『リラックス・ハイテンション』は、ライブ配信でも披露するようになった。
オリジナル曲をやります、と言った途端に視聴をやめてしまう人もいて、やりながら内心かなり焦ったけれど、好意的に見てくれる人も意外に何人もいた。
何より意外だったのは、ナギが視聴者数にあまり振り回されていないことだ。だから、思わず配信を終えてからアーカイブを振り返っている時に、「視聴者数とか気にならないの?」と、訊いてしまった。
 ナギはコーラを飲みながら首を傾げ、「そうだなぁ……」と呟く。

「最初の頃は気になってたけど、ライブハウスとかで、対バンライブしてる感じと似てるなーって思えてきたから、そんなに、かなぁ」
「そ、そうなの?」
「意外、って思っただろ、葉一」
「……ごめん」

 普段路上ライブのお客さんが立ち止まる人数とか割と気にしているのに……と、思っていたから聞いたのに、そうでもないと言う。それが、対バンとどう関係あると言うんだろうか。
 ライブハウスでの演奏経験も、他の誰かと競演したこともないから、ナギの例えにピンとこないのが正直なところだ。そんなに、バンドでライブをするって大変なんだろうか。
 それが顔に出ていたのかもしれない。ナギはコーラを飲み干してから甘いゲップをし、それから苦笑して教えてくれた。

「対バンイベントってさ、お目当てのバンド以外ってお客さんにしてみれば、どーでもいい感じだったりするんだよね、結構。だからさ、ひどいとあからさまに自分のお目当て以外の時は聴いてないって言うか……会場出て行ってたりするもんな」
「え、そうなの?! ひどい……」
「考えてみろよ、金払ったのに、聴きたくもないバンドの歌とか聴かされるって」

 ライブに行く人はバンドというものの音楽が好きなんだと思っていたけれど、そんなに世の中は甘くもないらしい。自分の世間知らずさを思い知らされ、恥ずかしくなる。
 でも考えてみればそうだ。僕のナイトシンガーの動画も、興味を持たれなかったから視聴者数が伸びなかったし、チャンネル登録者数も少なかった。それが、ライブだと目の前に突き付けられるのだ。

「……残酷」
「まあな。だから、“今日の対バン相手の客取ってやろうぜ!”って気合が入るって言えばそうなんだけどな」
「だけどさ、ナギ、いつも路上ライブのお客さんの反応とか結構気にしてない?」
「まあ、気にはなるよ。目の前にいるんだし、特にこの街の路上ライブは、同じ場所で色んな奴らがやってて対バンのようであって、ワンマンの要素もあるからな。ワンマンは、自分たちの責任だから」
「なるほど……ナギって、結構色々考えてるんだね」
「なんだよ、ヒトが普段何も考えてないみたいな言い方だな」

 口調は怒っている感じだったけれど、ナギの顔は嬉しそうにほころんでいる。怒っているわけじゃない、とわかった事よりも、ナギとの距離がより縮まっている感じして、僕も嬉しい。不純な動機が入り混じっている気がするけれど、気持ちは純粋な想いだ。
 二人顔を見合わせて笑い、再び動画の管理画面に目をやると、「あれ、これってさ」と、ナギが画面を指す。指した先には、“ウッディ”というアカウント名の人からのコメントがあった。

「“この前聞いた時より緊張していなくていい感じでした。サビのところをもっと盛り上げられたらいいんじゃないかな”……なんだこいつ」
「この前聞いたって言ってるってことはさ、路上にも来てくれてるってことかな?」
「……だとしたらかなりガチな奴だな」
「固定ファンがついった、ってことかな」
「まあ、この人以外にも最近必ずって感じで来てくれる人何人かいるよな。ライブの日程聴いてきたりとかさ」

 有難いことに、まだそんなにたくさんではないけれど、最近、路上ライブをすれば顔を出して声をかけてくれたり(もちろん投げ銭もしてくれる)、ライブ配信も見てくれたりしてくれるような、所謂“固定ファン”みたいな人が出てき始めている。
 元々ナギのファンだった人もいるみたいで、ナギと仲良さそうに話している人が殆どなんだけれど、たまに、僕にも声をかけてくれたりすることもある。まだ全然、気の利いたことを僕は言えないんだけれど。

「このウッディって人もそういう人なのかな?」
「ん~……って言うより、アドバイスおじさんみたいなやつじゃね?」
「まだおじさんとは限らないじゃんか」
「いーや、こういうのはモテない独身おっさんなんだよ」

