「バレット? 誰それ?」
「えっと、僕らのバンドで、今度デビューをかけたワンマンライブをするんで、チケットを置いてもらえませんか?」
「アマチュアバンドってこと? そういうのはちょっとなぁ……」

 そこをなんとか、と食い下がるように頭を下げながら、結局そのたこ焼き屋には20枚のチケットを買い取ってもらうことになり、お礼に僕は5パックのたこ焼きを買って帰る羽目になった。
 メロディアは商店街の近くなので、こうやってチケットを買い取ってもらい、販売を手伝ってもらうケースが多いのだけれど、バンドのマナーが悪いとかで最近渋られることが多いらしい。

「折角チケット売れても、そこの商品買ってたらプラマイゼロだなぁ……」

 公園で遅い昼食代わりにたこ焼きを頬張ってぼやいていると、ナギからメッセージが届いていた。アプリを立ち上げると、どうやらナギは馴染みの楽器店にチケットとチラシを置いてもらえることになったという。
 楽器店ならバンドやっている人も多いし、店員も理解があるだろうし、何よりこうして店の商品をわざわざ買うようなこともないだろう。

「あったまいいなぁ、ナギ……」

 ナギがどれくらい置いてもらえたのかはわからないけれど、全体的にチケットの売れ行きは芳しくないのが現実だ。
 数日おきの頻度で木暮さんからはチケットの売れ行きを訊かれるのだけれど、数枚の日もあったりして、報告するのが正直怖い時がある。怒っているのかな、と思うほどに木暮さんからの返事がクールだからだ。

「って言っても、ライブまであと半月ちょっとだし……もうちょっと頑張って売らないと……」
「何を頑張って売るの、お兄」
「……なんだ、芽衣か」

 不意に横から声をかけられて振り返ると、学校帰りらしい、制服姿の芽衣がちゃっかり僕の隣に座ってタコ焼きのパックを開けている。
 芽衣はほぼ断りもなくたこ焼きを食べながら、「随分浮かない顔してるね。またケンカしたの?」と、余計なお世話を言う。

「ケンカする暇なんてないよ。人生懸ってるような状態なんだから」
「え、何そんなヤバいことになってんの? お兄、なにしたの?」
「何もしてない……っていうか、これ、やるんだよ」
「なに? ……ライブ? え! お兄たちワンマンやるの?! すごーい!」

 やったじゃーん! 自分のことのように喜びを爆発させている芽衣のリアクションに、僕はチケットの売れ行き代わりのも忘れるほど嬉しくなる。何のかんの言いつつも、芽衣はよくバレットのことを応援してくれている、有難い存在だ。

「じゃあこれ、デビュー記念ライブとかなの?」
「いや……この結果次第で、デビューできるかどうかが決まるんだって」
「ってことは……お客さん来なかったら、どうなるの?」

 お客さんが来なかったら、つまり、ライブが成功しなかったら――最も考えたくないけれど、考えておかなくてはいけない展開。芽衣の他意のない言葉に僕はたこ焼きをつついていた手を停め、うつむく。
 木暮さんから直接はっきりと言われたわけではないし、ナギとこうなったらこうしよう、と決めているわけではない。だけど、ライブが成功しなかったら、その先にあるのは――

「……解散、かな」
「解散? え、待って。お兄たち、解散しちゃうの? え、やだやだ。そんなのないよ! お兄たちめっちゃ頑張ってたじゃん! それなのに解散とかって、そんな……」
「少なくとも、僕はこれがダメだったら、メジャーデビューは諦めるし、人前で歌も歌わないかもしれない。ナギはメジャーデビューどうしてもしたいって言ってるから、あいつだけはやってくかもしれないけど……」

 頑張ったら頑張っただけ評価されるなら、僕らはもうとっくにデビューできているだろう。そんな綺麗にスムーズに世の中は流れていかない。僕はそういう事をなんとなく知ってはいるけれど、芽衣にはまだ信じがたい事なのかもしれない。

