その後皓斗は、十八時まで開放されている学生食堂の、併設のテラスに遠野を誘った。
 校外に出て店に入るよりはゆっくり話せる気がして、テラスにある自販機で飲み物を買って席に座る。
 皓斗はカフェオレ、遠野は桃味のソーダを選んだ。

「ちょっと待っててな」

 クールな奴だと思っていたけれど、選ぶ飲み物は見た目どおりに可愛いな、なんて密かに思いつつ遠野に断りを入れ、着信の振動が止まらないスマートフォンを操作した。
 モックバーガーで待っているクラスメイトにキャンセルを伝えるため、グループトークではなく野田との個別トークを選んでメッセージを入れる。

『埋め合わせしろよ』

 やっぱり野田は『わかってる奴』だ。すぐにコミカルな猿のスタンプと一緒に返信が来て、他の友人たちにうまく伝えてくれるだろうと安心した皓斗は、スマートフォンを通学バッグに突っ込んだ。

「よかったんですか? 約束があったんじゃ」
「……」

 遠野が皓斗に目線を合わせて話している。   
 今までことごとくそらされてきたからだろうか。当たり前のことなのに、そんな些細なことが嬉しくて、少し落ち着かない。

「あの?」
「……あ、うん、大丈夫」 

 一瞬、薄茶のビー玉みたいにきらめく遠野の瞳に吸い込まれていた。

「で、話って? 俺たち、あの日が初対面ですよね? 助けてもらって悪いけど、俺、あのときのことをほぼ覚えてないし……俺たち、接点はないと思うんですけど」
「そうなんだよなぁ。どうしてなのか俺にもわかんない。俺、どうして呼び止めたんだろ?」
「はあ? なに、それ。俺もう帰ろうかな」

 遠野が椅子を少しずらして、今にも立ち上がりそうに見えた。
 皓斗は咄嗟に遠野に向けて手を伸ばす。

「え、ちょ待って! ……あっ!」

 手首を掴もうとして、駄目なんだったと気づいて引いたら、「ホールドアップ」みたいな格好になってしまった。
 まずったな、という表情をして身体を固くすると、逆に遠野は表情を緩めて、椅子に深く腰掛け直した。

「よくわかりましたね。俺が他人に触られるのが駄目だって。今まで気づいた人なんかいなかったから、興味が湧いてついてきちゃったんだけど。どうしてわかったんですか?」

 ――うわ、こんないい表情するんだ。

 今までとは違う柔らかい雰囲気に目を奪われる。
 皓斗はホールドアップをゆっくりと解除して、質問に答えるより先に提案した。

「とりあえず、敬語やめない? これ言われんのヤかもだけどタメだし……なんかさ、俺、遠野と友達になりたいって思ったんだよ」

 実を言えばそう思ったのは今だ。けれど嘘じゃない。言いながら『ああ、そうだ。そう思ってたんだ』と選んだ言葉に満足していた。

 遠野はまた眉をひそめ、窺うような視線を向けてくる。
 皓斗の方は、気持ちに偽りがないという自信があるから、遠野から視線をはずしたりはしない。

「会話が噛み合ってない気がする……えっと、名前、聞いても?」
「あ、ああ! 悪い。望月皓斗」
「望月……。じゃあタメ語で話すけど。全然わからない。どうして俺と? さっきも言ったけど、初対面だよね。それに望月って学校で目立つみたいじゃん。クラスの人たち、みんな望月を知ってる。そんな人がどうして病み上がりの留年した俺と? 普通はからかってるか、同情としか思えない」
「そんな! そんなこと、微塵も思ってない」

 かと言って、自分でも理由がわからない。けれどだからこそ、その理由を探してみたいし、自分の思いに素直に従ってみたい。

「俺さ、今まで自分から誰かとどうにかなりたいとか、誰かが気になるとか一度もなくて。なのに遠野はなんか刺さるんだよ。すげぇ気になっていつの間にか目で追ってる。けどそれがどうしてなのかもわかんない。だから余計遠野のこと、知りたいって思う。それじゃ、駄目かな?」

 顔を傾け、遠野の大きな瞳を覗きこんだ。遠野は目をそらしこそしないが、やはり眉を寄せる。

「……駄目っていうか……望月、なんか距離感バグってない? 人に対する執着がなさそうなこと言ってんのに、今言ってることは相当ヤバイよ。愛の告白じゃないんだから……」
「愛の告白!? まじで? 俺、ヤバイやつじゃん。違うんだって、友達になってくれなんて初めて言うからテンパって」

 焦ってしまう。恥ずかしさに、一気に体が熱くなった。

「ふ、あはは。冗談だって」

 不意打ちだ。遠野が頬杖をつき、空気をくすぐるみたいな笑みをこぼした。
 やっぱり、笑うとがらりと雰囲気が変わる。それにしても本当に綺麗な顔している。

 色素の薄い茶色の髪に瞳。
 骨格はまだ幼さが残るものの、クラスメイトの女子たちよりも色白な、ニキビどころかホクロのひとつもない透きとおるような肌。
 くっきりとした二重瞼に密度の濃い長いまつ毛。

 皓斗も芸能人になれるなんて周囲から言われているけれど、遠野は典型的なアイドル顔だ。いつまでも目が離せず、同い年の男の顔に対して俺はなにを、と頭の隅で突っ込みを入れつつも、やっぱり視線を外せない。

「わかった。宣言してなるもんでもないと思うけど、友達……なってみようかな」

 見惚れているのを大人しく返事待ちしていると感じたのか、一度唇を結んで考えるようにしてから、遠野が答えてくれた。

「えっ」

 了承してもらえたのはもちろんだが、皓斗が驚いたのは、右手が差し出されたことだ。

「これって握手だよな? 大丈夫なのか。触られんの、苦手なんだよな?」
「あぁ……まあ、急に来られない分にはね。心づもりっていうか、あればまだ大丈夫だから」

 そう言って、ほら、と言うように、皓斗よりも少し小さな手のひらを寄せてくれる。
 皓斗は柄にもなく頬が赤らむのを感じた。胸もトクトクとリズムを刻んでいる。

 ――本当に、この手に触れていい?

 躊躇いつつ、皓斗は両手でそっと、それこそ生まれたての雛を包むように、遠野の手を包んだ。
 途端に遠野がビクッと肩を揺らす。

「あっ、やっぱ痛むのか!? ごめん!」
「じゃなくて。なあ、やっぱ距離感おかしいって! 普通そんな握手しないだろ。予想の斜め上すぎてビクッってなるよ!」
「あ、ああ、ごめん。だって壊れるかと思って」

 ああ、また気持ちの悪いことを言ってしまった。
 さすがに引かれてしまうかも、と弱々しく肩を落として瞳を覗きこんでみると、遠野は呆れ顔をしていた。

「壊れるわけないじゃん。なあ、キモいことしたら友達解消するから。そういう距離感はやめて」

 呆れ顔から少しだけ拗ねたようになる。頬が少し赤くも見えた。
 
 もしかして照れているのだろうか。
 そう思ったけれど夕日のせいにしよう。そうでないと自分の顔の熱さも誤魔化せないし、嬉しくてにやけてしまいそうだから。