社に向かって二礼二拍手。まずは、忙しくて数ヶ月間訪れなかった事を詫びる。
(神崎葵です。なかなか来られなくて申し訳ありませんでした。またよろしくお願いします。年齢は29歳、住所は…)と氏神様に改めて自己紹介してから、日々無事に過ごせていることの感謝を伝える。
願い事は…あまりしない。
それは、今の生活に満足しているから。
彼氏こそいないが、両親は健在。仕事も充実している。そこそこの蓄えもできた。これ以上は望まない。
かといって将来への不安が全くないわけではないが、ま、何とかなるだろう。
しばらく境内を散策した後、お気に入りの店でランチでもして帰ろう。そう思った瞬間ポケットの中のスマホが震え、思わず(ひっ!)と声が出る。20センチ位飛び上がったかもしれない。
電話の主は雨宮美咲だった。
「私よ葵。しばらく会えなかったけど…どう?元気だった?」
「まぁまぁかな。で、何か用?」
驚かされた恨みを込め思いっきり不機嫌な対応をしてみたが、そんなこと美咲は意に介さない。
「もぉ〜相変わらず素っ気ないなぁ。本当は私から連絡があって嬉しいくせに」
いつもこの調子だ。
「美咲、あなた私に歓迎されてると思ってるわけ!?ほんとポジティブっていうか、なんていうか…」
「そんな喧嘩腰で言わないでよ。眉間のシワが増えても知らないんだから」
「ないわよ!眉間にシワなんて」
「そうなの?それは失礼しました」
安定の口の悪さだ。まぁ私も人のことは言えないが。
美咲との出会いは中学校まで遡る。入試を突破して入ったカトリックの一貫校。これで大学まで安心だと喜ぶ両親を後目に、私は知らない人ばかり環境に戸惑っていた。そんな私に、最初に声をかけてきたのが美咲だった。
「神崎さんの髪って天然パーマなの?いいな〜すっごく可愛い。私は雨宮美咲。これからよろしく」
「こちらこそよろしくね」
そう応えながらも、私はかなり動揺していた。初対面の人にいきなり容姿の話!と驚いたのと同時に、自分の方こそすっごい美人のくせに。と羨望とも嫉妬が入り混じった感情を抱いたことを、今でもはっきりと覚えている。
私とは真逆の艶やかな黒髪。パッチリとした二重の目、真っ直ぐ通った鼻筋に、桜色の唇。
これで性格がもう少し…いや止めておこう。
「もしもし、葵?聞いてる?あおい〜」
電話口で、私の名前を連呼する美咲の声に私は現実に引き戻された。
「ごめん思い出に浸ってたみたい。私たち何で友達になったんだろう?とか」
「何それ?今さら考えることじゃない気がするけど…ところで葵ちゃん」
語尾にハート付いていそうな高く柔らかな声。しかし私は、その声に身構える。
なぜなら、美咲が、猫なで声を出す時、私にはろくな事がないからだ。それは、過去の出来事から既に学習済み。
例えば終電を逃したから泊めてほしい、もちろん朝食と服の貸し出しサービス付き。
またある時は、部屋の模様替えの手伝い。やったのは美咲ではなく私。美咲はというと、紅茶片手に指示を出すだけ。その日は一日くたくたになるまで働き、お礼は缶ビール6本プラスありがとうのお言葉。他にも挙げていけばキリがない。
では、なぜ友人関係を継続しているのかというと、彼女の内面を知っているから。普段は自由奔放だが、誰よりも、優しくて、友達思い。
学生の頃の私は、全てに幻滅していた。今にして思えば厨二病的なものだったんだろうが、あのころは、私が存在する世界にだけ色がついていない。そう感じていた。どこまで続くか分からない長い長いトンネルを歩き続けていく。そんな感じと言えば伝わるだろうか。
美咲はそんな私に対していつも優しく接してくれた。今にして思えば同級生なのだから、美咲もそれなりに思春期特有の悩みがあったはずなのに。
そして極めつけは、あるの下校時に彼女がサラリと発した言葉。私はこれにやられてしまったのだ。
「葵は私の事どう思ってるのか分からないけど。私は親友のためなら何でもできる。だから、我慢しない。遠慮もしない。泣きたいなら泣いていい。とにかく自分の気持ちに素直に生きる。分かった?ずっとずっとず〜っと仲良しだからね」
