二分の一サンドウィッチ

ポルテの目は片方開いた。そのまま何回かぱちぱちっと瞬きをする。
「居眠りしていたのか…今は何時だ…」
地平線に太陽が少しだけ出ている。空はオレンジ色だがこれから夜になるわけではなく、だんだんと明るくなってゆく。
ポルテはこの太陽を見たくはなかったが、朝日を挟まずに夕日を連続で見るためには飛行機にでも乗って旅をしなければならない。
ポルテは人のいない小さな道をゆっくりと視界に入れる。彼の横には自転車が倒れている。
草の上に寝っ転がっていたせいか頭が痛い。
ポルテは大きく一回あくびをしてふらつきながら立ち上がった。やはり人間睡眠不足であると健康に悪い。
しかし、ポルテという男の場合、そうも言っていられない。
午前四時に起床。自転車を一時間十五分こぎ、二つの山を超え、五時二十分ごろ仕事場に到着。朝食は食べない。小うるさい上司の下で、石を運んだり、丸太を運んだり、ときには火薬を運ぶ。昼に食事を兼ねての二十分の休憩。そしてまた再開。一日の作業をすべて終わらせるためにはちょうど日付をまたぐぐらいの時間まで休まずに働き続けなければいけない。少しでも怠ると上司からの罵声が飛んでくるだろう。
一見、奴隷のような過酷な仕事だが、給料が安くとも出ている分、断然ましだ。そんなことを考えながら、そのまま帰路に就く。夕食はスープ一杯。別にポルテは少食ではない。ただ、これほどの安月給ではこの食事が精一杯なだけだ。
家に帰ると妻のヴェルテが眠い目を擦りながら優しく帰りを待っており、やわらかい言葉で彼をむかえ、五秒ほど沈黙のハグをしてから、スープを二人で飲み、すぐにそれぞれぐっすり眠りこける。
一昨日は、ヴェルテも靴下縫いの仕事で忙しかったのか、おやみなさいと書かれた一枚の紙がいつもヴェルテの座っている椅子の上にそっと置いてあるだけであった。小さな寝顔にそっとキスして倒れるように眠る。時間は一時半。翌朝も四時に起きるので睡眠時間は二時間半。毎日がこのようではふらつくのも無理はない。
二十一という若さであるにもかかわらず、早死にしそうな生活だ。
もう少し仕事場の近くに引っ越せばよいのに、と感じる方もいるだろうが、世の中そう単純ではない。引っ越しするだけのお金と、時間がないのだ。ただでさえ食べることに苦労しているというのに引っ越しなんてお金のかかることなどできない。
次に、では家の近くに就職すればよいのに、と思うかもしれない。が、それはかなわなかった。彼の家のまわりの仕事を司る支配人、たちに忌み嫌われていたので、全て門前払いさせられたからだ。
ポルテは子供のころ、乞食だった。
そのとき、山でなにか食べられそうな物を探していた際、クマに襲われ、右目に傷を負い開けられなくなってしまった。以来、常に片目で生活しており、ヴェルテの作ってくれた色彩豊かな眼帯をつけられることに、むしろこの右目に感謝していた。
ただ、片目のない、貧乏で色白な細い男がいると、お金を持て余すような人間は彼に嫌悪を抱くらしい。いや、悪口を言える相手であれば、だれでもよかったのかもしれない。町では金持ちが冗談まじりに話した彼の目の呪いだ、なんだの、悪い噂が広まっていた。誰かを罵倒したいという金持ちのどす黒い願望に、片目の男はうってつけだったのだ。
ポルテは誠実で優しく、努力家であったが、悪い噂と奇妙な眼帯のせいで怖がられ、恐れられ、ついにはこの町のどの仕事にも就けなかったのだ。
そんな経緯もあって、職場が噂のない、とても遠い場所になってしまった。
その仕事場には小さなぼろっちい宿舎があるのだが、そこには泊まらず、未だに自転車で通っている。これは不器用な彼なりの彼女への思いやりだ。普段、仕事に出ていて顔を合わせられないためほんの何秒かだけでもいいからそばにいたいと考える、彼が誠実な心をもった人間であることの証明なのだ。
とにかくこのポルテという男、常に寝不足なのである。

あくびをしてから、しまった!とポルテは思った。
どうやら、小さく舗装された道を少しはずれ、ネズミの背丈の草のベッドで彼の自転車と共に気持ちよく寝ていたらしい。
