まだ日差しの強い、二学期が始まってニ日が過ぎた日の朝のことだ。

「皓斗さあ、休みのあいだ、グループメッセージに既読スルーばっかだったけど、なんで?」
「付き合いも悪くなったよな」

 皓斗は登校するなり、いつも放課後や休日に集まっていたクラスメイトたちに詰め寄られていた。

「あー、塾に集中してたりした。悪かったな」

 通学バッグを机フックにをかけながら、視線を合わせもせず流すように答える。
 侑希と出会って以降、意味のない会話が続くグループメッセージや、暇潰しの遊びの誘いには意義を感じられず、面倒だとしか思えなくなっていた。

「……なんっか、ノリ悪いんだよな。松本のこともエグいフリかたしたって聞いてる。皓斗らしくないじゃん」

 空気を読めよ、と思う。話を続けようと思っていないから顔も見ないのに、松本……皓斗が夏休み前にフッた女子だが、そんな話まで持ち出すから、近くの席の女子ふたりが顔を寄せ合い、小声で話しながら皓斗を見ている。あからさまに批判的な視線だ。男子でも視線を送ってくる。こちらは野次馬視線だが。

 それよりも、『皓斗らしくない』?
 お前が俺のなにを知ってんだよと、と心の中で毒づく。
 暑さで背中や額に汗をかいているのも手伝って、ひどく煩わしい。

「ほっとけよ。お前らに関係ねーだろ」

 これまでなら皓斗自身が、意識せずとも空気を読んできた。皓斗のなにげないひと言が場を和ませ盛り上がらせ、「いい感じ」の雰囲気を作ってきた。
 そうやって周囲とうまく付き合えば、流れていく日々が楽しかったから。いや、楽だったから。

 けれど今は、侑希さえいればそれでいい。
 そんな思いがつい裏目となってしまい、当然クラスメイトの気分を害した。

「マジで夏前からノリわりぃな、皓斗。一年の男とイチャイチャしてるから、おかしくなってんじゃねーの」
「……は?」 

 一年の男子。
 考えるまでもなく侑希のことだろうが、過度な嫌味を含んだ言い方に、眉根が寄った。 

「テスト明けの日、駅で抱き合ってたらしいじゃん」
「ヒュー! LGBTってやつ?」
「放課後に一緒にいるところを見たやつもいるって」
「夏休みに電車で手ぇ繋いでたってマジ? 皓斗、男もイケんの?」
「じゃあさ、皓斗が彼女と長続きしないのってゲイだったから? 皓斗、ゲイ、ヤバ!」
「ははははは!」

 一気にクラスメイトたちのからかいが連なり、嘲笑が起こった。我関せずだった生徒まで、騒ぎに注目し始める。

 クラスメイトたちは本気で言っているわけじゃない。だからこそからかえるのだ。
 ちょっと皓斗にムカついたからネタにしていじって、面白がりたいだけ。

 わかっている。だから笑い飛ばして、「馬鹿なこと言ってんなよ」と言おうとした。
 けれど言えなかった。

 ――俺は馬鹿なことなんかしてない。侑希とのことは、馬鹿にされることじゃない。

 周囲のザワザワ煩いのはエコーみたいに響いているのに、暗く狭い箱に閉じ込められたかのように身じろぎひとつできなくなる。

「なー、皓斗、どうなん?」

 囃し立てるひとりに肩を掴まれて言われ、奥歯を噛みしめたときだった。登校してきた野田が、ガラリとドアを開けた。
 野田は、教室に入るとすぐに不穏な空気を察したのか、眼鏡のブリッジに触れながら口を開く。

「さっきからうるせーな! そんなことでいちいち騒ぐなよ。お前らほんとガキ」

 えっ? と野田から後方へ振り向く。聞こえたのは野田の声ではなく、窓際の机で登校早々居眠りしていた涼介の声だった。

 涼介は言い終わりに、ガンッ! と大きな音を響かせた。
 滅多に苛つかない、普段は温和な涼介が、机の脚を蹴ったのだ。教室がしーんと静まりかえる。

 「ほら、もうすぐ始業だぞ。みんな席に着け」

 野田の声がようやくして、緊張感が漂う教室の空気を切り替えた。
 皓斗の肩を掴んでいた生徒が席へと戻り、代わりに野田がその肩をポン、と叩いてくる。

「皓斗、昼休み屋上集合。遠野くんも呼んどけ」  

 その直後、皓斗が聞き返す間もなく予鈴が鳴り、野田も皓斗も席に着いたのだった。