「あー……またダメか……」

 バイト先のコンビニのレジカウンター内で、僕はスマホを取り出し溜め息をつく。いまはちょうどひと気がないので休憩も兼ねている。
 眺めているのは動画投稿サイト・MITE。世界中のあらゆる動画が投稿されるSNSサイトの一つで、その中でも音楽系の動画が多いのが特徴だ。

『【歌ってみた】コンテストテンペスト/ナイトシンガー vol.8(再生回数:24)』

 僕もまた、そのあまたいるMITEへの投稿者の一人であり、そして、底辺配信者とも言える。視聴者数や視聴再生回数が極端に少ないからそう呼ばれると聞いたことがある。
 絵を描くことやダンス、トーク、文章にして綴る。この世には様々な自己表現がある中で、僕が選んだのは唄うことだ。
 理由は単純に唄うことが好きで、幼い頃は合唱団に入っていた程唄うことが好きだ。
 歌手になりたい、と思ったわけではないけれど、唄うことで、普段は無口で影の薄い僕が主役になれるような気さえする快感が好きで、僕の自己表現は唄うこととも言えた。

「さすが、上手いな、葉一(よういち)!」
「そうでもないよ」
「そうでもあるって。葉一の歌う声、俺、好きだもん」

 小6の頃に友達になった深谷(ふかや)は、どちらかと言うと陽キャな感じだったのに、僕によく話しかけてくれて、仲良くしていて、二人でよく連れ立ってカラオケに行った。
 カラオケに行くと、流行りの歌を好きなように唄えて、合唱の時とは違う楽しさがある。しかも、カラオケに行くたびに彼が褒めてくれて、そんな風に言ってくれる。それが何より嬉しかった。
 その内に、彼の言う「好き」が、まるで僕自身にまで向けられているように思い始めて、彼そのものに惹かれ始めるのに時間はかからなかった。
 ひょろりと無駄に背が高く細い体いっぱいを使って響かせる歌声を、合唱の先生だけでなく、彼にも褒められることが誇らしく、しあわせだと思ったりもしたのだけれど――

「葉一ってさ、合唱やってるってマジ?」
「ウソ、歌ガチ勢なの? ウケる」
「だから一人張り切っていつも唄ってんだ」

 中学二年の合唱コンクールの練習中、クラスの中でも陽キャであり、且つ、スクールカースト上位であるやつらからそんな言葉を投げかけられたのだ。
 陽キャから目を付けられるだけでも学校生活では致命傷なのに、当時の僕は更に大きな傷を負った。
 そのグループの中にいつの間にか深谷も混じるようになっていて、段々と僕よりも彼らと遊ぶ脳になっていた頃だった。
 当時僕は声変わりが始まってもなお合唱は続けていたし、唄うことは変わらず楽しかった。合唱コンクールの練習も、確かに他の生徒に比べたら、張り切って見えるほどに大きな声を出していたかもしれない。
 だけどきっと、彼らが言いたいのは、そういう点じゃなく、“陰キャでスクールカースト底辺な夜野葉一(やのよういち)が、自分たちの退屈しのぎのネタになるようなことをやっている”、ということだったんだろう。
 もし僕が、スクールカーストでも真ん中くらいのポジションにいる奴だったなら、話は違っていたかもしれない。
 でも、世の中はそんな都合よく出来ていない。

「ホント、マジきもッ」

 あんなに、上手いねって、好きだなって言ってくれていたのに――
 グループの中にいた彼が、僕を嗤ってそう言ったのが聞こえ――その日どうやって僕は学校から帰ったのかわからないくらいショックを受けた。
 そうしてそれ以来、僕は唄うことも、誰かを好きになることも諦めることにした。密かにとは言え、好きな人にキモいと嗤われて、好きでい続けることも一緒に過ごすことも、死ぬほどツラかったから。
 瞬く間に、クラスはもとより、学年中に“歌ガチ勢の陰キャ”として僕は有名になり、合唱コンクールの練習以外にも、音楽の授業で唄うだけでもくすくす笑われるようになってしまったことも悲しかった。

