娘の小夜子は近くに住んでいて、孫の友佳も時々遊びにやって来る。

 この日も高校二年生になった友佳が訪ねてきた。

「よくきたわね。外は暑かったでしょう? ちょっと待っててね。麦茶を入れるから」

 私はしていた作業をやめて、エアコンをつけると台所の冷蔵庫を開けた。

「おばーちゃーん、写真だらけだねー」

 先程まで私がいた居間のソファーに座った友佳が、私に聞こえるように大声で言ってくる。

 氷を入れたグラスに麦茶を注ぐと、カランと涼しい音がした。お盆にのせて居間まで運ぶ。

「整理をしていたところなのよ。写真が汚れたら困るから、テーブルから下ろしてくれる?」
「分かった」

 友佳は写真を丁寧な手つきで揃えて、ござの上に置いたのだが、その中から一枚の写真を手に取った。

「おばあちゃん、これ、よく撮れてるね! 帽子がとても似合っていて、美人に写ってるよ」
「どれどれ?」

 私はコースターをひいてから麦茶をテーブルに置いて、友佳の持っている写真に視線を移す。
 深緑色の、つばの大きな帽子を被って、まるでモデルのような自然な笑みを浮かべている私が、写真の中にいた。

「ああ。その写真ね」

 私はくすりと思い出し笑いをした。

「それはプロの写真家に撮ってもらったものなのよ」

 私の言葉に友佳は驚いた。

「え? プロのカメラマン?! 凄いね。いいなあ!」
「そうね。運が良かったのね。友だち二人と旅行に行ったときだったわ」

 私は麦茶を一口飲んで、当時を思い返した。


***


 あれはまだ私が六十になった頃だった。友人の道子と香織と三人で京都に旅行したことがあった。季節は四月下旬。まだ肌寒い日もあったけれど、いたるところに桜が咲いていて美しかったのを覚えている。

 確か、清水寺を観光して、寺からの参道の坂道沿いに並ぶ店を見ながら、ぶらぶら下っていたときだった。

「すみません。ちょっといいですか?」

 私たちは、高そうなカメラを手にした同年代くらいの男性に声をかけられた。男性の後ろには色々な道具を手にした人が三人。

 私たちは顔を見合わせた。どう見ても素人という感じではなかったからだ。

「撮影予定のモデルが体調を壊しまして、よろしかったらそこのあなた、代わりに撮らせて頂けないでしょうか?」

 そう男は真っ直ぐに私を見て言った。そう、私を、だ。

「わ、私? でも、私はもう年ですし、若い方のほうがいいんじゃないかしら?」

 私は戸惑って言った。隣の友人たちを見る勇気はなかった。三人いるのに私にだけ声をかけるなんて、二人はきっと良く思っていないはず。 

「いえ、今回はあなたくらいの方をモデルに撮る企画なのです」

 困り果てた私は、不安なまま道子と香織を盗み見た。予想通り、二人は面白くなさそうにそっぽを向いていた。

「あの、私たち、旅行に来ているんです。他にも回りたいところがありますから……」

 断ろうと決心した私がそう言うと、道子が、

「あら、断ることないんじゃない? 私と香織はここら辺をぶらぶらしてるから、撮ってもらったら? いい記念じゃない」

 と割って入ってきた。道子の本音が分からず、私は視線をうろうろさせた。

 女三人というのが、昔から私は苦手だった。二対一に分かれてしまう。
 そして、そのとき、私は一の方になろうとしていた。
 学生のときならまだしもこの年になってまで友人関係で悩むなんて、まだまだ自分は子供ね、とため息が出た。

