「あらぁ、いらっしゃい」
玄関で誠一郎を出迎えた母さんは、普段より随分キーの高い声だ。
「お待ちしてましたぁ」
なんて言いながらいそいそスリッパを準備する。誠一郎は俺の横でかしこまって、あ、すみませんありがとうございます、と言いながら持ってきたお菓子を母さんに渡している。すみません簡単なもので。
「いやぁ、こんなのいいんですよぉ、お友達が遊びに来てくれるだけで親は嬉しいんですからぁ」
母さんは締まりのない顔だ。
「ほんとに、智志が友達を家に連れてくるなんて久しぶりで。しかもこんなイケメンさん。あれですよね、野球部のキャプテンなんでしょ? うちの子ちゃんと――」
「はいはい、もういいから。お茶も自分で持ってくから」
「えぇ、なんでよ。持ってくのに」
「いいの! 勉強するから、絶対邪魔すんなよな!」
台所に行って麦茶をポットごとお盆に乗せて、「こっち」と誠一郎を案内し階段を登る。二階の右側が俺の部屋。左が弟。
「ごめんな、母さん浮かれてて」
「大丈夫」
言いながら、誠一郎は俺の部屋をキョロキョロ見回している。
誠一郎が来るからと慌てて片付けた俺の部屋。片付けた直後の部屋はなんだかよそよそしくて、自分の部屋じゃないみたいな感じがする。そういえば、そんなこと前にも思ったっけ。きっと似たようなものなんだ。
見栄をはってるんだな。
そう思ったけど、だからと言って普段の部屋に誠一郎は呼べない。
そして今、とにかく自分の部屋に誠一郎がいる。なんかそれってすごい不思議だ。
母さんの言うとおり俺はもうしばらく誰も部屋には入れてなくて、ここは『ザ・俺の場所』って感じになってたのは事実だった。
だけどそこに、本当に誠一郎がいる。
確かめたい。そう思って抱きしめる。
後ろから腕を回して、背中に顔を埋めて。
キスがしたい、と思った。誠一郎とキスがしたい。そう思って、思い出した。一昨日のこと。
部活の休憩中、鹿島田と誠一郎が何かを親しげに話していた。二人は仲良さげで、昔からのチームメイトで、今は二人ともレギュラーで、二人ともかっこよくて、野球がうまくて、俺はそれを見て、なんだかすごく――嫌な感じがした。
部活中の誠一郎は、かっこいいけど少し遠くて、だから俺はそれを近づけたかった。
俺の恋人の誠一郎と一致させたかった。
だから俺は宗田と話すのをやめて、誠一郎の元へ近づいていった。
「キャプテン」
そう誠一郎に呼びかける。その呼び方も、もう、ちょっと嫌だ。
「ん?」
そうやって答える誠一郎は部活モードになっていて、真剣でかっこいい頼りになるキャプテンだ。だけど。
「ちょっと、……いい?」
「ん? おお、どうした?」
俺の様子に何か異変を感じたのか、誠一郎は真剣な顔になる。だから俺についてきて、二人で部室に入った。
「どうした? 何かあったか?」
誠一郎が聞いてくる。でもそれは部活の主将として、部員の俺を心配している感じで――だから俺はそれを壊したくて、誠一郎に背伸びをしてキスをした。誠一郎の唇を感じた。しばらくそうして、離れて、俺は急に冷静になった。ごめんという言葉が喉から滑り出て、そのままなるべく誠一郎の顔を見ないで部室を飛び出した。
そうだ、俺は壊したかった、そう思った。
だから、見えてしまった。誠一郎の顔。
目の端に映ったその顔は、驚いた表情だった。
迷惑だった、かも、しれない。多分、迷惑だったんだろう。
壁を壊すべきじゃなかったのかもしれない。俺は頼りになるキャプテンの誠一郎が好きで――すごくかっこいいと思っていて――それで普段の優しい誠一郎も好きで――。それで良かったんだ、そこに壁なんて本当はないって、俺はわかっていたはずなのに。
俺はグラウンドに戻りながらすごく後悔した。
それを思い出して、俺は誠一郎を抱きしめたまま動けない。誠一郎が優しく俺の手を握ってくれていて、それで十分だって思いながら、俺はそれ以上に何もできない。
俺がゆっくり力を抜くと、誠一郎も手を離す。
「勉強、しようか」
