ガツン、と頭を鈍器で殴られるような衝撃を覚えた。
美都の言うことが真実であるならば、善樹は長期インターン生として成長をさせてもらえる機会を与えてもらったのではない。RESTARTに、本当の自分を暴かれてこいと、弄ばれているような気持ちになった。
一体どうして。
善樹は、RESTARTの社員たちに敬意を抱いていた。特に人事部の人には、入社してから手厚い教育をしてもらい、そのおかげで社会で働くことの意味を実感することもできた。尊敬していたのだ。岩崎のことも、今田のことも。同時に彼らは善樹の働きぶりを、認めてくれていると思っていた。
それなのに本当は、善樹のことを試していた?
お前は、真実に気づくことができるのか、と。
悪に立ち向かうことができるのか、と。
そう考えると、背筋に冷や汗が流れた。
自分は何も見えてないなかった。
美都に指摘されるまで、RESTARTが本当は悪だなんて、考えもせず生きてきた。風磨のことだって、辛い事実から逃げて。
……このままでは、RESTARTどころか、社会に出て活躍することなんてできない。
「僕は……やつらの裏の顔を、暴きたい」
気がつけば口から本心が漏れていた。その言葉に、全員の気持ちが一つになったのが分かる。店員が再び料理を運んできた。開かれた扉から新しい風が吹き込んでくる。停滞していたその場の空気が、扉の向こうへと押し流された。
「そうだね。私も、みんなの話を聞いて、決めた。RESTARTの内定を受諾するかどうか。ただ、自分の決意をどうぶつけるかは——もう少しだけ考えて、自分にとって一番最適な答えを出したい。そのときはまた、みんなに協力をお願いしてもいいかな?」
「もちろん。僕たちだって、あいつらの悪事を暴きたいんだ」
「協力するよ」
「俺たちはもう、一緒に闘った同志だからね」
「僕も……もちろん。協力する、というか、むしろ助けてほしい。RESTARTと風磨のこと。まだ分からないことが多いから。もし本当にRESTARTが風磨を手にかけたなら、僕は絶対に許せない」
善樹の中で、腹の底から湧き上がる熱い鉄のような塊がぐつぐつと煮えているような心地がしていた。自分はRESTARTに騙されていたのかもしれない。だとしたら、本気で彼らを軽蔑するし、本気で闘いたいと思う。
「ありがとう。今日、みんなと話ができて本当に良かった」
美都がにっこりと、花のような笑みを浮かべた。その笑顔に、善樹は初めて胸がきゅっと鳴ったような気がする。けれど顔には出さない。開が美都の方を見て顔を綻ばせるのも、見てしまった。
それから善樹たちは運ばれてきた料理をガツガツと食べた。話し合いに没頭していたから、みんなお腹が空いていた。「ここの料理美味いね!」と一番興奮していたのはもちろん開だ。だが、宗太郎も負けず劣らずたくさん食べていたし、友里も、美都も、みんなで舌鼓を打った。
「それじゃ、そろそろ解散しますか。また集まれたらいいね」
「ええ。また何かあったら、連絡を取り合おう」
「東京ならいつ来てもいいしね」
各々挨拶をして、善樹たちはお店を後にする。
午後九時、外はもちろん暗くなっているのだが、眠らない東京の街はそこかしこが明かりに溢れていて、仲間と解散をするには惜しい心地もした。
「善樹くん、一緒に帰らない?」
他のメンバーを見送った後、美都に声をかけられた。下宿先が同じ方向なので、善樹はもちろん頷いた。
「今日、みんなのこと集めてくれて本当にありがとう。おかげで今後の方針が見えたよ」
「いや、お礼を言わないといけないのは僕の方だ。おかげで、目が覚めたというか。……自分が信じてきたものが、必ずしも正義とは限らない。インターンの時にも学んだはずだったのに、僕はまだ真実が見えていなかった」
「……仕方ないよ。まさかあの優良企業が悪だなんて、誰も思わないもの」
美都の声はどこか寂しそうに思えた。きっと、父親のことを考えているのだろう。美都の父親は今もなお牢屋の中にいるのだろうか。もし彼女のお父さんが本当に無実なら、早く解放してあげたいと思うのが家族の気持ちだろう。
「私さ、お父さんを助けたいと思いつつも、お父さんと苗字を変えて逃げたんだ。世間から、白い目で見られるのが怖かった……。ふふ、最低だよね。守りたいと思うものから遠ざかって、自分だけ逃げて」
