ノックに返事をすると、開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは、制服姿の芽衣だった。
 芽衣は僕の部屋に来客――ナギがいることに大袈裟なほど目を丸くして驚き、軽く会釈をしてよそ行きの顔をして笑いかける。

「こんにちは。妹の芽衣です」
「こんちわー。俺は、葉一の相方の渚。ナギって呼んで」
「相方? お兄、お笑いやるの?」
「……しないよ、そんなこと」
「じゃあなに? もしかして、動画に出てもらうの?」

 余計な一言を芽衣が口にした瞬間、それまで愛想よくへらへらと笑っていたナギの目が光り、期待のこもった眼差しを向けてきた。
 彼が言わんとしていることがなんとなく察せられた僕は、ナギに期待させるようなことを言った芽衣を忌々しく思いながらにらみつけると、芽衣は芽衣でムッとした顔をする。
 そんな僕と芽衣の様子なんて気付いていないのか、ナギは期待を隠さない目をしたまま僕に訊いてきた。

「葉一、もしかして配信とかやってる? 歌動画っていうやつとか」
「それは、その……」
「兄は、ナイトシンガーって名前で歌ってみた動画をMITEに投稿してるんですよ、ナギさん!」
「マジで! じゃあ話早いじゃん! やっぱり来週ライブしようぜ、葉一!」
「お兄、ライブするの?!」
「実はもう1回やってんだよー。それがすっげぇ盛り上がってさぁ。俺がギターで、葉一が歌でさ。だから、またやろうって言ってるとこ」
「すごーい! どこで? 何日?」
「勝手に決めるな! 僕はまだ、ライブそのものをやるとは言ってない!!」

 あまりにポンポン二人で話を進めていこうとするので、普段は感情をむき出しにしない僕なのに、つい、カッとなって大声をあげてしまった。僕の声に、二人はあからさまにムッとした顔をして、口をつぐむ。
 なんだか僕のせいで部屋の空気が悪くなり、気まずい沈黙が訪れ、なにか言いたげにナギが僕の方を見てくるのが鬱陶(うっとう)しい。
なんだよ、その目は……僕は何も悪くないだろ、と言いかけた時、「じゃあ、お兄、何でナギさんのギターで唄ったりしたの?」と、芽衣が訊ねてきた。

「そもそも、どこでナギさんと知り合ったの? お兄、全然音楽の友達とかいなかったじゃん。なのに、いきなりライブで唄ったって、どういうこと?」
「……芽衣には関係ないだろ」
「駅前のロータリーで俺が路上ライブしててさ、それに飛び入りしてきたんだよ、葉一の方から」

 今度はナギが余計なことを口にし、僕がにらみつけても全くこたえた様子はない。むしろ、俺は良いこと言ってやったぞ、みたいな顔をしている。
 ナギの言葉を聞いた芽衣は、口元を両手で抑えるようにして大袈裟に驚き、「ウソ! めっちゃ見たかったぁ!」なんて言うのだ。

「でも、葉一は、ライブやりたくないみたいでねぇ……芽衣ちゃんから説得してくれない?」
「お兄! いいじゃん、路上ライブの動画投稿に切り替えてさ、pv数稼ぎなよ! お兄なら絶対バズる!」
「だから、なんでふたりで勝手に決めるんだよ! 唄うのは僕なんだぞ」
「あ、唄ってくれるのは確定でいいんだな、葉一」
「それは! その……」

 音楽を一緒にやっていくことにうなずいてしまった手前、唄わない、とは言えないだろう。
 だけど、どこでどうやって歌うかくらい、僕が決めたい。それは僕に一番関わることだから、誰かに勝手に決められたくない。
 だから僕は、思い切って口にしてみた。

「で、でも……僕がどこでどう歌うかは、決めたい。僕に唄え、って言うなら、そこは、決めさせて欲しい」

 誰かに意見して、自己主張を歌以外でするなんて、いままであっただろうか。合唱でさえも指導の先生の言うとおりにしていた、良くも悪くもいい子ちゃんだった僕なのに。僕のそういう所は、妹の芽衣が一番よく知っているので、先ほどとは違った、本気の驚いた目で僕を見ていた。
 そしてナギは、エラそうに腕組みをして考え込んでいて、やがて一人うんうんうなずいて懐っこい笑みをこちらに向けてこう言った。

「そうだな、葉一が上手く唄えなきゃ、俺のギターがあっても意味ないもんな。折角ライブするんだったら、上手くいく方がいいし!」

 結局のところ、ナギはやっぱり、自分のギターがどう聴かれるかにしか関心がないんじゃないか? と思ったけれど、それでも路上ライブを強行されそうだった先程までよりはマシだ。
 とは言え、どういう風にすれば僕が心置きなく唄えて、且つ、ライブができるのだろうか。
 路上ライブを生配信しよう! なんてことは僕にはとてもハードルが高いし、顔をさらす気もさらさらない。歌は聞いて欲しいけれど、ビジュアルまで見て欲しいわけではないから。
 そんな僕の意見をぽつぽつと言うと、「じゃあさ、」と、いつの間にか当たり前のように部屋の中に入ってきて、僕とナギの輪に加わっていた芽衣が口を開く。