どちらともなく言って、俺たちは勉強を始める。
しばらく勉強をして、誠一郎がトイレを借りると言って立ち上がった。
場所を教えて、誠一郎が部屋を出ていく。誠一郎は羽織っていたシャツを置いていった。
その脱がれたシャツを見て、俺の中になんだか熱っぽい感じが弱火で火照った。
誠一郎。誠一郎。
本当はもっとくっつきたい。キスだけじゃなくて、もっと先のことだってしたい。本当は、高校卒業なんて待たずに、今すぐだってしたい。
ちょっと震える指で、誠一郎の脱いだシャツにゆっくり手を伸ばす。指先にそれが触れて、それを掴んで、胸の前で握りしめた。
俺はゆっくり顔をそこに埋める。
誠一郎に包まれているみたいな感じがする。
幸せだった。だけど、何をしてるんだろうと思う。
こんなことをしてばかみたいだ。
だってそうだ。俺は誠一郎の恋人なんだから、こんなことをしなくたって誠一郎に抱きつけばいいのに。そうやって、好きなだけ誠一郎を感じることだってできるはずなのに。
だけど、それができない。
――どうしてだろう?
あ、できない、って思うと、どんどんできなくなっていく。誠一郎に触れるのが怖くなる。そうしたら、何かを潰してしまいそうな気がするんだ。
俺は最近、自分のことが嫌いだった。
自分のことが嫌いと思ったことはあんまりなかった。好きだとも思ったこともなかったけど、自分は自分だし、そういうもんだとしか思ってなかった。だけど最近、どうして自分はこんななんだろうと思うことが増えた。
それなのにどんどん誠一郎のことが好きになっちゃって、誠一郎が好きな俺のことは嫌いで、バランスがおかしくなっていってる。
だから、好きになればなるほど不安になっていく。
誠一郎は本当に俺のこと好きなんだろうか、とか、誠一郎ならもっと良い人が見つけられるはずだ、とか、いつか誠一郎も離れていくんだろうな、とか思ってしまう。
大丈夫だ大丈夫だ、だって誠一郎から告白してきたんだから、って考えようとするけど、そんなのはもう何の理由にもならないくらい俺は誠一郎が好きだった。
好きすぎて好きすぎて誠一郎から告白してきたのが俺の妄想じゃないかと思うくらいだ。
本当は俺が告ったんじゃなかったっけ?
そんな風に信じてもおかしくないくらい、俺は誠一郎が好きで、今俺は誠一郎のシャツに顔を埋めて誠一郎を精一杯感じようとしている。
本当に好きすぎてキモがられそうだ。
恥ずかしい、好きなことが恥ずかしい、俺なんかが好きで恥ずかしい。
自分の中に生まれた感情が、思っていたのと違ってびっくりする。
『好き』ってもっときれいな感情だと思ってた。
ふわふわしていて、あまくて、漫画に出てくるみたいなきらきらしたエフェクトがかかっているイメージ。
そうだ、それこそ誠一郎はあんなにきれいでまっすぐな『好き』をくれるのに、誠一郎が持っている『好き』って感情はきらきらしてるのに、それを反射する俺の『好き』の光はすごく鈍くて汚れている気がする。
どうしてだろう。
俺はきっと、持て余してるんだ。
初めて生まれた『好き』って感情を、どうしていいのかわからない。
簡単なことだ。
好きなら抱きしめればいい。好きなら好きって言えばいい、だって恋人なんだから。――でもそれができない。
「せいち、ろ……」
耳元に響いた自分の声にびっくりして、俺は慌ててシャツから顔を離して、なるべく元通りになるようにとシャツを戻した。適当に脱がれたみたいな顔をしているシャツを見て、俺はなんだか泣きそうだった。
それなりに、何事もなく勉強は進んで、誠一郎を駅まで送る帰り道。
誠一郎が隣を歩いている。歩くのに合わせて、誠一郎の大きな手がゆるゆる揺れていて、
「て」
思わず、言ってしまった。
「つなぎたい」
誠一郎が俺を見た。誠一郎はきょとんとした顔、だった。どういう顔なのかわからなくて俺は、
「あ、ごめん、いや、その」
そう慌てて打ち消す。俺は何を言ってるんだろう。こんなところで、今は人はいないけれど、誰かが来るかもしれない。そんなところで手をつなぎたいなんて。
