「昼休み、遠野のところに行ってみない?」
教室移動の時に、涼介がこっそりと耳打ちしてきた。
「なんで」
気にはなっていても、それを表に出すことに違和感のある皓斗はそっけなく返事をする。
「ホントのところ、俺が気にしてんの。中学のとき、遠野とは結構話す仲だったのに入院したらそれっきりにしちゃってさ……」
ああ、そうだった。涼介は邪念がないというか、素直で優しいんだよな、と思う。
「ん、まあ。それなら付き合ってもいいかな」
「サンキュ。じゃあ昼休みな」
そして昼休み。
「なに、ふたり揃って職員室?」
「ああ、ちょっと、教室の備品のことでな。な、涼介」
「そうそう」
野田に学食内の売店に誘われたものの、遠野の様子を見に行くとも言えず、涼介とふたりで適当な誤魔化しをする。
「ふーん? そ、じゃあな」
野田は、黒縁眼鏡の丁番に触れながら首を傾げはしたが、すぐに背を向けて、他の生徒たちと売店へ向かって行った。
皓斗は、野田のこうしたあっさりしたところが気に入っている。野田は興味のある物事にはとことん喰らいつくタイプだが、空気が読めて、他者のテリトリーを侵したりはしない『わかっている人間』だ。
「友達だとうまくいくのにな。なんで彼女とは駄目なんだろ」
つい口を突いた。これまでの彼女たちは全員、皓斗の行動をすべて把握したがっていた。
「はは、一応気にしてんだ? 友達と彼女は違うだろ。彼女って全部自分に気持ちを向けて欲しいとかなるんじゃん? 適当にその場を楽しくやり過ごすだけ、ってわけじゃないしな」
「知ったような物言いだな。涼介はよそに彼女がいるんだっけ?」
「彼女ってわけでもないけどバイト先にちょっとな。いろんな人がいるし、大人が多いから勉強にはなるよ」
「ふーん」
そういえば付き合いは二年目になるのに、涼介と恋愛絡みの話をするのは初めてだ。
「そういえば、皓斗とこんな話しすんの、初めてじゃない? 皓斗は雰囲気がいいから皆に好かれてるけど、人の中心にいすぎて自分の気持ちっていうか、主張を出さないじゃん。いっつも周りに合わせてさ。でもすごい自然なんだよなぁ。それが心地よくて好かれるんだろうけど」
「……」
同じことを考えていたようだが、それ以上の推察までされて、どう返事をしていいかわからなくなる。
すると涼介は、意味深な目を向けて皓斗に微笑んだ。
「ふ。ま、俺も皓斗が持ってる雰囲気が好きで一緒にいるんだけどな。だからさ、普段は人と付かず離れずがモットーの皓斗が、一回会っただけの遠野を気にしてる、って思うと余計遠野に会いたくなったのもある」
隠していた小さな秘密を暴かれたときのようだ。居心地が悪いような、恥ずかしいような気がして落ち着かない。
涼介の中身は見てくれと同じく大人っぽいのは知っているけれど、こんなにも鋭い奴だっただろうか。
「お。図星って感じだな。つるんで二年目にして収穫。遠野のおかげだな」
楽しそうに笑う涼介に、なにも言い返せない。ただでさえ狂っているペースがますます狂いそうで、皓斗はもう、無言で階段を降りた。
とはいえ、一年生の階に突撃したものの、遠野のクラスを知らないと気づいた皓斗と涼介は足を止める。
「望月先輩だー。なにしてるんですか〜?」
そこへすぐに名前も知らない後輩たちが寄ってきた。誰なんだよお前らは、と心の中でつっこみつつ、皓斗は聞いた。
「遠野って奴、知らない?」
目の前にきた一年生たちは互いの顔を見合わせ、首を傾げる。
代わりに答えてくれたのは、近くにいて皓斗たちを見ていた女子ふたりだ。
「ひろちゃん先輩、あたしわかる! 三組の綺麗系の顔の男子でしょ」