昨夜の帰り道、自転車をこぎながら睡魔に襲われ、ふらふらと道のわきに近づき、自転車と一緒に横に倒れ、起き上がる気力もなくそのまま目を閉じた。そして気がつくと、もう朝日が顔を出す時間である。
急げばなんとか仕事に間に合う。しかし、それよりも妻のヴェルテに心配をかけさせてしまうことを悔やむ気持ちが先に来た。家に帰りたいのは山々だが今日の二人分の食事代を稼がなければならない。
自転車にまたがり、いざ出発しようとしたとき、前から、がらがらと車輪の回る音がした。
「おっ、ポルテさん!おはようございます」
重そうな台車を難なく引っ張っている彼の出した声は大きな元気のよい声だった。としは十五歳から十七歳ぐらいだろうか。筋肉質で髪は短い。名前はビジー。ポルテと顔なじみの配給運びだった。
ポルテたちの地域では配給に砂糖や、バター、ハムなどの原材料ではなく、コッペパンにハム、チーズ、レタスが挟まれた簡単なサンドウィッチのような調理されている状態での配給になっていて、この国の中ではとても珍しい配給制度である。
この若い配給運びが、「助かることには助かるが、料理に使う時間があればもっとお国のために働きやがれってことなんじゃないか」と言っていたのをポルテはよく覚えていた。
 ガラガラと鳴く台車にサンドウィッチを乗せ、ここらの四つの町に配るのが彼の仕事だ。もちろんポルテの職場にもよく来ているので何回も話をしたことのある人物だった。
「大丈夫そうですか?…荷物が散らばったまま出発しようとしていましたけど」
草の上に散らばったポルテの荷物をちらりと見ながら言う。
「あ、ああ。最近少し寝不足みたいで」
 ポルテは荷物をかき集めるようにひろい、答える。
「気をつけてくださいよ。真の休息とは昼寝であるって言葉知ってますでしょう?…そういえばなんでこの時間にここにいるんですか?いつもすれ違う時はあの大きなヤドリギの下じゃないですか」
「ああ!そうか!急がないと遅刻だ。…そうだ、今日もこの後サンドウィッチを仕入れたら私の町に行って、その後、私の職場にくるという道のりであっているか?」
「はい」
「ならお願いだ!頼みがある。ヴェルテに私のサンドウィッチを半分やってくれないか。私のサンドウィッチは半分でいい」
「ポルテさんの奥さんに?それまたなんでですか?」
「私の仕事が日給なのは知っているだろ?その日もらったお金でその日の食事を済ませなければならないんだ。私が家に帰る道の途中でいねむりしてしまったので、妻のヴェルテに渡すはずだった今日の食費を今私が持っている。ヴェルテが朝食、夕食を買うお金がないのでひもじい思いをしているだろうから、少しでも腹の足しになればと…ああ!悔やまれる!すべて私が悪い…」
「元気出してください!わかりました。ポルテさんの分の半分をヴェルテさんにわたせばいいんですね。お安い御用です。」
「ありがたい!じゃあ私は急ぐので…ビジーお願いした!」
そう言いながらポルテはもうかけ出していた。
「気を付けてくださいねー」

これが今朝の事だ。
仕事に無事、間にあったポルテはようやく昼休み。ビジーがきてサンドウィッチを配っていった。
今朝のことを思い出しながらポルテは首をかしげる。
ビジーが勘違いしている様子はなかった。
ならなぜ…?ポルテはもう一度ビジーに渡された、サンドウィッチを見てみた。
そのサンドウィッチはいつもどおりの大きさだった。ただ一つ違っていたのは、そのサンドウィッチがただナイフで二等分されてあったことだった。
「これの片方をヴェルテにって言ったよな…」
ポルテは半分に切られただけのサンドウィッチをみて困り果てた。
ビジーはポルテの仕事場に来てすぐ帰ってしまった。なんでも急ぎの用事があるらしく、「ほんっと、いい夫婦ですよ!ポルテさんたち。二つの頼まれごと、ちゃんと成し遂げましたからねー!」と、配り終えて軽くなった台車をガラガラと引いてすっ飛んでいった。
仕事の仲間たちにこれを話したが
「ビジーがお前のことからかっているんじゃないか?目が半分しかないやつがパンの半分を誰かにあげる資格などない!ってな」
と嘲り笑われた。ビジーはそんなことをするやつではない。ポルテは心の底からそう思っていた。
