「一年D組、夏井大雅ですッ! 会計担当になりましたッ!!」
 ガンッと鼓膜に響くような大声に、ビクリと肩が跳ねた。
 巨人を前にして、ひく、と喉が引きつる。
 こ、怖いッ……!
 僕と同じ高校生なのに、威圧感がハンパない。
 それもそのはず、僕の前にいるのは、身長190センチもある体格の良い男子だ。
 僕より20センチは背が高いし、図体もでかい。
 これが僕の一つ下で、生徒会の新メンバーだなんて、信じたくない。
 しかも、僕と同じ会計担当って!
 顔合わせなのに、もう逃げたくなった。
「千尋先輩! よろしくお願いしますッ!!」
 体育会系らしい、怒鳴るような大声は、威嚇されてるみたいで恐ろしかった。
 ずりずりと後ずさりしたけど、すぐ背中が壁にぶつかる。
 それ以上は逃げられず、なんとか口を動かした。
「よ、よろしく……」
「オレのことは、大雅って呼んで下さいッ!」
「あ、大雅くん?」
「呼び捨てで良いですッ! 大雅で!」
「た、たいが?」
「はい! 千尋先輩、オレ頑張りますから、いろいろ教えて下さい!」
「う、うん」
 コクコクと頷くが、大雅の顔をまともに見られなかった。
 元気いっぱいなのは分かるけど、怖すぎる。
 まったく仲良くなれる気がしない。
 口ごもる僕を見て、会長が苦笑しながら大雅の肩を叩いた。
「見ての通り、千尋は大人しいから、お前がしっかり守るんだぞ」
「はいっ!」
「いや、守るって……」
 後輩に守ってもらう必要はないと会長を睨んだけど、呆れ顔で返された。
「予算会議は過激だから、味方が欲しいって言ったのは千尋だろ?」
 うっ、たしかにそう言ったけど……。
 会計長として、クレームが飛び交う予算会議に出るのは、考えるだけで胃がキリキリする。
 そのことで会長に愚痴をこぼしたら「何とかする」って言われたけど、その結果がコレってこと?
「大雅なら、ボディガードにぴったりだろ?」
「任せて下さい! 体張って、千尋先輩を守りますっ!」
「はは……ありがと」
 むしろ、大雅が怖いんだけど……。
 できることなら、別の一年生に代えて欲しい。
 そう思ったのに、会長はからかうような顔で僕を見た。
「でも千尋は、いざとなればヤンキーにも勝てるからな」
 会長の言葉を聞いた一年生たちが、興味深そうに僕を振り返る。
 なぜか大雅はワクワク顔だ。
「へー! 千尋先輩って、強いんですか?」
「おう。千尋は文化祭の時、校内に入り込んだヤンキーを追い払ったんだぞ」
「それ違うからっ」
 一年生が真に受けたらマズイと、慌てて口を挟む。
「僕は救護室を案内しただけで、追い払ってないから。一年生に変なこと吹き込むなよ」
 会長に文句を言ったけど、聞き流された。
 僕はただ、具合が悪そうな人がいたから声をかけて、スポーツドリンクを渡しただけなのに。
 見た目がヤンキーっぽかったのは否定しないけど。
「でも千尋先輩が、そのヤンキーを相手にしたんですよね!?」
「そ、そうだけど。会長は大げさだからっ! 大雅も、本気にしない方がいいよ」
「はいっ!!」
 威勢のいい返事に、ビクッとした。
 悪気はないと分かっているけど、デカい声を聞くたびにビクビクしてしまう。
 大雅は堂々としてるし声も大きいから、予算会議では役に立ちそうだけど、あまり近づきたくない。
 なるべく関わらないようにしよう……。
 僕は大雅から視線をそらして、小さくため息をついた。


   + + +


 一年生の新しい会計担当は二人いるので、仕事を教えるのは必ず二人揃ったときにした。そうすれば大雅と二人きりにならず、あのデカい声もマシになるからだ。
 生徒会全体の業務と、会計の仕事を覚えてもらった頃には、9月の文化祭に向けて忙しくなってきた。
 通常の部活動での出金だけでなく、文化祭用に購入した物の伝票や領収書が提出されるので、それを帳簿に付けて保管しておくのだ。
 もちろん、生徒会の文化祭準備も本格的になる。
 放課後、いつものように生徒会室へ行くと、会長から過去の文化祭の映像データを探して欲しいと頼まれた。
 生徒会室には過去の行事を撮影したデータが残っていて、保管してある段ボールは本棚の上だ。
「えっと、これかな?」
 段ボールを取ろうと背伸びしたところで、後ろから大雅の声がした。
「千尋先輩、この段ボールですか?」
「えっ!?」
 背の高い大雅は、段ボールをひょいっと取ると、長机におろす。
「これで合ってます?」
「あ、うんっ、そう!」
 びっくりして、思わず後ずさった。
 急に後ろに立たれると心臓に悪い。
 動揺しながら、スッと視線をそらした。
「あ、ありがとう、大雅」
「いえっ! あ、この段ボール重いんで、戻す時もオレに言って下さいね」
「えっ! べ、別にいいよ?」
 ビクビクしながら首を振ると、大雅がニコッと笑う。
「こういう時にオレを使って下さい。その為の身長なんで」
 落ちついた声で話す大雅は、何だかいつもと違う。
 声も大きくないし、威圧感もない。
 あれ? 大雅って、こんなだっけ?