「……最低なんかじゃないよ。きみがアルバイト先を追われた話を聞いて、本当に申し訳ないことをしたと思った。その後も、大変だったんだね。僕には想像できないくらい、辛かったと思う。そんな中でも、お父さんの無実を信じて行動してるきみは、きっとすごい」
本音だった。美都は本当に強いと思う。自分は辛いことから目を逸らしていたのに、美都は自分の身を守りつつも、目を逸らすことはしなかった。自分と美都は違う。彼女は、尊敬に値する人だ。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで救われたよ。私、やっぱり善樹くんのこと好きかも——なんてね。困らせちゃうね、ごめん。だけと善樹くんのこと、本当に大切な友達だったと思うし、これからも友達でいたい。だめかな?」
冷たい夜風が頬を撫でるのに、善樹の心臓は熱を帯びているかのように熱い。気がつけば無意識のうちに頷いていた。
「僕も、きみとは友達でいたいよ」
「そっか。良かった。あのね、私、善樹くんと協力して、RESTARTの悪事を暴きたいって本気で思ってるから、一緒に闘ってくれ
る?」
「ああ、もちろん。僕も闘う。人生をかけた勝負の始まりだ」
「ふふ、ありがとう。それじゃあ、また作戦会議しよう」
「うん」
美都と二人だけの約束をした善樹は、飲み会終わりのサラリーマンたちと一緒に、電車に乗り込んだ。電車の中は座れないほどに混んでいるのに、世界に美都とたった二人きり、取り残されたような錯覚に陥る。でも、不思議と淋しいとは思わなかった。彼女の息遣いを隣で感じながら、流れゆくネオンの街の風景をしっかりと頭に刻みつける。
これから自分が闘おうとしている相手は、茫漠と広がるこの街に似ている。
美都と、それから仲間と一緒ならば、怖くはないと思った。
誰もいない殺風景な下宿先の部屋に帰り、玄関の扉を開く。ひゅっと風が吹き抜けて、善樹は目を瞠る。
「ただいま」
……。
誰からも返事はない。当たり前だ。善樹は大学生になってからずっと一人暮らしだ。風磨と共に生活をしていたと思い込んでいただけで、自分はずっと一人だった。
洗面所へ向かい、石鹸で手を洗う。鏡に映った自分は紛れもなく自分でしかない。風磨が亡くなってから、鏡や窓に映った自分の顔を見るたびに、彼がそばにいる気がしていた。それくらい、善樹と風磨は顔がそっくりで、両親に間違えられることも多かった。
「まさか自分が、間違えるなんてな」
滑稽な過去に苦笑する。
風磨、お前もおかしいだろ。
僕のこと、ずっと馬鹿なやつだって思ってただろ。そっちで笑ってるんだろ。
お前はさ、なんでRESTARTで働きたいって思ったんだろうな。
「なあ、教えてよ」
鏡にそっと手を伸ばし、映り込んだ頬に触れる。つるりとした感触が生々しく、今彼がここにいない現実を善樹に突きつけた。
「もし本当に風磨がRESTARTの人間にやられたんならさ……兄ちゃん、闘わなくちゃいけない。見守ってくれる?」
たった数分の出生時刻の差で兄や弟だなんて、馬鹿馬鹿しいと思っていた。
それでも、風磨から「兄貴」と呼ばれるたびに、自分は兄なんだ、兄として弟を守らなければと使命感を覚えたのは事実だ。風磨が周りの人間から理解されなくったって、自分だけは絶対に見捨てたくない。血を分けた双子のことを、自分だけは理解したいと切に願っていた。だから彼がピンチの時は必ず駆けつけたし、何か悩んでいることがあったら共有してほしいと思った。宗太郎たちに言わせれば、それも偽善なのかもしれない。
でも、それでも僕は。風磨のことを守りたい。今も昔も変わらず、風磨は大切な弟だから。
「風磨、お前が僕を兄にしてくれたんだ」
不甲斐ない兄かもしれない。勉強ばかりで、人の気持ちを分かってやれない人間なのかもしれない。
でもさ、たった一人の弟のことぐらいは、分かりたいと思うんだ。
鏡の中の自分の顔が、切なく歪むのが分かった。瞼の裏が湿り気を帯びている。成人してから、涙を流すことなどなかった。淡々と、目の前のやるべきことをこなす日々に、心を強く揺さぶられることがなかったのだ。風磨が亡くなった時は、信じられない気持ちでいっぱいで、空っぽになった心が、泣き叫ぶことさえしなかった。
一緒に闘ってくれる?
