***

「へぇ、きれいにしてるじゃん。居心地よさそう」

 皓斗の部屋に入った侑希の言葉に、そりゃ、念入りにチェックしましたからね、と心で頷いた皓斗は、ドアは閉めずにおくべきかとふと悩んでしまった。

 いつ誰が来てもドアは閉めている皓斗だが、前に侑希の家ではどうしただろう。侑希は触れられるのは駄目だとして、密室空間は平気なのだろうか。

 ――いや、密室ってなんだよ。

 皓斗はドアとにらめっこをして思い悩む。すると、侑希から声がかかった。

「皓斗、どうした?」
 
 ビクッとして、そのはずみでドアを閉めてしまう。

 うわ、閉めちゃったよ、と別に悪いことをしているわけじゃないのに、どうしてか後ろめたい気持ちになる。

「あ~~、えっと、そしたら映画、先に見る?」

 気を取り直し、ドア面からくるっと身体の向きを変えて、パソコンを置いてある机に向けて大きく足を踏み出した。
 その次の瞬間。

「わ」

 侑希がすぐ後ろにいたのに気づいていなかった皓斗は、思いきり侑希とぶつかってしまった。
 不意なことでどちらも体勢を崩し、侑希は軽く尻もちを、皓斗はその上に覆いかぶさる姿勢になる。

「……ごめん!」

 気づいてすぐに身体を離したが、皓斗の右手だけは侑希の左手に重なったままだった。

「あっ、ごめん!」

 再び謝りながら、その手も急いで離す。
 侑希はすぐに右手で左手を包み、身体を縮めてうつむいた。侑希の表情が見えないから、皓斗は不安になる。

「痛いのか? ごめんな、俺、よく見てなくて」
「……大丈夫」

 少し間を溜めたが、顔を上げた侑希の表情はいつも通りだった。

「ちょっとびっくりしただけ。皓斗に触られて嫌なわけじゃないから、ほとんど痛みもなかったよ。俺こそ人の部屋が珍しくて、きょろきょろしてて突っ立ててごめん」

 必死に謝る皓斗に、侑希は緩く頭を振る。

「いや、俺が不注意だったから。ほんとごめんな」

 そうして柔らかい笑顔を作ると、両手の指で髪に触れてくる。そのまま、わしゃわしゃと髪を乱された。

「ほら、触るのは全然抵抗ないし。皓斗なら大丈夫だよ」

 皓斗なら大丈夫……どうしよう、とても嬉しいことを言われている気がする。

 皓斗はクスクス笑う侑希に触られるがままに任せた。細い指がときどき地肌に当たるのも心地よくて。

「学校のテラスで話したときも思ったけど、皓斗ってワンコみたい。俺のおばあちゃんが飼ってるビーグルに似てる」
「……は? え? ビーグル?」

 ビーグルと言えば、垂れ耳垂れ目で尻尾をふりふりしている小型犬だ。全然強そうじゃない。
 ガタイだっての皓斗の方が大きいのに、なにがワンコだビーグルだ。
 ……とは言えず、髪をワシャワシャとされていると『くーん』と言いたくなってきて、主人に従順なビーグルになっている気がする皓斗だった。


***

「よし、再生」
『ピン、ポーン』

 改めて映画を再生したところに、チャイムの音が重なった。

 今日はなにも聞いてないが宅配だろうか。
 せっかくの侑希との時間を少しでも削りたくないのに、と思いながら一階リビングに降り、インターフォンのモニター画面を覗いて確認する。

 映った人物ふたりに眉が寄った。野田と涼介じゃないか。
 約束もしていないし連絡もきていないのに、ふたり揃って訪問してくるなんてどういうことだろう。
 
 今日は侑希がいるからいっそ居留守を決め込みたいところだが、野田は変なところで勘がいいから、しばらくチャイムが鳴り響きそうだ。侑希に変に思われてしまう。

「はい……なんだよ、日曜に二人して」

 観念してインターフォンの応答ボタンを押した。

「いると思った。とりあえず開けろよ」
「はあ? 客が来てんだよ。今日は帰れ」
「とりあえずあ・け・ろ。叫ぶぞ。ご近所さんにご迷惑だぞ」

 普段はあっさりしているくせに、野田は目的を達成することにかけては執着心が強い。

 ああ、もう! と心のなかで言いながら玄関ドアを開け、中には入らせない気持ちで仁王立ちをする。

「よぉ。やっと開けてくれたか」 
「なんなんだよ、緊急でもあるまいし」
「いやー、今日は涼介とゲーセンだったんだけど、あまりに涼介の調子が悪い。聞けば悩みがあるって言うじゃないか。一年からの級友としては放っておけないだろう、なぁ皓斗!」

 芝居がかった野田から視線をずらして涼介を見ると、涼介は幅の広い肩を落としてシュンとしている。

 きっとまだ侑希のことで落ち込んでいるのだろう。
 その姿は確かに痛々しい。けれど今日は駄目だ。今、侑希が皓斗の部屋に来ていることを知られたら、うまく説明できる自信がない。

「ま、俺は最近の皓斗の上機嫌の理由を探りに来ただけだけどな。なぁ、新しい彼女、来てんだろ? 会わせろよ」

 野田が家の中を覗こうと、背を伸ばしたり屈んだりする。

 予想はしていたが、やっぱりそれがメインのようだ。
 けれどお生憎様だ。皓斗は恋愛という俗世界からは巣立ち、これからは友情を育むことにしたのだ。野田には後日、友情の高尚さを説いてやるから、今日はお帰りいただきたい。

「違うし今日は駄目なんだって。ほら、早く帰れ帰れ」
「ん? なんだ、靴、男もんじゃん。誰が来てんの? 学校のやつじゃないのか?」
「だから客だってば」

 野田のしつこさに玄関で押し問答状態になっていると、階段を降りてくる足音がした。   
 侑希だ。

 駄目だ、来るな! と焦るものの、侑希は玄関から見える位置まで降りてきてしまった。

「皓斗? なかなか戻らないから気になって。どうし……」
「遠野? なんで遠野が皓斗の家に?」

 侑希の問いにかぶるように涼介が言って、野田は無言で皓斗と侑希の顔を交互に見る。 
 皓斗は祈りに似た気持ちで瞼を閉じた。

 一方、侑希は動じる素振りも見せず、さらりと言った。

「皓斗が大丈夫なら、上がってもらったら?」