昼休みのあとから気分が重い。
『俺のことは気にしてもらわなくて大丈夫』『あんまり覚えてないけどそっちの人』
『もう来るな、構うな』
遠野の声が頭の中で反響している。綺麗な顔をしているくせに、性格は最悪じゃないかと胸がムカムカしていた。
「ごめんな、皓斗。遠野、あんなんじゃなかったのに。明るくて話しやすくて……病気して留年したせいで殻にこもっちゃったのかな……」
涼介の肩に、落ち込みと皓斗への申し訳なさが乗っているように見えた。
「どうして涼介が謝るんだよ。もういいって。今日はあいつの体調が戻ってたのもわかったし。俺の目的は達成された」
そう。皓斗は遠野の体調が戻ったのかが心配だっただけだ。あれだけ悪態をつけるのなら平気なのだろう。大丈夫ならそれでいい。
涼介は昔のよしみで関わりたいだろうが、皓斗はもともと遠野とは無関係だ。実際学年も違うし、今後校内ですれ違うことさえそうはないだろう。だからこれで遠野案件は終了だ。
そう、思っていたのに。
一度遠野を認識すると、視界の端々に彼が映る機会が意外と多かったのがわかった。
授業中、窓際の席から校庭を見下ろせば体育を見学している遠野を見かけ、移動教室で校内を歩けば、反対側の校舎の廊下を歩く遠野を見かけたりする。
遠野は皓斗に気づくことも気づかないこともあるが、気づいてもすぐに顔を背けてしまう。漫画なら「つーん」という擬態語がつきそうなくらい見事に。
――ほんっと、可愛くない。
そう思うのに、皓斗は遠野が気になってしまうのだ。なぜなら、遠野はいつもひとりきりでいるからだ。
ただ、遠野の場合は周囲から嫌がらせを受けている様子はなく、どちらかといえば自分から距離を取っているように見えた。
たまにクラスメイトや教師に話しかけられている姿も見かけるが、涼介にもそうしたように、心持ち体をずらして、必ず相手と一定の距離を保とうとしている。
どうしてなのだろう。
『皮膚が痛い』『触るな』
介抱したときと、涼介の前で遠野が言った言葉が頭に浮かぶ。
あの言葉とは関係があるのだろうか。適当にうまくやればいいのにいつもひとりで周りを拒絶して、ハリネズミみたいにツンツンして。
――綺麗な顔してるんだから、笑えば絶対いい感じなのに。
ここではたと気づいた。
また遠野のことを考えてしまっている。遠野のことなんて、皓斗にはなんの関係もないのに。
***
「のだー、モックバーガー寄ってこーぜ」
放課後になると小腹が減る。野田に声をかけるとあっという間に輪ができて、野田以外のクラスメイトも一緒くたに、団子になって教室を出た。
アルバイトがあって不参加の涼介も、昇降口までは一緒に降りる。話題は明日提出の世界史のレポートだ。
「あっ、世界史のレポート? 俺、最後のとこの資料、机ん中! わり、野田たち、先に行ってて」
「なんだよ、ボケてんな皓斗。じゃあ、あとでな」
皆に手を振って小走りに教室に引き返し、机の中にあった資料を通学バッグに突っ込んだ。
けれど靴箱に来たところで皆と合流するのが急に面倒くさくなった。ここのところ、どうしてか遠野のことが気になり、あまり眠れなかったからかもしれない。
小さく頭を振って不意に襲った眠気を飛ばし、重い体で校門に向かう。
帰宅部組の下校ラッシュはすでに去っていたが、別の昇降口からも何人かが校門に向かっていた。
その流れを追ったわけじゃない。それなのに、一年生が使う昇降口に自然と視線が泳いで、その先にいた遠野の姿を捉えてしまった。
どうせまた「つーん」とそらされる。だから皓斗もすぐに目線をはずそうとした……したのだが、足を止めて遠野の動線を目で追ってしまう。
当然、皓斗の視線に気づいた遠野と目が合った。ただそれはほんの少しの間で、案の定遠野は皓斗から目をそらすと、すぐに校門へと向かって行く。
「……遠野!」
気づいたら呼び止めていた。
いつもみたいにそのまま行ってしまうかも、とも思った。けれど遠野は足を止めてイヤホンをはずすと、ゆっくりと皓斗の方を向いた。
「……いったいなんなんですか」
遠野は眉を寄せて皓斗を見てくる。その姿はやはりハリネズミのようだ。
全身で他者を拒絶しているイメージが伝わってくる。
けれどここで引いたら二度と話しかけられないままになる気がする。また、それなのにずっと遠野を気にしてしまうだろう自分を皓斗は予測した。
うん、と皓斗は自分を納得させるように小さく頷くと、遠野との間に人がふたり分入るくらいの距離まで近づいてみる。
「これくらいなら、いい?」
「え?」
「人と距離が近いの苦手なんだよな? 保健室では体調が悪いからだと思ったけど……なに気なく触れられるのとか、駄目な方かなって思って」
ここ数日、遠野を見てきた皓斗だ。感じたままにそう言うと、遠野は寄せていた眉の力を抜き、唇を半開きにした。
それから、きまり悪そうに目をそらし、うつむいて表情を隠してしまう。
勝手なことを言って気分を悪くさせたかもしれない。やっぱり拒否されるかな、と皓斗が次の言葉を探していると、くぐもった声が聞こえてきた。
「……うん……はい……」
返事をしてくれた! うつむいたのは拒否ではなく、恥じらっているからかもしれないと感じて、また少し踏み込む。
「なぁ、ちょっと話せない?」
制服の上着のポケットに突っ込んだスマートフォンが、呼び出しを知らせてくるが構わない。
答えを急がずに待っていると、遠野は少し間を置いてから、こくっと小さく頷いた。
