犬飼は長い足を組み、赤いワインに口をつける。口に含んで味と香りを楽しみ、一息に飲み込む。心地のいい喉越しが犬飼の心も満たす。
「あー、アイツの借金、帳消しになっちまったかー」
ワイングラスの中で踊る赤い液を光に当てながら呟く。周囲で崩れ落ちる観客には目もくれず、まるで自分だけの世界に生きている様に愉しんでいた。
それなのに。足に縋りつく男がいる。小太りで金のアクセサリーを身に着けた、白いスーツの男。食事でも浴びたのか、野菜やソース、飲み物でできたようなシミが模様となっていた。
犬飼は色付き眼鏡の奥で眉を寄せる。
「た、頼む、犬飼! 金を貸してくれ!」
「えー、嫌ですよぉ。あなた、返す当てがあるんですかぁ?」
「ある! 当てならあるから! 頼む!!」
「当てがあるならそちらへどうぞぉ」
気分を晴らすようにワインを煽る。最初よりも多く、長く、しっかりと味わうことで持ち直そうとした。その傍らで、床に這って懇願した男は顔を真っ赤にした。
「調子に乗るなよ若造があああぁぁああああ!! 運だけで生きてきたお前が!!! まぐれで大金と人材を手に入れて偉そうにするなあああああああああああ!!!!」
スーツの裾を掴み、ジャケットを掴み、襟首を掴む。
眼鏡が傾いて、眼つきが露になる。ワインを飲み込んだ口が開かれる。
「成。やれ」
誰かが飛び降りてきた。衝撃で床が揺れる。会場の全員が、そちらを見た。ガタイの良い男。赤黒く汚れた服装。数日は洗っていないだろう体臭。その場に似つかわしくない、雰囲気。すべての視線をからめとる。
「なっ――」
小太りの男は悲鳴を上げた。そして、頭を鷲掴みにされ、言葉は途切れた。片手一本で持ち上げられた男はバタバタと藻掻く。けれど微動だにもしない。次第に酸欠となり、動きは弱くなっていく。成は男の頭を潰し、血が噴き出したところでスクリーンの方へ放り投げた。
視線は釘付けに。騒ぎは静まり。誰もが悲鳴を飲み込んだ。
「おい」
「はい」
「呼ばれる前に来い。つーか、あの豚が俺に触れる前に来い」
「すみません」
「しっかり働けよ、ソファーの分もだ」
「はい」
「来い。お披露目だ」
「はい」
犬飼は立ち上がった。スーツを直し、舞台の方へ進んでいく。その後ろに静かについて行くのは、先程まで観客たちが注目していた存在だ。
運営者が「どーぞどーぞ」と招いて行く。壇上に登ってマイクスタンドからマイクを抜いた。丁度、成が放り投げた男の体が壇上の縁にあり。何を思ったか、犬飼はその体に腰掛ける。そこから見た景色、荒らされたパーティー会場は悲惨なもの。食事も、テーブルも何もかもが原形を留めていなかった。
マイクを通し、犬飼の声が会場を包む。
「皆様、ご歓談中失礼いたします。今回のイベントはいかがでしたでしょうか? 僭越ながら、わたくしは見事予感が的中し、推薦者が生還し、その者の『殺人の権利』を獲得するという大変な栄誉を頂きました。人を見る目というのは日々磨いてきたつもりでしたが、ここまで特別な己を頂いたのは初めてでございます。
わたくしの職業柄、どうしても人に命を狙われるということも稀にあるわけです。それに際し、今回獲得したこの『成』についてご紹介したいと思います。彼は今回の勝者、≪刺殺≫の業でございます。以後お見知りおきください。今後は彼がわたくしのことを守ってくれるというのはとても安心します。彼にしかない『殺人の権利』。正当防衛ではなくとも行使できるというのは非常にありがたい話ですね。皆様もぜひ、獲得されることをお勧めいたします。
さて。先程までの映像は実は数日前までの映像です。今回の優勝者である≪模倣犯≫からの依頼もあり、早めの帰還が叶った次第でございます。その≪模倣犯≫からの依頼というのは、『彼との交流を許可すること。そして、自分を彼の相方として時折本土へ戻すこと』と。つまり≪模倣犯≫も、僕の傍にいるということ。こうして心強い味方が傍にいてくれる機会に恵まれるとは、この企画はなんと素晴らしい物でしょうか! どうぞ皆様、是非次回もご参加ください♡」
犬飼は降壇した。追って、成も壇上を後にする。
観客の一部は生唾を飲み込んだ。絶対に安心で安全な番犬のできあがり。闇に生き、命を狙われる立場の人間ばかりのこの場で、その演説は次回への参加を容易にするものだった。
金さえかければ、警察に追われることのない死神が手に入る。今まで以上に自由に邪魔者を排除できる。それは、今後の活動をも左右する。
『人を裁く』というまるで死神のような存在は、独善的な人間の導きによって生み出されるのだ。ただし、神のような権利を持ってしても、結局のところは主人に忠誠を違う『犬』のようである。
成は犬飼の後を追う。自分で決めて、縋って得た参加。成し遂げた復讐もなんと虚しい終わりか。彼の目に映るのは自分より背の低い人間の、隙だらけの後頭部。感情も、表情もない。ただ、思い出していた。『人を捌く』という感触を。
島流しにあった囚人は激減した。その間、国が島に使う金銭は減少し、減税も可能になった。時が経ち、罪を犯した囚人たちがどんどん送られていく。島の人口が増えすぎた時、またこの学校は入学募集者を募集するだろう。
