時間がかかる。笑って話せる思い出もあるけれど、やはりあの日のことを振り返ると、辛くないと言えば嘘になる。
それでも日常生活を取り戻せたのは、ふたりの存在が大きい。
悲しみに飲み込まれず笑って過ごしていきたいという私の考えを汲み取ってくれて、ふたりは翌日から普段通りに接してくれた。
最新のコスメ情報があれば動画をチェックして、発売されればショップに見にいって、相変わらずオシャレな感性を磨くのに余念がない。
変わったことと言えば、私が無理にその話題に乗ろうと頑張りすぎなくなったことだ。
彼女たちは彼女たちの努力。私は、私のための努力。
目指すところが違うのだから、今の私がすべきことは大学受験に向けた勉強だ。
以前は変に気を遣って言い出せなかったけれど、すべてを打ち明けてからは、ふたりにきちんと自分の意思を伝えられるようになった。
たまに一緒に買い物に行く日もあれば、勉強したいからと断る日もある。
それでいいんだよと、ふたりは笑ってくれた。
そして、私はそれ以降もヘアアレンジやメイクをやめなかった。
ふたりに色々アドバイスをしてもらいながら、私にできる範囲で女子力アップを目指している。
『いや。可愛いけど』
あの日、ふいに投げかけられたひと言が嬉しかったからだということは、空には絶対に秘密だ。
緩む頬をそのままにちらりと空を見上げてから、私は【ふたりともありがとう! やっと17歳になったよー】と返信した。
ふたりとは明日遊ぶ約束をしている。最近、私が勉強に根を詰め過ぎだと心配してくれたのだ。その時に誕生日を祝ってくれるらしい。
誕生日当日の今日は1日塾でテストだったけれど、これも受験生の宿命だ。夜にはお父さんもお母さんも帰ってきてくれる。3人でお寿司を食べに行く予定だ。
家に着いて早々、ピンポーンとインターホンが鳴った。
画面を見ると、宅配業者の制服を着ている女性が映っている。私は1階のオートロックを解除すると、ハンコを持って玄関に向かう。しばらくするともう1度、今度は玄関のインターホンが鳴った。
「はーい」
「お荷物です。お名前ご確認の上、お受け取りのサインをお願いします」
届いたのは小さな小包だった。
宛名はお父さんやお母さんではなく私になっている。
シャチハタのキャップを外しながら差出人の欄を見て、息が止まった。
――――え?
伝票に視線を落としたまま固まる私に、宅配業者のお姉さんが困った声を出す。
「あの……?」
「あ、す、すみません」
私は慌てて受領の部分にハンコを押し、箱を受け取る。
「ありがとうございましたー」と去っていく背中を見送り、玄関のドアを閉めた。
「どういうこと……?」
何度瞬きしても、目をこすってみても、書かれている文字は変わらない。
【ご依頼主:三浦空】
そんなはずはない。
彼は1年前にたしかに旅立った。
笑顔で見送った、私の最初で最後の恋の相手。
だけどイタズラや偽物だとも思わなかった。
だって、今日は――――。
震える指でガムテーブを剥がし、逸る気持ちを抑えて箱の蓋を上下左右に開く。その間も、ドキドキと鼓動が高鳴って仕方がない。
中に入っていたのは、淡いブルーリボンでラッピングされている袋。その上には、メッセージカードが置かれている。
私はそっとカードを手に取った。
【17歳の誕生日おめでとう。美波らしく、笑顔で頑張れ!】
本当に、空の字だ……。
誕生日のお祝いとメッセージが書かれている。
シャイな空らしい短い言葉だけど、十分気持ちが伝わってくる。
「ありがとう。今年も嘘はナシでシンプルにお祝いしてくれるんだね」
つい空に向かって語りかけながら、去年の彼との会話を思い出す。
『今日は素直に祝おうと思って』
『なんで? 彼氏だから?』
『そう、彼氏だから。せっかくなら嘘つかずに堂々と祝いたい』
あの日のくすぐったい空気を思い出して、私はひとり頬を緩ませた。
カードをテーブルに置き、ラッピングされたリボンの結び目をそっとほどく。
「あっ、これ……!」
袋から出てきたのは、2体のぬいぐるみ。ひとつは白衣と聴診器を身に着けているぱんだ、もうひとつは野球のユニホームを着ているねこだ。
空と一緒に見に行ったもちっとフレンズの個展で売られていたぬいぐるみに、職業シリーズのコスチュームを着せてある。
「これ、ぱんだも、もう少しキリッとした表情のやつあったでしょ」
凛々しい顔をしたユニホーム姿のねこと、緊張感のない顔が白衣とあまりにもミスマッチなぱんだを、まとめてぎゅっと抱きしめる。もちっとした感触が気持ちよくて、ずっと抱っこしていられそうだ。
「ふふっ、かわいい」
これをプレゼントに選んだのは、私の夢を応援してくれているからに違いない。
私の目標であるお医者さん姿のぱんだの隣に、空が目指していた野球選手姿のねこがいる。
空の思いが嬉しくて、心がじんわりと温まっていく。
「それにしても、一体いつ用意してくれたんだろう」
あの日はずっと一緒にいたはずだ。
手元を見ると、プレゼントが入っていた箱には『手紙記念館』というロゴが記されている。
「手紙記念館……?」
なんだか、どこかで見覚えがあるような……。
考えを巡らせていると、記念館のロゴの横に白いポストが描かれているのを見つけた。
「あっ、たしか催事場の隣にあった博物館!」
たしか同じフロアに大きな白いポストがあった気がする。
もしかして私がトイレに行っていたほんの数分の間に手配してくれた……とか?