と言われた時は、思わず抱きしめてしまいそうになった。この言葉に、私はどれだけ救われてきたか。
本人はもう忘れているかもしれないけど。
でも実際、振り回されるのはいつも私。こんな関係がもう10年以上続いている。
「もうしばらくしたら葵の家行くから。いろいろよろしく〜」
それだけ言うと電話は一方的に切れた。
「今から…美咲が…来襲…嘘だよね?」
状況が飲み込めずしばらくその場に立ちすくしていた私だが、
「止めなさいちくわ!お姉さん困ってるでしょ」
という声で我に返った。
気がつくと赤いハーネスを付けた猫が足元でスリスリしている。
「ごめんなさい。この子人が好きで」
そう言う女性は謝っているのにどこか誇らしげだ。きっと家族同様に大切にしているのだろう。艶やかな毛並みが全てを物語っていた。
「お散歩中…ですか?」
「そうなの。毎日この神社に来るのが日課で」
「まねき猫みたいですね」
そう言うと、女性は真剣な表情を浮かべ私にこう告げた。
「うちのちくわは縁起がいいの。この前もこの子と遊んでくれた人が宝クジに当たって。ま、当たったって言っても3,000円なんだけど」
「すごっ!?」
思わず超えがでる。私の反応がよほど嬉しかったのか、女性の声のトーンが上がる。
「だ、か、ら、あなたにもいい事が起こるわよ。私が保証する」
ここまできっぱり断言されると清々しさまで感じてくる。
「本当ですか?何だろう?お願いね!ちくわちゃん」
私は女性とちくわにお辞儀をすると家へ向かって急ぎ足で歩き始めた。
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マンション前に着くと美咲はすでに来ていて、暇そうにスマホを弄っていた。私の姿を見かけると駆け寄ってくる。その姿が飼い主を待っていた犬みたいで思わず笑ってしまう。そして留守番をしていた犬もとい美咲は
「も〜葵、遅い!どこに出掛けてたの?」
不満げに口を尖らせていた。
「ちょっと近くの神社に…」
「神社!?葵どうしちゃったの?中学から神様?どんな神様も信じてないけど。とか言ってた葵が神社に!」
「美咲!声大きい。誰かに聞かれてたら恥ずかしいじゃない」
しかし、美咲は声量こそトーンダウンしたもの追求の手を緩めない。
「葵、神様にお願いしないといけない事態が起きたの?何で連絡して来ないのよ!もしかして…妊」
「なわけないでしょ」
「そんなの分からないじゃない!今はいろいろな形があるし」
「精子提供してもらうとか?」
「言っちゃった。人がせっかくオブラートに包んであげたのに」
真っ赤になる美咲が可愛く、さらにからかってみたくなるが、屋外ということもあり、ぐっと我慢した。
「そうだ葵、私ワイン買ってきたの。たくさん飲も!」
そう言われ美咲の手元を見ると成城石井の紙袋が揺れていた。思わずナイスと言いそうになるが、ここで素直に喜ぶのも面白くない。
「残念〜明日は雨確定みたいね。でもありがと」
「なんで私が手みやげ持参したら雨が降るのよ」
「はい。はい。分かりました。お客様」
「なにあしらおうとしてんの。それから今夜は語り合おうねっ!」
「嫌よ。もうそんな歳じゃないでしょ」
「何言ってんの?人生まだまだこれからでしょ」
「心がけは素晴らしいと思いますよ美咲さん」
「でしょ。何でも勢いよ」
「さんざんそれで失敗してるのに?」
「それは少し言い過ぎじゃない?」
「ごめんね〜とりあえず謝っとく」
「謝ればいいってものでもないのよ」
「はいはい」
「ちょっと〜ねぇ葵」
楽しい夜になりそうだ。私は期待を込めて、ドアを開け美咲を室内へと促した。
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「乾杯しよ乾杯!」
美咲が弾んだ声を上げる。しかしすぐに真顔になり私に問いかけてくる。
「葵、なんか竹輪の比率多くない?油揚げならなんとなくわかるんだけど」
美咲の思考が手に取るように分かり、思わず笑ってしまう。
「神社、キツネ、油揚げ。単純すぎない?」