「一時間ほどで終わります。お友だちも言ってますし、お願いできませんか?」

 私はそう言われて、渋々引き受けるしかなかった。

「じゃあ、一時間後、ここのお店の前でね」

 香織が言い、道子は私に軽く手を振った。

 二人は撮影に興味がないわけではないと思う。でも、見学をするという選択を、彼女たちはしなかった。選ばれなかったことを快く思っていないのだろう。

 女友達は難しい。

 予定も狂ってしまったし、撮影後の旅行の続きを考えると気が重くなった。


 そんな私の気持ちをよそに、私は服を着替えさせられ、帽子を被らされ、場所を変えて何枚もの写真を撮られた。

 表情が沈んでいたようで、何度も、

「もっと楽しそうに! 笑顔で!」

 と言われてしまう。

 でも、さすがプロだ。おだてられ、のせられしているうちに、私はいつの間にか自分が本当のモデルになったような気分になって、自然に笑えるようになっていた。

 一時間も経たないうちに、道子と香織が戻ってきた。二人は撮影をしている様子を遠巻きに見ていた。

 
 撮影が終わり、画像のデータをカメラマンが確認しているとき、私たちもそれを見せてもらった。

 自分ではないようによく撮れた写真に、私は感心していた。道子と香織も興味津々と言った感じだ。

「やっぱり、恵子は顔立ちがはっきりしているから、写真映えするわね!」
「この写真、とても素敵じゃない? いい表情!」

 道子と香織が画面に映しだされる写真を指差して言った。その後もこの写真はああだとかこうだとか楽しげに話している二人を、私は不思議な気持ちで見ていた。



 「ごめんね。遅くなって」

 カメラマン一行と別れて、私が二人に謝ると、二人は顔を見合わせて小さく笑った。

「一時間ちょっとだったから、別にいいわよ」
「……まあ、自分に声がかからなかったのは正直、面白くなかったわね」

 道子は複雑な笑みを一瞬見せたが、すぐにふふふともう一度笑った。

「でもねえ、最後は三人の写真も撮ってもらえたし」
「いい思い出になったわよね」
「そうそう。恵子が美人で目立つのは分かってることだし」
「私じゃ、あんないい写真にはならなかったわ」

 私は二人の言葉に目を瞬かせた。二人は屈託なく笑っていた。私は自分から力が抜けていくのを感じた。そんな私を見て、二人は今度はおかしそうに笑った。

「一人残された恵子の顔」
「不安そうだったわね」
「私たち、それで早々戻ってきたのよ」

 二人はそこで顔を見合わせて、気まずそうにした。

「最初から見とけば良かったって、大人気なかったなと思ったわ」
「恵子が気にし屋なの、分かってるのに」

 そして、二人して、

「こちらこそ、ごめんね恵子」

 と言ったのだった。



 三人で撮ってもらった写真と、掲載されたシニア雑誌、そして、友佳が見つけた私一人の写真が一枚、その後送られてきた。一人の写真はなんだか気恥ずかしくて、飾る気になれず、ほかの写真と一緒にしまっていたのだった。



***


「へえ、そんなことがあったんだね。……女友達って、確かに難しいよね」

 話を聞いていた友佳が、麦茶のコップを手にぽつりと言った。悩んでいることでもあるのかもしれない。

「でもねえ、おばあちゃんはそれからあんまり気にしないようになったのよ。それまでちょっと神経質になりすぎてたのね、きっと。気の合う友だちとはちょっとやそっとじゃ壊れたりしないのよ」
「道子さんと香織さんとは続いているの?」

 友佳の遠慮がちな問いに、私はにっこり笑った。

「もちろんよ。今でも時々温泉に行くの。昔みたいに遠出はできなくなったけどね」

 私はテレビの前に飾ってあった写真のうち、二つを手にとり、友佳に見せた。

「あ、これ、さっきの京都のときの三人の写真だね。こっちは最近の?」
「そう。おじいちゃんが亡くなってから、しばらく塞ぎ込んでいた私を、温泉に連れ出してくれたのよ、二人が」

 友佳は、

「いいお友だちだね!」

 と言って微笑んだ。

「私もおばあちゃんになった時にそんな友だちがいるといいな」

 私を見て言った友佳の肩に、私は優しく手をおいた。

「大丈夫よ。人との出会いは縁。いつ出会って、別れるかは分からないもの。でもね、続く友だちとは続くものなのよ。まずは今いる友人を大切になさいね」
「そうだね」


 友佳が帰った後、もう一度、私は京都で撮られた写真を見た。

「あれからずいぶん年を取ったわね」

 私は独りごちる。

 女友達は難しい。女特有の嫉妬やプライドにより、拗れることもある。人数が増えればさらに関係は複雑になる。でも、女友達は楽しい。私は彼女たちや、ほかの友人がいなかったら、夫の死を乗り越えることはできなかっただろう。気兼ねないおしゃべりは、心のもやや悲しみを晴らしてくれる。学生に戻ったような気分にさせてくれる。

 道子と香織とは、この京都旅行の三ヶ月ほど前に、公民館の書道クラブで出会って意気投合した。二人は、人見知りな私に声をかけてきてくれたのだ。

「懐かしいわ」

 私は写真をもう一度よく見た。今と比べるとずいぶん若い三人が、写真の中で微笑んでいる。

 初めての三人での旅行だった。私はとても緊張していたのを覚えている。
 今後仲良くやっていけるかを占うような旅行。
 結局、二人とは、緊張感のかけらもない、ざっくばらんな関係になった。
 そんな今でも、たまにこの旅行の話がでる。三人にとって、思い出深い旅だったのは間違いない。

「私は幸せだわ。二人と会えて」

 私は呟いて、散乱した写真を再びアルバムに閉じ始めた。たくさんの思い出たちが収められていく。


          了