夏休みも終わりが近付いたある日の朝。目を覚ますと、不在着信が1件あった。深夜0時過ぎに電話をかけてきていたのは奈未で。夏休み前に約束をすっぽかして以来の彼女からの着信だ。

 すぐに掛け直してみたけれど、何度コール音を鳴らしても奈未からの応答はない。

 仲直りしないとは思いつつ、結局奈未とは1ヶ月以上も連絡を取り合っていなかった。それなのに、夏休みのあいだ彼女のことがほとんど気にならなかった俺は、考えてみると割と最低かもしれない。

 そもそも、1ヶ月以上も連絡取り合っていなくて、まだ付き合ってると言えるんだろうか。
 
 そんなことを考えながら、いつも早起きの朔がいねーなと思う。

 欠伸をしながら狭い部屋を見回していると、着信が鳴った。

 奈未かもと、急いでスマホをつかむ。けれど通話ボタンを押すと同時に聞こえてきたのは、舌足らずな子どもの声だった。

「にーちゃん、ゆうえんちいきたい!」
「は?」
「あのねー、おとうさんがチケットくれたんだ」
「チケット?」
「うん、おしごとでもらったんだって」
「ああ。遊園地の割引き券もらってきたってこと?」

 話を纏めて問い返すと、いまいち要領を得ないのか、和央が曖昧に「うん?」と返事した。

 親父は昔からたまに、取り引き先かなんかから、子ども向けの遊園地とかテーマパークとかの割引き券をもらってくる。俺も小さい頃、親父がもらってきたそれで遊びに連れてってもらったことがあった。けど……。海の次は遊園地か。

「親父がもらってきたんだろ? たまには親父に連れてってもらえよ」

 面倒くさそうに答えると、和央が黙り込んだ。

「じゃぁもう切るからな」

 それをいいことに通話を終えようとすると、「にーちゃん!」と和央が必死に呼び止めてくる。

「何?」

 問い返すと、和央がまた黙り込んだ。

「用ないなら、もう切るからな」
「にーちゃん!」
「だから、何?」

 そしてまた、和央の沈黙。そんなやりとりが続き、今度こそ本当に電話を切ってやろうと思ったとき、和央が小さな声でぼそりと言った。

「にーちゃん。サクは、ゆうえんちすきかな?」
「朔? 何で?」
「だって、おとな2まいとこどもが2まいなんだよ」
「何が?」
「おとうさんのくれた、チケット」
「それで?」
「サク、こどもでしょ?」

 和央がぼそぼそと、けれど懸命に俺の質問に答えようとする。

 最初は和央が何を言いたいのかよくわからなかった。けれど問いつめているうちに、あることに思い当たる。

 あぁ、そうか。和央は朔のこと……。

 スマホを片手ににやりと笑んだとき、外からベランダの窓が開いた。いないと思ったら、ベランダで何かしていたらしい。ノートと鉛筆を手にした朔が、部屋に入ってきた。

「電話かわってやるよ。だから自分で誘えば? 遊園地」

 朔を横目で見やりながら、和央に意地悪くけしかける。

「え!? にーちゃん、きいてみて!」

 和央の慌てた声が聞こえてくるのを無視して、俺は朔にスマホを差し出した。

「朔。和央から」

 スマホを突き出してにやにやする俺を、朔が不審げに見てくる。朔は持っていたノートと鉛筆をローテーブルに置くと、首を傾げながら無言でスマホを受け取った。

「もしもし?」

 スマホを両手で支えながら、朔が和央の話に「うん」と何度も相槌を打つ。どんな話をしているのかはわからないけれど、遊園地に誘うだけにしては、彼らの通話は長かった。

「いいよ。じゃあね」

 ずっと「うん」しか言わなかった朔が、ようやくそれ以外の言葉を発して電話を切る。

「カズくんが、明後日遊園地に行こうって」
「ふーん」

 スマホを握りしめたまま、朔が俺を振り返る。

 あいつ、ちゃんと誘ったんだな。

 うっすらと笑みを浮かべながらスマホを受け取ろうとすると、朔が拒否するように首を横に振った。

「何だよ。もういいだろ、返せ」

 なぜか朔がスマホを返そうとしないから、俺のほうから強引に奪いにかかる。すると朔は、両手で強くスマホを握りしめて、さっきよりも大きく頭を振った。

「カズくんが江麻先生も誘おうって。電話かけていい?」
「江麻先生?」

 柔らかく微笑む彼女の顔を思い出すと、胸の奥がほわりと温かくなる。そういえば、江麻先生とはこの前海に行って以来だ。顔を合わせていないし、連絡もとっていない。

「どうしてカズが江麻先生を誘いたがってんだよ」
「遊園地の大人のチケットが二枚あるんだって。だからカズくんが江麻先生にも会いたいって。江麻先生のお仕事がお休みかはわからないけど、誘ってみてもいいかな?」

 朔が上目遣いに俺を見る。巣穴から外の様子を窺うウサギみたいな、朔の大きな丸い瞳。出会った頃によく見せていた少し不安げな表情に、俺はちょっと苦笑いした。

 江麻先生を誘おうと言い出したのは和央。でも、きっと本当に江麻先生に会いたいのは朔のほうなんだろう。

「電話してみれば?」

 そう言うと、朔が嬉しそうに頷いた。