「悪かったわね。どうせ葵みたいに頭良くありませんよ〜」
「ところで美咲、竹輪、苦手じゃないよね?」
「そんな事ない。全然ない。むしろ好き。ていうか大好き。いつもはわさび醤油とか付けて食べてるから、こんなに手の込んだことしないけど。やっぱり葵すごいわ。竹輪の唐揚げに、竹輪のチーズ焼き、それに…えっ!?何でこの竹輪丸くなってるの?後でレシピ教えて」
「簡単よ。竹輪を縦に4等分して縛るの。そしたら…ていうかティックトックで竹輪レシピって入れたらめっちゃ出てくるし」
「葵、なんかJKみたい」
「えっ!?美咲ティックトック入れてないの?」
「入れてるけど葵はなんか…イメージできないって言うか。レシピ本見ながら作る感じ?読書好きな印象があるからかな〜?ね?」
「本人に同意求めないでくれる?どう反応していいか分からなくなっちゃうでしょ」
「そうだよね。ごめん」
「実は、美咲から電話もらった時、神社でね」
「なに?なに?かっこいい男子でもいた?」
私は美咲に、ちくわとの出会いを話して聞かせる。
「猫か〜!惜しい!でも猫の名前にちくわ!めちゃめちゃ可愛い!それにすっごく美味しそう」
確かに食欲をそそる名前ではあるが…
「白に茶色の模様の猫ちゃんだったんだ。私も会いたかったな。」
「ううん。真っ黒」
「真っ黒!?それちくわじゃなくて、はんぺんとかの方が良くない?静岡名物になかった?黒はんぺんとかいうの」
「だから…」
したり顔で美咲が頷く。
「頭の中、竹輪でいっぱいになっちゃった。と」
「そういうこと」
「なるほどね!そうだ葵もう1回乾杯しよ。今度はちくわちゃんに」
私たちは2度目の乾杯をする。
「葵の料理意欲を高めてくれてありがとう!乾杯!」
弾んだ声で美咲がグラスを高く掲げた。
(今、私、幸せだ)
唐突にそう思った。 美咲がいて私は幸せだと。
「はぁ〜幸せ」
ハッとして顔を上げると、目の前には満ち足りた顔をした美咲がいた。
「ウソ?私も幸せ。って思ってた」
「葵も!?すっごい。以心伝心!ていうか、料理とお酒と私。幸せの要素しかないしね」
「何その、部屋とYシャツと私みたいな言い回し。昔よく聴いたなぁ。あの歌」
「葵!平松愛理知ってるの?」
「親が好きだったから。それで」
「部屋とYシャツと私〜愛するあなたのため〜」
2人で声を合わせる。
「でも、でも、よく考えたらすっごい歌詞だよね」
そう私が言うと、ものすごい勢いで美咲が反応する。
「分かる!2番でしょ。夫が浮気したら、毒入りスープ飲ませて一緒に逝く」
「それね!分かる!」
「ま、私は親友がいてくれれば彼氏なんかいらないから。ね〜葵ちゃん。いつもありがとう」
「やだ美咲。もう酔ってんの?」
「さぁ〜どうだろう」
「もう。どうだろう。って何よ。訳わかんない」
しかし本当に酔いがまわってきたみたいで、自然と私の口も軽くなる。
「でも、10年以上も友達なんだから、これはもう一生一緒に過ごす運命なのかもね」
「どうしたの?葵らしくない。普段そんなこと言わないのに…そうだ、お水飲む?持ってこようか?」
美咲が心配そうな顔で、私を見つめてくる。
「大丈夫。でもやっぱり持つべきものは同性の友だよね」
「当たり前でしょ。こんなに可愛い美咲ちゃんと友人なんだから…感謝してよね」
「すぐ、調子に乗る。それに…」
「それに?」
「やっぱり自分の事可愛いと思ってたんだ」
「当たり前でしょ。今さらどうしたの?両親からも世界一可愛いって言われてきたし。でも、葵は、そんな私が衝撃を受けるほど綺麗だった。自覚ある?」
「あっ、あるわけないでしょ。からかわないで」
「う〜ん」
「何よ美咲。どうしたの?」
「可愛くて、謙虚で、料理上手。世の中の男見る目なくない?ねぇ葵。なんで独身なの?」
「そんなの分かるわけないじゃない!それが分かったら苦労しないわ」
「あっ!」
突然美咲が大声をあげる。
「どうしよう。葵との写真インスタに上げるの忘れてた。皆に見てもらいたかったのに」
珍しく凹んでいる。
