短い春が過ぎ、梅雨を終えれば三年生の夏────受験生にとって「天王山」の時期になっていた。

 塾の夏期講習は八時五十分から二十時五十分まで。休みは二週間に一度と盆の間の二日のみ。

 皓斗の高三の夏休みの生活は、塾と家の往復になった。とはいえやり出すとノってきて、ゲーム感覚で苦痛を感じない。顔見知りもできたし、休憩時に志望校が同じ生徒たちで対策を立てたり、将来を語ったりしているうちに、以前よりは将来へのビジョンがついてきた気がする。

「望月、悪い。英語Ⅰの三番、わかってたら教えてくれ」

 夕食の休憩時、侑希との電話から戻ったところで前の席の生徒が声をかけてきた。少し離れた席からも「じゃあ俺も」「私も」と声がかかり、四人でテキストを囲む。

「あ、シャーペンがない。ごめん、望月くん貸して」

 ひとりの女子が侑希がくれたシャープペンシルを掴もうとして、皓斗は慌てて先に掴んだ。

「ごめん、これは駄目なんだ。こっち使って」
「なに〜、意味深。願掛けとか?」

 皓斗が渡した別のシャープペンシルを受け取りながらも、女子の視線は皓斗の手の中のシャープペンシルにある。

「や、これは……」
「ばっか、彼女のに決まってんじゃん」

 皓斗が「彼氏の」と言おうとすると、前の席の男子の声がかぶり、反射的に唇を結んだ。

「望月、受験生のくせにリア充かよ」    
「休憩時間に入ったらいつも電話してるもんな。トイレに行く時に聞こえたぞ。確か、ゆうきちゃん、だよな」
「そうなんだー。かわいい名前だね」
「ハハ……それより三番だろ」

 意図して話を切り替えた。
 野田や涼介に理解してもらっていて麻痺していたけれど、男が男と付き合っているとは誰も思わないのだと気づいたからだ。

 皓斗は、侑希を思う気持ちを誤魔化したくないし、聞かれたら胸を張って関係を言いたい。けれど侑希がいたらきっと口止めをされる気がする。
 そう思うと言えなかった。

 ***
 
 一日の講義が終わり、電車内にてマナーモードにしてカバンに放り込んでいたスマートフォンを取り出す。 
 侑希からの着信は……ない。

「どうせ夜に話すんだからいいじゃん」が侑希の持論。だけどその電話だって皓斗からだし、かけてもワンコールで出てくれるわけでもない。

 侑希が皓斗への気持ちを言葉にしてくれて以降、確実に以前よりも近づけたと思うし、甘い雰囲気にもなりやすくなったのに、これだけは変わらない。

 侑希も「会えなくて寂しい」というオーラを少しでも出してくれないものだろうか。

 そう思いながら、スマートフォンメッセージの侑希とのやり取りを開けて、既読済みのメッセージを拾い読みしてみる。

 『うん』『了解』『おはよ』『おやすみ』とスタンプ。
 比べて皓斗のメッセージの熱量たるや。

 この差だ。お互い、外見と中身が合ってない。

 寂しいぜご主人様、と皓斗の幻の犬耳と尻尾が垂れた。その直後。

「!」

 開けていたメッセージ画面に、侑希からのメッセージが入ってきた。電車の座席に預けきっていた背中がぴん、と伸びる。幻の犬耳も、尻尾も一緒に。

『次の皓斗の休み、俺も一日開けたよ。ただ、ちょっと夏ばて気味だから、俺の家で一日過ごさない?』

 文面に釘付けになり、全身が固まった。
 侑希の見ている画面には瞬間で既読が付いているだろうから、すぐに返信をしないと変に思われるだろう。

 けれど侑希から(・・・・)の誘いに動揺して、即答できない。
 読み間違えではないことを確かめるために目玉を左右に振って、文章を行き来した。

 間違ってない。いや、もう一度確認だ。

 そうやって皓斗が返事をできないでいる間に、続けて侑希からのメッセージが入ってくる。

『移動中かな。返信は急がないから、またあとで』

 わ、待て待て。自己完結でメッセージを終わらせるな、と忙しく指を動かした。

『大丈夫。メッセージできる』

 それから『休みの件、了解。俺もその方がいい。侑希とまったりしたい』と続けて打ち込んで。これで送信。
 すぐに侑希の既読が付く。

 この返事で大丈夫だったろうか。まったりとか書いて、キモいと思われていないだろうか……次の返信を不安な気持ちで待った。

 ――きた!

 『オッケー』を表す、ワンコのスタンプ。そして『楽しみにしてる。早く会いたいな』とまで付け加えてくれていた。

 嬉しさが胸に募り、心のなかで「く~~~!」と叫ぶ。
 ただ混んでいないとはいえ電車の中だ。表情筋が崩壊した顔を隠すため、皓斗は寝たふりをしてうつむくことにした。

 それでもすぐに口元が緩んでしまい、抑えるのが大変だったのだけれど。

 ――侑希から約束をくれて、嬉しい言葉までくれた!

 少しずつだが、侑希も気持ちを出すことに慣れてきているのかもしれない。多分こうやって、ひとつひとつクリアして行くのだ。

 今すぐには無理でも、いつか、きっといつか……誰の前でも堂々とふたりのことを話せる日が来るのだと思うと、ますます表情が緩む皓斗なのだった。