 前は、もっと怖かった気がするけど……。
 ニコニコしてる顔を見たら、強ばっていた肩の力が抜ける。
「先輩、この段ボールのホコリ、ヤバくないですか?」
「うん。何年も置きっぱなしだったから……」
 埃を払おうと手を伸ばした瞬間、鋭い声が飛んだ。
「触ったらダメですっ!」
「ひッ!」
 ビクッと手を引っ込めると、大雅が慌てた様子で付け加えた。
「あ、その、先輩の手が汚れるんで! キレイにするまで待ってて下さいっ」
「え?」
 ぽかんとしている間に、大雅は棚から除菌シートを持ってきて、段ボールの表面から中までしっかりと汚れを拭き取る。
 あらかた綺麗になったところで、満足そうに頷いた。
「先輩、もう大丈夫ですっ!」
「あっ、ありがとう」
 思いがけない行動に、戸惑った。
 けど、嬉しそうな顔で笑ってる大雅は、ちっとも怖くない。
 むしろ、キラキラした瞳で僕を見ているのだ。
 あれ……もしかして僕、大雅のこと、勘違いしてた?
「オレ、千尋先輩の役に立ちたいんです。雑用でも何でも、遠慮なく言って下さいね」
 ニコニコと笑う大雅に、ハッと目が覚めた気分だった。
 僕はずっと、大雅にそっけない態度をとってたのに。
 大雅は、純粋に僕を慕ってくれてるんだ。
 ……僕、大雅に失礼なことしてたかも。
 最初の印象で怖いって決めつけて、まともに大雅の顔を見ることもしなかった。
 そんな自分が恥ずかしくなる。
「千尋先輩?」
「え?」
「オレに手伝えること、ありますか?」
「えっと……資料探すの、手伝ってくれる?」
「はいっ! やります!」
 大声で返事されて、またビクッとした。
 けど、大雅の顔がぱぁぁっと輝いて、太陽みたいな笑顔になる。
 嬉しそうに頷く仕草が、まるでブンブンと尻尾を振るワンコみたいに見えた。
 あ、大雅って、コムギに似てるかも。
 家で飼っているゴールデンレトリバーの愛犬を思い出した。コムギも体が大きくて、僕を見るとキラキラした目で駆け寄ってくる。
 そういえばコムギも、興奮するとすぐ大きな声で吠えるよね。
 大はしゃぎで突進してくる姿を思い浮かべると、笑みがこぼれた。
「ふふっ」
「ッ!? か、かわッ……!」
「え?」
「いえっ、何でもないです!」
 大雅が慌てて首を振る。
 でも、嬉しそうにニコニコしている顔は、やっぱりコムギによく似ていた。


   + + +


 あの日以来、大雅への苦手意識が少しずつなくなって、今ではあのデカい声にも慣れてきた。
 9月の文化祭が終わるまで、生徒会の仕事を一緒にこなしたおかげだ。
 10月に入ると予算会議の準備で、毎日生徒会室へ行く。大雅がいるから今度の予算会議も安心だし、その準備で居残りして帰るのも楽しい。
 大雅とは家の方角が同じで、よく二人で帰るようになったからだ。
 今日も生徒会の仕事を終え、とっぷりと日が暮れた後で、大雅と一緒に帰り道を歩く。
「あ、千尋先輩、コンビニ寄りませんか?」
 大雅は数軒先のコンビニを指差すと、ニコニコしながら僕を見る。
「いいけど。何買うの?」
「ピザまんです!」
 嬉しそうに答えた大雅は、コンビニに着くとまっすぐにレジへ向かう。
 お目当てのピザまんを注文してから、僕を振り返った。
「千尋先輩は何がいいですか?」
「え? あ、僕はいいよ」
「でも、お腹空きましたよね?」
 大雅の言うとおり、昼にお弁当を食べたきりなのでお腹は空いている。