先ほどの美都の言葉が頭の中に強く思い浮かぶ。
闘おう。美都や、仲間と共に。大切な弟のために、自分は立ち向かうのだ。たとえ相手が大企業だとしても、尻込みなどできない。美都たちと約束したから。
「そばで、見てて」
絶対に気のせいだと分かっているつもりなのに、風磨が背中をぽんと押してくれているような気がしてはっとする。守られているな。風磨に対して初めてそんなふうに思った。
シャワーを済ませ、部屋に戻ると余計なことは考えずに電気を消した。マンションの下ではブーンという車のエンジン音が今なお鳴り続いている。眠らない東京の街。今日も忙しなく過ぎていくいつもの一日であったはずなのに、善樹の周りだけが四角く切り取られているような気がした。これから立ち向かうのは孤独であって、孤独ではない。目を閉じて、瞼の裏に浮かぶ美都のまっすぐなまなざしを、記憶に刻みつけるようにして眠りについた。
翌日、大学でゼミを受け終えた善樹は、図書館で課題を済ませていた。その最中、スマホが数回震える。アプリの通知は最小限に抑えているから、普段から通知が鳴ることはほとんどない。画面を見ると、美都からメッセージが届いていた。
【善樹くん、昨日はありがとう。早速なんだけど、作戦を立てない? 大学が終わったら連絡が欲しいです】
メッセージの後に、よろしくお願いします、とパンダが頭を下げているスタンプが送られていた。彼女が単刀直入に、こんなふうにメッセージを送ってくるということは、よほど急いでいるのだろう。内定を受諾するかどうかの連絡を、会社側から迫られているのかもしれない。だとすれば、いち早く作戦を立てる必要があった。
【こちらこそ、昨日はありがとう。了解です。ただ今日はこれからバイトがあるから、終わってから電話でもいいかな】
善樹が返信を打つと、ものの数分もしないうちに返事が返ってきた。
【もちろん、電話で大丈夫です。ありがとう】
それっきりの短いやり取りだった。善樹は机の上に広げていた参考書やノートを鞄にしまい足早にバイト先に向かう。シフトの時間は決まっているから、早く行ったところで早く切り上げることはできないのだが、逸る気持ちを抑えるためにも、行動するしかなかった。
夜九時、バイトを終えた善樹は帰宅すると、まるで何かの儀式のように洗面所の鏡の中の自分の顔をじっと見つめる。忘れないためだ。自分が一条善樹であって、風磨ではないことを。風磨が隣にいないことを。ひしひしと感じながら、部屋でスマホを手に取った。
LINEの画面を開いて、美都に電話をかける。ツーコールもしないうちに、彼女はすぐに電話に出てくれた。
「もしもし、長良さん? 今大丈夫?」
『うん、大丈夫。忙しい中電話ありがとう』
電話の向こうから自分の部屋で聞こえるのと同じような車のエンジン音が聞こえてきた。窓を開けているのかもしれない。お風呂上がりに水が滴る彼女の艶やかな髪の毛を想像して、すぐにかき消した。
「こっちは大丈夫。それで、作戦のことなんだけど——」
『そうだね。作戦を練ろうっていう話。実は私、割ともう考えを固めてるの。あとは実行に移すだけ』
「そうなの? 随分仕事が早いね」
昨日、みんなで集まってその翌日だというのにもう作戦を立てているのか。仕事が早いのはさすがという他はない。
『そんなことないよ。私は大学にも行ってないしね。それに、RESTARTからは十五日までに内定受諾の回答が欲しいって言われてる。あと五日しかないの』
「なるほど。それは、今すぐにでも行動しないとまずいね」
やはり、善樹の想像した通りだった。彼女は先方から回答を迫られている。焦る気持ちはとてもよく理解することができた。
『そう。だから単刀直入に伝えるね。私が考えた“作戦”』
「お願いします」
それから美都は電話の向こうで今日考えたという“作戦”を語り始めた。RESTARTの悪事を暴くため、そして自分がRESTARTに就職すべきかどうかを決めるため。今、自分にできるすべての力を出し切って、実行する。彼女の語り口からして、並々ならぬ決意が伝わってきた。
『……とういうわけなの。大筋は理解してもらえたかな?』
一通り話し終えると、電話の向こうで彼女がふう、と息をつくのが分かった。
「ああ、分かったよ。でも、本当にそのシナリオ通りにいくかな?」
『それは……やってみないと分からない。でも、何もしないでぼうっとして、彼らの思惑にハマるよりは絶対にまし。だから成功するかどうか分からないけど、やってみたいと思う』
「そうか」
善樹は頭の中で、彼女から伝えられた作戦を実行するイメージをしてみた。
できないことはない。ただ、あと五日という期限が迫っている中で実行するならば、自分たちだけではなく、Dグループのみんなにも全面的に協力を仰ぐ必要がある。
そこまで考えて、善樹は思い切り深呼吸をしてみた。
酸素が血液に溶けて、全身を駆けずり回る。血管が大きく開いているイメージが湧き上がり、やってやろうじゃないか、という気概が湧き上がってきた。
「分かったよ。その作戦で頑張ってみよう。みんなにも、協力してもらわないとね」