「夜野くんの歌声は素晴らしいじゃない! 物笑いにしてはいけないわよ!」

 僕を気の毒がってのフォローだったのだろうけれど、当時の音楽教師である通称・柳のおばばこと、高柳先生という高齢の女性教師の言葉が、一層陽キャたちを調子づかせたのは言うまでもない。
 その影響で、当然僕は合唱も辞め、それ以降中学卒業までの間殆ど登校することはなかった。お陰で内申点は最悪で、どうにか受験できたのは入試問題が作文だけの通信制の高校だけだった。
 幸いなのは学校行事に合唱コンクールのない高校であることで、芸術の授業も音楽は避け、カラオケに誘われても絶対に断り、鼻唄さえも人前では唄わないようになっていった。あの言葉が、いつまでもべったりと人前で唄うことに、二の足を踏ませる苦い経験の影を落とし続けていたからだ。
 そんな僕が、何故いま唄ってみた動画なんて投稿するようになったのか。
 それは、半年前にたまたま見かけた投稿動画がきっかけだった。

「お(にい)、この人さ、いますっごい唄上手いってバズってるんだよ。聴いてみない?」

 三歳下の妹の芽衣(めい)が、バイトから帰って来て遅い晩ごはんを食べている僕に、スマホを差し出し、ある動画を見せてきたのだ。
 その動画はいわゆる“歌ってみた動画”と呼ばれる、音楽系の投稿動画の一つだった。投稿者が自宅などで、既存の好きな曲やリクエスト曲をカバーして唄い、その歌声を披露するというものだ。
 バズっている、つまり、流行っているというその動画の歌声を聴いたのだけれど、僕はたちまちに動画再生を停めてしまった。

「なにすんのよぉ! これからサビなのに!」
「サビまで聴かなくても、こいつがどの程度なのかもうわかった」
「ウソだぁ。この人すっごいバズってて、再生回数ヤバいんだよ」
「バズってるから、上手いってわけじゃないよ。こういうのは、映像と音声の編集が上手いから、騙されるんだよ」

 すべての歌唱系の投稿者がそうであるわけではないだろうけれど、歌ってみた、というからには地声で勝負したらどうだ、と、僕は持論のようなものがあった。それはやはり、自分の歌声をバカにされた悔しさが、ずっと心のどこかにあったのかもしれない。
 中二のあの秋以降、僕は唄うこと自体封印していたから、唄っても笑われない環境にある上に、評価もされている人たちを妬ましく思っていたのだろう。その流行りだと言う歌声を聞かされて、つい、妬みに火がついたのだ。
 芽衣は僕の言葉にあからさまに不機嫌な顔をし、こうも反論してきた。

「そんなに言うなら、お兄が唄って投稿しなよ、編集とかしない声で」
「はあ? なんで僕が唄わなきゃなんだよ。第一、投稿とかしたことないのに」
「だって、お兄はこの人より上手いって思ってるから、あたしのこと騙されてるとか言うんでしょ!」
「僕は事実を言っただけだよ」
「じゃあそれ、証明してみせてよ」

 ぐうの音も出ない言葉に、僕が口をつぐんでいると、芽衣は畳みかけるように更にこう言った。

「あたし、唄ってるお兄、結構いいなって思ってたよ。合唱やってた時とか。全然今みたいな超陰キャじゃなかったし」
「……悪かったな、超陰キャで。これが僕の素だよ」
「べつに陽キャになれって言わないからさ、せめて、夜型な生活の陰キャなんて身にも心にも不健康だから、どうにかしなよ」

 通信制とは言えとりあえず高校に入りはしたものの、不規則シフトのバイトのせいで夜型気味の生活になったことも手伝って、僕の陰キャぶりは加速している自覚はある。元来外見にこだわらないので髪は伸び放題だし、真っ黒だし、日に当たらないから色もめちゃくちゃ白い。
 きっと芽衣が母さん達からどうにかしろなんて言われたんだろうと、反発したい気持ちが一瞬湧いた。
 しかし同時に、いつまでも中学の頃のバカな奴らの一言に囚われて、初めて好きになった人を思い続けることすら諦めさせられただけでなく、大好きだった歌うことを封印し続けているのもバカバカしいと言う気持ちもあの頃からずっとあったのも確かだ。なんで、僕が逃げなきゃなんだろう、と。