「もしかして呼び出しとかしちゃうの? やだ、こわーい」
この子たちは見たことがある。何人か前の元カノの、バレー部の後輩だ。
怖いと言いながら、高い声を出してキャッキャと笑っている。いかにも女子という感じだ。
まあ、そこがかわいいけどな、と思いながら、愛想笑いを返して三組に足を向ける。
「ばぁーか、俺がするわけないだろ、三組ね。サンキュ」
「また遊んでねー」と背中で声が聞こえて、視線は前のまま手を振った。
「いい返し。さすがの人たらしだな。それにしてもみんな皓斗を知ってるんじゃないかと思うね。大人気だ」
「知らねーよ。人たらしって言うな」
今日は涼介に面白がられてばかりだ。
向かった三組でも求めていない暖かい歓声と共に迎えられ、きまりの悪い顔を笑ってくる涼介を小突きつつ、「遠野っている?」と聞く。
「昨日早退して、今日は休んでますよ。最近なかったんだけど、結構体調壊すんですよね。あのヒト」
答えてくれた男子生徒の言い方に、遠野とクラスメイトとの隔たりを感じる気がした。ひとつ年上の同級生ということが、クラスで浮いてしまうのだろうか。
「クラスでどんな感じ?」
涼介も気になるようで口を出した。
「んー、なんか自分から距離取ってるっていうか。たいてい一人で音楽聞いたりしてますよね……あれ? きたじゃん。アノヒトです」
きた、と聞いてドキッとして後ろを振り返る。
どうしてなのか、不思議に遠野がいるところだけが空気の質が違う気がして、夢か幻の世界に入り込んだように皓斗はぼんやりとした。
「遠野!」
涼介の声に我にかえる。気づけばもう、涼介は顔を綻ばせて遠野を迎えに足を進めていた。
一方、涼介に気づいても耳からイヤホンをはずさない遠野の顔には表情がない。そればかりか、涼介がすぐそばまで近付くと、遠野は一歩と少し、後ろへ体をずらした。
「涼介……なにやってんの、ここ一年の階だけど」
つぶやくような小さな声に、ひそめられた眉。明らかに歓迎していない。
「なんだよ、久しぶりの第一声がそれかよ。昨日、体調崩して保健室に行ったって? そのときさ、こいつも保健室にいただろ。それでお前の名前を聞いて……」
涼介が親指で皓斗を指す。遠野の大きな瞳に捉えられて、皓斗は軽い緊張を覚えて背筋を伸ばした。
「あぁ……あんまり覚えてないけど……迷惑かけてスイマセンでした。で、わざわざ恩を売りに来たんですか?」
淡々と言う遠野の顔は無表情を通り越して、寒々しささえ感じる。
一瞬言葉に詰まる皓斗だが、唾を呑み込んでから反論を伝えた。
「っそんなんじゃねーよ、あれから大丈夫だったのかなって」
「見てのとおりです。俺のことは、気にしてもらわなくて大丈夫です。」
目線を皓斗から教室に向け、そのまま通り過ぎようとする遠野の腕を、涼介がぐっと掴む。
「おい、ちょっと待てよ、久しぶりだから会いたかったんだよ」
すると、遠野は大げさなくらいに体を震わせて、手を振り払った。
「触るな!」
すぐに、掴まれた腕を自分の手で庇う遠野。
全身を強張らせているように見えるのは、拒否感が伝わってくるからか。
「……涼介、もう来ないでほしい。中学のときとは違うし、目立ちたくないんだ。そっちの人も、涼介になにを聞いたかは想像がつくけど、同情とかいらないんで、もう構わないでください。じゃ」
時間にして、再会からここまで約三分程度。もう目を合わせることもなく、遠野は早足で教室に入り、皓斗たちの前から姿を消してしまった。
――なんだあれ、可愛くねぇ。
皓斗は眉をしかめて、遠野が消えたその場所を見つめていた。