ダメだ。
「じょ――」
冗談だよ、と言おうとした矢先に、すっとその手が差し出された。
「ん」
俺は立ち止まって、その手を見つめた。
「つなご」
誠一郎は言う。
俺はその手にすがりつくように――
「おう、智志じゃん」
つかむ直前に声がかかった。振り返ると宗田だった。
「偶然。何してたん」
宗田はそう言いながら左手を振って、右手は女の子と繋いでいた。
「あ、この子、マリちゃん」
その繋いだ手をぶらぶら振りながら言う。宗田はマリちゃんに説明する。
「こいつが、よく話してる智志」
宗田は俺に会えてなんとなく楽しそうだけど、俺はとてもそんな気分じゃない。
「あれ、てか、田沼じゃん。あ、あの人はうちの野球部のキャプテンの田沼」
マリちゃんはこんにちは、と普通に言う。
「珍しい組み合わせじゃん。何してたん」
俺の視界の端で、すう、と誠一郎の差し出した手が引かれていく。あ、あ、と思ううちに誠一郎が口を開いて何かを言うかもしれないと気がついて、その前に言わなきゃいけない、って、
「たまたま、たまたま会ったんだ」
思わず、そう言った。
言ってから、思った。
たぶん今のは、間違いだ。
だって、今のは嘘だから。
俺は今、嘘をついて、俺は今、隠した。何を隠した? 誠一郎とのことだ。俺ははっきりと、それに布を被せてしまった。それも、誠一郎の目の前で。
俺は誠一郎の顔が見れない。見たくない。
宗田と別れて二人で駅まで歩いている間、何も話さなくて、俺は誠一郎から目を逸らし続けた。俺の方が背が低いから俯けば誠一郎に顔も見られない。
誠一郎がぽつりと言った。
「隠さなくていいん、だよ。俺は」
こんな顔見せたくない。
情けない、俺の顔。
玄関で誠一郎を出迎えた母さんは、普段より随分キーの高い声だ。
「お待ちしてましたぁ」
なんて言いながらいそいそスリッパを準備する。誠一郎は俺の横でかしこまって、あ、すみませんありがとうございます、と言いながら持ってきたお菓子を母さんに渡している。すみません簡単なもので。
「いやぁ、こんなのいいんですよぉ、お友達が遊びに来てくれるだけで親は嬉しいんですからぁ」
母さんは締まりのない顔だ。
「ほんとに、智志が友達を家に連れてくるなんて久しぶりで。しかもこんなイケメンさん。あれですよね、野球部のキャプテンなんでしょ? うちの子ちゃんと――」
「はいはい、もういいから。お茶も自分で持ってくから」
「えぇ、なんでよ。持ってくのに」
「いいの! 勉強するから、絶対邪魔すんなよな!」
台所に行って麦茶をポットごとお盆に乗せて、「こっち」と誠一郎を案内し階段を登る。二階の右側が俺の部屋。左が弟。
「ごめんな、母さん浮かれてて」
「大丈夫」
言いながら、誠一郎は俺の部屋をキョロキョロ見回している。
誠一郎が来るからと慌てて片付けた俺の部屋。片付けた直後の部屋はなんだかよそよそしくて、自分の部屋じゃないみたいな感じがする。そういえば、そんなこと前にも思ったっけ。きっと似たようなものなんだ。
見栄をはってるんだな。
そう思ったけど、だからと言って普段の部屋に誠一郎は呼べない。
そして今、とにかく自分の部屋に誠一郎がいる。なんかそれってすごい不思議だ。
母さんの言うとおり俺はもうしばらく誰も部屋には入れてなくて、ここは『ザ・俺の場所』って感じになってたのは事実だった。
だけどそこに、本当に誠一郎がいる。
確かめたい。そう思って抱きしめる。
後ろから腕を回して、背中に顔を埋めて。
キスがしたい、と思った。誠一郎とキスがしたい。そう思って、思い出した。一昨日のこと。
部活の休憩中、鹿島田と誠一郎が何かを親しげに話していた。二人は仲良さげで、昔からのチームメイトで、今は二人ともレギュラーで、二人ともかっこよくて、野球がうまくて、俺はそれを見て、なんだかすごく――嫌な感じがした。
部活中の誠一郎は、かっこいいけど少し遠くて、だから俺はそれを近づけたかった。