『ありがとう。ええ、そのつもり。今から順番に声をかけてみる。返事が来たら、善樹くんに報告するね』
美都はそれだけ言い残すと、「また連絡します」と電話を切った。
美都が内定受諾を受け入れるかどうか、決めるまであと五日間。
長いようで短い数日が、今始まった。
十月十一日、善樹は大学の授業が三コマ目で終了したので、終わり次第RESTARTのオフィスに向かっていた。今日は長期インターンのシフトの日だ。一応、毎月の出勤日は事前に申請していて、その予定に従って出勤している。
だが、今日はいつもと違う心持ちで会社にやってきた。ただやるべき仕事をこなすだけではない。ここ数日の間に芽生えた会社への懐疑心によって、オフィスという空間にいるだけで緊張していた。営業社員や事務社員はいつもどおり仕事に励んでいる。善樹は、インターン生が集まって使っている部屋で、時々パソコンから顔を上げながら、ガラス壁で区切られた社員たちのいる部屋の方を観察していた。
特に、何もないよな……。
当たり前だけど、目の前に広がっているのは日常の風景だった。
善樹は社会的マイノリティの人が利用するマッチングアプリの開発や今後必要な施設について考える、いわゆるマーケティングの部署で働いていた。教育係は特に決まっておらず、同じマーケティング部の社員に意見を求めたり、教えてもらったりしながら仕事を進めている。他のインターン生たちも同じだ。仕事内容について、疑問に思うことは一つもない。今日も、淡々と指示された作業をこなすばかりだ。
時々人事部の人から呼び出されて面談のようなものを受ける機会もあった。インターン生の世話も、かなり手間暇かけてやってくれている——そんなふうに感じていた。
「一条くん、ちょっといいかい」
パソコンの画面と、ガラス越しの向こうの部屋に、ちらちらと視線を行ったり来たりさせていた時だ。不意に後ろから声をかけられた。振り返ると人事部でお世話になっている今田が立っていた。Dグループで審査員を務めていた彼は、インターン生と面談を担当している社員だ。あのインターンではもちろん彼のことは知らないふうを装っていたけれど、本当は最も良くしてくれている社員だった。
「はい、なんでしょう」
今田は「ちょっと向こうの部屋に」と、善樹を仕事部屋から連れ出して、別の部屋へと連れて行った。六階の人事部のフロアにある個室だ。面談を受けるときは大抵この部屋で行われていた。
「呼び出して悪いね。ちょっときみに聞きたいことがあって」
今田はそう前置きをしてから、「長良美都さんのことなんだけど」と切り出す。美都の名前を耳にした善樹は、反射的にぴくりと肩を揺らした。動揺を悟られないように、「長良さんが、どうかしましたか?」と尋ねた。
「実は彼女に内定を出していてね。あの特別選考で、決定したんだ。きみに報告が遅くなって申し訳ない」
「そう……なんですね。いや、僕なんてただのインターン生ですし、大丈夫です」
あくまでも初めて聞いたふうを装う。
「きみは面接官としても協力してもらったからね、伝えておかないといけないと思って。それで、彼女を雇うに当たって、ちょっと聞き
たいことがあって」
「聞きたいこと? なんでしょう?」
美都に対する情報なら、宿泊型インターンや面接で散々分かったのではないのだろうか。他にもまだ、聞きたいことがあるのか。
「いやあね、彼女は内定を受諾するかどうか、って話なんだけど。きみに聞いても分からないよね?」
「内定受諾をするかどうか、ですか。うーん、さすがに僕は何も……。あの選考以来、会ってないですし」
嘘をついた。彼女に関する情報を、今自分の口からは言えない。
「そうだよね。うん、変なこと聞いてごめん。実は私たちは、きみにも大学を卒業後、一緒に働いてもらえないかなって思ってるんだ」
「え?」
これには善樹も驚いた。長期インターンをしているとはいえ、RESTARTに就職するかどうかはまた別の話だ。通常なら自分からアプローチをして、入社させてもらえないかと掛け合うところだろう。
それなのに、RESTART側から誘いを受けるなんて。
光栄なことではあるが、美都やみんなと話した内容が頭の中で鋭い光を放っていた。
「きみは、数年に一度いるかどうか分からないくらい、優秀な人材だ。頭の良さはもちろん、きみの性格もね
。我が社に合ってるんじゃないかと思ってる。岩崎部長も同じ意見なんだよ」
RESTARTに合っている——まさかそんなふうに思われているとは思わず、善樹の身体は固まった。嬉しいという気持ちもあった。でも、みんなから聞いたRESTARTに関するいろんな話が走馬灯のように駆け巡っていた。
「そんなふうに言っていただいて、光栄です。少し、考えさせてください」
「もちろん。今すぐ答えが欲しいわけじゃない。まだ三年生だしね。これから働いてみて、RESTARTに就職するかどうか、考えてくれたらいい。もし入ってくれるのなら、私たちはきみを歓迎するよ」
「……ありがとうございます」