(それに、僕のこの想いもそれまでにしなきゃだろうし……)

 誰にも言えないことを胸の中で呟き、密やかに自嘲するように笑う。
 それでも一応オブラートに包みながら、僕のこの先のことを話していたのだけれど、ふと顔をあげて芽衣の方を向いたら、その目が真っ赤に濡れていたのだ。

「芽衣? 何泣いて……」
「だって、あたし、お兄たちの曲、すっごい好きなんだもん。駅前のロータリーでたくさんの人に聴いてもらえてるの、クラスの友達にいいねって言われたりしてるんだよ。だから、もっとたくさんの人たちに聴いてもらえたらって思って……それなのに……解散、しちゃうの?」
「そう思ってるのは、僕だけではあるけど……」
「けど? でも、チケット売れてるの? ライブできそうなの?」

 泣き顔の芽衣に詰め寄られ、僕はたじたじになってしまう。正直、かなり厳しい状態であることを伝えていいものか迷いがあるからだ。
 しかし僕の様子から芽衣は何かを察したのだろう。泣き濡れていた目許を乱暴に拭い、突然立ち上がった。

「……芽衣?」
「お兄、チケット、いまから売りに行こう。そこに商店街あるから、手売りして行こうよ」
「や、いまさっきこのタコ焼き頼み込んでやっと買ってもらえたばっかりで……」
「他のお店はまだでしょ? 行こう!」
「いや、でも、たとえライブできたとしても、僕はもう……」
「そんなこと言って、お兄はナギさんが他の人と組んでていいの?」
「それは、ナギが決めることで……」
「だって、お兄はナギさんが好きなんでしょ? 獲られちゃうんだよ? それでいいの?」
「え……芽衣、何言って……」

 まったく考えもつかなかった芽衣の言葉に僕が衝撃を受けていると、芽衣は呆れたように溜め息をつき、泣き濡れた目許を拭って答える。

「気付いてないとでも思ったの? お兄、ナギさんとあってから、ホントにすっごい変わったよ。お母さん達も、お兄があんなにいい顔で笑うんだねってびっくりしてる。あれ恋してるよね、って。だから、わかっちゃったよ」

 泣き笑いしながら僕の胸中を見透かされて言い当てられ、僕は何も言い返せない。そして恥ずかしさが一気に顔を赤く染めていく。

「キモいって思ってんだろ、僕のこと」
「なんで? お兄がしあわせそうなのをそんな思う方がキモいじゃん。それよりさ、チケット売りに行こうよ! でないと、本当にナギさんと一緒に音楽できなくなっちゃうよ?」

 幼い頃から僕よりはるかに決断力と行動力のある妹は、もう泣き止んで歩きだしている。こういう時僕よりはるかに頼りになる。
 見透かされて、あっさり受入れてもらえた上にはっぱかけられて、つくづく情けない兄貴だな……と、思って芽衣のあとをついて歩いていると、芽衣が振り返ってニヤッと笑ってこう言った。

「今日のこと、貸しにしといてあげる。お兄たちが売れたら、なんか美味しいもの食べに連れて行ってね」
「……たこ焼き100個だな」
「もっと美味しいものにして!」

 バレットの第一のファンであり、頼りになる妹と共に、僕はもうひと踏ん張りすべくまた商店街へと向かうことになった。
 どうやら僕は、まだ音楽も恋も諦めるには早いらしい。


 先程とはもう一本違う通りの店一軒一軒に入り、ライブのポスターやチラシを置いてもらえないかと、芽衣と共に頭を下げて回る。
 そこに途中からナギも合流し、3人で商店街を回っていく。口下手な僕より芽衣とナギの方がうんと愛想がよくて口が達者なせいか、先ほどまでよりも若干置いてくれる店が多い気がする。

「次はこの喫茶店だね。」
「すみませーん、ちょっとチケットとチラシおいて欲しいんですけどー」

 そう言ってガラス戸を開いて中に入ると、開店準備中らしい店内には若い店員が一人いるだけだった。
 ナギがその人を捕まえて、バレットのライブの話なんかをしていると、「……葉一? もしかして、夜野葉一?」と、その店員は呟いて僕の方を見てくる。