本当に、どこまで私のことを考えてくれていたんだろう。
あの日、私のために最後の1日を使ってくれた空に何か返せたのかな。
ほんの短い時間だったけれど、彼の恋人として一緒に笑顔で過ごして、少しでも空を幸せにできていたんだろうか。
彼は最期に言った。
『笑って』と。
メッセージにも、そう書いてあった。
それが彼の願いなら、見守ってくれているであろう彼を心配させないように、私は全力で叶えなくちゃ。
毎日を後悔のないように、笑顔で全力で生きていく。
それがきっと、空の思いに報いることだから。
私たちの分身であるぱんだとねこを、テーブルにちょこんと並べてみる。
可愛くて、愛おしくて、胸がいっぱいになった。
いつか――。
もし、いつか私が小児科の先生になれたなら、絶対に診察室にこの子たちを置こう。
それまでは、私の部屋でお守りとして大事にするんだ。
「ありがとう、空。すごく嬉しい。大切にするね」
テーブルに置いたメッセージカードを再び手に取り、何気なく裏返してみる。すると、裏面にも何か書いてあった。
【突っ走ると周りが見えなくなるイノシシ型の人を対象に、厚労省は1日に5回は空を見上げなくてはならないという条例の導入を検討しているらしい】
私は目を瞠った。
空の愛情がいっぱいに詰まった〝嘘〟が、私に呼吸を忘れさせる。
何度も何度も、彼の書いた文字を心の中で繰り返す。
唇から、短い吐息が零れた。
唇をぎゅっと噛み締めると、今度は目の奥がぶわっと熱くなってくる。
「なにこれ。イノシシ型の人ってなによ……っふふ」
本当に、いっつも空はくだらない嘘ばっかり考えてくるんだから。
めちゃくちゃ真面目な感じで言うから、いっつも騙されてきた。
毎年、毎年、私を笑顔にするために。
そのために、空はいつも呆れるほど全力で嘘をついてくれた……。
「こんなの、絶対嘘にきまってるじゃん。っていうか、結局今年もエイプリルフールはするんだ」
笑おうとしたけれど、全然うまくいかなかった。
ちゃんと口角は上がってるし、声だって楽しそうに弾んでいる。
それなのに、私の目からは涙腺が壊れてしまったかのようにぽろぽろと涙が零れて止まらない。
だってこんなの、泣くなっていう方が無理に決まってる。
頑張れって応援してみたり、遠回しに頑張りすぎるなってフォローしてみたり。
どうして空には私のことが全部お見通しなんだろう。
最近の私は、たしかに少し焦っていたかもしれない。
遅れを取り戻さなきゃとか、絶対に医学部に合格したいとか、空との約束を守るためにずっと笑って努力しなきゃとか。
1度決めたら周りが見えなくなってしまう私は、彼の言うところのイノシシ型なんだろう。
だけど、全力で走りっぱなしではいられない。いつかは疲れて失速してしまう。
それをわかっていて、空はこんな嘘を私に残してくれたんだ。
「ふふっ、またびーびー泣いてるって怒られちゃうかな」
私はメッセージカードを胸に抱きしめたまま、ぐいっと涙を拭った。
窓際に寄り、まだ日の落ちない青い空を見上げる。
ねぇ、空。見てる?
嬉し涙ならセーフだよね? せっかくの誕生日なんだから、土砂降りはやめてよね。
笑顔で見上げた空の向こうで、彼が呆れた顔で笑った気がした。
Fin.