【職員室にいます。戻りは十三時半以降】

 保健室は西校舎に入ってすぐだ。三分もかからず到着したが、保健医はホワイトボードに伝言を残して不在だった。

「失礼しまーす」

 一応断りを入れて横開きのドアを開けた皓斗は、ベッドがふたつ並ぶ奥へと進んだ。

 よいしょ、とつぶやきつつ生徒を背から降ろしてベッドに寝かせる。
 身体が離れた瞬間に、ヒヤリと冷えた空気の存在を感じた。生徒の体温が移っていたからだろう。
 背に受けていた重みも共に失くなり、ちょっぴり心もとない気持ちになる。

 皓斗は生徒の青い顔を覗き込みながら声をかけた。

「なあ、大丈夫?」

 返事はない。生徒の呼吸は浅く速く、眉は苦悶に歪んでいる。
 横向きから仰向けにしてやった。改めて見てみると、生徒の容貌がずいぶんと整っていることがわかる。

 緩い癖のある皓斗の髪とは違い、細く真っすぐな色素の薄い髪。青白い肌にびっしりと生え揃った長いまつ毛。
 
「ネクタイは青。一年か」

 会うのは多分初めて。会ったことがあれば記憶に残るほど整った容貌だと思うから。
 だが熱があるのに青白いのは、よほど体調が悪いんじゃないかと心配になる。

 職員室に保険医を呼びに行こうかとも思ったが、時間的にそろそろ戻ってくる頃だ。離れずにそばに付いていてやるほうが良さそうだなと皓斗は判断した。

「制服、緩めとくぞ」

 もう一度生徒を見ると、第一ボタンまでしっかりと留めたシャツのせいで、より苦しそうに見える。
 返事はないが、生徒の固く締められたネクタイをはずし、枕元に置いたら、次はシャツのボタンをひとつ、ふたつ……と寛げていく。

「……ん……」
 
 みっつ目のボタンはいいかと手を止めたとき、生徒の小さな声がこぼれて、首がのけぞった。

 青白い喉元が皓斗の眼前に晒される。
 か細い首筋から鎖骨まで走る青い血管と、その上を伝う汗の雫がやけに生々しい。

 ごくり……皓斗は無意識に唾を飲み込みながら、片手を動かしていた。汗でしっとりとした生徒の首に触れ、じっと顔を見つめてしまう。
 
 すぐに桜の花びらのような薄桃色の唇に目を奪われた。顔全体が青白いのに、唇だけが美しく色づいている。

 皓斗は無意識に頬に手を持っていき、親指を生徒の薄い唇に当てた。

「ん……あったか……気持ちい……」

 すると、生徒の唇の隙間から細い声が漏れた。次に生徒は、頬ずりをするように皓斗の手に頬をすりつけてくる。

 それで驚き、皓斗は我にかえった。同時に、心臓がドッグドックドックと激しい律動を刻み、熱が出る前のように体がわなないた。

 慌てて生徒の頬に当てていたと気づいた手を浮かせ、自身の左胸を掴む。
 全身がカアッと熱くなって、ますます心臓が跳ねた。

 ――なんだこれ、おかしい。

 この感覚はおかしい。生徒をおぶったときに覚えた感覚もこれだ。まるで、身体の奥の体温を沸き立たせるようなこの感覚。
 これは本来好みの異性に覚えるもので、見知らぬ、それも男子生徒相手に覚えるものじゃない。

 けれど目の前で喉元を晒して横たわる彼は、皓斗の目には扇状的で。
 同性だとわかっているのに、もっと触れてみたい。シャツのボタンをさらにはずして、秘された肌を見てみたい。

 ――もっと、この子に触れたい。
 
「あら? 誰か来てたの?」
「!」
 
 またしても、知らず知らず手が生徒の首筋に伸びようとしていたそのとき、保健室のドアが開いた。
 保健医が戻ったのに気づいた皓斗は、サッと手を引っ込める。悪戯を知られた子どものようにきまりが悪い。

「や、なんか、外で倒れた子がいてそれで」
「どれどれ。ああ、遠野(とおの)くんか。……遠野君、触るよ~? わかるかな」

 保健医は遠野と呼びかけた生徒の額に触れたり、瞼をめくったりしながら数度声をかけて診察すると、ふう、と息を吐いた。

「発熱と貧血、同時に起こしちゃったみたいね。今は眠ってるだけみたいだから安心して」

 彼女は皓斗の方に向き戻って言った。

「……あら? あなたも顔が赤い? いや、これはどこかにぶつけたのかな?」

 元カノにぶたれた側の頬を指されている。

「や、大丈夫、です。これは、なんともないです。その子のこと、よろしくお願いします。では!」
「え、ちょっと」

 保健医が気にかけてくれるが、皓斗は逃げ出すように保健室を出た。
 もうとっくに五時間目が始まっているので、小走りで廊下を進み、階段は数段飛ばしで駆け上がる。

 だからだろう。心臓がまたドクドクドクドクと騒ぐのは。そして顔が異様に熱いのも。

 ――病人の介抱も初めてだったから、それで気が高ぶっているだけだ。

 不可解に生じた劣情と動悸に、言いわけを重ねるように理由をつけ、皓斗は大きく深呼吸をした。