「えっ……深谷?」
「そうそう、俺だよぉ。中2の時、同じクラスだったよなぁ。お前まだ歌やってたんだ? しかもバンド?」

 知り合いか? と、ナギに目で訊かれたが、僕は曖昧に笑うこともできなかった。まさか、僕を歌から遠ざけたやつらの一人であり、僕の苦い初恋の相手でもある彼に、こんな形で鉢合わせするなんて思わなかったからだ。
 急激に蘇る記憶とあの時の言葉と声に身がすくみそうになる。あの時受けた傷みはいまでも鮮明に覚えている。痛くて苦しくて悲しかったあの時の痛みのせいで、僕は、いま、人生のかかった瀬戸際に立たされているようなものだから。
 逃げ出したい気持ちを抑えながら、その初恋の相手の言葉に僕がようやくの思いでうなずくと、そいつは、大袈裟なほど驚いてこう言った。

「マジか! すっげーな! カッコいいな!!」
「……え? カッコ、いい?」

 あの時、嗤ったくせに? そう、思わず問い返そうと口を開きかけた僕に、深谷は痛みを堪える様な顔で苦笑し、「あの時も、そういえれば良かったんだけどな……」と、呟いたのだ。
 どういうことだ、と問うような目でぼくが見つめ返すと、彼は頭を掻きながら答える。

「あの頃ってさ、ヒトと違うことしてるやつって、自分にないもの持ってるみたいでうらやましく見えるじゃんか。自分だって努力すりゃいいのに、からかって嗤うことで憂さ晴らしして……いま考えると、ホント、ガキだった」
「深谷……」
「いまさらだけど、ごめんな、あの時。おわびと言ったらアレだけど、チケットとチラシ、好きなだけ置いていってくれよ」
「え、でも、お店の人は……」
「いい、大丈夫。ここ俺んちだから。親には俺から言っておくよ」
「ありがとう、深谷」
「おう。頑張れよ、葉一。応援してる」

 そう言って笑う彼に、僕はあの中学時代の痛みと苦みが癒えていくのを感じた。ようやく、あの頃見返してやりたいと思っていたことが晴れたんだろう。
 「ライブには必ず行くよ」という約束までしてくれて、その喫茶店には手許にあったほとんどのチケットとチラシを置かせてもらうことになった。
 3人でお礼を言って店を出ると、いままで感じたことがないほどに清々しい気分になっていた。

「よかったねー、たくさん置いてもらえることになって!」

 芽衣は機嫌よく僕とナギの前をスキップしそうな勢いで歩いている。
 胸の奥に重しのようにあった苦い記憶が、氷のように溶けていく。その溶けた氷が、いま目元を潤ませている。
 ああ、どうしよう、ちょっといま泣きそう……と、思っていると、突然、バシン! と、肩を叩かれるように組まれていた。振り返ると、ナギの方が目を真っ赤にして僕の肩を組んでいたのだ。

「え、ナギ? なんで?」
「……かった、よかったな、葉一ぃ……」
「なんでナギが泣いて……」
「大事な相方の古傷が癒えた瞬間を目の当たりにして、泣けないわけないだろ! これでもう、お前の足枷はなくなったんだ、葉一」
「ナギ……」
「さあ、お前は、どうしたい? どうしていく?」

 僕の足かせだった古傷も苦い記憶も、浄化されてしまった。だから、もう僕がバレットを続けていかない理由はほとんどないと言える。
 好きなように、好きな歌を唄っていきたい――それが、僕の“成功の形”。
 でもそれに、もう少しだけ付け加えてもいいのだと、気付く。

