バレットを始動させて一ヶ月半。その間に投稿した動画は3本で、いずれもカバー曲だ。僕は英語の発音に自信がないので、選曲は邦楽からで、みんなが知っている有名な曲を選ぶようにしている。
 僕のチョイスと、ナギのチョイスを比べて決めるのだけれど、いまのところ3曲中2曲はナギが選んだ曲だ。そのせいか、歌メインと言うよりも、ギターが目立つ曲に偏っている気もするが、まだ3曲なので何とも言えない。
 歌ってみた動画を投稿しているので、あまりギターの方が目立つのはどうなんだろう、とも考える。考えつつも、じわじわと動画再生数やチャンネル登録者数が増え始めている現状があるので、それが悪いとも言えない気がする。
 そう、悶々としながら、僕はバイトの休憩中にチャンネルの管理画面を眺めてばかりだ。
 もう少し、僕にナギに強く言えるだけの自信があれば……そんな、歌とは関係ないところでくよくよしてしまう。

「でも、ナギとやるようになってから、格段に唄うことが楽しくなっているのは確かなんだよな……」

 それは単純に、同じように音楽を志す仲間ができた嬉しさが大いにあるのだろうけれど、ただそれだけではない気もするのは、やっぱり気のせいではないんだろうか。
 顔を合わせればナギの子どもっぽく我の強めなところにイラっとしたりもするのに、一緒に練習する日は楽しいし、そわそわと気持ちが落ち着かない。
 この気持ちには名前があるのを、僕はやっぱり経験上知っている。そしてそれに気付いてしまったら、きっとまた同じ痛みを受けることになるのに。
 だから、いまは気付いていないふりをするんだ。


「次さ、アクアマリンの『かがやき』とかどう?」

 3本目の動画を投稿してから一週間近くたったある日、そろそろ新しい曲を録音したいなとメッセージアプリで言い合ったのち、数日ぶりにナギと顔を合わせた。
 待ち合わせの夕方の公園で、挨拶もそこそこに、ナギからそう切り出される。
 アクアマリンは、シャリンバイほどではないが、結構長くメジャーシーンで活躍しているバンドで、しかも、二人組だ。
 なかでも『かがやき』という曲は、ギタープレイが冴えると評判でもあるけれど、Bメロの歌詞が泣けると評判で、僕も結構好きな曲でもある。

「いいんじゃない。僕好きだよ、その曲」
「じゃあ、やってみるか」

 そう言うが早いか、ナギは当たり前のように背負っていたギターケースからエレキギターを取り出し、アンプラグドで弾き始める。
 公園にはいまほぼ誰もいないので、僕はナギのギターに合わせて軽く唄ってみることにした。

「“きらきらひかる ひかって弾ける 胸のなか 夢のなか
きらきらひかる ひかって消える 暗いcry 夜のなか
くらいクライくらい まっくらくらに 散っていく”」

 『かがやき』はテンポが速く、歌詞の言葉数も割と多い曲だ。唄うのはかなり大変だけれど、上手く唄えるとスカッとして気持ちがいい。歌詞の遊び心あるところも好きなのだけれど、曲のそういう感じも僕は好きだ。
 ナギもまたギターがノッてきたのか、アンプラグドなのになかなか迫力ある演奏をしている。それにつられるように、僕の声も大きくなっていく。
 リズムを取るように体を揺らして、とうとうフルコーラス歌いあげてしまった。

「よし、結構いいかもな。いつ録る?」
「明後日なら、バイト休みだから昼に唄えるよ」
「んじゃ、明後日の昼な。あとさ、葉一、お前、顔出ししないの?」

 いままで僕はナイトシンガーとしてシルエットのみで歌ってみた動画を撮影し、それを登録してきた。それはやはり、昔の僕を知る誰かが僕の歌声と正体を一致させ、何かを言ってくるのを恐れてのことだ。
 僕の古傷のような過去の話はナギも知っているはずなのに……無神経だな、とムッとしていると、突然ナギが僕の長い前髪をかき上げてずいっと顔を近づけ覗き込んでくる。

「な、なにすんだよ!」
「葉一ってさぁ、結構……いや、かなり顔キレイ系だよなーって思って」
「……女の子みたいだって言うの?」

 小さい頃はよく女の子に間違われていたこともあるし、大人しすぎる性格や気配のなさから男らしくないってからかわれることもよくあった。雄々しくない陰キャなんて、陽キャからすれば玩具にしていい物だと思っているんじゃないか? なんて、思えてくる。
 だけどナギは、僕の返した言葉をきっぱりと「そうじゃねーよ」と、きっぱり否定した。

「もったいない、って話。メジャーに出るってことはさ、それなりに見た目も大事じゃんか。そういうののさ、葉一は下手にいじらないでもいいもん持ってるってこと」
「そ、それはどーも」
「何怒ってんだよ。きれいだって褒めてるのに」

 想定外の至近距離で誉め言葉を連発され、平常心でいられるわけがない。しかもナギは前髪をかき上げたまま、至近距離にずっといるし。心臓がやたら痛いほど早打ちしている。
 近い、近い……と、振り払えないナギの手から気持ちだけでも身を引きながら小さくもがいていると、「じゃあ、キャラに唄わせるとかは?」と、提案された。

「それってバーチャルシンガーってこと?」
「そ。だって、葉一、顔出したくないんだろ? そんなら、いちいち逆光映像撮影するんじゃなくて、なんかアニメのキャラみたいなの作って唄わせたらよくない?」

