端的に言うと、初めてのライブハウスは楽しいものだった。
 出てくるバンドはうちの高校のOBバンドとその界隈という感じだったが、本気でプロを目指している人たちらしく演奏やステージングには技術の高さを感じた。
 生の演奏を目で見て耳で聞くことが一番刺激になるし勉強になる、と金沢先輩が言っていたが、まさにその通りだった。
 今まで自分の世界の中だけで音楽をやってきたので、この小さな地下室で起こったライブすら、すべてが新鮮に感じられたのだ。
「――晴彦? 大丈夫? ぼーっとしてるけど?」
「……へっ?」
 ライブの余韻に浸ってトリップしかけていたところを、凛に呼び戻される。
 しばらく声を出していなかったせいなのか、変に上ずった声が出てしまい恥ずかしくなった。
「すごいライブだったよね。うちのOBの先輩たち、プロかなってくらい上手かった」
「う、うん。ギターもベースもミスタッチがなかったし、演奏のリズムが全部ビタビタに合ってた。歌も、声がよく通ってて上手いと思う」
 僕は正直に感想を述べた。同業者なら嫉妬して貶し合うことがあるのかもしれないが、そういうのが性に合わない僕は、思ったことを言うことにした。
 それが凛にとって驚きだったらしい。彼女は少し目を見開く。
「なんだか晴彦、すごく饒舌だね」
「ご、ごめん……つい調子に乗って……」
「ううん、そうじゃなくて、やっぱり晴彦って音楽が好きなんだなって思った」
 凛の言う「やっぱり」という語句に、僕はちょっと嬉しくなった。
 会話こそほとんどしてこなかったここ数年間だけれども、一応僕という存在は凛の中には残っていたらしい。
「でも本当にすごかったよね。私もあんなふうに上手くなりたいなあ」
「……そういえば、こま……凛はいつベースを始めたの?」
 一瞬、凛のことを『小牧さん』と呼びそうになって思いとどまった。
 ここで『小牧さん』呼びをするのは不自然だし、せっかく進んだ道を戻ってしまう気がした。
 先ほど凛が「やっぱり」と言ってくれたことが、思ったよりも僕らの関係を近づけることに対して効いている。
「あー……そっか、そうだよね」
 凛は僕に聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量で、意味深に呟く。
「どうしたの……?」
「ううん、なんでもない。こっちの話」
「そ、そう……?」
 僕には彼女のその言葉の意味がよくわからなかった。深く勘ぐるのは良くないと思って、素直に彼女の話を聞くことにする。
「ベースはね、中学一年の終わりくらいから始めたんだよね」
「じゃあ、もう三年くらい弾いてるんだ」
「うん。音楽に興味持ち始めたのがその頃でね、ちょうど周りに同じ趣味の子がいたからその流れで」
「へえ、そうだったんだ。……あれ? ソフトボールやってなかったっけ?」
「あー……そっちは怪我しちゃってからなんかいろいろうまく行かなくなって、辞めちゃった」
 ソフトボールの話になって凛が無理に笑っていることを察知して、僕はすごく申し訳ない気持ちになってしまった。
 普段から明るい彼女だけに、暗さを見せたくないという気持ちがわかってしまったのが、ちょっと僕にとっても辛かった。
「ご、ごめん……無神経だったよね。根掘り葉掘りきいてごめん」
「ううん、いいのいいの。もう過ぎちゃったことだし、笑い飛ばしておかないと損だって」
 最後に凛が何か僕に言いかけた気がしたけれど、全然聞き取ることができなかった。
 何を言ったのか気にはなるけれども、聞こえないくらいの声で言ったのだから僕にとって関係のない事かもしれない。そういうことにしておいて、その日は解散した。

※※※

 ライブを観て刺激を受けたのか、数日後の練習で陽菜世先輩は凄まじい勢いでバンドメンバーを囃し立ててきた。
 具体的には、すぐに応募できそうな高校生バンドのコンテストをいくつか探し出してきて、それにエントリーしようと言い出したのだ。
「とりあえず申し込みできるところには片っ端から申し込もうと思うの」
「いいですね! コンテストなんてお祭りみたいで楽しそうです!」
 部室で練習が始まる前から、陽菜世先輩と凛はコンテストのことで盛り上がっていた。
 金沢先輩は「いいんじゃない?」と他人事のように言ってはいるけれども、内心すごく楽しそうにしている。
 もちろん、僕も楽しみといえば楽しみだ。
 同世代と競い合うという経験はスポーツの世界ならよくあることではあるけれど、こと音楽に関して言えばそれほど機会は多くない。
 ましてや課題曲をなぞる吹奏楽部やオーケストラと違い、こちらは自分たちで曲を作り上げるクリエイティブな要素さえある。
 ウェブの海の中へ自分の曲を投稿している僕ではあるが、それがどの程度通用するものなのかはっきり知りたいなと思っていた。
「それで応募する曲なんだけど……」
「そういえば陽菜世先輩、曲を作り始めたって言ってましたよね? 順調なんですか?」