善樹はお礼を伝えて、その場を立ち去ろうとした。だが、今田がふと「そういえば」と再び口を開く。
「一条くん、最近風磨くんの様子はどうだ?」
「え、風磨ですか?」
トクン、トクン、と自分の心臓の音が大袈裟なくらい大きく聞こえる。今田の目は去っていこうとする善樹を捉えて離さない。何かを思案する虎の目のようだった。
「風磨……は、家で就職先を探してます」
咄嗟に口をついて出た嘘を、今田がどう受け取ったかは分からない。ただ彼は「ふうん。そうなんだ」と意味深に頷いた。
「風磨くんとは私も一緒に働いて、楽しかったからね。突然辞めてしまったのが、ちょっと悔しかったんだ」
突然辞めてしまった。
男の口から出た表現に、善樹の脈動がどんどん速くなる。
だが、動揺を悟られないようにして、「本人に伝えておきます」と言い残した。
部屋の扉から出ていこうとする善樹に対し、今度は今田も何も言わずに黙って見送ってくれた。
美都から再び連絡があったのは、その翌々日、十月十三日のことだ。今度は電話ではなく直接会いたいと言われ、以前も彼女と話した喫茶店に向かった。日曜日なので今日も店内は混んでいる。美都はコーヒーを頼むと、早速本題に入っていった。
「みんなから、返事が来たの。たった一日しかなかったけど、それぞれ協力してくれた。だから作戦は、今晩決行したいと思ってる」
「今晩か——」
美都も、Dグループのみんなも仕事が速く、善樹は素直に驚かされた。それぐらい、みんなの気持ちは一緒だったようだ。
「本当に、大丈夫かな」
直前になって弱気になる善樹。今まで、部活の大会でも勉強でも良い成績を収め続けてきた。本番前に緊張したことはあったが、弱気になったことはない。自信があったのだ。自分はここまで頑張ったのだから、絶対に大丈夫だという自信。でも今回は——相手が相手だけに、どうなるか分からない。未知なるものと対決をする。初めて押し寄せてくる不安が、底なし沼のように感じられて、この作戦に自分自身が溺れてしまわないか怖くなった。
「大丈夫だよ、善樹くん」
ポンと、誰かに優しく背中を押された気がする。実際には触れられていないのだけれど、美都の柔らかな言葉が自分にとって大切な道標だと感じた。
「善樹くんが失うものは何もない。善樹くんはもう十分傷ついたんだから、これ以上傷つかなくていい。あと少し、一緒に頑張ろう?」
失うものは何もない。
そうだ。たとえこの作戦が失敗したとしても、せいぜいRESTARTから糾弾されるだけだ。退職させられるかもしれないが、何かを失ったことにはならない。美都の力強い言葉が、善樹の気持ちを前へと動かした。
「ありがとう、長良さん。僕はあのインターンできみに再会できて良かった」
「こちらこそ。じゃあ善樹くん、今晩九時に作戦決行ね。よろしくお願いします」
テーブルに額がついてしまうんじゃないかってくらい、深く頭を下げる美都。善樹はそんな彼女を細目で見つめながら、今夜の自分の行動を注意深くシュミレーションしていた。
「こんなもんか……」
午後八時半、自宅の机でパソコンに向かっていた善樹は、大切な作業を終えてほっと一息吐いた。机の上には美都から送ってもらったさまざまな資料をプリントアウトした紙がずらりと並んでいる。
椅子に座ったまま、新鮮な空気を求めるようにして天井を仰ぐ。
「風磨……もうすぐだぞ」
長い間、善樹が風磨の不在に気づかないことで、風磨の魂は浮かばれなかっただろう。
本当に、ごめんな。
心の中で祈るように呟く。時計の針が時間を刻む音だけが、室内に響いていた。
それから三十分後、午後九時になると心臓が張り裂けそうなくらい緊張しながら、善樹はスマホを開く。
これですべてが終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。
終わらなくても、失うものは何もない。
何度も自分に言い聞かせながら、善樹はスマホの画面をタップした——。
「大変です、岩崎部長——」
十月十四日、月曜日。爽やかな秋風の吹く月曜日の朝に優希が出勤すると、部下の一人が血相を変えて優希の元に飛んできた。挨拶の一つもなく話しかけられて、優希は驚く。一体何事だ? まだ朝礼も始まる前の時間だ。その前に部下が仕事の要件で話しかけてくることはあまりない。どうしたんだと鋭い視線を向けると、彼は額に汗を浮かべながら自らのスマホを差し出してきた。
「この記事、見てください。炎上しています」
「記事?」
何のことだ、と訝しく思いながら、部下が差し出してきたスマホの画面を覗き込む。どうやら画面はつぶやき投稿のできるSNSを映し出しているようだった。優希も使用している。自分で発信することはほとんどないが、その時々の世間のトレンドを追うのに便利なのだ。
そんなSNSで部下が表示していたのは、見知らぬアカウントの投稿画面だった。アカウント名は「Zen」。プロフィール画面は青く澄み渡る海の写真で、怪しいところは何もない。「記事」と言われたのでニュース記事のようなものを想像していたが、どうやら違うらしい。部下が言う「記事」は、どうやらその「Zen」という人物が書いたブログのようだ。
