奈未とのいざこざがあった週の日曜日。朔と昼メシを食べに出かけようとしていたら、親父から電話があった。親父と話したあと、俺にスマホを手渡してきた朔が嬉しそうに頬を上気させる。
「再来週、ママがうちに帰ってくるって」
「へぇ、退院できるってこと?」
朔が母親とまた一緒に暮らせるようになるのは喜ばしいことだ。だけどその朗報は、意外にも俺を複雑な気持ちにさせていた。朔の母親が帰ってくるということは、彼女がここを出て行くということだ。
朔が初めてうちにやってきたときは、なんて迷惑なお荷物を俺に押しつけてきたんだと親父を恨んだけれど……。狭い部屋を朔と共有することに慣れた今、彼女が去ってしまうことを淋しいと感じている自分がいる。そう思うのは、このタイミングが奈未との別れが重なったせいかもしれない。
朔にとっては母親と元の家で暮らすことが一番幸せなはず。だから、喜んでやらないと。心に浮かぶ身勝手な感情を沈めて笑おうとすると、朔が「違うの」と首を振った。
「退院じゃなくて、一週間のいちじきたくだって」
朔が難しげな顔をしながら、その言葉を噛まないようにゆっくりと慎重に話す。
「一時帰宅?」
「うん。病気はまだ治ってないけど、この頃調子がいいから、ちょっとだけおうちに戻れるって」
ということは、今すぐここを出て行ってしまうわけじゃないのか。そう思うと、心に浮かんだ淋しさが消える。それもまた身勝手だと思ったけれど、複雑な想いが払拭されると、朔の母親の一時帰宅を心から素直に喜べた。
「で? その一時帰宅の日っていつから?」
「今度の土曜日。朝、おじさんが迎えに来てくれるって」
「ふぅん。楽しみだな」
「うん」
朔が明るい表情で、ひときわ大きく頷いた。
それから俺たちは、駅前のラーメン屋に昼メシを食べに行った。店を出て帰ろうとすると、朔がマンションとは反対方向の道を気にするように振り返る。不審に思った俺は、遅れてあとをついてくる朔を見て首を傾げた。
「どうした?」
「うん、えっと……」
朔が目を伏せ、口ごもる。うつむいてモジモジしてから顔をあげた朔は、口角をあげて不自然な笑顔を作ると、首を横に振った。
「なんでもない」
「ふーん」
朔の態度からして、なんでもないとは思えない。じっと見ていると、朔がふいっと目を逸らして俺の横を駆け足ですり抜けた。逃げるように駆けていく朔をつかまえると、彼女が困ったように目を伏せる。
「帰ろう、お兄ちゃん」
小さな声で訴える朔の鼻先が、ウサギみたいにヒクついて震えていた。
「何かあるなら、我慢してないでちゃんと言え」
「なんでもないから……」
弱々しい声で、それでも頑固に反論する朔を睨むように見つめ続けると、ようやく観念した彼女がポツリとつぶやく。
「あのね、折り紙買っちゃダメ?」
「は?」
何かもっと深刻な問題でも起きたのかと思ったら、折り紙……? 怪訝な顔をする俺を、朔が恥ずかしそうにちらりと見る。
「ママが退院するときに、何かプレゼントをあげたくて……」
「プレゼント?」
それと折り紙と何の関係があるんだ。プレゼントなら、花とか小物を買いに行けばいいのに。そんなふうに訝しんでいると、朔がもじもじしながら言葉を続けた。
「折り紙でね、ママに何か作ろうと思って」
朔に言われて、花とか物のプレゼントっていうのは大人的な発想なのかなと気付く。そういえば和央も、去年の俺の誕生日に保育園で作った折り紙の手裏剣くれたっけ。
「行くか」
俺はそう言うと、踵を返してアパートとは逆方向に歩き出した。ラーメン屋の先にドラッグストアがある。たしかそこに、折り紙が売っていたと思う。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
立ち止まって振り返ると、朔が俺を見上げて瞬きをした。
「折り紙買いに行くんだろ?」
呆れ顔で返すと、朔の表情がぱっと明るくなる。
「うん」
朔は大きく首を縦に振ると、俺に向かって嬉しそうに駆けてきた。
「何作んの?」
ドラッグストアに向かう道中訊ねると、朔がちょっと考えてから顔を上げた。
「くす玉作ろうかな、って」
「何それ?」
「あのね、小さく折った折り紙をいっぱい繋げて星みたいな形にした綺麗なやつ。江麻先生が前に作り方教えてくれたんだよ」
「へぇ」
朔が話しているのがどんなものかあまりよくイメージが湧かなかったけど、とりあえず頷く。朔の話からして、プレゼントにできるくらいには見栄えのするものなんだろう。