俺の恋人の誠一郎と一致させたかった。
だから俺は宗田と話すのをやめて、誠一郎の元へ近づいていった。
「キャプテン」
そう誠一郎に呼びかける。その呼び方も、もう、ちょっと嫌だ。
「ん?」
そうやって答える誠一郎は部活モードになっていて、真剣でかっこいい頼りになるキャプテンだ。だけど。
「ちょっと、……いい?」
「ん? おお、どうした?」
俺の様子に何か異変を感じたのか、誠一郎は真剣な顔になる。だから俺についてきて、二人で部室に入った。
「どうした? 何かあったか?」
誠一郎が聞いてくる。でもそれは部活の主将として、部員の俺を心配している感じで――だから俺はそれを壊したくて、誠一郎に背伸びをしてキスをした。誠一郎の唇を感じた。しばらくそうして、離れて、俺は急に冷静になった。ごめんという言葉が喉から滑り出て、そのままなるべく誠一郎の顔を見ないで部室を飛び出した。
そうだ、俺は壊したかった、そう思った。
だから、見えてしまった。誠一郎の顔。
目の端に映ったその顔は、驚いた表情だった。
迷惑だった、かも、しれない。多分、迷惑だったんだろう。
壁を壊すべきじゃなかったのかもしれない。俺は頼りになるキャプテンの誠一郎が好きで――すごくかっこいいと思っていて――それで普段の優しい誠一郎も好きで――。それで良かったんだ、そこに壁なんて本当はないって、俺はわかっていたはずなのに。
俺はグラウンドに戻りながらすごく後悔した。
それを思い出して、俺は誠一郎を抱きしめたまま動けない。誠一郎が優しく俺の手を握ってくれていて、それで十分だって思いながら、俺はそれ以上に何もできない。
俺がゆっくり力を抜くと、誠一郎も手を離す。
「勉強、しようか」
どちらともなく言って、俺たちは勉強を始める。
しばらく勉強をして、誠一郎がトイレを借りると言って立ち上がった。
場所を教えて、誠一郎が部屋を出ていく。誠一郎は羽織っていたシャツを置いていった。
その脱がれたシャツを見て、俺の中になんだか熱っぽい感じが弱火で火照った。
誠一郎。誠一郎。
本当はもっとくっつきたい。キスだけじゃなくて、もっと先のことだってしたい。本当は、高校卒業なんて待たずに、今すぐだってしたい。
ちょっと震える指で、誠一郎の脱いだシャツにゆっくり手を伸ばす。指先にそれが触れて、それを掴んで、胸の前で握りしめた。
俺はゆっくり顔をそこに埋める。
誠一郎に包まれているみたいな感じがする。
幸せだった。だけど、何をしてるんだろうと思う。
こんなことをしてばかみたいだ。
だってそうだ。俺は誠一郎の恋人なんだから、こんなことをしなくたって誠一郎に抱きつけばいいのに。そうやって、好きなだけ誠一郎を感じることだってできるはずなのに。
だけど、それができない。
――どうしてだろう?
あ、できない、って思うと、どんどんできなくなっていく。誠一郎に触れるのが怖くなる。そうしたら、何かを潰してしまいそうな気がするんだ。
俺は最近、自分のことが嫌いだった。
自分のことが嫌いと思ったことはあんまりなかった。好きだとも思ったこともなかったけど、自分は自分だし、そういうもんだとしか思ってなかった。だけど最近、どうして自分はこんななんだろうと思うことが増えた。
それなのにどんどん誠一郎のことが好きになっちゃって、誠一郎が好きな俺のことは嫌いで、バランスがおかしくなっていってる。
だから、好きになればなるほど不安になっていく。
誠一郎は本当に俺のこと好きなんだろうか、とか、誠一郎ならもっと良い人が見つけられるはずだ、とか、いつか誠一郎も離れていくんだろうな、とか思ってしまう。
大丈夫だ大丈夫だ、だって誠一郎から告白してきたんだから、って考えようとするけど、そんなのはもう何の理由にもならないくらい俺は誠一郎が好きだった。
好きすぎて好きすぎて誠一郎から告白してきたのが俺の妄想じゃないかと思うくらいだ。
本当は俺が告ったんじゃなかったっけ?