「『双子の弟を轢き殺された兄の叫び』」
タイトルを読み上げて、優希は絶句する。頭の中で「Zen」という名前が「善」という漢字に変換された。
恐る恐る、記事のURLをタップする。リンク先で表示されたのは個人のブログが投稿できるサイトの画面だ。先ほどのタイトルの下に、ずらりと文章が綴られている。文字数にすると三千字ぐらいだろうか。そこには一年前の春に、双子の弟を轢き殺されたという兄の心境がびっしりと綴られていた。
『タイトルを見て、この記事にたどり着いてくださった皆様、ありがとうございます。僕は現在、東帝大学の三年生です。RESTARTという会社で長期インターンをしています。タイトルとインターンの話は関係ないと思われたかもしれませんが、どうしても、書かなければならない理由があるので、言及しました。会社名を晒してしまうことは、申し訳ないと思っています』
「なんだ、これは……彼が、どうしてこんなことを——」
優希の動揺に、部下は何も答えない。固唾をのんで優希が記事を読むのを見守っている——そんな気配がひしひしと伝わってきた。
『一年前の春、僕は双子の弟を失いました。とある会社の営業車に乗っていた人物に轢き逃げをされたんです。営業車を運転していたと思われる人物はいま、刑務所にいます。去年、ニュースにもなったので知っている人も多いかもしれません。事件は容疑者が捕まることで解決した——そんなふうに思っていました。世間もこの事件に関してはもうほとんど関心を寄せていません。みんなの心から、忘れ去れています。でも、実際はまだ解決していないのかもしれない。そんなことを考え出したのは、ある人物に出会ってからでした』
「彼」が綴った文章を、一つ一つ目で追っていく。段落が進むごとに、心臓の動きがどんどん速くなっているのを感じた。
『その人——Mさんはこの事件の容疑者として捕まった人の娘です。僕と同じ歳でもともと知り合いでしたが、RESTARTの宿泊型インターンで同じグループになり、交流を再開しました。そのMさんの父親は弟の元職場の上司でした。弟はMさんの父親の会社を去ったあと、RESTARTに転職したんです。でも弟はRESTARTの仕事内容で不審に思う点に気づいて、RESTARTのことをMさんの父親に相談していたようです』
優希の頭の中で、二年前に就職してきた「彼」の姿がフラッシュバックする。
仕事ができそうな人間だとは最初から思わなかった。思ったとおり、「彼」はパソコン業務もままならず、任せられることは少なかった。だが、優希の予想とは裏腹に、物事に対する着眼点には目を瞠るものがあった。
——岩崎部長、ホームレスの人たちに提供する施設サービスのことなんですけど、ちょっとおかしいと思う点があって。
彼は、人事部長である自分にも、臆することなく意見をしてきた。入社してまだ一ヶ月やそこらの若者の意見としては、あまりにも鋭い。優希は、そんな「彼」を脅威だと感じるようになっていった。
『弟はその後もずっと、RESTARTへの不信感が拭えずに、四ヶ月そこらで退職をしました。納得がいかなかったのか、SNSに本音を吐露していたこともあったようです。会社名こそ伏せられていましたが、読む人が読めばRESTARTのことだと分かるような内容でした。彼が車に轢かれて亡くなったのは、RESTARTを退職して三ヶ月後の春のことです。その場の状況から、警察はMさんの父親を犯人だと判定しました。Mさんの父親が普段乗っていた会社の営業車が弟を轢いたそうです。Mさんの父親には他にアリバイもなく、ドライブレコーダーは壊れていました。他にも理由はあったかと思いますが、とにかく弟の事件で捕まったのは、Mさんの父親です』
でも、と間髪を容れずにブログの文章は続く。
『僕もMさんも、真犯人は別にいると思っています。真犯人はRESTARTの人間なんじゃないか——そう予想して、このブログを書きました。証拠として、さる方から入手した情報を載せておきます』
「!?」
証拠、と称してブログに添付されていた画像を見て、優希は絶句した。
『株式会社RESTART、社会福祉助成金に関する立入検査拒否履歴』
『老人介護施設で生活している高齢者たちの個人情報、財産を奪取』
『ホームレスたちが受け取った生活保護の行方調査』
そこには、優希をはじめRESTARTの人間が隠したいと思っていた会社の「裏」の顔が暴かれるタイトルと共に、証拠となる記述がずらりと並んでいた。どれも、公的機関や警察によるものとしか思えない。ニュースなどでは一般には公開されていない、会社の秘密がつらつらと並んでいた。
「なんだ、これは……」
あまりの衝撃に、優希の目が眩む。その場で卒倒してしまいそうな感覚がした。
