進学校の、高校二年の三学期は早い。
二学期までに楽しい行事を終えると授業スピードが一気に加速し、高校全過程を済ませて、三年生からは万全の受験体制に入るのだ。
毎日毎時限の小テストと課題地獄に、夏休み明けに絡んできたクラスメイトも他人に構う余裕が消え、自然とクラスでの集まりもグループメッセージの通知が届くことも少なくなった。
皓斗と侑希の話題は野田と涼介のおかげで口に出す者はすでにいなくなっていたが、なんとなく感じていた澱んだ空気も、いつの間にか消えている。
「侑希、会いたかった~」
「毎日朝に顔見てるじゃん」
学年末テストを四日後に控えたある日の放課後、皓斗の家族が外出からの帰宅予定時間が遅いことを利用し、皓斗は侑希を家に招いていた。
高校生のふたりには本当の意味でふたりきりになれる機会はごく少なく、皓斗は学校と、通い始めた塾の勉強漬けの日々の中でもそれを無駄にしないようにしている。
少しでも身を寄せ合って、隙あらばキスしたい。
対して侑希はそうではないようで、玄関を開けるなり感動の面持ちで第一声を発した皓斗とは、真逆の塩対応だ。
ふたりの日課である「登校後の内緒の目線挨拶」は続いていて、確かに毎日顔を合わせてはいるが、それだけで満足している侑希はどうかと皓斗は思う。
「中庭と校舎の二階じゃ距離がある分、テレビの画面越しみたいな感じで、リアル侑希が不足してるんだってば」
「はは。なにそれ」
いつもの調子であっさりと返答される。
その朝の挨拶だけで終わる日の方が多いのに、侑希はやっぱり塩だ。
「なぁ、せめて手とか振ったら駄目なのか? ていうか、学校で話すのくらい、そろそろ解禁してもよくない?」
このままでは欲求不満が溜まって勉強に集中できない。皓斗は食い下がる。
「今さらじゃない? ここまで来たら卒業まで貫こーよ」
どうしてちょっと面白そうに言うのか。そして、卒業まで貫くという言葉はあながち冗談ではないだろう。
学校で気配を消したい侑希の考えを否定するわけじゃないが、皓斗の考え方とのあまりの温度差に消沈してしまう。
――好きだったらさぁ、自然に気持ちが出てくるもんじゃねーの? 学校でちょっとでも会いたいとか話したいとか、普通あるじゃん?
頭の中でそこまで愚痴って、ハッとする。
皓斗も侑希と付き合うまではそんなふうに思ったことがない。彼女がいたって友達優先・自分の用事優先。
メールも会う約束も自分からしたことは数えるほど。なぜならそれは、相手に本気になれなかったからだ。
そして不安に駆られてしまう。
――まさか侑希は俺のこと、本気じゃな
い?
そういえば、「好き」と言われたことがあっただろうか。いや、ない。
クリスマスに「可愛い」とは言ってくれたけれど、「好き」はない。
付き合い始めでさえ「同じ気持ち」しか言われていない。
「ゆ、侑希、俺のこと、ちゃんと好き!?」
「……はぁ? 唐突に、なにそれ。それより早く勉強しようよ」
あからさまに邪険な目線を向けられた。
「だってさ」
「――なあ、皓斗さ、三学期は成績戻さないとヤバイって言ってたじゃん。ちゃんとやれよ。やんないなら俺、帰る」
開きかけていたテキストを閉じ始める侑希。
そう言われてしまうと、これ以上はしつこく聞けない。
皓斗は心の中に不燃物をかかえたまま通学鞄を開けた。
「あ、進路調査忘れてた」
高校に入って何度目かのこの用紙。皓斗は一貫して私立最難関大の法学部を第一志望にしていた。
「皓斗、祥大志望なんだ」
さっきまで塩対応だった侑希が興味深げに調査書を覗き込む。それが嬉しくて、皓斗のモヤモヤした気持ちは軽くなる。
「あー、うん。でも最近、変えようかなって思ってて」
「どうして?」
「やっぱ学部のランク高いじゃん。入れてもついていけんのかな、とか、ドラマに影響受けて弁護士になりたいって思ってきたけど、実際司法試験は難しいじゃん? なれても二十代後半……なれなかったら先が不安ていうか」
「確かに努力がいる進路だよな。でも、皓斗なら頑張れると思うけどな」
侑希がようやく皓斗の目を見て、髪に指を通してくれる。
やっとご主人様にかまってもらえて、軽くなった気持ちはどんどん緩んでいく。
「うーん。でもさ、一番は侑希との時間が減るのがヤなんだよな。今の段階でも塾の講義が多いのに、三年になったらさらに増えて、ふたりでゆっくり過ごす時間がほとんどなくなる。だからランク落とすか学部を変えて余裕を……ぃ、テッ」
半分本音の半分冗談を最後まで言い終わる前に、今しがたまで優しかった指からデコピンを受けた。
「そう言うの、ナシ! 進路を決めるときに俺とのことを理由にするなよ。自分の人生だろ? ちゃんと考えろよ」
普段あまり見ない、注意するみたいな、学校の先生を思い起こさせるような侑希の顔。
急に心がモヤッとして、わざとふざけたくなる。
「侑希の怒った顔、そそる」
近くにある、その真剣な表情の頬に口付けた。
「皓斗!」
侑希はすぐに皓斗を突っぱねてくる。
「俺は真面目に言ってんの!」
「わかってるよ、わかってる。ちゃんと考えるから。でも、久しぶりにふたりきりなんだ。ちょっとくらいくっつかせてよ」
侑希の腕を掴み、ぐっと引き寄せて抱きしめた。
「皓斗ってば。ちゃんと聞い……あっ……」
許しを請わず、無理に唇を奪う。
不意打ちだからだろう。侑希の口が開いていたから舌を差し入れ、口内を撫でる。
純粋に、好きな子との甘い時間を持ちたいという気持ち。
侑希の言うことは至極当然だし、冗談まじりだったけれど気を引きたくて言った情けない言葉への後悔と羞恥心。
反面、照れた表情をしながら「なにそれ、ばーか、ちゃんと頑張れよ」なんて、侑希への思慕を組んで励ましてくれると期待した心。
そんなさまざまな思いがごちゃまぜで、自分をコントロールできない。
「やめろ、よ、皓斗、ん、んん」
首を振り、手で胸を突っ張って抵抗してくる侑希をカーペットに押し倒し、組み敷いてキスを続ける。
――なんでだよ……進路や人生を考えるときに侑希を考えるな、なんて、なんでそんなふうに。
皓斗の思うこの先には侑希が存在している。だから当たり前に進路も侑希との未来を想像しながら思い浮かべる。
けれど侑希は違うのだろうか。侑希のこれからの人生には自分はいないのだろうか。
そう思うと、胸が焼けるように痛かった。