「……そんな、簡単に唄ってみろとか言うなよな」

 その時はそれだけを返して部屋に戻ったのだけれど、ベッドに寝転がりながらスマホで漁った、歌ってみた動画を片端から聞いてみては、何かが違うなと思いもしていた。僕なら、もっとこうするのに、とか、こんな歌い方じゃないだろう、とか。
 ――それなら、僕が唄ってみればいいんだ。
 辿り着いた言葉は芽衣からの言葉と全く同じで、翌日、僕はバイト代をはたいて録音機材を買いに隣町の家電量販店に向かっていた。
 そして、投稿し続けてかれこれ半年近く。投稿した動画はいまのところ8本。バズる気配どころか、視聴者数や再生回数が3桁になることすらない。

「っかしいなぁ……今度は結構うまく唄えてたはずなのに」

 最初の頃こそただ歌ったものだけを動画に撮って投稿していたけれど、それだけでは全く見向きもされないとわかった。地声で唄っているという証明にならないからだ。だからいまでは逆光のシルエットで唄っている姿ごと撮影した動画を投稿しているのだけれど……あまり、効果はないようだ。
 まったくの手探りで動画を撮影したり歌声を録音したりしているし、芽衣にああ言ってしまった手前、編集もろくにできないため、これ以上どうしたらいいのかがわからないのが現状だ。

「……マジ、詰んでるな」
「詰むのは勝手だけどさ、勤務中にスマホってどうなんだよ。仕事しろよ」

 溜め息をつきながらカウンター内でしゃがみ込んでいると、上からエラそうに覗き込んでくる声がした。
 透けるような明るい茶髪をハネさせた、僕よりも背が低いであろう癖に、気の強そうな目が僕をにらんでいる。
 慌てて立ち上がり、「いらっしゃいませ!」と、飛び上がりそうになりながら言って、すぐに僕は舌打ちしたい気持ちにかられる。声をかけてきた相手が、見るからに忌々しい典型的な陽キャだったからだ。
 しかもそいつは、僕はこうなる前に目指していた高校の制服――深緑のブレザーにレモンイエローのネクタイ、灰色のスラックス――を着崩しながら身に着けていたのが余計に腹立たしかった。

「……休憩兼ねてたんで」

 こいつは、近所のライブハウスによく来る高校生バンドマンの一人だ。いつも店に来るときに制服姿で黒いギターケースを背負っていたり、同じバンドのメンバー(多分彼よりも年上の人ばかりだ)と思われる人たちとも来たりするので、そのバンドでギターをやっているんだろう。こいつは特にうるさくしているので、いやでも顔を覚えてしまった。

「んだよ、客に口答えするのか? カスタマーセンターにクレーム入れるぞ?」
「用件、なんすか」
「オリチキ1個くれよ」

 エラそうで威張っていて、陰キャな僕を明らかに見下している感が満載な陽キャ。しかも僕が言ったかもしれない高校のバンドマン。僕と真逆なタイプにもほどがあるだろう。
 見るほどに、あの中学の頃に僕をバカにしたやつらを思い出して腹立たしい。

「258円です」

 僕がお会計を告げると、彼は黙ってスマホを差し出してきた。何だろうかと首を傾げていると、彼はあからさまに僕をバカにしたように溜め息をつく。

「ペイ払い。俺の話聞いてた?」

 ムッとした顔は隠しきれなかったけれど、一言も口にしていないだろうが!! と、怒鳴らなかった僕が大人だと褒めて欲しい。
 どうにか支払いを済ませたギタリストらしき彼は、チキンを片手に、「じゃあな」と言って店を出ていく。その後ろ姿に舌でも出してやりたいのを堪えながら、僕は相変わらず再生回数が伸びない自分の動画の管理画面に目を戻すのだった。

「ナギ、クレームつけてただろ」
「大野さーん! なんでそんな笑うんすかぁ! 俺、別にクレーマーじゃないっすよぉ!」

 ナギ、と呼ばれたさっきの彼がガラス戸越しでも聞こえるほどの大声で、店の外にいたメンバーと喋っている。騒音だってこっちこそクレームつけてやろうか……と思うほど、あいつは絵に描いたような陽キャだ。そろそろ夜になってくるのに大声で魅せの前で騒いで……これだから陽キャは苦手なんだ。

「……あいつ、ナギっていうのか」

 顔ばかりか名前まで覚えてしまうほどに、忌々しい存在。僕と何もかもが真逆だ。
 大柄な大人たちに囲まれながらもナギは負けずに大声を張り上げ、笑っている。そのタフさがいっそ羨ましいなんて思ってしまう。
 その内にナギたちは笑いながら去って行き、店の前は静かな夕暮れに包まれ始めた。