「今からでも間に合うんじゃない?なんか私もインスタ始めたくなってきた。美咲ってフォローワー何人くらいいるの?」
「ほとんど同級生よ。人数は…300人くらいかな。だからよけいに葵との写真載せたいんだよね。私たちは元気ですって近況報告も兼ねて。最近みんな子供が生まれたって写真ばかりだから何か投下しとかないと」
「それ…完全に煽ってない?」
「大丈夫よ。そうだ葵?これ誰だか分かる?」
美咲のスマホには赤ちゃんを抱いた同級生の姿があった。
「えっ!?奈緒だよねこれ。奈緒も子ども産まれたんだ」
「そうなの。可愛いよね。でも大変な事も多そう。夜泣きとか」
「命を育てるって大変だよね。やっぱり。みんな凄いなぁ。尊敬する」
美咲も大きく頷いているが、やがてこう切り出した。
「やっぱり写真撮ろ葵。食べかけの食事とともに。私たちの幸せも全世界に発信しなきゃ」
「別に構わないけど。張り合っても仕方なくない?」
「そんなんじゃないから。じゃあ、はいチーズ」
満面の笑みで微笑む美咲と写真に収まる。
「中学校からの仲良しと女子会」
「仲良しじゃなくて親友の方が良くない?」
私の言葉に美咲は目を見開いた。
「葵、今初めて私のこと親友って呼んでくれたよね。ヤバい感動した!」
美咲が私に抱きついてくる。
「よかった〜私実はかなり、いやだいぶかな?気になってて…私だけが勝手に葵のこと親友だと思ってるんじゃないかって」
「そんなこと…」
美咲に感謝を伝えるなら今しかない。この機会を逃したら、たぶん私は一生後悔する。
「美咲、いつもありがとう。これからも末永くお世話になります」
「葵…大好き!」
「はいはい。分かった。分かった。ていうかずっと親友だと思ってたから。美咲?も〜泣かないの」
次に神社に行ったら…
美咲と出会えた感謝を伝えよう。彼女と同じ時代に生きることができて幸せです。と
「そうだ!葵!明日、私を神社に連れって。どんな所か見てみたい。葵がお世話になってるお礼も言いたいし」
「じゃあもう今日は早めに休まなきゃ」
「え〜まだまだこれからでしょ。大丈夫。明日はちゃんと起きるから。ね?」
「疑わしい…」
「何よその顔?」
「信用してない顔」
気楽で楽しいガールズライフ。こんな生活も悪くない。
私の人生の主役は私自身。毎日懸命に、楽しく、健気に、真面目に生きている。そしていつか旅立つ時に、(幸せな人生だった)と思えたら…私はこの世に産まれてきた意味がある。と思ってる。
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「葵〜神社ってまだ?私疲れたんだけど。お腹も空いたし。天気がいいことだけが救いだわ。誰だったかな〜昨日、今日は雨だって言った人?」
「悪かったわね」
「そうだ葵!何か奢って。屋台とかないの?」
私の肩をぐいと掴み美咲が訴える。
「朝ごはん食べたでしょ。それと、屋台は、お祭りの時しか出ないから」
「今日は?」
「普通の日」
ガッカリした様子の美咲だったが、すぐに顔を上げ、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「じゃあ葵…御朱印帳買お。お揃いか色違いで。そしたら頑張れる」
「自分で払いなさいよ」
「分かってる。じゃあこんなのはどう?お互いにプレゼントし合うの。私は葵に。葵は私に」
「それならいいけど」
「じゃあ決まりね。楽しみ。楽しみ」
現金な友だ。
神社に到着した瞬間、爽やかな風が吹き抜け、瞬く間に辺りは静寂に包まれた。周りだけ、透明な膜で覆われようなかん描きになる。
美咲も気がついたようで、しきりに私の腕をつついてくる。
「葵、今なんかすっごく神聖な空気が漂ってない?」
「シーッ。お願いだから黙って」
「もしかしてこれって…サインなんじゃない?雑誌で読んだことある。ちょっと待って。えっ?嘘でしょ」
ハッとした顔をして美咲が手を口に当てる。
間違いない。これは神社が、正確にはここに祀られている神様が私と美咲を歓迎している合図だ。
厳かな雰囲気の中、私たちは揃ってこう宣言した。ずっとずっと親友でいます。と