「じゃあさ、まずは顔出ししないで、お兄がナギさんのギターで唄う動画を投稿してみたらいいんじゃない?」
「葉一の歌ってみた動画を、俺のギター演奏で、ってこと?」
「うん。で、慣れてきたら、部屋から生配信! とか。どうかな、ナギさん、お兄」

 芽衣の提案に、ナギはもう既に目を輝かせて前のめりで、僕の承諾を期待する目を向けてくる。提案してきた芽衣もまた、これならいいだろう、と言いたげな顔をしている。

「なあ、やろうよ、葉一。物は試しってやつでさ」
「……試し、って言うなら」
「じゃ、決まりー!」

 僕のおずおずと返事に、いつの間にか仲良くなった様子のナギと芽衣がハイタッチをしている。
 なんとなく押されるがまま、ナギと動画を作って投稿することが決まってしまった。
 ナギのギターのレベルが結構高いのは先日の路上ライブでなんとなくではあるけれど知っているけれど、だからと言って、これから彼と上手くやっていけるのかは未知数すぎて自信がない。しかも、ナギはメジャーデビューを視野に入れているみたいだし……不安だけが膨らんでいく。
 そんな僕の気持ちが顔に出ていたのか、ナギがまたバシバシと肩を叩いて、こう言ってきた。

「葉一、お前なんて情けない顔してんだよ。俺らは音楽界に風穴あけに行くんだからな!」

 風穴をあける、その言葉から、僕は自分たちの音楽が弾丸のように世の中を突き抜け、ナギの言うように音楽業界に風穴を開けに行くような景色が浮かんだ。
 弾丸、という単語が気になり、僕は咄嗟にスマホでそれを英訳してみる。

「……バレット」
「え? パレット?」
「いや、バレット。英語で、弾丸とか銃弾って意味があるんだって」
「それが?」
「いや、ほら、ナギが“音楽業界に風穴あける”みたいなこと言うから……その……」

 おずおずと提案する僕に、ナギは更に強く僕の背中や肩を叩き、嬉しさを表しているらしい。
 手荒い、だけど今まで経験したことがない近い距離に感じる、身内以外のぬくもりに胸が騒めく。それが嬉しいのか、落ち着かないだけなのか、まだよくわからない。でも、不快ではないのは確かだ。

「いーじゃん、葉一! 案外センスあるな、お前。よし、俺らの名前、“バレット”にしようぜ。めっちゃデカい風穴あけようぜ! 芽衣ちゃんもそう思うでしょ?」

 ナギに呼びかけられ、芽衣もうなずき、「いいとも思う!」とサムズアップして答えたので、僕とナギのユニット名は、こうしてバレットになった。


 バイトが休みで時間があるので、早速バレットとして最初の動画を撮影することにした。
 選んだ曲は、先日初めてやった曲、シャリンバイの「コンテストテンペスト」をリベンジだ。
 ナギは当たり前のようにエレキギターを今日も背負ってきていて、部屋に来てからは傍らに置いていた。いまはそれをケースから取り出し、チューニングをしている。
 チューニングをしているナギのすぐ傍で、僕はマイクを用意し、録音機材と録画のカメラをセットする。絶妙に顔が映らない角度を捜し、音の確認。

「ナギ、軽くでいいから何か弾ける?」

 サウンドチェックのために僕がそう言うと、ナギはコンテストテンペストのサビのフレーズを弾き始めた。全体的にテンポの速い曲で、その中でもサビはギターの速弾きが特徴的だ。
 それを、かなりあっさりとナギは弾きこなしている。バンドをやっていただけあって、有名曲であればつかえることなく空で弾けるものなのかもしれない。
 つい、聴き惚れてしまってぼうっとしていると、ナギが弾くのをやめてニヤリと笑った目とかち合ってドキリと音を胸が音を立てる。

「すげーだろ、俺」
「すごーい! ナギさんってプロなの? ねえ、お兄、すごいよねぇ」
「……まあ、うん。音はいいよ」

 得意げにしているナギに、何故か芽衣の方がはしゃいでいて、なんだか腹立たしい。べつに僕は、ナギの何でもない、知り合って間もない関係でしかないのに。

「素直じゃねえなあ、お前は。芽衣ちゃんを見習えよ」

 芽衣が大げさでリップサービスが上手いだけだよ、と言わなかっただけ有難いと思えよな……と、思いつつも、もう少し褒めても良かったかな、とも思う。確かにナギのギターをすごいと感動したからこうしているのに。
 そんな感じでなんとかサウンドチェックは終えられたので、軽く音合わせとカメラのリハーサルもして、いよいよ本番となった。
 録音と録画のスイッチは芽衣に押してもらうことにし、僕らは歌とギターに集中する。
 ナギとアイコンタクトでタイミングを計り、僕が芽衣に合図を送り、録音と録画がスタートし、ギターの音が始まる。
 そして僕は、聞こえ始めたフレーズをヘッドホンで聞きながら、最初の歌詞をつむぐべく口を開いた。