 すごい偏見だな……と、僕は呆れながら、配信画像のアーカイブを作成し、投稿する。アーカイブも僕らのところに辿り着いてくれた人が見てくれることもあるようだ。
 ナギはウッディという人のコメントに、懐疑的というか否定的だけれど、僕としては有難い客観的視点だと思っている。
 これまで自分の歌に、からかいや悪口でない、フラットな視点でのコメントさえももらったことがない僕にとって、このウッディという人、そして路上ライブに時々来てくれているあのおじさんの言葉が、嬉しいし有難い。
 少しずつ、自分なりの解釈で、なんだけれど、僕なりにアドバイスを参考にしてあれこれ試行錯誤しているところでもある。

「あのおじさんとか、このウッディさんとかの話聞いてたら、僕、上手くいく気がする」

 つい、そうこぼすと、ナギは呆れたように溜め息をついて首を横に振り、「葉一はチョロ過ぎんだよ」と言うのだ。
 さっき褒めたこと、前言撤回しようかな……軽くイライラしながらそう考えていると、ナギが「ウソだろ?」と、低い声で呟いたのだ。
 普段なら些細なことでもオーバーリアクションをするのに、と思って振り返ると、ナギの顔が暗く曇っている。目は虚ろで心なしか潤んでさえ見える。
 こんな、覇気のないナギは見たことがない……あまりのことが起きたのだろうかと、恐る恐る、「どうしたの?」と訊くと、ナギはカラカラに嗄れた声で答えた。

「……マネキアが、メジャーデビューしてる」
「マネキア?」

 聞き覚えがある名前を訊き返すと、ナギは、いましがた彼の覇気を奪った画像を指してこう言った。

「俺が、まだ高校生だから、って……ガキだからって脱退させられた、バンド」
「え……」

 ナギがバンドを脱退させられたのは、僕もあの夜目撃したことから知ってはいたけれど、まさか先にメジャーシーンに出てしまうなんて。まるでメジャーに行くためにはナギの存在が邪魔だったと言わんばかりの展開に、何と言葉をかければいいのだろう。
 はっきり言葉にはしていなかったけれど、ナギはこのマネキアのメンバーを見返すためにも、バレットでメジャーデビューしようと言っている気が僕にはしている。悔しさをばねにして、ハングリー精神というやつで伸し上がっていこうとしているんだろうな、と普段の言動の端々から感じていたからだ。
 だけど、それがいま、大人と子どもという決定的な差を見せつけられ、敵わない現実を突きつけられてしまった。
 視聴者数がようやく1000を超えるかというバレットに対し、相手は近々大きな有名ライブハウスでデビュー記念ライブを敢行するらしい。その広告画像が出ていたのだ。
 ナギは、いまどんな気持ちなんだろう……僕は、どう慰めれば……気の利いたことなんて一切言えない僕が、こんな一大事を目の当たりにした相方を慰められるわけがない。
 でも、やらなくては――そう、意を決し、声をかけようと口を開きかけた時、ナギはこちらを振り返り、突然僕に抱き着いてきた。肩に熱いもの――きっと涙に濡れている目許とか、口許とか当たっていて、確実にいまナギが泣いているのがわかる。わかっているからこそ、何を言えばいいかわからなかった。
 その代わりに剥き出しの首をそっと撫でていたら、ナギがうめくように呟く。

「絶対、メジャーデビューするぞ。そんで、ドームツアー毎年やるようなバンドになるからな……」

 圧力の強い言葉と食い込むような熱いナギの体温に、僕は気圧されてうなずくしかなく、「うん、そうだね」とだけ返せなかった。
 僕としては、ドームでのライブとか全然望んでいないし、考えたこともない。ただ、唄っていければいい。誰からもバカにされることなく、好きな歌を好きなように。例えば、歌ってみた動画みたいなのでちょっとバズる程度に。そう、僕は思っているだけなのに……この出来事は、ナギの中の野望により焚きつけてしまったようだ。

「頑張ろうな、葉一」
「……う、うん」

 いま僕の前にいる、誰よりも傷ついている彼を否定するような事なんて言えないし、出来ない。
 でもそれは、僕自身の考えや望みとは違うものを受け入れることになってしまう気がする。
 だとしても、僕は――やっぱり、ナギのギターで唄うことを選んでしまうんだろうか。この先に何が待ち受けているなんて全くわかっていないのに。