『俺のことは気にしてもらわなくて大丈夫』『あんまり覚えてないけどそっちの人』
『もう来るな、構うな』
遠野の声が頭の中で反響している。綺麗な顔をしているくせに、性格は最悪じゃないかと胸がムカムカしていた。
「ごめんな、皓斗。遠野、あんなんじゃなかったのに。明るくて話しやすくて……病気して留年したせいで殻にこもっちゃったのかな……」
涼介の肩に、落ち込みと皓斗への申し訳なさが乗っているように見えた。
「どうして涼介が謝るんだよ。もういいって。今日はあいつの体調が戻ってたのもわかったし。俺の目的は達成された」
そう。皓斗は遠野の体調が戻ったのかが心配だっただけだ。あれだけ悪態をつけるのなら平気なのだろう。大丈夫ならそれでいい。
涼介は昔のよしみで関わりたいだろうが、皓斗はもともと遠野とは無関係だ。実際学年も違うし、今後校内ですれ違うことさえそうはないだろう。だからこれで遠野案件は終了だ。
そう、思っていたのに。
一度遠野を認識すると、視界の端々に彼が映る機会が意外と多かったのがわかった。
授業中、窓際の席から校庭を見下ろせば体育を見学している遠野を見かけ、移動教室で校内を歩けば、反対側の校舎の廊下を歩く遠野を見かけたりする。
遠野は皓斗に気づくことも気づかないこともあるが、気づいてもすぐに顔を背けてしまう。漫画なら「つーん」という擬態語がつきそうなくらい見事に。
――ほんっと、可愛くない。
そう思うのに、皓斗は遠野が気になってしまうのだ。なぜなら、遠野はいつもひとりきりでいるからだ。
ただ、遠野の場合は周囲から嫌がらせを受けている様子はなく、どちらかといえば自分から距離を取っているように見えた。
たまにクラスメイトや教師に話しかけられている姿も見かけるが、涼介にもそうしたように、心持ち体をずらして、必ず相手と一定の距離を保とうとしている。
どうしてなのだろう。
『皮膚が痛い』『触るな』
介抱したときと、涼介の前で遠野が言った言葉が頭に浮かぶ。
あの言葉とは関係があるのだろうか。適当にうまくやればいいのにいつもひとりで周りを拒絶して、ハリネズミみたいにツンツンして。
――綺麗な顔してるんだから、笑えば絶対いい感じなのに。
ここではたと気づいた。
また遠野のことを考えてしまっている。遠野のことなんて、皓斗にはなんの関係もないのに。
***
「のだー、モックバーガー寄ってこーぜ」
放課後になると小腹が減る。野田に声をかけるとあっという間に輪ができて、野田以外のクラスメイトも一緒くたに、団子になって教室を出た。
アルバイトがあって不参加の涼介も、昇降口までは一緒に降りる。話題は明日提出の世界史のレポートだ。
「あっ、世界史のレポート? 俺、最後のとこの資料、机ん中! わり、野田たち、先に行ってて」
「なんだよ、ボケてんな皓斗。じゃあ、あとでな」
皆に手を振って小走りに教室に引き返し、机の中にあった資料を通学バッグに突っ込んだ。
けれど靴箱に来たところで皆と合流するのが急に面倒くさくなった。ここのところ、どうしてか遠野のことが気になり、あまり眠れなかったからかもしれない。
小さく頭を振って不意に襲った眠気を飛ばし、重い体で校門に向かう。
帰宅部組の下校ラッシュはすでに去っていたが、別の昇降口からも何人かが校門に向かっていた。
その流れを追ったわけじゃない。それなのに、一年生が使う昇降口に自然と視線が泳いで、その先にいた遠野の姿を捉えてしまった。
どうせまた「つーん」とそらされる。だから皓斗もすぐに目線をはずそうとした……したのだが、足を止めて遠野の動線を目で追ってしまう。
当然、皓斗の視線に気づいた遠野と目が合った。ただそれはほんの少しの間で、案の定遠野は皓斗から目をそらすと、すぐに校門へと向かって行く。
「……遠野!」
気づいたら呼び止めていた。
いつもみたいにそのまま行ってしまうかも、とも思った。けれど遠野は足を止めてイヤホンをはずすと、ゆっくりと皓斗の方を向いた。
「……いったいなんなんですか」
遠野は眉を寄せて皓斗を見てくる。その姿はやはりハリネズミのようだ。
全身で他者を拒絶しているイメージが伝わってくる。
けれどここで引いたら二度と話しかけられないままになる気がする。また、それなのにずっと遠野を気にしてしまうだろう自分を皓斗は予測した。
うん、と皓斗は自分を納得させるように小さく頷くと、遠野との間に人がふたり分入るくらいの距離まで近づいてみる。
「これくらいなら、いい?」
「え?」
「人と距離が近いの苦手なんだよな? 保健室では体調が悪いからだと思ったけど……なに気なく触れられるのとか、駄目な方かなって思って」
ここ数日、遠野を見てきた皓斗だ。感じたままにそう言うと、遠野は寄せていた眉の力を抜き、唇を半開きにした。
それから、きまり悪そうに目をそらし、うつむいて表情を隠してしまう。
勝手なことを言って気分を悪くさせたかもしれない。やっぱり拒否されるかな、と皓斗が次の言葉を探していると、くぐもった声が聞こえてきた。
「……うん……はい……」
返事をしてくれた! うつむいたのは拒否ではなく、恥じらっているからかもしれないと感じて、また少し踏み込む。
「なぁ、ちょっと話せない?」
制服の上着のポケットに突っ込んだスマートフォンが、呼び出しを知らせてくるが構わない。
答えを急がずに待っていると、遠野は少し間を置いてから、こくっと小さく頷いた。