 そういう形も、一つの手かもしれない。それならば今後、ネット上で活動していく方向に切り替えていくこともできるかもしれないのだから。
 でも――と、僕は思考する頭を停めて、思い返す。僕がこれまで目にしてきたバーチャルシンガーたちは、ほとんど歌声を加工しているように聞こえていた気がする事だ。
 すべての歌い手がそうとは限らないだろうけれど、過去に自分の歌声をバカにされた過去がある僕としては、バーチャルな歌声にしてしまうのは“逃げ”のように思えてしまうのだ。自分の歌声への信頼や期待を放棄したような、そんな“逃げ”に。

「そうはしたくない。僕は、僕の声で唄いたい」
「それはやっぱ、あの中学の時のことが関係してるのか? 顔出さないとか言ってるのに?」
「……そうだけど。あと、芽衣にもそのままで唄いなよって言われてるし」

 いつまでもみみっちいやつめと言うのだろう。妹の言いなりで情けない、とか。
 それを言うなら、お前のような陽キャに、僕のようなみみっちい人間の気持ちなんてわかるわけがないと言いたい。人を軽い気持ちで嗤って、傷つけたことさえ無関心な奴に、僕の気持ちなんて――

「そっか……んじゃ、まあ、バーチャルシンガーはナシでいくか」
「え?」

 思いの外あっさりと撤回されて面食らっていると、ナギはきょとんとした顔で、「え? って……だって嫌なんだろ? 昔のことがあるから、葉一は自分の声で唄いたいんだろ?」
「う、うん。そうだよ」
「じゃあ、そうするか、って。それに、芽衣ちゃんとの約束なら仕方ないな」
「あ、ああ、うん……」

 芽衣が絡んだからそう言ってくれたのか、それとも気を遣ってくれたのか。ひとまずありがとう、と言うべきなのかな、と一瞬迷っていたら、そんな気持ちも吹き飛ばすような提案をナギが新たにしてきた。

「顔出しは、いまはしなくていいけどさ、その代わり、いつかは路上ライブとか人前で歌うってことは意識しといたほうがよくないか? そういうのに慣れるためにも、まずは配信で、ネットでもいいから誰かの前で唄えるようになろうよ、葉一」
「で、でも……」
「お前だって、誰かに聴いてもらいたいから、歌動画を投稿してたんだろ? 聞いてくれてる人のことを少し意識してみなきゃ、伝えたいものも伝わらねえぞ」

 意外過ぎと思ってしまうほどまっとうな言葉を言われ、ポカンとしている僕に、ナギは、それでも人前で歌うことに抵抗感があるのか? と言いたげな目を向けてくる。まだ何か文句があるのか、とでも言うように。
 そんなつもりはなかったけれど、若干僕の考えと違っているところがあったので、おずおずと口にしてみた。

「それはそうかもだけど……そもそも、そんなに聴いてくれてる人なんていないんじゃ……」
「あのな、いまは1本につき10数人とかだけど、確実に見てくれている人はいるんだよ。そういう人を、いないとか言うな。リアルで考えてみろよ。最初の路上ライブ、見てくれた人、動画よりも少しは多かっただろ」
「確かに……」
「な。だから、まずは、配信で唄ってみろよ。俺と葉一なら最強なんだからさ」
「ナギ……」
「俺のギターも、葉一の歌も、みんなに聴いてもらいたいし、いい! って言われたいじゃん。俺はもういいなってわかってるし、信じてるから」

 僕が考えている以上に、ナギは僕の歌声に信頼を置いてくれている。それが、すごく嬉しくて頬が緩んでいくのが止まらない。そして同じくらい胸の奥がくすぐったくてあたたかい。
 その感触は、さっき僕の髪をかき上げてきた彼の指先の感触にも似ていて、ドキドキしながらももっと触れていて欲しかったなと思ってしまう。髪以外に、頬とか、なんて考えてしまう。
 そんな感情を一瞬でも覚えてしまう自分に、僕は戸惑い、その要因が放つ懐かしくも切ない痛みを見ないように感じないように努める。そんなことしても、気付いている時点で無駄な抵抗なのに。


 そんな話をしながら、バレットの歌ってみた動画の配信を行うことが決まった。曲はアクアマリンの『かがやき』を、ナギのギター一本で唄う。収録場所は、僕の部屋。
 決まったことをスマホにメモしていく僕に対し、ナギはどこからか取り出した手帳に書きこんでいる。アナログなんだね、と思わず言うと、電子は信用ならないからな、とナギは言う。

「電子に裏切られたみたいな言い方だね」
「バンドで、曲のデータを送ったのに消えたことがあったんだよ。ちゃんと朝一送ったはずなのに、ないって言われてさ……だから、絶対大事なことはアナログで残すようにしてる」

 本能のままに生きているような感じなのに、案外慎重なところがあるんだな、とナギの意外な一面に驚きつつ感心し、また胸がきゅっとなる。
 クセのある丸い字で記された配信ライブの予定は来月の7日の午後8時。それまでに僕らは個人練習と二人での練習を重ねなくてはいけない。

「目指せ、1000pvだからな」
「わかってるよ」

 そう言って拳を差し出してくるナギのそれに、僕は恐る恐るこつりと合わせ、僕らは初めて二人組の仲間らしいことをした。
 グータッチした拳の表面はナギと別れた後もほんのりあたたかく、いつまでもナギの肌が触れているようだ。その感触を味わうように僕はそこを撫で、小さく笑みをこぼした。