そんな風に信じてもおかしくないくらい、俺は誠一郎が好きで、今俺は誠一郎のシャツに顔を埋めて誠一郎を精一杯感じようとしている。
本当に好きすぎてキモがられそうだ。
恥ずかしい、好きなことが恥ずかしい、俺なんかが好きで恥ずかしい。
自分の中に生まれた感情が、思っていたのと違ってびっくりする。
『好き』ってもっときれいな感情だと思ってた。
ふわふわしていて、あまくて、漫画に出てくるみたいなきらきらしたエフェクトがかかっているイメージ。
そうだ、それこそ誠一郎はあんなにきれいでまっすぐな『好き』をくれるのに、誠一郎が持っている『好き』って感情はきらきらしてるのに、それを反射する俺の『好き』の光はすごく鈍くて汚れている気がする。
どうしてだろう。
俺はきっと、持て余してるんだ。
初めて生まれた『好き』って感情を、どうしていいのかわからない。
簡単なことだ。
好きなら抱きしめればいい。好きなら好きって言えばいい、だって恋人なんだから。――でもそれができない。
「せいち、ろ……」
耳元に響いた自分の声にびっくりして、俺は慌ててシャツから顔を離して、なるべく元通りになるようにとシャツを戻した。適当に脱がれたみたいな顔をしているシャツを見て、俺はなんだか泣きそうだった。
それなりに、何事もなく勉強は進んで、誠一郎を駅まで送る帰り道。
誠一郎が隣を歩いている。歩くのに合わせて、誠一郎の大きな手がゆるゆる揺れていて、
「て」
思わず、言ってしまった。
「つなぎたい」
誠一郎が俺を見た。誠一郎はきょとんとした顔、だった。どういう顔なのかわからなくて俺は、
「あ、ごめん、いや、その」
そう慌てて打ち消す。俺は何を言ってるんだろう。こんなところで、今は人はいないけれど、誰かが来るかもしれない。そんなところで手をつなぎたいなんて。
ダメだ。
「じょ――」
冗談だよ、と言おうとした矢先に、すっとその手が差し出された。
「ん」
俺は立ち止まって、その手を見つめた。
「つなご」
誠一郎は言う。
俺はその手にすがりつくように――
「おう、智志じゃん」
つかむ直前に声がかかった。振り返ると宗田だった。
「偶然。何してたん」
宗田はそう言いながら左手を振って、右手は女の子と繋いでいた。
「あ、この子、マリちゃん」
その繋いだ手をぶらぶら振りながら言う。宗田はマリちゃんに説明する。
「こいつが、よく話してる智志」
宗田は俺に会えてなんとなく楽しそうだけど、俺はとてもそんな気分じゃない。
「あれ、てか、田沼じゃん。あ、あの人はうちの野球部のキャプテンの田沼」
マリちゃんはこんにちは、と普通に言う。
「珍しい組み合わせじゃん。何してたん」
俺の視界の端で、すう、と誠一郎の差し出した手が引かれていく。あ、あ、と思ううちに誠一郎が口を開いて何かを言うかもしれないと気がついて、その前に言わなきゃいけない、って、
「たまたま、たまたま会ったんだ」
思わず、そう言った。
言ってから、思った。
たぶん今のは、間違いだ。
だって、今のは嘘だから。
俺は今、嘘をついて、俺は今、隠した。何を隠した? 誠一郎とのことだ。俺ははっきりと、それに布を被せてしまった。それも、誠一郎の目の前で。
俺は誠一郎の顔が見れない。見たくない。
宗田と別れて二人で駅まで歩いている間、何も話さなくて、俺は誠一郎から目を逸らし続けた。俺の方が背が低いから俯けば誠一郎に顔も見られない。
誠一郎がぽつりと言った。
「隠さなくていいん、だよ。俺は」
こんな顔見せたくない。
情けない、俺の顔。