「えーっと……その……」
 凛が質問を投げかけると、陽菜世先輩は目をそらして気まずそうな表情を浮かべる。
 この様子だと、曲作りが上手くいっていないのだろう。頑張るとは言っていたが、そう簡単にできるものではない。
「が、頑張ってはみたんだよ? でもなんか上手くいかなくてさ」
「だ、大丈夫ですよ。みんなヒナ先輩が頑張ってること知ってますから!」
「うう……凛はいい後輩すぎる……」
「でも、ヒナ先輩が曲を作れなかったとなると、やっぱり……」
「うん。今回は、ハルの曲をバンドアレンジして応募しようかなって」
 名指しをされてドキッとした。
 もともとそういう目的で僕はバンドに呼ばれたわけだけれども、あくまで陽菜世先輩が曲を作るための補佐役という感じだった。
 しかし事情が事情なのでこうなることも想定はしていた。問題は凛と金沢先輩がどう思うのかというところだ。
 二人とも優しい人であることはここ最近のことでよくわかった。
 しかしいきなり入ってきた陰キャラがバンドの肝でもある曲作りを一挙に担ってもいいものなのだろうか。度胸のない僕は、やっぱり気が引けてしまっていた。
「ぼ、僕にはやっぱり荷が重いですって……」
「そんなことないよ。ハルならかっこいい曲いっぱいストックしてるでしょ? 応募には二曲あればいいらしいからさ、お願いだよ」
「で、でも、金沢先輩や凛は……」
 僕は二人の方に目をやる。すると待ってましたと言わんばかりに
「俺はそれでいいよ」「私も」
 と、賛成されてしまった。
「じゃあ決定だね。早速ハルの曲をバンドで演奏できるようにしよう」
 僕の心配は完全に杞憂だったらしく、トントン拍子で話は進んでいった。
 昔から僕は新しいコミュニティに馴染むということが苦手で、上手いこと名前を覚えてもらったとしてもその先が続かないようなことが多かった。
 今回もそうだ。陽菜世先輩に背中を押されて凛や金沢先輩と頑張って会話できるようになったけれども、それ以上先に進むビジョンは全く見えていなかった。
 だから陽菜世先輩が僕の曲をバンドで採用すると言ってきたとき、不安で仕方がなかった。
 本当ならこのバンドは陽菜世先輩が中心となってメンバーが集まったもの。みんなは彼女の人柄に惹かれてバンドというコミュニティになった。
 もしかしたら運悪くバンドには入れなかったけど、陽菜世先輩から声がかかっていた人や、逆にこのバンドに入りたくて仕方がなかった人もいるかもしれない。
 そんなバンドの外の人のことを思うと、今の自分はあまりに出しゃばりすぎではないかと感じてしまうのだ。
「そんなに不安にならなくても大丈夫だよ。このバンドは、ハルが曲を書いて私が歌う、みんなそれでいこうと決めたんだから」
「で、でも……」
「本当はね、ハルが出会ったときのままだったら、この話はなかったことにしようかなって思ってた」
「えっ……?」
「だってハル、びっくりするくらい人見知りなんだもん。同じ部活の身内にまでうまくコミュニケーションをとれないままだったら、さすがにバンドをやるなんて厳しいって」
「す、すみません……」
 ごもっともな陽菜世先輩の意見に、僕はしょんぼりしてしまう。
「でもハルは逃げなかった。ちゃんと前に進んだよね」
「そ、そうですかね……?」
「そうだよ。紡とか凛なら、もう自然に話ができるようになったじゃん。しかも、自分からアクションを起こした」
「それは……陽菜世先輩がフォローを……」
「あくまで私は背中を押しただけ。その後でハルは頑張って一歩を踏み出したんだから、すごいんだよ」
 陽菜世先輩は笑顔で褒めてくれる。こんなに褒められるのはやっぱり性に合わない。全身がむず痒い。
「だからごめんね、ハルが頑張ったんだから私も曲をきちんと作れるようにならないといけなかったんだけど」
「そ、そんなことないですよ。曲作りはすぐにできるようになることじゃないので、まだまだこれからでも……」
 そう言うと、また妙な間ができた。一瞬だけど、陽菜世先輩が俯く。
 しかしすぐに顔を上げて、苦笑いを僕に見せつける。
「というわけで、頼んだよ大将」
「大将って……そんな」
 陽菜世先輩が強めに僕の背中を叩く。
 その痛みのせいかは知らないけれど、ようやく僕に前向きな気持ちが生まれてきた。
 ここまできて引き下がるわけにはいかない。困難から逃げようとしなかった僕を、バンドメンバーの皆は買ってくれている。
「が、頑張ります……!」
「そうそうその意気。じゃあ、練習始めよっか」
 再び陽菜世先輩は笑う。
 彼女がダメダメな自分を変えてくれたとに、僕はこのとき初めて気づくことができた。
 誰かのために行動するなんてことが今まで全く出来なかった。自分のことだって精一杯だったのだから。
 でも少しずつ変われている。成長している。
 だから、自分に期待してくれている彼女のために、恩返しがしたい。
 その日から僕の握るエレキギターには、今までとは違う熱みたいなものが宿り始めた気がした。