皓斗と遠野が友達になってから三週間が過ぎようとしていた。
 遠野からの着信も返信も少ないが、ふたりは毎日スマートフォンのメッセージアプリでやり取りをしている。
 ただ、学校ではやっぱりスタイルは崩せない、できるだけ目立たず静かに過ごしたい。そう話す遠野の希望に添うため、ふたりが一緒に過ごすのは、決まって放課後になった。

 とはいえ、なかなか予定は合わず、結局まだ、皓斗の家に来てもらえていない。
 だから『明後日、日曜日だけどもう予定入ってる? 時間ができたから望月の家に行けるけど。それか映画でも見に行く?』なんてメッセージが遠野からきたときには、皓斗は歓喜で踊り出しそうになった。

『ずっと俺の家でいい! 映画ならサブスク入ってるし、他に要るものがあるなら用意しとくし!』

 すぐさま返信をすると『笑』の文字が揺れているスタンプが送られてきて、続けてお預けを食らうビーグル犬のスタンプが届いた。
 スマートフォンの画面の向こうで、クスッと笑っている遠野が想像できる。

 修学旅行前の小学生のようにウキウキと胸を躍らせた皓斗は、夕食時に家族に報告をした。

「日曜日、友達を家に誘いたいんだけど、いいよね? 何時からならいい?」
「なぁに? 友達なんて今まで宣言なく呼んでたじゃない。どうしたの?」

 母親と、小学六年生の妹の美咲に不思議がられる。

「なんだ、大事な友達なのか? それとも次こそ本命の彼女か?」

 父親は含み笑いをして皓斗をつついた。

「新しい友達だよ、すっげーいいやつなんだ」       
「お兄ちゃんが自分から友達の話なんかするの珍しいね。見たーい。会いたーい」  
「あら、じゃあ夕飯を食べて帰ってもらいなさいよ。お母さんたち、美咲のピアノの発表会から夕方には戻るから」
「まじ、いいの?」

 いつもなら友達関係に家族が介入するのは照れくささもあり、遠慮してもらう皓斗でも、今回は話が別だ。これなら遠野と夜まで一緒に過ごせる。

 心の中でガッツポーズをして日曜日を楽しみに待ち、当日は、美咲のピアノ発表会に出かける家族三人を駅まで見送ると、そのまま改札の前で遠野がくるのを待った。

 予定の電車が入ると、たくさんの人が改札に押し寄せる。

 「あ」と小さく声が出た。
 人混みを避けたのだろう。人波から少し遅れて改札に向かってくる人物が一人いる。けれど、だからじゃない。その人の周りだけ空間が違うかのように、姿が浮かび上がって見えて、皓斗はすぐに遠野を見つけることができた。

「……侑希!」
「皓斗」

 ”侑希”も皓斗に気づき、ワイヤレスイヤホンをはずしながら微笑んだ。

 昨夜『下の名前で呼んでいい?』とメッセージをしたのは皓斗から。そうしたら、この間と同じビーグル犬の、OKポーズをするスタンプが送られてきた。 

 その瞬間、「やったあぁぁ!」と叫んだのは侑希には内緒だ。言ったら「キモい」と言われるに違いないから。  

 それにしたって、”皓斗”。
 十七年間この名前で生きてきて、家族以外からもずっとそう呼ばれてきた名前なのに、侑希が呼ぶとなぜだかくすぐったい。

「電車、混んでたんじゃない? 大丈夫だった? ゆ、ゆうき」

 混雑した電車や道路で、他人と偶然触れるのも怖いと聞いていたので心配していた。

「うん、ずっと端で立ってたから。すいてる時間も選んだし……ぷ……くく」

 返事をしながら、最後には吹き出す侑希。

「なんで笑うんだよ」
「だって、言いにくいならやめればいいのに、名前呼び。めちゃくちゃ緊張してんじゃん、皓斗。キモいぞ」

 人差し指と一緒に図星も刺されて、顔が熱くなるのがわかる。
 侑希にとっては名前呼びなど余裕なのだろう。 

 もちろん皓斗だって、今まで誰かを下の名前で呼ぶのに意識したことなんてない。なのになぜこんなにテンパってしまうのか。

「よし! ……ゆうきゆうきゆうきゆうきゆうき」

 やめればなんて言われて、意地になって名前を連呼してやった。けれど侑希はどこまでもマイペースだ。

「なに、それ。はいはいはいはいはい」

 ご丁寧に、呼んだ数だけ返事をして、クスッと笑う。

 馬鹿にして、と思うのに、腹が立つよりもうなじや背中がこそばゆい。クスッと笑った侑希の息に心が浮き上がってどこかに飛んで行きそうで、皓斗は侑希の隣で首をすくめた。