 でも今月はコムギとドッグカフェに行きたいから、その分を考えるとギリギリだ。
 後輩にお金がないって言うのが恥ずかしくて、笑いながら誤魔化した。
「えっと、今日は財布忘れたから、いいんだ」
 すると、大雅がパッと目を輝かせる。
「じゃあ、オレが奢りますっ!」
「え、いや、大雅?」
「千尋先輩は、肉まんがいいですか?」
 ニコニコと笑顔で尋ねてくる。
 期待に満ちた目で見つめられると、嫌とは言えない。
 やっぱり、大きいワンコだよなぁ。
 笑ったときにたれ目になるし、人懐っこいところがコムギにそっくりだ。
「はい。千尋先輩の分です!」
「あ、ありがとう」
 いつの間にか会計を済ませた大雅は、コンビニを出ると僕に肉まんを差し出した。
「あの、肉まん代は、明日渡すから」
「ダメです。これはオレのおごりですから」
「いや、でも」
 後輩に奢ってもらうなんて、先輩としてどうなんだろう。
 そう思ったけど、大雅は笑顔のまま首を振った。
「オレが、千尋先輩と一緒に食べたかったんです! オレの押しつけですよ?」
 おどけるように言うので、僕も素直に受け取った。
「ありがと、大雅」
「はい!」
 お礼を言うと、大雅が嬉しそうな顔になる。
 奢ってもらった肉まんは、まだ温かい。
 外は風が冷たくて、ブレザーを着ていても冷えるから、手のひらの温かさにホッとする。
「食べましょう!」
「うん」
 通行の邪魔にならないように、歩道の端によって、大雅と二人並んで食べた。
 パクッとかぶりつくと、甘みのある生地に肉汁が染み出て、口の中で絶妙に絡む。
 いつも食べてる肉まんより、おいしく感じられた。
「これ、おいしいね」
「ふぁいっ、おいひーでふよね」
 大雅はモグモグしながら答える。
 口いっぱいに詰めこんでるのを見て、笑ってしまった。
「大雅、欲張りすぎ」
「ふぁ~い」
 大雅はニコニコしながら口を動かす。
 僕がゆっくり食べてる間に、大雅はピザまんと肉まんをパクパクと食べ、炭酸飲料まで飲んでいた。
 運動した後でもないのに、よくそんなに食べられるよね。
「大雅は、よく食べるな」
「すぐお腹すくんですよー。体がでかいのも、良いことばかりじゃないんです」
 拗ねたように答える顔が可愛い。
 大雅はたくさん食べるけど、スタイルはいいのだ。
 うちの制服は、紺色のブレザーにグレーのズボンっていうどこにでもあるデザインだけど、大雅が着るとオシャレに見える。
「大雅みたいに背が高いと格好良いし、羨ましいけどなぁ」
「本当ですかっ」
 大雅が空のペットボトルを握りしめて、僕を見つめる。
「背が高いと、カッコイイですか!?」
「え? 格好良いと思うよ?」
 僕が頷くと、大雅がぱぁぁっと満面の笑みを浮かべた。
 こんなことで喜ぶなんて、可愛いよね。
 微笑ましい気持ちで見ていると、大雅は僕が持っていた肉まんの薄紙をサッと取り上げて、まとめてゴミ箱へ捨ててくれた。
 後輩なのに、気が利きすぎる。
「千尋先輩、お待たせしました!」
「大雅。ゴミ捨てありがと」
「いいえ! 後輩なんで、当然ですっ」
 右手を胸に当てた大雅が、得意そうに答える。
 大雅の、こういう明るくてお茶目なところや、人を和ませる雰囲気が、いいなぁと思う。友達も多いし、みんなに慕われてて人気者なんだよね。
 僕も大雅といると楽しいし、こうやって一緒に帰る時間が、特別に思える。