そして卒業者は、舌と涎を垂らしながら、権利の行使を待ち望んでいる。
「あー、アイツの借金、帳消しになっちまったかー」
ワイングラスの中で踊る赤い液を光に当てながら呟く。周囲で崩れ落ちる観客には目もくれず、まるで自分だけの世界に生きている様に愉しんでいた。
それなのに。足に縋りつく男がいる。小太りで金のアクセサリーを身に着けた、白いスーツの男。食事でも浴びたのか、野菜やソース、飲み物でできたようなシミが模様となっていた。
犬飼は色付き眼鏡の奥で眉を寄せる。
「た、頼む、犬飼! 金を貸してくれ!」
「えー、嫌ですよぉ。あなた、返す当てがあるんですかぁ?」
「ある! 当てならあるから! 頼む!!」
「当てがあるならそちらへどうぞぉ」
気分を晴らすようにワインを煽る。最初よりも多く、長く、しっかりと味わうことで持ち直そうとした。その傍らで、床に這って懇願した男は顔を真っ赤にした。
「調子に乗るなよ若造があああぁぁああああ!! 運だけで生きてきたお前が!!! まぐれで大金と人材を手に入れて偉そうにするなあああああああああああ!!!!」
スーツの裾を掴み、ジャケットを掴み、襟首を掴む。
眼鏡が傾いて、眼つきが露になる。ワインを飲み込んだ口が開かれる。
「成。やれ」
誰かが飛び降りてきた。衝撃で床が揺れる。会場の全員が、そちらを見た。ガタイの良い男。赤黒く汚れた服装。数日は洗っていないだろう体臭。その場に似つかわしくない、雰囲気。すべての視線をからめとる。
「なっ――」
小太りの男は悲鳴を上げた。そして、頭を鷲掴みにされ、言葉は途切れた。片手一本で持ち上げられた男はバタバタと藻掻く。けれど微動だにもしない。次第に酸欠となり、動きは弱くなっていく。成は男の頭を潰し、血が噴き出したところでスクリーンの方へ放り投げた。
視線は釘付けに。騒ぎは静まり。誰もが悲鳴を飲み込んだ。
「おい」
「はい」
「呼ばれる前に来い。つーか、あの豚が俺に触れる前に来い」
「すみません」
「しっかり働けよ、ソファーの分もだ」
「はい」
「来い。お披露目だ」
「はい」
犬飼は立ち上がった。スーツを直し、舞台の方へ進んでいく。その後ろに静かについて行くのは、先程まで観客たちが注目していた存在だ。
運営者が「どーぞどーぞ」と招いて行く。壇上に登ってマイクスタンドからマイクを抜いた。丁度、成が放り投げた男の体が壇上の縁にあり。何を思ったか、犬飼はその体に腰掛ける。そこから見た景色、荒らされたパーティー会場は悲惨なもの。食事も、テーブルも何もかもが原形を留めていなかった。
マイクを通し、犬飼の声が会場を包む。
「皆様、ご歓談中失礼いたします。今回のイベントはいかがでしたでしょうか? 僭越ながら、わたくしは見事予感が的中し、推薦者が生還し、その者の『殺人の権利』を獲得するという大変な栄誉を頂きました。人を見る目というのは日々磨いてきたつもりでしたが、ここまで特別な己を頂いたのは初めてでございます。
わたくしの職業柄、どうしても人に命を狙われるということも稀にあるわけです。それに際し、今回獲得したこの『成』についてご紹介したいと思います。彼は今回の勝者、≪刺殺≫の業でございます。以後お見知りおきください。今後は彼がわたくしのことを守ってくれるというのはとても安心します。彼にしかない『殺人の権利』。正当防衛ではなくとも行使できるというのは非常にありがたい話ですね。皆様もぜひ、獲得されることをお勧めいたします。
さて。先程までの映像は実は数日前までの映像です。今回の優勝者である≪模倣犯≫からの依頼もあり、早めの帰還が叶った次第でございます。その≪模倣犯≫からの依頼というのは、『彼との交流を許可すること。そして、自分を彼の相方として時折本土へ戻すこと』と。つまり≪模倣犯≫も、僕の傍にいるということ。こうして心強い味方が傍にいてくれる機会に恵まれるとは、この企画はなんと素晴らしい物でしょうか! どうぞ皆様、是非次回もご参加ください♡」
犬飼は降壇した。追って、成も壇上を後にする。
観客の一部は生唾を飲み込んだ。絶対に安心で安全な番犬のできあがり。闇に生き、命を狙われる立場の人間ばかりのこの場で、その演説は次回への参加を容易にするものだった。
金さえかければ、警察に追われることのない死神が手に入る。今まで以上に自由に邪魔者を排除できる。それは、今後の活動をも左右する。
『人を裁く』というまるで死神のような存在は、独善的な人間の導きによって生み出されるのだ。ただし、神のような権利を持ってしても、結局のところは主人に忠誠を違う『犬』のようである。
成は犬飼の後を追う。自分で決めて、縋って得た参加。成し遂げた復讐もなんと虚しい終わりか。彼の目に映るのは自分より背の低い人間の、隙だらけの後頭部。感情も、表情もない。ただ、思い出していた。『人を捌く』という感触を。
島流しにあった囚人は激減した。その間、国が島に使う金銭は減少し、減税も可能になった。時が経ち、罪を犯した囚人たちがどんどん送られていく。島の人口が増えすぎた時、またこの学校は入学募集者を募集するだろう。
そして卒業者は、舌と涎を垂らしながら、権利の行使を待ち望んでいる。