「僕は……僕は、ナギと、バレットを続けていきたい」
「それは、メジャーでもってことか? 俺とやってくってそういう事だぞ?」

 腹を決めろ、とナギの目が言っている。僕は歩みを止め、ナギと向かい合う。
 僕に唄うことの楽しさを思い起こさせ、音楽を産み出す苦しさや喜びを共にしてきた、大切な相方。彼とこの先も音楽を続けていけるのであれば、僕は、どんなステージにだって立てるかもしれない。もう僕には、何の足かせもないのだから。
 だから僕はナギの前に拳を突きつけ、ナギもまた、同じように拳を出してくる。
 僕らはそれを付き合わせ、ニヤッと笑った。

「一緒にやっていこう、ナギ。風穴をあけるような音楽、やっていこう」
「そう来なくちゃな、葉一」

 拳と拳を突きつけ、誓い合う言葉を胸に、僕らはそれから半月後、初めてのワンマンライブを、地元のライブハウス、メロディアで敢行することとなった。
 だけど、まだ僕の胸の中には、新たな彼への想いが疼いている。それの行き先をどうするかは決まっていない。


 メロディアは地元でも屈指の老舗ライブハウスで、地元のバンドキッズたちはこのステージにワンマン公演で立つことを目標に活動しているといっても過言ではない。
 そんな憧れのステージを、今日、僕らは迎えた。
 結果として、集客は120人ほどになり、集客面だけでもかなり成功を収めることができていると言える。

「じゃあ、次は僕らが初めて作った曲。『リラックス・ハイテンション』、聴いてください」

 僕がそう言い、右に立つナギの方を向く。ナギはその視線を合図にカウントを取り、スローで繊細なフレーズを奏で始める。それを掬い上げるように僕が唄い出し、段々とテンポを上げていく。
 もっと、もっとナギと僕らの音楽をやっていきたい。いろんな場所で、いろんな人たちの前で。

「“――Ah、だから この先も 僕は 君のために唄うんだよ”」

 僕にとって歌を唄うことは、気持ちのいい表現の一つだった。それはきっとこの先も変わらない。
 もし、誰か一人のために唄えと言われたなら、僕は、たぶん隣にいる相方である彼のために唄いたい。共にバレットの音楽を作り上げてきた、友達よりも繋がりの深い、愛しくて仕方ない大切な存在だから。

(この先、ナギにこの想いが伝えられなくても、僕は彼の隣にいること、唄い続けることを選ぶんだ)

 想いを刻み込むように最後の歌詞を歌い上げ、ギターの音が消えていく。その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

「最高のバレットのギター、ナギ!」
「同じく最高のボーカル、葉一!」

 お互いをそう同時に紹介し合い、僕とナギは互いの顔を見合わせ、そしてニヤリと笑って互いの拳をぶつけ、抱き合う。ライブは、大成功したんだ。それが身に沁みるようにわかった瞬間だった。
 ナギの体温を感じ、その熱さで視界が滲んで潤んでいく。
 ああ、やっぱり僕はナギが――

「――好きだ、葉一」

 抱き合ったままの耳元で、僕だけに聞こえるナギの声が低く甘く僕の鼓膜を揺らし、視界まで揺れて崩れていく。
 いま、彼はなんて言った? 事態が把握できなくて、僕は即応できない。
 それでも構わず、ナギはぎゅっと僕を抱きしめてこう続ける。

「ずっと俺と、バレットやって行こう。音楽でも、人生でも、俺のパートナーでいてくれよ」
「ナギ……」
「俺らは最強で最高なんだからさ、ずっと一緒にいよう」

 感情が、沸き立つほどに熱くなって目から零れ落ちていく。それを、ナギが拭って笑いかけてくれる。
 だから僕も、それに応えるべく口を開いて笑いかける。

「僕も、ナギが好きだよ。ずっと一緒にいたい」

 こうして僕らは100人ライブを成功させ、最強で最高で、最愛のふたりとして、僕らは音楽の世界を共に歩いて行くことになった。
 僕らの関係はこのもっと後に木暮さん達に明かすことになったんだけれど、バレットは僕らが高校を卒業するのを待って、無事にメジャーデビューをする事が出来た。