「千尋先輩、行きましょう」
「うん」
 コンビニを離れて、再び歩き出す。
 辺りは暗いけど、外灯があるから歩くのには困らない。
 住宅街が近いので、帰宅途中の学生やサラリーマンともすれ違ったりする。時折、自転車が歩道を走ってきて、そのたびに大雅が僕を庇うように体を寄せた。
 大雅って、優しいよなぁ。
 歩幅の違う僕に合わせて、ゆっくり歩いてくれるし、今日みたいに奢ってくれるのも初めてじゃない。もちろん、後でお礼はしてるけど。
 大雅の優しさに気づくたび、胸のあたりがフワッと温かくなる。
「そういえば、千尋先輩に聞いてみたかったんですけど」
「なに?」
「どうして、生徒会に入ったんですか?」
「え?」
「千尋先輩って、目立つの苦手ですよね?」
「あ~」
 生徒会に入るのは、積極的で目立ちたがりの人が多いから、不思議に思われても仕方ない。
「僕は、会長に誘われて入ったから」
「会長に?」
「うん。僕と会長って幼なじみなんだよね」
「え! そうなんですか!?」
 大雅が驚いた声を上げる。
「知らなかった?」
「はい。仲が良いのは知ってたんですけど」
「まあ、会長みたいな人気者と、僕みたいに地味で影の薄い奴が幼なじみとか、ふつう考えないよね」
「そんなことないですっ」
 大雅が勢いよく否定してきた。
「千尋先輩は、地味じゃないですっ。影も薄くないですから!」
 ちょっとした軽口のつもりだったのに、大雅が大真面目に返すのでびっくりした。
「そ、そうかな?」
「はい! オレ、千尋先輩と同じ会計になれて、すっげー嬉しかったです!」
「あ、ありがと」
 大雅の言葉に、じんわりと胸が熱くなる。
 顔も赤くなってきて、恥ずかしさから視線をそらした。
「そ、それで。会長から、生徒会に向いてるって勧誘されて、入ったんだ」
「千尋先輩が生徒会に向いてるの、すっごく分かります!」
「え、そう?」
「はい!」
 大雅をチラッと窺うと、思いがけず強い瞳で見つめられる。
 まっすぐな瞳に、胸がドキドキしてきた。
「た、大雅は、どうして?」
「生徒会に入った理由ですか?」
「うん」
「オレは……」
 すぐ答えると思ったのに、なぜか急に立ち止まった。
 ちょうど外灯の明かりで、大雅の眉間にしわが寄ってるのが見えた。
「大雅?」
「オレは、その……」
「あ、もし言いたくなかったら、聞かないよ?」
「いえ! 千尋先輩には、聞いて欲しいですっ」
「う、うん」
 真剣な声で言われて、背筋を伸ばす。
 大雅を窺うと、パチリと視線が合った。
「ぁっ」
 いつものニコニコ顔じゃなく、緊張しているのか、強ばった顔になっていた。
 僕まで緊張してきて、大雅から目が離せない。
「オレ……憧れの人に、近づきたかったんです」
「憧れの人?」
 大雅がこんなに緊張するってことは……相手は会長なのかな?
 会長は昔から正義感が強くて、生徒や教師からも人望が厚い。「会長に憧れて」という理由で生徒会に入る人もいるくらいだ。
「そっか。大雅も、会長に憧れて生徒会に入ったんだね」
「え!? 違いますよ!」
 大雅が驚いたように目を丸くした。
「あれ、違うの? 会長じゃなかったら、副会長?」
 仕事ができる二人を挙げたけど、大雅は口をへの字に曲げて黙りこむ。
「えっと、あの、大雅?」
 僕、ぜんぜん見当違いのこと言っちゃったのかな?