仕方なくポルテはサンドウィッチの半分を食べ、残る半分は帰ってから妻に渡そうと思い鞄にしまった。
その日は早く仕事が終わった。早くといっても太陽が沈んでから四時間ほどあとだが。
半分のサンドウィッチが入った鞄を揺らしながら、大急ぎで家に帰る。昨日は家に帰らなかったので、早く愛しい妻に会いたいと車輪を速く回転させる。
 ようやく山を越え、自分の町が見えてきた時だ。
「うわっ…!」
突然、握りこぶしほどの石が飛んできて自転車のタイヤに当たった。
ポルテはそのまま体勢を崩し、大きく転んでしまった。転んだ拍子に自転車の荷台から飛び出す鞄。
石の飛んできた方向にある木の陰から灰色のなにかが飛び出して、その鞄をつかんだ。
それは薄汚れた灰色の服を着た子供だった。頭は頭巾のようなもので隠してある。つぎはぎで作られた服に包まれた中に小さな顔がある。
その子の凛としていて獣のような鋭い、服の色とはまた違う灰色の目をポルテは見た。
「あっ、まってくれ!」
ポルテが自転車をおこしたときにはすでに、その子供の姿は遠くにあった。
ポルテは急いで自転車にまたがり追いかける。その子供は森をぬけ、町の中に入った。続けてポルテも町に入る。
町では月明かりが作った薄い影がそこらじゅうに伸びていた。
子供が自転車の入れない道の中に入ったので、ポルテは自転車を降り、走る。子供は裏路地に入りくねくねと入り乱れた道を右へ左へと次々に曲がってゆく。
子供はカピバラと同じ大きさ位の鞄を持っているというのに建物の隙間に申し訳程度に作られた、暗く足場の悪い道をどんどん進んでゆく。
奥に進むにつれ、散乱しているごみの量も多くなり、異臭が漂う。時折、ごみの間からピクリとも動かない人影が見える。
影も一層深くなった気がした。
しかし、ポルテはなんとか子供を見失わずに追いかけていた。ポルテは乞食をしていたとき、裏路地を駆け抜けていたのでこのような道を走るのは得意なのだ。が、体が大きくなった今、ガラクタがたくさん置かれた狭い道をすいすいと進むのは難しい。やはりだんだんと距離が引き離されていく。
ポルテが子供を追いかけて次に右に曲がったときにはもう子供の姿はどこにもなかった。
「…」
ポルテは何も言わず、近くにある大きなごみ箱を開けた。
その中にはサンドイッチを無我夢中で食べている少女が縮こまって座っていた。くしゃくしゃになった新聞紙の上にあぐらをかき、ポルテの鞄を大事そうに抱えている。十歳くらいの乞食であろう少女だ。
少女は目を丸く見開いて驚きながらポルテの片目と数秒、目を合わせていた。その間もサンドウィッチが入った口を一口一口噛みしめるように動かしていた。
「鞄だけでも返してほしい」
ポルテが言うと少女は残りのサンドウィッチを口いっぱいに詰め込んで、鞄を宙に放り投げた。
「あっ」
投げると同時に少女は放った鞄と逆方向に走り出した。ポルテは上手く鞄を受け止めることができたが、少女はもうその場にはいなかった。
少女の走っていった方向は、やはり町の影で見えなかった。


「はぁ」
ポルテは家に帰る道中、落ち込んでいた。もちろん、眼帯が怖くて逃げられたのかな…?などという理由ではない。…いや、それも少しだけ考えたが。
やはり頭の中に浮かんだのは骨ばってきたヴェルテの顔だった。彼女は今日、サンドウィッチ一つしか食べてない。さっきの少女からしたら贅沢すぎるほどのごちそうだろうが、それでも十分栄養失調になるような少なさだ。
彼女の空腹を思うと胸がいたくなり、同時にポルテの空腹がより増した。
サンドウィッチを盗られたからといって少女を責める気持ちはなかった。生きるために仕様がないことだし、なにより少年時代、ポルテ自身がやっていたことであり、むしろもっと恵んであげたいとも思った。ただ、こちらもそんな余裕はないことぐらい知っているのだが。


「ただいまー」
ヴェルテが倒れていませんように。そう思いながら戸を開ける。
「おかえりなさい」
いつもの柔らかく温かい声がした。
「ああ」
いつものハグを五秒ほどした後、ポルテが言った。