『これらの資料は、僕が協力者から極秘に手に入れたものです。どれも公的機関に勤める人間の調査によります。この資料を公開することが何かの犯罪に繋がるのだとしても——僕は、後悔はしません。弟の無念を晴らしたい——その一心で、ブログを書きました。弟は、ここに書かれているようなRESTARTの秘密を知り、社員に意見した。だから口封じとして轢き殺されてしまった。もちろん、すべて僕の妄想である可能性は十分にあります。だからこそ、こうして筆を取りました。
どうか、この文章を読んで少しでも違和感を覚えた方がいれば、彼らの悪事を暴いてください。弟とMさんの父親を襲った悲劇について、考えてほしいです。
RESTARTでお世話になった皆さん、申し訳ありません。
それでも僕は、自分の「正義」をもって、この文章を書き残します。真実を、教えてください』
そこで締めくくられた文章には、すでに五百件以上もの「いいね」がついていた。元のSNSの投稿に戻ると、この投稿が幾人もの著名人によって拡散されていることが分かる。波及力はすさまじく、炎上したのも当然のことだった。
『RESTARTってあの社会福祉企業だよな? まじ?』
『会社、終わったな。乙』
『これが本当なら相当ヤバイ』
『待って、でもこの証拠自体怪しくない?(笑)信じていいの?』
『警察に任せるしかないだろ』
『どうなるか見ものだな』
投稿に寄せられたコメントには、善悪さまざまな内容があった。だが、誰もがブログを読んで少なからず心を動かされていることは事実だ。面白がっている連中が大半だろうが、ここまで拡散されてしまっている以上、マスコミが動かないはずがない。
「部長、早く対策を考えないと——」
部下が優希に迫る。他の部署でも同じように、上の連中が判断を迫られているのだろう。 ……くそ、こんなところで終わるわけには——。
全身の毛穴から嫌な汗が滲み出ていた。
社内アナウンスが入り、今日は緊急会議を行う旨が通達される。営業もすべて停止。営業部隊は得意先にすぐさま連絡を入れた。もちろん、インターン生は全員出勤停止だ。
「然るべき措置ですね……。あと部長、こんなときに何ですが、長良さんからメールが来ています」
「長良……今、それどころじゃ」
「内定受諾の件と、ブログの件でお話があるそうです。明日、十三時に来るという内容ですがどうしますか?」
優希の頭の中は混沌としていた。正直今この状況で一介の学生もどきと会う余裕などない。全社を上げて対策を練らなければならない。そんな中、彼女と会うメリットはどこにー—。
そこまで考えて、やっぱり、と優希は思い直す。
今、長良美都——「M」から目を逸らすべきではない。
彼女を放置しておけば、我々に必ず破滅が訪れる。その前に、彼女の処遇から、なんとかするべきだ。
「……分かった。承諾する」
低い声で頷くと、部下が「承知しました。返事はこちらから送っておきます」と返答が来た。
長良美都。
きみは一体、この状況の中、我々に何を言うつもりだ?
混沌としたオフィスの中で、優希はどうしてか、薄ら笑いが止まらなかった。
十月十五日、火曜日。
本当なら今日はRESTARTに出勤をする日だった。だが、今朝会社からメールが届き、『インターン生は全員出勤を停止、自宅待機とする』という通達がきた。何事かと、善樹は疑問に思うこともなかった。なぜなら、一昨日の夜、爆弾を投下したのは善樹自身だからだ。
「RESTARTが風磨を轢いた犯人だと思わせられるようなブログを書いてほしい」——。
美都に作戦を打ち明けられた時、善樹はそんなことで大丈夫かと半信半疑だった。だが、Dグループのみんなの親たちに協力してもらい資料を添えてブログを公開すると、著名人から目を付けられたおかげか、記事は瞬く間に広がっていった。善樹自身、ブログを書いているうちに、風磨に対する無念が頭の中を支配し、驚くほど速く筆が進んでいた。
記事の拡散具合を見て、RESTARTがどれほど社会に影響を与えていたか、身に沁みて感じている。
「お待たせ」
白いブラウスに黒い綿パンツを履いた美都が、待ち合わせ場所の駅前に現れた。時刻は午後十二時半、早めのお昼を済ませた善樹も、美都と同じようにオフィスカジュアルな服装で外に出ていた。
「早速行こうか」
「ええ」
余計な会話は一言もせず、善樹たちは電車に乗り込む。昨日のうちに、二人で今日のことを打ち合わせしていた。目論見通り——いや、予想よりも遥かに話題となった記事。それに対しRESTARTが全社を上げて会議を開始したことを善樹は知っていた。美都は昨日、
「明日の一時に会社を訪問できることになった」と善樹に告げた。驚いた善樹だったが、RESTARTが以前から美都と美都の父親のことを知っており、彼女から情報を引き出そうとしていると察していた。
六本木のオフィスに辿り着く。ビルの外は恐ろしいくらいの静寂に包まれている。ちらほらと、外で待機している人はマスコミの人間だろうか。あの記事の真相について、テレビ局がRESTARTに突撃をしているのだとしても、不思議ではなかった。
善樹たちは彼らの目を掻い潜り、ビルの中へ向かう。受付で約束があると名乗ると、すぐに人事部のフロアまで通された。
「失礼します」
案内された部屋の扉をノックして、美都が扉を開ける。善樹はそっと後ろからついて入った。