 内心で焦っていると、大雅が意を決したように口を開いた。
「千尋先輩、です」
「うん?」
「オレの憧れの人は、千尋先輩なんですっ!」
「え?」
 聞き間違いかと思ったけど、大雅の顔は真剣だ。
「……えっと、憧れが、僕?」
「はいっ!」
「え、ちょっとまって? なんで僕が憧れなの?」
 僕は裏方の仕事ばかりで、目立つようなことはしてない。
 不思議に思って首をかしげると、大雅は声を弾ませた。
「オレは千尋先輩のすごいところ、たくさん知ってますっ」
「僕のすごいところ?」
「はい。数字に強いし、教え方も上手だし、誰に対しても公平ですっ」
「あ、ありがと」
「それに休みの日には、川とか公園の清掃してますよね」
「ああ。でもあれは、ボランティアだし」
 中学の時から定期的にしている清掃活動だ。大雅とは同じ地区に住んでるから、見かけたことがあったのかも。
「十分すごいですよ! 昨年の文化祭でも、ゴミ拾いしながら校内の見回りしてましたよね」
「えっ、なんで知ってるの?」
「友達に誘われて文化祭を見に行ったんです。それから……」
 大雅はそこで言葉を止めると、僕の顔をまっすぐに見た。
 懐かしむような顔で、口を開く。
「オレ、千尋先輩に助けてもらったんですよ」
「え、文化祭で?」
「はい」
 大雅は嬉しそうに頷くけど、僕は大雅に会った覚えがない。
 こんなに背が高ければ、印象に残っているはずなのに。
 懸命に記憶をたどっていると、大雅が苦笑いしながら教えてくれた。
「あの時のオレは、金髪でピアスつけて、マジで不良でしたから」
「あっ!」
 大雅に言われて、やっと思い出した。
 文化祭で僕が声をかけた「金髪にピアスの男性」と言えば、一人しかいない。
「文化祭の時の、具合が悪かった人?」
「そうですっ」
 大雅が笑顔で頷いた。
 たしかあれは、僕が一人で校内を見回りしてたときだ。
 一階の廊下に座り込んでいる、ヤンキーらしき男性を見つけたのだ。
 うつむいていたから、顔はよく見えなかったけど、周りにいた人たちは遠巻きにしていた。
 9月になったばかりのあの日はとても暑くて、彼の顔色が悪いのに気づいた僕は、熱中症かもって心配して声をかけたんだ。
 彼は苛々してたけど、ちゃんと話はできたし、僕が渡したスポーツドリンクもその場で飲んでくれた。
「千尋先輩が救護室に案内しようとしたのに、追い払って、すげぇヤな態度でしたよね」
 大雅はうなだれているけど、別に嫌な思いはしていない。
 落ち込んでいる大雅を慰めたくて、腕をぽんと叩いた。
「気にしなくていいよ。手伝いを嫌がる人もいるって、分かってるから」
 こっちが親切心で言ったことでも、相手がどう受け取るかは分からない。
 僕は、親切の押しつけをしないように気をつけてるけど、体調面だけは見過ごせなくて、お節介してしまう。
 だって熱中症とか、下手したら病院行きだからね。
「僕は、大雅が元気になったなら、それだけで嬉しいよ」
「はいっ。あの時のスポーツドリンク、マジで助かりましたっ!」
「そっかぁ。よかった」
 僕のお節介が大雅の為になったなら、本当によかった。
 胸をなで下ろすと、大雅が眩しそうに目を細めた。
「オレ、千尋先輩に心配してもらえて、すっげぇ嬉しかったんです」
「顔色が悪かったし、心配するのは当たり前だよ」
「当たり前じゃないです。見た目で判断しない先輩は、本当にすごいんですよ」
 大雅は煌めくような瞳で僕を見て、ニッコリ微笑む。
「千尋先輩。あの時は、本当にありがとうございました」
「いや、その……」
 こんなにも素敵な笑顔で、心からお礼を言われるなんて思わなかった。
 喜びと照れくさい気持ちが混ざり合って、頬が熱くなる。
「僕は、自分の仕事をしただけだから」
「それでも、です。千尋先輩ほど優しい人は、他にいませんからっ」
「えっと……ありがと」
 褒めすぎな気がしたけど、そう言ってもらえてすごく嬉しかった。
「オレ、千尋先輩に会ってから、猛勉強して、うちの高校に入ったんですよ」
「そうなんだ? すごいね!」
 うちは難関校だから、僕も受験勉強は大変だった。
 そうとう頑張ったんだろうなぁ。
 感心していると、大雅が僕の顔を覗き込むようにして言った。
「オレ、千尋先輩と同じ高校に通いたくて、頑張ったんですよ?」
「へっ?」
「千尋先輩は、オレの憧れですから」
 ニカッと笑う笑顔が眩しい。
「生徒会に入れて、こうやって一緒に帰れて、幸せです」
「そ、そう……」
 カァッと顔が熱くなって、とっさにうつむいた。
 憧れとか、幸せとか、大雅は褒めすぎだよ……!