それを教えてくれたのが江麻先生だと聞いて、この前食事に行って以来会っていない彼女の顔が、ふっと浮かんで消えた。
「再来週、ママがうちに帰ってくるって」
「へぇ、退院できるってこと?」
朔が母親とまた一緒に暮らせるようになるのは喜ばしいことだ。だけどその朗報は、意外にも俺を複雑な気持ちにさせていた。朔の母親が帰ってくるということは、彼女がここを出て行くということだ。
朔が初めてうちにやってきたときは、なんて迷惑なお荷物を俺に押しつけてきたんだと親父を恨んだけれど……。狭い部屋を朔と共有することに慣れた今、彼女が去ってしまうことを淋しいと感じている自分がいる。そう思うのは、このタイミングが奈未との別れが重なったせいかもしれない。
朔にとっては母親と元の家で暮らすことが一番幸せなはず。だから、喜んでやらないと。心に浮かぶ身勝手な感情を沈めて笑おうとすると、朔が「違うの」と首を振った。
「退院じゃなくて、一週間のいちじきたくだって」
朔が難しげな顔をしながら、その言葉を噛まないようにゆっくりと慎重に話す。
「一時帰宅?」
「うん。病気はまだ治ってないけど、この頃調子がいいから、ちょっとだけおうちに戻れるって」
ということは、今すぐここを出て行ってしまうわけじゃないのか。そう思うと、心に浮かんだ淋しさが消える。それもまた身勝手だと思ったけれど、複雑な想いが払拭されると、朔の母親の一時帰宅を心から素直に喜べた。
「で? その一時帰宅の日っていつから?」
「今度の土曜日。朝、おじさんが迎えに来てくれるって」
「ふぅん。楽しみだな」
「うん」
朔が明るい表情で、ひときわ大きく頷いた。
それから俺たちは、駅前のラーメン屋に昼メシを食べに行った。店を出て帰ろうとすると、朔がマンションとは反対方向の道を気にするように振り返る。不審に思った俺は、遅れてあとをついてくる朔を見て首を傾げた。
「どうした?」
「うん、えっと……」
朔が目を伏せ、口ごもる。うつむいてモジモジしてから顔をあげた朔は、口角をあげて不自然な笑顔を作ると、首を横に振った。
「なんでもない」
「ふーん」
朔の態度からして、なんでもないとは思えない。じっと見ていると、朔がふいっと目を逸らして俺の横を駆け足ですり抜けた。逃げるように駆けていく朔をつかまえると、彼女が困ったように目を伏せる。
「帰ろう、お兄ちゃん」
小さな声で訴える朔の鼻先が、ウサギみたいにヒクついて震えていた。
「何かあるなら、我慢してないでちゃんと言え」
「なんでもないから……」
弱々しい声で、それでも頑固に反論する朔を睨むように見つめ続けると、ようやく観念した彼女がポツリとつぶやく。
「あのね、折り紙買っちゃダメ?」
「は?」
何かもっと深刻な問題でも起きたのかと思ったら、折り紙……? 怪訝な顔をする俺を、朔が恥ずかしそうにちらりと見る。
「ママが退院するときに、何かプレゼントをあげたくて……」
「プレゼント?」
それと折り紙と何の関係があるんだ。プレゼントなら、花とか小物を買いに行けばいいのに。そんなふうに訝しんでいると、朔がもじもじしながら言葉を続けた。
「折り紙でね、ママに何か作ろうと思って」
朔に言われて、花とか物のプレゼントっていうのは大人的な発想なのかなと気付く。そういえば和央も、去年の俺の誕生日に保育園で作った折り紙の手裏剣くれたっけ。
「行くか」
俺はそう言うと、踵を返してアパートとは逆方向に歩き出した。ラーメン屋の先にドラッグストアがある。たしかそこに、折り紙が売っていたと思う。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
立ち止まって振り返ると、朔が俺を見上げて瞬きをした。
「折り紙買いに行くんだろ?」
呆れ顔で返すと、朔の表情がぱっと明るくなる。
「うん」
朔は大きく首を縦に振ると、俺に向かって嬉しそうに駆けてきた。
「何作んの?」
ドラッグストアに向かう道中訊ねると、朔がちょっと考えてから顔を上げた。
「くす玉作ろうかな、って」
「何それ?」
「あのね、小さく折った折り紙をいっぱい繋げて星みたいな形にした綺麗なやつ。江麻先生が前に作り方教えてくれたんだよ」
「へぇ」
朔が話しているのがどんなものかあまりよくイメージが湧かなかったけど、とりあえず頷く。朔の話からして、プレゼントにできるくらいには見栄えのするものなんだろう。
それを教えてくれたのが江麻先生だと聞いて、この前食事に行って以来会っていない彼女の顔が、ふっと浮かんで消えた。