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 会えると連絡がきて出向いたのは、五か月ぶりに訪れる侑希の部屋。
 変わらず「どーぞ」と入れてくれて、皓斗はそんな些細なことに胸を熱くしてしまう。

「皓斗?」
「あ、ごめん。なんか久しぶり過ぎて感動してた」
「なにそれ」

 好きな口癖に表情筋が緩む。
 皓斗は侑希が「なにそれ」と言うのが大好きだ。
 感慨深さに立ち尽くしていると、不意に手を引っ張られて体のバランスが崩れた。

「わ、と、っと」

 変な声を出しながら、侑希のベッドの上に倒されてしまった。
 仰向けになった上に侑希が跨ってきて、襟元をぎゅっと締め上げられる。

「ちょ、侑希?」
「どんだけ……」
「え?」
「全部受かったからいいものの、俺が、どんだけ、心配、したかわかってる?」

 昼間に学校で見せてくれた可憐な泣き顔とは正反対で、凄むように眉を寄せて言ってくる。けれどその声は震えていて、襟元を締め上げる手も小さく震えていた。

「……ごめん」

 腕を上げて侑希の頬を包む。
 
「ごめんな、侑希。俺、本当に心配かけてた」
「っごめんじゃないよ。馬鹿かよ! しょうもないことで人生投げ出そうとして、あれ、二度目だからな。もうこれ以上あったらっ」

 侑希の声が詰まる。流れを考えると「別れる」と言われるパターンだ。けれど言わないのは、侑希もそれを少しも考えないでいてくれるからだろう。

「絶対にしない。もう間違えない。侑希を思う気持ちを弱さにしてごめん。これから先は俺、絶対に一番大切なもの、間違えないから」

 皓斗にとって大切なのは、侑希が安心した笑顔でそばにいてくれること。
 その侑希が望むのは、女の子のように守られることじゃない。

 クリスマスの夜、皓斗は「侑希を守る存在になる」と誓ったけれどそうじゃなかった。
 侑希は同じ男として、皓斗と支え合っていきたいんだと、今ならしっかりとわかる。

 見た目に反して中身が男らしい侑希は、皓斗の弱みになりたいんじゃなく、強みになりたいと思ってくれている。

 受験勉強に打ち込んでいる期間、侑希の応援からそれを強く感じていた。
 だから、頑張れたところが大きいのだ。

 侑希の気持ちを二度と裏切りたくない。侑希に見合う男になりたい。これからあるだろう人生の山も谷も、侑希と共に越えて生きていきたい。

「俺さ、弁護士を目指すから。仕事バリバリしてさ、自分の足でしっかりと立って、侑希に認めてもらえる男になるって誓うよ」
「……ぅ……でもそれじゃ」

 侑希がまた眉を寄せた。辛そうに唇を結ぶ。
 言葉だけでは伝えられないのは当たり前だ。これから行動に表していくからそばで見ていてほしいと伝えようと、皓斗は侑希の手を握ろうとした。

 すると、襟元を握る侑希の手が緩んだ。

「――それじゃあ俺の方が皓斗に負ける」
「――は?」

 負けるとはなんだろう。

「弁護士に並ぶ職業なんて、医者? 経営者? 俺、ソーシャルワーカーになるから、全然並べない」
「えっ、そこ?」
「そこってなんだよ!」

 侑希がじろっと睨んでくる。けれどちょっとふくれっ面なのが可愛い。赤く染まった頬も、とんがった薄桃色の唇も。

 ――ああ、俺って、一目惚れもあったのかな。

 不意にそう思った。
 桜の木の下で出逢い、保健室に侑希を寝かせた。あのとき、侑希から目を離せなくて────それからもずっと目で追い続けて。

 最初は『好き』なんてわからなかった。その言葉を思いついてもいなかった。けれど侑希を見つめ続けていく中で侑希の内面を知っていき、『好き』な気持ちに気づいた。付き合ってからは、溢れる思いに溺れそうに、いや、溺れて余裕を失くしていた。

 そして、知った。本当に人を好きになるということを。

 嬉しかった。
 切なかった。
 苦しかった。
 恋しかった。

 たくさん笑った。
 たくさん悩んだ。

 間違いも経験した。
 そして今、強くなりたいと本気で思う。

 好きだから。侑希が好きだから。
 侑希とふたりで、この先の未来を肩を並べて歩んでいきたいから。

 全部全部、侑希に触れたあの日から知った思い。

「そんなの関係ないよ。侑希がなりたいと思う大人は絶対にかっこいいし、俺に本当の恋を教えてくれた侑希は、これからずっと俺の道標だよ」

 本当にそう思うが、皓斗は言ってしまってから少し恥ずかしくなった。クサイ台詞というのはこういうものだと思う。

 だから急いで付け加えた。

「えっと、つまりはさ、侑希はずっと俺のご主人様ってこと。これからも手綱、握っててくれよなワン」

 久しぶりの皓斗犬だ。
 功を奏したようで、侑希は膨れっ面を解き、クスッと笑ってくれた。
 皓斗の大好きな笑い方だ。

「なにそれ」

 これも、皓斗が大好きな侑希の口癖。
 
 嬉しくて、言ったら嫌がるから言わないけれど可愛くて、皓斗は侑希の両頬をそっと包んだ。

 侑希がぴくっと肩を揺らす。

「触れると、まだ痛むときある?」

 侑希が泣きそうな顔をしたので、心配になって確認する。
 すると侑希は小さく頭を振って、細い声をこぼした。

「やっぱり俺、皓斗に触れられるの、弱い。キモチヨクテシアワセデ……スキ」
「えっ」

 侑希の最後のほうの声は本当に小さかったけれど、ちゃんと聞こえた。
 皓斗の頭の中は真っ白になる。ほぼ無意識に手のひらを滑らせて、侑希の頬や首筋を撫でてしまう。

「んっ……あったかい。気持、いい」

 薄桃色の薄い唇の間から、出会った日、侑希の頬に触れたときと同じ言葉が漏れた。

「……俺ね、本当は少し覚えてる。保健室で皓斗が俺のほっぺた触ったの。触んなよ、て思いながらもあったかくて気持ちよくて……あれでホッとして眠っちゃって、それでちょっと気まずかったのもある」

 侑希の手が皓斗の手に重なる。
 目を閉じて、すり、と頬ずりしてくる。

「侑希……侑希、好きだ」

 あの日から重なってきた思いが溢れる。幸せなのに苦しくて切なくて、胸の中が熱くてかきむしりたい。
 好きだと思う気持ちは形がなくて、どんどん増え拡がっていくものなのだろう。

「ん、俺も、好き……皓斗は俺が初めての恋って言ってくれるけど、俺も、そうだよ。俺の初めては、全部皓斗だよ。これからもずっと……」

 もう言葉は必要なかった。皓斗からのおうかがいも要らない。
 同時に顔を寄せて瞼を閉じ、ふたりは「これから先も一緒に」の誓いのキスをしたのだった。