「千尋先輩」
 不意に、大雅がスッと僕の前にしゃがみ込んだ。
 地面に片膝をついて、下から見上げてくる。
「ぇ、大雅?」
 突然の行動に驚いていると、大雅と目が合った。
 決意を込めた真剣な表情に、ドキッとする。
 僕を見つめるその瞳が、かすかに潤んでるように見えた。
「ぁ……っ」
 熱をはらんだ眼差しに、鼓動がどんどん速くなる。
 目をそらしたいのに、動けない。
「ぁ、あの、……大雅?」
 心臓の音が大きくなって、手が震えた。
「ちひろ先輩」
 僕を呼ぶ声が、いつもより甘ったるく聞こえる。
 き、気のせい、だよね?
 そう思ったけど、大雅は目を細めて、甘い声で囁いた。
「オレ、千尋先輩が好きです」
「……え!?」
 聞き間違いかと思って、目を瞬かせる。
 冗談です、と言ってくれるのを期待したのに、大雅はとろけるような微笑みを浮かべた。
「オレ、千尋先輩の、特別になりたいんです」
「ぁ、あの……えっと……?」
 好きとか特別とか、それが告白のセリフであることは、分かっている。
 心臓がうるさいくらいに脈打っているし、全身がほてるように熱い。
 大雅が、僕を好き……?
 信じられない気持ちで、大雅を見つめる。
 初めて受けた愛の告白に、頭の中がぐるぐるして、何も考えられない。
 視線を泳がせながら、言葉を探す。
「ぼ、僕は……」
 好きとか、そういう感情は、よく分からない。
 でも僕は、大雅のことは嫌いじゃないから、拒絶するのも違う気がする。
 けど、何て答えれば良いんだろう。
「その、……っ」
「返事は、今じゃなくていいです」
 大雅の静かな声に、ハッと顔を上げる。
 眉尻を下げた大雅は、情けない顔になっていた。
「オレが勝手に告白したのに、千尋先輩を困らせて……オレってガキですね」
「大雅……」
「でも、千尋先輩がオレの恩人だってことも、オレが千尋先輩を好きだってことも、知っててほしかったんです」
「そ、そっか」
 話の流れで、勢いに任せて告白ってことだったのかな。
 返事はしなくていいと言われて、ホッとした。
 だけど大雅は、僕を見てにっこり笑う。
「だから、また告白しますね!」
「えっ?」
 いつもの人懐っこい笑顔で、とんでもない宣言をした。
 あっけにとられているうちに、大雅は立ち上がってズボンを軽くはたく。
「あ、千尋先輩」
「な、なにっ?」
「明日も、一緒に帰ってくれますか?」
「えっと、……大丈夫、だけど」
「よっしゃ!」
 グッとガッツポーズを作る大雅は、子供みたいだ。
 大きい図体で無邪気に喜ぶ姿が可愛くて、つい笑みがこぼれる。
 さっきまで、大人っぽい表情にドキドキしたけど、僕は今の大雅が良いな。
「千尋先輩っ」
 大雅が、キラキラした瞳で僕を見た。
 コムギとよく似た、ご機嫌のニコニコ顔に安心する。
「オレ、千尋先輩に好きになってもらえるように、頑張りますから!」
「えっ……あ、うん」
 張りきる大雅に押されて、頷いた。
 また顔が熱くなって、急いで口を開く。
「か、帰ろっか!」
「はいっ!」
 僕が促すと、大雅が元気よく返事をする。
 けど、気づいてしまった。
 大雅が、愛おしそうな眼差しで、僕を見つめている。
 その瞳には、うっとりするほどの甘さがにじんでいた。
「ッ……!」
 とっさに大雅から視線をそらす。
 あ、あれ……?
 落ちついてきたはずの鼓動が、再びドキンドキンとうるさく鳴り始めた。
 大雅のとろけるような微笑みが、目に焼きついて離れない。
 でもそれは、ちっともイヤじゃなくて。
 むしろ、頬が緩んでしまうくらいの、嬉しいことだ。
「ぇ……?」
「千尋先輩?」
「あっ、な、何でもない!」
 大雅の声に、慌てて首を振る。
 自覚したばかりの恋心に動揺して、また頭の中がぐるぐるしてきた。
 ……後で告白するって言ったし、いいよね?
 大雅の約束に甘えて、今はまだ、胸の奥にしまっておこう。
 そして僕は、大雅の笑顔を見つめながら、ゆっくりと歩き出した。



(終)