「昨日は帰ってこられなくてすまない。帰り道に寝てしまったんだ。おかげで君に食費を渡せていない。今日はサンドウィッチ一つだけだろう。君を空腹にさせてしまって本当に申し訳ない」
「…いいえ平気よ。そんなことよりも聞いてほしいことがあるの。今日、配給が来たとき、私がビジーにあなたのことを聞いたの。昨日かえって来なかったから心配で…。そしたら『ポルテさんは大丈夫です。今職場にいますよ』って。昨日あなた夕食食べてないから、お腹すいているだろうと思って、『なら私のサンドウィッチの半分をポルテさんにお願いしてもよろしいですか』って聞いたのよ」
「えっ…」
「ビジーは戸惑っていたけれども、了承はしてくれたわ。だけど私に配られたのは丸々一個のまま、ただ半分に切れているだけのサンドウィッチだったの。これの半分をポルテさんにってことよ。と言おうとしたときにはもうビジーは出発していて。結局あなたのところに届いていないのね」
ポルテは目を見開いたまましばらくの間、固まった。
ヴェルテはその様子を見て、なにか悪いこと言ったかしら、と焦った。
そしてポルテは苦笑しながら口を開いた。
「…そうか。実は私もビジーにあったときに『私のサンドウィッチの半分をヴェルテに』とお願いしたんだ。ただし配達されたのは君のと同じただ半分に切られただけのサンドウィッチだったけどね」
「えっ…なら私たちはおんなじお願いをビジーにしていたってこと?」
「なるほど。ちゃんとビジーは私たちのお願いを実行していたんだ。ただ、ヴェルテの半分と私の半分のサンドウィッチが入れ替わっていただけということか」
「そういうことだったのね。ビジーも説明する暇もないほど忙しそうだったし…」
「そうか、だからあの時…」
「ん…?なんか、服が汚れてない?よく見るとごみがついてるわよ」
と言ってヴェルテがポルテの服についたごみを取る。
「…ああこれは…ヴェルテがお腹すいているだろうと思って半分のサンドウィッチは持って帰って君に渡そうと考えていたんだが…」
「え、じゃあ今日サンドウィッチ半分だけしか食べていないの」
「ああ。帰り道に子供に鞄を盗まれてしまって、追いかけているときに汚れてしまったんだ。鞄は返してくれたが結局サンドウィッチは食べられてしまってね…すまない。君も空腹だろうに」
「いいえ大丈夫よ。それは、まあその子が空腹を抑えられて良かったじゃない。実は私もあなたが空腹かと思って、半分取っておいてあるの。一緒に食べましょ」
そしてヴェルテは戸棚の引き出しのとってに手をかける。
カラカラ…引き出しを開けると中からワッとネズミが何匹か飛び出した。
「わっ!」
ネズミがポルテたちの足の下をくぐりバラバラに家の外に出て行った。
がに股で固まっていた彼らは互いに顔を見合わせた。
「…ぐちゃぐちゃ」
二人がサンドウィッチを覗き込んで同時に言う。
「ネズミもお腹がすいているのね。…ごめんなさい食べられそうにないわ」
「…君が謝ることじゃない。仕方ないさ」
「…」
何秒かの沈黙があった後、
「ふふっ」
ヴェルテが口を抑えて笑った。
「あの、ポルテ…おかしいけど私今とっても幸せよ」
「それは…なぜだい?」
「だって私たち二人とも、相手を思って半分相手にあげたでしょ。そして、半分相手に渡そうとして、盗まれたり、ネズミにかじられたりした。だけど相手のこと思わなかったらそれぞれ丸々一個食べられたわけじゃない。私たちは結局意味のないことをして、食べ物を失ってしまった。とてもばからしいことをしたわ」
「ああ、ばからしい」
「けれどこの空腹は、そんな私たちのばからしくて意味のない、相手への心の深さがなければ決して訪れることがなかったもの。今あなたと一緒にお腹がすいてて幸せだわ」
「…」
ポルテはしばらく考えた後、ハハハッと笑って言った。
「そしたら私も幸せだ。この空腹の幸せも。その幸せを気付かせてくれた君が今幸せなのも」
こくんとヴェルテがうなずいた。するとヴェルテのお腹がぐううと鳴った。
ゆっくりとポルテは椅子に座る。
「さて、スープを飲んで、お腹を満たそう。この空腹は幸せだけど、いつまでも空腹でいたらお腹が鳴りやまないからね」
ウインクしたつもりだろうか。眼帯の横で、ポルテの目は片方閉じた。