「岩崎部長、こんにちは」
朗らかな中に、何かを訴えかけるような不穏な空気を漂わせ、美都は椅子に腰掛けていた岩崎に挨拶をした。善樹も、「お疲れ様です」と頭を下げる。岩崎がすぐに善樹の方をぎろりと睨んだ。
「……一条くん、なぜきみがここに?」
敵を睨むような鋭い視線が、善樹をその場から押し出そうとしているかのように感じ、一歩、たじろぐ。だめだ。ここで引いてはいけない。強い決意と共に、善樹はぐっと唇を噛んでから答えた。
「長良さんと一緒に、部長に話をしたくて来ました。事前に伝えたら、断られると思ったので。すみません」
「きみは……賢い人間だろう。ビジネスマナーに反するよ。そんなことぐらい分かっているだろう」
「はい、重々承知しています。ですが、僕はもう昨日までの“一条善樹”ではありません。失礼します」
同席させてください、という意味で善樹は頭を下げる。しばしの沈黙が流れた後、岩崎がため息をついた。呆れて追い返す言葉も出ないのかもしれない。
その時、再び部屋の扉が開かれる。「失礼します」と言って入って来たのは、今田だった。
「一条くん」
岩崎と同様、今田も善樹の存在に動揺しているのが分かった。善樹は気まずくなり、今田から目を逸らす。「すみません」という言葉だけが、反射的に口をついて出た。
「もういい。とにかく話を聞こう。長良さん、きみは内定受諾の件で来たんだね?」
話を進める岩崎の隣に、今田が腰を下ろす。善樹と美都は正面に立ったまま、椅子に座ろうとはしなかった。
「はい、そうです。単刀直入にお伝えします。内定を、辞退します。せっかくお声掛けいただいたのに、申し訳ありません」
きっぱりとした口調で断る美都。その決意に揺らいでいる様子は一切見られない。ここに来るまでに、彼女は散々悩んで考えたのだ。今更気持ちがぶれることはないのだろう。
「理由は……聞くまでもないな。一条くん」
「はい」
岩崎は美都から善樹の方へと視線を移す。罪人から言い訳を聞く警察官のような目つきだった。
「あのブログを投稿したのは、きみだね」
予想していた質問が飛んできたはずなのに、善樹の心臓が大きく跳ねた。岩崎と、一対一の空間に放り込まれたような気がして、つい足元を見る。隣からは美都の息遣いが、規則正しく聞こえていた。
落ち着け、大丈夫だ。
善樹は自分にそう言い聞かせると、「そうです」と頷いた。
「ほう、認めるんだね。どうしてあんなブログを書いた?」
とても三十代とは思えない貫禄に、気圧されそうになる。心配そうな美都の視線を、横目で感じた善樹は気を強く持て、と意識した。
「……風磨を殺された無念を晴らしたかったからです」
本音だった。風磨が死んでしまったことから目を逸らしていた自分を恥じ、RESTARTによって始末されたかもしれないという疑念に囚われていた。もし彼らが真犯人なのであれば、このままでは風磨が浮かばれない。それだけは絶対に嫌だった。
「風磨くんを轢いたのは、別人だろう。ああ、その人は長良さん——きみの父親だったね」
美都がぴくりと肩を揺らすのが分かった。
やはり……やつらは最初から、美都とお父さんのことを知っていたのだ。知っていて、あえて彼女を宿泊型インターンに招待した。そう思うと、腹の底で熱い塊が煮えたぎるような心地がした。
「違う……長良さんのお父さんがやったんじゃ、ない」
絞り出した声が思ったよりも震えていることに気がつく。足元がぐらつかないように、強い精神力でなんとか立っていられていた。
「昨日のブログにも書いていたね。あんな証拠とも言えない証拠を並べ立てて、我が社を追い詰めたつもりかい」
岩崎の声は至極冷静だった。
昨日、善樹が投稿したブログの記事が炎上したことで、RESTARTは今、対応に追われているのではいのか? 全社会議に一日を費やし、インターン生も出勤停止にしてまで、大事になったのではないのか。それなのに、なぜ。岩崎はこんなにも落ち着き払っている?
「追い詰めたとは思っていません。ただ僕は、風磨の事件の真相が別にあるのだとしたら、それを暴きたいんです。僕一人の力では無理だから、世間に公表して、助けがほしかった」
そう。
何も初めから、RESTARTが真犯人であると決めつけていたわけではない。善樹も美都も、美都の父親が冤罪であるならば、真実を教えてほしい。自分たちの力ではそれができない。だからこそ、世間の注目を集めて、RESTARTに捜査の目が向くように仕向けた。それが一番の目的だった。
岩崎の挑戦的な視線が善樹の胸に突き刺さる。背中でツーッと一筋の汗が流れ落ちた。
「真相を暴く、か。残念ながらそんなことはできない。我が社を舐めてもらっては困る。一介の大学生であるきみたちに、大企業を潰すことなんてできないんだよ。私がきみを夏の宿泊型インターンに参加させた理由を、教えてやろうか」
もはや、岩崎の中で善樹のブログの件など、些末な問題に過ぎないようだ。美都と一緒に心血を注いで実行した作戦が見事に失敗したことを悟り、泥沼に沈んでいくような心地がした。